月報 2010 3

タイトルをクリックしてください        

デュナミスコースの驚き(1)―聖霊の賜物が生かされる教会へ―

デュナミスコースの驚き(1)
―聖霊の賜物が生かされる教会へ―
教育主事 小森仁美

 去る二月八日~十一日、第二回目のデュナミスコースが開催されました。今回のテーマは「聖霊の力で」というもので、昨年の「力強い宣教の扉」からさらに踏み込んだ、具体的な聖霊の働き・賜物についての実践的な学びがなされました。

 聖書の中には御霊の賜物が種々記されています。そしてそれは生き生きと用いられ、教会の徳となっていました。しかし現在、聖霊の働きを歓迎している私たちの教会であっても、その賜物は教職者など特別な人だけが用いるものになっている傾向があり、一般信徒は異言を語ることくらいに留まっていたのではないかと思います。

 けれども今回のデュナミスを通して、聖霊は今も使徒行伝の時代と同じように自由に働きたいと願っておられ、そのために協力する者を探しておられるということを知らされました。聖霊と協力していくことのダイナミックさを私たちはもっと体験することができる。聖霊の導きを聞くこと、受け取ることができる。様々な奇跡を見ることが出来る、それを求めて祈ることができる。特別な先生方だけではなくて、イエス・キリストを信じる者にその扉が開かれているということは、本当に力強く、また希望に満ちた学びであり、チャレンジでした。

 デュナミスコースの目的は、聖霊の力・賜物を分け与えていくことです。ですからただ頭で学ぶだけではなく、特に今回は多くの実践の時間が与えられたことも感謝でした。聖霊の賜物を開発していくこと、練習しながら実際に用いていく訓練をすること、ただ「聖霊に満たされた」ということで満足して、それを個人の恵みとして終わらせるのではなく、教会を建てあげていくためにそれぞれの聖霊の賜物を用いていくことの豊かさを教えられ、体験させられました。

 ある実践の時間。グループになって、祈りの課題は聞かずに、その中のあるメンバーのために、聖霊に必要を聞きながら祈るという時間がありました。夫である康三伝道師は最初、「こんなお試しみたいなことをして、意味があるのかな?」と思ったそうですが、静かに聖霊様に聞いていった時、聖霊様は祈るべき事、その人の必要を一つ一つ示してくださり、その通り祈ると、驚くべき事にその人が祈ってもらいたいと思っていたまさにそのことだった、というのです。そして知識の言葉という賜物が今回のセミナーを通して開かれ、それから後、祈りの中で様々なことを教えられるようになっています。このデュナミスでの聖霊の賜物の訓練が、これからの働きのために大きな力になることを実感しています。

 そして今回の学びを通して再確認させられたことは、聖霊様はいつもクリアーに語っていてくださるお方だということです。それなのに、受け取る側の私たちがその声を聞き慣れていなくて、気のせいかなと思ったり、口に出すのを恐れてしまったり、行動を躊躇したり、私がそんな…というような謙遜に見えて実は不信仰のゆえに自分の中にのみ込んでしまっていたんだなと気づかされました。

 神様は本当に豊かな方で、求める者、御言葉を信じて実践する者を失望させることなく、いよいよ主が真実であられることを証明して下さるお方です。信じる者すべてに与えられる約束の聖霊、そしてその聖霊が教会を豊かにするように、力の伴ったものにするように、この地に神の国を現すために、私たちに賜物を与えて働いてくださることを握り、それらを積極的に用いていきたいと願わされます。私たちがもっと聖霊様の導きを聞き、信仰を持って聖霊の賜物を用いていくなら、私たちの教会はどれほど力強い教会となっていくでしょうか。ワクワクして仕方がありません!

 来年の第三回目は「祈りの力」をテーマに開かれていきます。この一年、聖霊の賜物を実践しながら、また来年の学びに大いに期待しながら歩んでいきたいと思います。


デュナミスコースの驚き(2)―降参し服従した時に―

デュナミスコースの驚き(2)
ー降参し服従した時にー
新田 静香

 第二回目のデュナミス。今年は聖霊の賜物についての学びでありました。しかし、主なる神様は別の側面から私に介入してくださいました。それは「従順と服従」という単元でした。

 昨年は、「内に働く聖霊様」の継続的な満たしについて学び、キリストに似た者として、日ごとに造り変えられることの恵みを教えられました。そして一年間、内に働く聖霊様を意識するように変えられました。今年は「神様の声を聴く」という願いを持っての参加でした。

 今年のデュナミスは実践的なものでした。まず、私たちの生きているこの時代は再臨までの中間時代であり、聖霊様の時代であること。私たちが神の国の働きのために用いるツール(道具)として、聖霊の賜物がみなに分け与えられていることを学びました。そして、さまざまな聖霊の賜物を学びつつ「それを今、実践しましょう!」という時間がしばしば持たれました。「チームを組んだ人のために預言の言葉を聴く」など聖霊様の導きをいただく実習。初めてのことにとまどいつつも、多くの兄弟姉妹方が確かに神様の声を聴き、それが分かち合われました。

とても感動的な恵みに満ちた時間でした。また、賜物は ①教会を建て上げるため、②その動機は愛であること、③秩序の中で謙遜に用いること、④吟味が必要なこと、なども学びました。学びと実践を通して、賜物の素晴らしさを体で学ぶことができたように思います。

 しかし、残念なことに、私は神様の声を聴くことができませんでした。私の頭の上には見えない傘があって、傘をどければいいのに、しっかりと傘の柄を握り締めてかたくなになっている自分の姿。でも霊は飢え渇いているのに…。この飢え渇きこそ神様の備えられた機会でした。聖霊様はひとつの課題をクリアするように、と迫ってこられました。

 デュナミス中の朝のデボーションノートには「和解」、「心を治める」、「御心に従う」といったタイトルが並びました。それもまた神様からの促しでした。でも私は課題をクリアすることは嫌でした。とても無理。プライドと自己保身、自分の義を主張せずにはいられませんでした。

 しかし、最終日の賜物の実習の中でチームを組んだ姉妹が、神様の語りかけを分かち合ってくれました。それは私への神様の言葉と幻でした。そしてとうとう私は降参しました。「わかりました。あなたが言われることに従います」。そしてその講義が終わってすぐ、その課題をクリアするために出かけていきました。自己保身とプライドを捨てて、ただただ「神様が言われるから」それだけでした。そして行動を起こしたその瞬間から、私は本当の自由を得たのです!ハレルヤ!

 問題がなくなったから自由を得たのではありません。神様の言葉に従順し服従したことで霊的自由の扉が開かれたのです。私たちの持つ罪責感、罪悪感というものは、思う以上に私たちを拘束し、束縛することを知りました。マタイ五・二五~二六に書かれているように、罪責感・罪悪感に悪霊が乗じてきて、不自由という監獄に閉じ込め、可能性を奪い、神様に仕えることができないようにするのだ、という罠がはっきりと理解できました。神様は私をこの監獄から脱出させ、真に神様に仕える者となるように、最後の支払いをしなさいと言われていたのです。自分の義を主張することではなく、神の言葉に聴き従うことを選び取ることがどれほどの祝福であるかということを身をもって知りました。

 その結果、私の内から後ろめたさは消えてなくなりました。賛美の奉仕にはそれが顕著に現れだしました。これまで、愛の賛美、赦しの賛美を歌うとき、そこにとがめるものがいました。愛のない奴に愛を歌う権利はないと訴える声。赦さない奴がよく歌えるなとあざ笑うもの。伝道においても、実をみることのできない葛藤、苦手意識。奉仕にも裁く心が邪魔していました。しかし、神様の言葉に従順し服従した、ただそれだけで、賛美に真実が、伝道に意欲が、奉仕に喜びが、そして生活に潤いが生まれてきました。なんと素晴らしい神様の恵みでしょうか。
 私たちにはそれぞれに賜物が与えられています。賜物は多い、少ないという比較の基準で計るものではなく、すでに分与されているものを「用いるか、用いないか」の問題であると思います。せっかくの、神様からの宝を土の中に隠すのではなく、大いに用いていきたいものです。

日本キリスト教団 高砂教会  
〒676-0015 兵庫県高砂市荒井町紙町1-34  TEL-079-442-4854 FAX-079-442-4878
Copyright (C) 2010 Takasago Church Corporation. All Rights Reserved.