月報 2009 11

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「教会作り共同研修会」での恵みの数々(1) ー夢を見る目ー

「教会作り共同研修会」での恵みの数々 (1)
―夢を見る目―
ハレルヤチャーチ高松牧師 
山川 哲平

 「夢」のようなもてなし、「夢」のような生き生きとした教会を見て、私も高砂教会のように主に祝福され、地域に影響を与える教会作りを目指そうと「夢」を持つことができました。道のりは長いかもしれません。「ローマは一日にしてならず」の通り、一歩一歩主に信頼して、主が成し遂げて下さると宣言して歩んで行こうと思いました。フルタイムの伝道者になって七年目、牧師となり、さらに教会開拓がスタートして二年目の年に、祈り、考え、学ぶ時として、本当にグットタイミングで感謝でした。

 高砂の街に大胆に建っている教会堂を見て、「経済を勝ち取る信仰」が必要だと改めて思いました。以前から、「日本の教会、牧師は貧しいから、そんなに欲張ってはならない」と、私のDNAにインプットされていたような気がします。以前に比べるとその状態からだいぶ解放されたと思っていましたが、高砂教会に来て「勝ち取っている姿」を見せられ、さらに目が開かされました! 手束先生からのお言葉で、「牧師のセルフイメージを変えなさい」は、〝〇九年忘れられない言葉ランキング〟ベスト一位となりそうです。

 高砂教会の土曜夜にもたれた「礼拝準備祈り会」に参加している時でした・・・。普段は聖霊の流れなどを体で感じることに鈍感な方ですが、祈っている最中、重くのしかかる熱い聖霊様の臨在というか油注ぎを感じました。「ああ、やっぱり、聖霊様がここにおられるんだな・・・。ハレルヤ!これが祝福の秘訣だなあ!」と思いました。聖別会でも教えられましたが、会堂に関しても、悪霊の追い出し、そして、いつも「聖なる吸引力」が与えられるよう求めていくことを教えられました。早速、高松に帰り実践しました。早朝四時半の祈りの時(一ヶ月間限定)、聖別会で教えられた通りに、祈りのチームで教会堂の天井裏に潜んでいる悪霊に対して四隅から出て行くように命じる祈りをしました。その時の祈り会は聖霊に導かれ二時間半にも及び祝福されました。

 高砂教会は、「日本の教会の希望の光です」と、研修会に共に参加した先生方も言われていました。その通りです。多くの教会を励まし建て上げ、日本のリバイバルの大切なパイプの一つだと感じました。

 「百聞は一見に如かず」と手束先生が言われた通りです。高砂の地に来る前に、「教会成長の勘所」を読ませて頂き多くを学びましたが、それにもまして「見て学ぶ祝福」、言い換えれば、「体験的な学び」は何にも変えがたい時間でした。「体験」というのは、私自身のこれからの牧会の中で大変重要なことだと思わされました。御言葉を頭だけで理解するのではなく、聖霊の導きの中で体験的な伝道・牧会が必要だと・・・。

 一つ、加えれば、?私は、研修会に共に参加した吉岡先生と、児玉先生の説教を聞いて、彼らも日本の教会の希望の光だと思いました。共に最後まで主のために走り続けていけたら嬉しいです。

 高砂教会の中では、常に笑いが絶えず、「笑って教会は成長しました」と色んな方がおっしゃっていたのも印象的でした。教会が試練に直面し、辛い時期も、ユーモアたっぷりの川柳を作ったりして、常に笑ってきた姿を見せられ大変教えられました。?また、教会がフル回転で生き物のように動いているのを感じました。聖書に「教会はキリストの体」とある通り、「体」とはこういうことなんだと体験しました。

 方法論ではなく、「神の領域に入る」ことが必要。「悪いサイクルではなく、良いサイクル、祝福のサイクルに入ることが必要」であると思いました。「肉の力ではなく、信仰によって歩む」こと、「肉の力で伝道」ではなく、「信仰によって伝道・・・」。当たり前のことですが、そのことを見ていて学ぶことができました。

 最後に、伝道の現場は「家庭」にあるということ。家々から悪霊が追い出され、家族やセルを通して伝道がなされている姿を見て、私達の家族も、主の栄光を現す家族となり、全ての面で祝福され、勝ち取り、家庭を通して伝道が進んでいき、教会で実を結ぶようにありたいと願いました。そして、世の中に輝く光として、地域に影響を与える教会・クリスチャンになることを「夢」見て、香川に帰ってきました。イエス様の御名によって祝福します。再会できる日を主に期待して・・・。

「教会作り共同研修会」での恵みの数々(2) ー新鮮?当たり前?これが力ですねー

「教会づくり共同研修会」での恵みの数々(2)
 ―新鮮?当たり前?これが力ですね― 
日本基督教団四日市教会牧師
児玉義也

 教会づくり共同研修会にお招きいただき、手束正昭牧師先生、美智子師母先生、高砂教会の皆様と恵みの時を過ごさせていただきましたこと、心より感謝申し上げます。私自身の牧会生活において、決定的な出来事となりました。

 手束牧師先生の著作を読ませていただいて、高砂教会を訪れることを楽しみにしておりました。タクシーに乗車し「教会」と言えば連れて行ってくれる、それほどに地域に周知されている、との著述どおり、荒井駅から下車し数歩、歩きだした瞬間、著作で拝見した外観写真そのままに、高砂教会が遠くに見えてきたことに感銘を受けました。

 これまで、わたしが目にしてきた教会は、通りから入った路地にひっそりと佇んでいるものが大半で、高砂教会のように大通りに面して存在することは、めずらしいと思います。通りに面していたにせよ、よく言えば慎ましい、悪くいえば目立たない教会が多いなか、高砂教会は駅から数歩で、その存在が圧倒的に見るものに迫ってまいりまして面食らいました。日本の教会もここまで来たか! という驚きと、喜びに、胸躍るような気持ちで、教会へ向かって歩きだした初日のことを、思い出します。教会堂が遠方からでも、はっきりと自己主張することの意義を教えられました。未信者はその存在感に圧倒され、信者は教会堂を遠方に見るや心燃やされる、そのような強烈な視覚体験を与える教会は、少ないと思います。教会堂に入る以前から、すでに高砂教会の偉大なミッションは開始していると、感じさせられた次第です。

 婦人のみなさまの温かなおもてなしに、感動しつつ、その背後にある教職者への尊敬の念を感じました。肉の思慕の思いではなく、御霊による敬愛の感情、これが高砂教会の強みですね。肉的な意味でのもてなしや親切は、多くの教会でも見られますが、そこに留まらず、更に高みに向かって、御霊の導かれるままに奉仕されるお姿は、新鮮なものでした。このような奉仕が、いち早く日本各地の教会に根付くことを願ってやみません。一緒に参加した二人の教職と「どうして、ここまでしてくださるのだろうか」。冗談で「まさか注文の多い料理店のように、あとで取って喰われるなんてことないよね」と話し合いました。皆様のおもてなしは、〝恐れ〟を感じるほど徹底したものでした。

 御霊の導きによる奉仕は、強制されてではなく、自由な奉仕ですから行き届いていますね。一例として、食卓テーブルが常に小さなお花で彩られていた点に感銘を受けました。花なんてなくても気がつかないようですが、小さな点にまで手を抜かずにおられることに関心致しました。

 主日礼拝の荘厳さに圧倒されつつも、前日から当日の朝まで、礼拝を迎えるまでに幾度も繰り返された賛美と祈りを振り返りました。早天祈祷会の熱心な賛美と祈りもあるのでしょう、礼拝堂が祈りに満たされています。これが高砂教会のミッション、日本民族総福音化運動を支える底力なのだと思わされました。反対に、祈りの込められていない礼拝堂は、どんなに壮麗なものでも力がない、そのことを思い知らされ、さっそく帰ってから、わが教会の会堂を妻と二人で、祈りこんで主日を迎えるようにしました。

 限られた紙面のなかでは語りつくせないことばかりですが、学ばせていただいたことは新鮮なものばかりでした。けれども、ある意味では、教会が歴史のなかで当然行ってきたことでした。それがなされていないところに、今日の教会の苦闘があるのでしょうか。高砂教会は、その苦闘を打破する日本伝道の要だと思います。今後とも、そのお働きに教えていただくことをお願いしつつ、感謝をもって了とさせていただきます。

「教会作り共同研修会」での恵みの数々(3) ー御使いに導かれての参加ー

「教会づくり共同研修会」での恵みの数々(3)
 ―御使いに導かれての参加― 
ジョイフル・グレース・チャーチ伝道師
吉岡公平


 今回高砂教会にて「教会作り共同研修会」にお招き頂き、誠に感謝しております。この研修の前に、私どもの教会の会堂で祈っておりましたら、御使いが私の前に立ち、「主があなたの前に御使いを遣わす」と仰せになりました。それで私は勇気を持って、湖に飛び込むような気持ちで高砂教会へ行かせて頂きました。研修を終えて帰ってきてから特にこの研修での恵みを感じています。「平安が満ちている」「一皮も二皮も剥けたような感じがする」等、周りの方々に言われました。私もそう思います。以前と自分自身に対する考え方が変わったからです。以前は、神様が何か上から私を見下ろしているように思っていました。しかし今は私と同じ位置まで来て下さり、今の私を責めることもなく、腕を抱えて「さあ共に昇っていこう」と言って下さっている様に思います。主に対するイメージが変わったのです。

 あるがままでいいと言われても今まではよく分かりませんでした。聖書には高い水準が示されているのに、何があるがままでいいんだろうか。それはどういう意味なのか。これが私の疑問であり、問い続けてきた事でした。だから旧約聖書に出てくる神様の厳しい面を見る時、何の違和感もなく受け入れることが出来ました。「守れなければ石打ちにされる」そういう神様のイメージが私の中には強くありました。しかし主イエス様はそうではなく、高い水準は変えられなくても、それを守ることの出来ていない私であっても、その私の所まで来て下さり、決して私を駄目だと言わず、受け入れ、抱きしめ、引き上げていって下さるんだということが解りました。「主イエスは神であられたのに、その在り方を捨てることが出来ないとは考えないで、私たちと同じ肉の姿をとり、私たちと同じ様になられました」という聖書の言葉が思い浮かんできました。私と同じ所まで下ってくださった。そして引き上げてくださる。心の目が開かれました。私は自分自身を責めながら生きてきました。お前は駄目だ、もっとがんばれ。それが私の心の声でした。決して今の自分を認めることをせず、自分自身を強迫しながら生きているような者でした。しかし今回この研修を通して、私はあるがままの自分を受け入れる、もう責めない、赦す、そういったことを学びました。今、とても楽になってきました。楽しい、喜べる、平安。私がずっと追い求めてきたものを神様は与えてくださいました。これがほしかったのです。本当の平安を、喜びを、愛というものを知りたかったのです。私は、今それを感じるのです。ハレルヤ!本当にハレルヤ!です。自分が輝かず、どうして人に喜びを語れるでしょうか。イエス・キリストを信じ受け入れることの素晴らしさを語れるでしょうか。愛を知ってこそ初めて私は福音の伝道者となれるのではないかと思います。ずっと求めてきました。愛というものを知りたかったのです。あるがままで生きていいという意味をずっと知りたかったのです。知識と言うよりも、この心でそれを知りたかったのです。

 セルグループでも、どの交わりの中でも感じた暖かいぬくもりを、私はその愛だと思いました。愛を人は求め、愛のある所に人は集まる。自分を愛してほしい、それがどの人間も持つ心の声だと思うのです。自分は愛されている者であり、主の僕であるというセルフイメージを抱き始めました。私にとってこれは大きな恵みであり、人生の転機でありました。自分と未来は変えられる。ハレルヤ!

 皆様から受けた暖かいもてなしを感謝します。研修の間、多くの時間を割き、手束先生ご夫妻が私共と行動を共にして下さったこと、とても嬉しかったです。高砂教会の上に豊かな主の祝福がありますようにお祈りいたします。


「教会作り共同研修会」での恵みの数々(4) ー自分と未来は変えられるー


「教会づくり共同研修会」での恵みの数々(4)
 ―自分と未来は変えられる― 
ジョイフル・グレース・チャーチ
吉岡 愛

 最初にこの研修の話を夫から聞いた時に、私はとても行けないと思いましたが、夫が、「夫婦で行くんだ」と強く譲らないので、祈っておりました。すると、主が「恐れてはいけない。しっかり立って今日あなたがたに行われる主の救いを見なさい」(出エジプト十四章十三節)との御言葉を与えて下さり、参加することが出来ました。しかし、私のような者がついて行ってもいいのかと不安がありました。

 「私なんて」という思いが常にありました。人との交わりの中で、最後にはいつも「あなたはすごいわね。私なんて…」という感じで終わっていました。今回のこの研修中、多くの方々との交わりの中で、特にそういった思いを持っている自分を感じました。私は今までいろいろな事を理由にして、精一杯神様に仕えていなかったのです。伝道師として働く夫と違い、私は特に必要もないと思っていました。でも手束先生から「良妻になるか、悪妻になるか。二つに一つしかない。」と言われ、私は伝道師の妻として共に主に仕えていく者になりたいと思いました。セルフイメージを変えていきたいと思います。

 この研修会で、多くの素晴らしい働きを見せていただき、学ぶ事が出来ました。研修中、手束先生と美智子先生が私達と食事や行動を共にして下さり、神様の愛を感じました。出会った教会員の方々が皆さん生き生きと輝いておられて精一杯主に仕えておられる姿が印象的でした。セルグループやラビングケアグループのカナン会、ヨシュア会ではとても楽しい交わりの時を共に体験させて頂きました。皆さんが、喜びに溢れ肯定的なセルフイメージを持っておられて素晴らしい集いでした。特に、ヨシュア会の中で、「私の仕事が失敗する気がしない。成功するとしか思えない。」というような事を言われた方がおられて驚きました。そういう信仰を見習いたいと思いました。

 またこの研修会で祈りが第一であることを再び学びました。早天祈祷会後の執り成しの祈り会、聖日準備祈祷会等、常に熱心な祈りが成されていて私自身もっと祈りが必要である事を示されました。礼拝の中での手束先生の祈りがとても力強く、心が引き上げられました。

 本当に素晴らしい研修会で、これからの歩みの中で大きな恵みになる事と思います。まず自分自身が変えられていくことからだと思いました。「チャレンジ!」と手束先生から言われたのが心に残りました。チャレンジしていきたいと思います。私も主の器として、神の御用に用いられたいと思います。自分と未来は変えられる

 「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは私のもの。」(イザヤ四十三章一節)


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