月報 2009 4

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奉献式、こんな思いで(1)ー前回断念した額への再チャレンジー

奉献式、こんな思いで(1)
 ―前回断念した額への再チャレンジ―
川田章子


  今回のリフォーム奉献式は、私にとって二度目の奉献式でした。前回のミッションセンターの時は、待望の子供を授かり、経済面でも驚く程のあり余る祝福を頂いて、感謝でいっぱいで、捧げたい思いで溢れていました。しかし未信者である夫との意見の違いから、私の希望額は断念する形で終わりました。心からの捧げ物ではないように思い、こんな妥協した捧げ方でいいんだろうかと悩みました。セルリーダーに打ち明けた所、「もう十分捧げてるじゃない、数字じゃないよ、心を捧げるんだから」と助言を頂き、胸のつかえが取れて、喜んで捧げることが出来ました。

 そして今回再び奉献式を迎え、「いくら位捧げたらいいだろう」と、最初は教会の方から提示されていた「一人当たり五万円」というような事を考えていました。しかし、祈りつつ過ごしているうちに、やはり前回捧げられなかった数字が蘇ってきました。事前に主人にはリフォーム奉献式の事を話し、許可してもらった数字があったのですが、私の思い浮かんだ数字はその何倍もの数字でした。しかし今回は、子供達も大きくなってきて何かと物入りになり出し、車も買い替えたばかりだし・・・と人間的な、この世的な考えがよぎりました。でも御心には喜んで従いたい、どうしたらいいかなと悩みました。神様に決めてもらおうと思い、「私の捧げるべき金額を教えて下さい」と祈り始めました。み言葉なり、夢なりで、何かそれを示すようなものが与えられることを期待していたのですが、何も変化はなく日は過ぎていきました。内側ではますます悩み込んでしまい、主人に内緒でするにはあまりに大きな金額なので、恐れもありました。でも前回のように、主人の決めた数字に従うには抵抗があり、どうしようか、どうしようかと焦る中、奉献式の前日に祈り心で聖書を開き、ベテルの課題でもある聖書通読で、歴代志上の二八章からを読んでいました。ダビデ王がその子ソロモンに神の宮を建てる計画を告げ、捧げ物をしていく箇所でした。まさにピッタリの箇所!二九章のダビデの祈りに強く心を打たれ、捧げようと決心がつきました。二九章一六節には「われわれの神、主よ、あなたの聖なる名のために、あなたに家を建てようとしてわれわれが備えたこの多くの物は皆あなたの手から出たもの、また皆あなたのものです」

 一四節には「しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです」とあります。声を大にして「アーメン!」です。頂いたもの、預かっているものをお返しするにすぎない。そう思わされました。しかし奉献式当日、礼拝中にもまた迷いが起こりました。主人に内緒ですることへの罪悪感、本当にこれは神から示されたものだろうかという不安、自分の勝手な思いからしている事じゃないだろうかという疑問・・・。様々に葛藤がありましたが、前日の決心を思い起こして、勇気を出して書きました。その後、奉献式が終わり、一階へ降りて子供達の帰り支度をしていると、これまで経験したことのない、恐れとも不安とも後悔とも、何とも言い知れない気持ちに襲われました。皆と交わりをしつつも、心ここにあらずといった感じで、目の前に見える光景が、ひどく自分とかけ離れているような、現実離れした妙な感覚でした。このまま帰っていつも通りおれるだろうか、不安で不安で「誰か助けて」そんな思いで、必死で「誰か」を探しつつ、ごった返す玄関で靴を履いていると、またもやセルリーダーがどこからともなく現れ、助け手となってくれました。不安な思いを涙ながらに訴え、「神様は私達の〝思い〟の内に示されるのよ、大丈夫」と救いの言葉をかけて下さり、平安を頂いて帰ることが出来ました。思えば、三年前の奉献式の時に、既に思いの内に与えられていながら断念した金額を、今回捧げるチャンスとして備えて下さったのだろうかと思います。

 主が与えて下さったこのチャレンジに、勇気を奮い立たせて応答させて下さったことを本当に感謝します。この捧げ物が入口となって、約束されている天からの溢れる豊かな祝福が、愛する家族に注がれていくことを願って止みません。

奉献式、こんな思いで(2)ー夫よ、私にまかせておきなさいー

奉献式、こんな思いで(1)
 ―夫よ、私にまかせておきなさい―
川崎 恵子


 山に登り、木を持ってきて主の家を建てよ。そうすればわたしはこれを喜び、かつ栄光のうちに現れると主は言われる。 ハガイ一章八節

 一九八三年のクリスマスに受洗し、信仰と献身の道を歩ませていただきました。そして今に至るまで五回の奉献式がありました。最も心に残っているのは、一九八八年秋に完成した現在の新会堂に向けての奉献式です。

 浜田町にあった旧会堂の入り口は、アコーディオンカーテンで区切られていましたが、窓からは冷たい隙間風が吹き込んでいました。教会分裂の痛手からやや回復してきていたものの、その頃、三十人から五十人程の信徒が礼拝を守っていたでしょうか。少ない信徒ではありましたが祈りは熱く、いつしかその会堂も信徒でいつぱいになるようになりました。そしてそのような時に新会堂建設のヴィジョンが示されたのです。私達にとってはとても困難な道に思えましたが、それでも皆がひとつ思いとなって、教会バザー、物品販売、債権献金依頼に取り組み、主の宮を建てることに力を尽くす喜びに溢れるようになっていました。高砂教会の使命は、手束主任牧師先生の神様への徹底した信仰と霊性の中で整えられていきました。ですから、総工費三億と言われても不思議に臆する信徒はいなかったのです。もしかしたら私が鈍感なだけだったかもしれませんが……。でも、私自身には小さな戦いもありました。まだ子供たちが幼く身動きが取れなくて、経済的に全く余裕のない中でしたが、何としてもこれだけは捧げたいという思いから、いくばくかの借銭をしました。それが夫に分からないはずはありません。「おまえは、どういうことをしているの分かっているのか」と責められ、状況的には最悪だったのですが、何故か平安でした。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます。」(使十六:三十一)。

 神様の導きと熱い思いで建てられた新会堂も今年で二十年以上の歳月を経ました。「聖霊による刷新と復興に仕える教会」として地方教会底上げのため、また海外に開かれた教会、一千人教会の達成を掲げ前進を成してきた新会堂です。祈りの場、学びの場、交流の場として多面にわたって重要な役割を果たしてきました。でも、やがて時を経るに従い、多少の不便を感じるようになりました。今始められている、小礼拝堂(多目的ホール)、会議室、事務所、台所、トイレなどをリフォームしていくことは、さらに開かれた教会として、また日本民族総福音化の働きが広がり多くの方々を受け入れていく場として新しい役割を担っていくに違いありません。

 今まで、牧師館兼迎賓館、教育館、宣教センターと奉献式に献身してまいりました。神様からのみ声を聞くとか、祈りに示されるとかいったことはなく、霊的に鈍い私ですが、それでも、重荷をもちながら、常に備えておくことが大切だと思っておりました。

 今回の教会リフォームのための奉献式に、昨年クリスマスに洗礼を受けた夫と共に臨むことができたことは、感謝と惠みでした。でも、困ったことは奉献式の額です。捧げる額を提出した後に主任牧師先生から夫婦の場合どちらか多い額の方を採用しますとの説明がありましたが、「分からんから頼むな。」と言う夫、まかしときと思う私。もちろん夫より少なかろうはずはありません。

 夫は今年三月に早期退職、余力のある内にやりたいことやっておきたいと言っているところへ、思いがけなく再就職の話がありました。これからやろうとすることが可能性として広がる場所でもあります。今後どんなことがあるのかわりませんが、奉献式の献身からこのような祝福を頂けることはなんと感謝なことでしょう。いと小さなものですが、何を成すべきか問いつつ、しっかりと主に仕えるものでありたいと思います。

 さあ、リフォームの後、次にいつかまた来るであるであろう奉献式に備えましょう。油注がれた高砂教会、いつも主の栄光が溢れますように。 

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