月報 2010 11月

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教会作り共同研修会に参加して(1)ー教団の中に、こんな教会があるとはー

教会作り共同研修会に参加して(1)
―教団の中に、こんな教会があるとは ―

教団 江別教会牧師 竹井剛

 昨年の夏に手束先生に江別教会の伝道礼拝並びに役員研修会の講師として来ていただいた折に、先生よりこの研修会の参加についてお声をかけてくださいました。参加にあたっては、難しい一面がありました。教会敷設幼稚園を一週間近く離れることの困難さ、また何よりも教会の役員会の一部では牧師が聖霊刷新運動にかかわることへのためらいです。ですが、イエスさまは参加できるように守り、整えてくださいました。この参加が、まさに主の導きであったことを高砂教会に向かうその朝に、次に述べる一つの出来事を通して示して下さったのです。空港に向けて出発しようと準備をしていますと、この研修会の参加のために祈り、献げてくださった入院中の姉妹が再度静脈瘤が破裂して吐血し、もはや止血処置ができず、今日か明日かの命であるとの連絡をご家族から受けました。それを受けてとうとうその姉妹を天にお送りする時が来たのかと、研修会への参加を断念せざるを得ないと思ったのです。高砂教会に連絡を入れ、取り敢えず入院先の病院に行って、その姉妹の様子を見てから最終的なお返事をすることにいたしました。ところが病院へ行ってみると全く不思議なことが起こっていました。待機していた息子さん(医師)から「なぜかわからないけど自然に血が止まっている。説明がつきません」との報告を受けました。その息子さんはノンクリスチャンですが、一緒に祈りを合わせていただき、姉妹の腹部に手を当てて、主イエスさまの御名による癒しをお祈りしました。主が必ず研修の期間姉妹を御手によって支えてくださることを確信して、姉妹の祝福を受けて高砂教会に行くことができたのです。
 まずこの研修に参加して驚かされたことは日本基督教団の中にある教会で、高砂教会のように成長している教会が現実にあるということ、つまりイエスさまのお体に結ばれた枝一つ一つが与えられた賜物を活かし合いながらしっかりと機能し合い、ぶれることなく魂の救いへと集中し、教会全体が霊的に成長していることを垣間見せられたということです。教団の教会はどこも高齢化し、信仰継承や地域伝道が進んでおらず、教会の統廃合が目前に迫っている厳しい現実に置かれています。江別教会でも六十歳以上の方々が教会全体の約八十五パーセントを占めています。このままでは十年後教団内にある教会はどうなってしまうのかと打つ手も見当たらず、ただ教会の行く末を黙って見守る消極的姿勢とあきらめムードが支配的です。終末を迎えようとしている今、教会はイエスさまが託された「あなた方は行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け…いつもあなたがと共にいる」(マタイ二八・二〇)との宣教命令に目覚めて、聖霊の恵みをいただいて大胆に伝道する時です。神の国の成就に向けて、衰退するのではなく、大きく成長していくのが教会であると、神は約束なさっています。高砂教会はその約束を証している一つの教会です。わたしは、一週間の研修の中で幾多の消化しきれないほどの恵みをいただきました。何よりも教会成長の希望を与えられ、また成長していくにあたって大事な視点を示されました。それは数々あるのですが、特に教会において「霊的権威と秩序」があること、牧師と信徒が一つの霊によって結ばれ仕え合うこと、魂の救いに情熱を傾けること、早天祈祷会を行うこと、セルグループを展開することを学ばせていただきました。江別教会では聖霊様のご計画が始まっています。今回の研修はその流れの中での導きであることを思います。まず第一歩は早天祈祷会を継続的に行うところから始めていきたい。
 手束先生をはじめ高砂教会の皆様と共に主を賛美し、祈り、お交わりをいただいた一週間はあっという間でした。皆様の温かで、ユーモアたっぷりの至れり尽くせりのお世話に、わたしの霊も心もお腹も満たされました。お別れのときにも最後まで大勢で祝福して送り出して下さいまして、感極まってしまいました。素晴らしい神の時を与えられ本当に感謝いたします。


教会作り共同研修会に参加して(2)ー暖かく明るい教会に出会った感動ー

教会作り共同研修会に参加して(2)
―暖かく明るい教会に出会った感動―
多聞福音教会牧師 吉川 潤

 以前、高砂教会を訪れた時、手束先生を礼拝にお迎えしたいとお伝えしました。やがて礼拝に来ていただき、そのメッセージの中に教会のこれまでの姿勢を変えなければならないことを教えられ、早速そのことを実行しました。それは、礼拝前に準備讃美と祈りのときを持つことです。礼拝の中で宣言すると次の週から半数近くの方が早めに来られ、礼拝前、全く私語のない時間を過ごしたのです。その時の礼拝はこれまでとは違ったことを覚えています。そしてその姿勢は今も続いていることを感謝しています。
それから、手束先生に役員研修会をお願いし、毎月お忙しい時間の中、来てくださっています。また他教会の先生方も参加してくださり楽しく研修をさせていただいています。
 今回の教会づくり共同研修会にはそのような準備があって参加することが出来たと思っています。これまで近づきがたい牧師、教会というイメージがあったことは否めませんが、この研修会を通して変えられてしまいました。暖かく明るい教会で出会う信徒の方々の姿に感動を覚え、特に執事・勧士の方々とのお交わりが与えられ、そのミーティングの様子や会食の際の交わりでは心が励まされ本当に暖かな思いになりました。「とにかく教会を楽しんでる!」私はその方々の姿に、私の仕えさせていただいている教会の近い将来を重ね合わせて見ることが出来感謝でした。これまで、私も何度か教会成長セミナーに参加しましたが、机上の学びではなく現場を見せていただき、そこにおられる方々と触れ合えたことはなによりも大きな学びとなったのです。
 ひとつひとつのことを挙げるときりがありませんが、早天祈祷会、聖書の学び、セルの持ち方など状況に合わせてアレンジされていること。霊的なことと人間的なこととがバランス良く合わさっているすばらしさ。また牧会者のために熱心な祈りがささげられるアロンとホルの会。とにかく時間通りに集まって楽しみながら行なう各ミーティング。人や食事は変わっても雰囲気の変わらない食事の接待。予想外だったのは手束牧師と信徒の方との距離、近い時と遠い時がきちんと分離している。小学生や中高生、青年のための活動も、笑いや自由な空気の中で魂の救いを真剣に考えておられる姿。この研修会で、これから私がどのように生きるのかを見せていただくために参加させられたように思います。
 早速帰って来てからは少しずつ変革に取り組んでいます。もちろん意識が最も大切でしょうが、小さな事を変えることも大きな変化につながると思っています。早天祈祷会は高砂流に変え、終わったあとで腕立て(?)。主だった婦人たちに、集まりの中で牧師夫人の立場と呼び方を説明。セルリーダー会では手束牧師の書かれた、「教会成長の勘所」を読みながら学ぶ。美智子先生から教わった交流分析を取り入れるために、数人の姉妹たちと一緒に講習を開いていただくなど、出来ることから取り入れています。学んだなら、何かを決断し実行する。その習慣化されたものが実質を変えてゆくものだと思います。行ないだけではなく、考え方においても同じです。
 真似はできませんしするものではないでしょうが、しっかりと学び、習うものでありたいのです。高砂には高砂の姿があり、多聞には多聞の姿があります。いろいろな研修会を終えてしばらくすると元の木阿弥に戻ってしまうのが私ですが、これからも、手束牧師を役員研修会などにお迎えするとともに、中高生、青年たちの集いに、こちらの若者たちを参加させることなどしながら続けて学びをさせていただければと願っています。関わってくださった方々に心から感謝をします。

教会作り共同研修会に参加して(3)ー「今まで何をしてきたのか」と反省ー

教会作り共同研修会に参加して(3)
―「今まで何をしてきたのか」と反省―
多聞福音教会牧師夫人 吉川 洋子

 私たちが仕えている多聞福音教会は、今年三十周年を迎えました。私は幼いころから、なぜ生れて来たのか、死んだらどこへ行くのかと疑問を持ち、世の中と自分自身に失望し生きる気力を失っていた高校二年生の時に福音に立ち返ることができました。そして、生かされているということ、私にも使命があるということを思えるようになっていました。人はイエス・キリストの十字架によって罪を赦され、神の子となり礼拝をささげることが最も幸せなことであり、キリストの教会を建て上げることが神の栄光を現わす最もすばらしいことだと思っています。私もそのことを、生涯をかけての使命と受け止め、夫とともに開拓伝道をスタートしました。情熱だけで若さゆえの未熟な者であり、高慢、無知のために、多くの失敗、困難を繰り返しながら来ましたが、ただ主の憐れみと恵みによって守られ、多くの人々に赦され、祈られ、愛され、助けられて今があると感謝しています。
 そしてこの三十年目、はからずも今回の教会作り共同研修会に参加させていただいたことは本当に感謝であり、その時であったと心から嬉しく思っています。そして、今回の研修会で感動し、多くの励ましと示唆が与えられましたが、思わされたことは、今まで何をしてきたのか、本当に主の御旨を行なって来たであろうかということであり悔い改めさせられました。私たちの教会でもセルを取り入れ十年近くたつのですが、コイノニア症候群に陥っていましたが何も出来ないまま来ていました。ところが高砂では牧会セルやミッションセル、ナイトセルなど独自のアイディアで伝道牧会が進められていること、青年たちの新しい形態による取り組みなど、直接見させていただき大いに刺激をいただきました。感動がすぐに実行できるかわかりませんが、出来ることから変えていきたいと願わされました。
 それから、教会の皆さまが活き活きと喜んで仕えておられる姿はとても美しく気持ちよく思いました。笑いがあり雰囲気がいい教会の大切さを役員研修会で語ってくださいましたが、それを直接に見させていただけたことは感謝でした。
 今回の研修会を通して学んだことを、私たちが仕えている教会に文脈化し取り入れ、この福音宣教のために聖霊の導きの中を歩みたく思っています。そのために今回の学びがどうしても必要な時であったと思います。この五泊六日、ほとんどつきっきりでご指導くださった手束先生ご夫妻、多くのもてなしと準備をしてくださった副牧師ご夫妻、勧士の姉妹がた、執事の兄弟姉妹、御教会のすべての兄弟姉妹に心からの感謝とお礼の気持ちで一杯です。このご愛に対し、本当に感謝することとは、私たちの教会が聖霊の導きの中でこれから主の御旨の中を歩むことだと思っています。続けて覚え、お祈りいただけましたら感謝です。


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教会作り共同研修会に参加して(4)ーキーワードは「継続」と「徹底」にあるのではー

 
教会作り共同研修会に参加して(4)
―キーワードは「継続」と
        「徹底」にあるのでは―
姫路アガペーチャペル牧師 中庭一也


 「教会づくり 共同研修会」とかけて
    小森伝道師宅ととく、
        その心は、 中庭があります。

 これは、高砂教会のある姉妹が私にちなんで考えて下さった謎かけであるが、年を重ねても、なお意欲的で若々しく、活動されているお姿に、大いに感心したのである。この姉妹に代表されるように、教会員の皆さんがとても明るく活発で積極的であるのに感銘を受けたのであるが、これは、手束先生と教会員がビジョンと理念を共有しておられ、同じ目標を目指して前進しているからであろう。そして、そこには信仰の固い絆があることに気がつかされたのである。
「頭であるキリストの体なる教会は、信仰という首でつながる。つながると、頭なるキリストから、私たちへいのち(血)が脈々と流れ入る」(スポルジョン)
 当然、教会づくりは霊的に健康な信徒づくりにかかっている。
「わたしが見てきたクリスチャンの中で、教会に強く植えられないままで、霊的に力強く健康で生き生きとしたクリスチャンになった人を一人も見たことがありません。しかしその逆に、クリスチャン達が教会に根ざすことを止め、教会をおろそかにし、教会から離れるときに、彼らの霊的な人生は決まり切ったように悪化していくのを数多く見てきました。子ども達に家庭が必要であるのと同じように、すべてのクリスチャンにも教会が必要なのです。クリスチャンがひとりぼっちで居ることは神様の御心ではありません。私達は神の家族の一員となることによって、さまざまな祝福を体験するようになるのです。ヘルシーチャーチを建て上げるのはヘルシークリスチャンである。」(スティーブン・ケイラー)
 今回は私にとって良いタイミングでお誘いを受けた。昨年、念願の会堂が与えられ、これからどのように、教会を建てあげて行けばよいかと思いめぐらしていたからである。スティーブン・ケイラー師が言うまでもなく、健全な教会づくりは健全な教会論に基づいた信徒の信仰によることと同時に、健全な教会づくりこそ世界に福音を伝えることを願っておられる主の強い御心であり、それは教会員の祝福に直結する事である。その理想とする教会をどうやって建てあげるべきか模索していたからである。しかし、正直に言えば私が牧会している教会と高砂教会では余りにも大きな落差があり過ぎて、この距離を縮めるには百年を必要とするのではないかと、人間的な思いであるが、かえって失望感を感じたのも否めない。それ程、素晴らしい理想的な「キリストの教会」を見ることが出来たのである。イエスさまが、「わたしの教会を建てる。」マタイ十八・十八と明白に教会づくりを 宣言されたうえで贖いを完成されたことを思うと、当然、教会づくりは主のご意志である。
 救われた者は牧師も信徒も、教会づくりに召されているのであるから、真剣に取り組む責任と義務がある。そのために教会に牧師を立て、信徒の皆さんが奉仕出来る者に育てる働きを任せられている。(エペソ四・十一~十三)
 実際にこの目で見た高砂教会は、見事にこの使命に歩んでいるモデル教会である事が確認でき、私にとって本当に幸いな数日間であった。 今回の「教会づくり共同研修会」において、教えられ感じ取ったことを私なりにまとめてみると 、三つのポイントがあるように思った。これら三つの頂点に、「礼拝」があり、この礼拝にすべての活動が集約されているように思われる。一つは「伝道」である。伝道の最前線であるセルの各現場を見学させて頂いたが、恥ずかしいことに、私の教会には家庭集会なるものがひとつも無い。辛うじてセルと言えるものに、数名のグループで「聖書の学び」の時をもっている事であろうか。何とかこのグループが外に目を向け伝道という観点で家庭を開放してくれたら、伝道の大きな力になると思っている。かつては「家庭集会」と呼ばれていたものであるが、私の母教会である姫路福音教会では家庭集会が活発に行われていた時代があった。修養生と呼ばれていた献身者達が各家庭を回って奨励をして信徒の養育と伝道に励んでいたのであるが、その時には教勢が驚くほど伸び、枝教会の開拓も進められた。
 二つには「教育」であろう。聖書の学びはもちろんのことであるが、今回、執事会とセルリーダー会の打ち合わせを拝見させて頂いた。そこでは「教会成長の勘所」の読み合わせを通して、手束先生の教えが 徹底されていた。
 三つ目は「聖霊」である。正直に言って、大変忙しい教会という印象を受けたが、単に忙しいのではなく、聖霊の力によって活発に奉仕がなされているのである。内に燃える聖霊は喜んで主に仕えさせる力なので、どうしても活発になる。それは、教会としての理想的な姿である
が、幸いにも私自身は、隠された今回の重要な研修テーマーを発見できたのである。
 それは、高砂教会で毎年もたれている宿泊しての「信徒修養会」が、初期から現在に至るまで継続されてもたれていることを知ったのである。これは、私が大いに反省するところであるが、「継続は力なり」で、教会にとって最も必要な聖霊に関する修養会を徹底的に行って来たことが、高砂教会の本当の力となっているのではないだろうか。私自身は聖霊の恵みに与ってはいるが、私の教会は、この恵みを信徒に定着させるプログラムを確立出来なかったことが、大きな失策であったと反省が与えられて、これが今回、最大の収穫であったと思っている。したがって、教会づくりのキーワードは案外、「継続」と「徹底」にあるのではないだろうか。今後、教会に取り入れるべきプログラムを確立させる事と同時に、それを継続し徹底させることに努力を惜しまないことであろう。
 最後に、手束先生御夫妻をはじめ、教会員の皆さんに心から御礼を申し上げます。


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教会作り共同研修会に参加して(5)ー聞きしに勝る素晴しい教会ー


教会作り共同研修会に参加して(5)
―聞きしに勝る素晴らしい教会―
姫路アガペーチャペル牧師夫人 中庭勇子


 思わないご招待に与り感謝に絶えません。内容の濃いプログラムと、知らないことばかりで驚きの連続でした。
 まず、勧士、執事の呼称が理解できず早速お尋ねした事です。その勧士、執事の方々の明るく献身的な姿に感動しました。民族総福音化のビジョンを共有され、その為にはどんな事でもするパウロのように思われました。
 セル見学で、魂の獲得のために心を合わせ励んでおられる姿を見せていただき、なごやかな中に使命を持って当っておられる様子、かくありなんと思わされました。特にナイト・セルは考えもしなかった事ですが、お仕事の方にはこうでもしなければ福音は届かないのだと納得しました。家庭を開放してくださり、精一杯のもてなしをもって仕えておられる姿、置かれた立場で何が出来るか、皆さん考えておられる様子に感心し教えられました。
 教会の中に笑い声の絶えないのは御霊の解放を受けておられる証拠だと思われます。吉川先生が言われたように聞きしに勝る素晴らしい教会だと思います。
 若者伝道も小森伝道師ご夫妻の絶妙なコンビで、若者が「自分の出来る事で奉仕しょう」とそこに導かれることにより、賜物がいかされ若者の感性で福音が伝えられる事、私達の教会でもそれが出来ればと祈ります。
 研修会はハードスケジュールで、私自身とうとう四日目にダウンしてしまい、月曜日一日中起きられない状態でしたが、火曜の早天後、先生方に祈って頂き癒されたと信じて立ち上りました。長年疲れが溜まるとメニエル病という事で寝込んで居たのですが、これを癒すために神様はここに導かれたと信じ、癒しを握りました。主の御名を誉め讃えます。
 オープン・チャーチの事も伺い、開かれた教会と言われながら、その努力をしてこなかった事を思いとても良いヒントを頂きました。未信者の方が気軽に教会に来てくださる方法をこれからも模索して行きたいと思います。
 宿泊に吉川先生の奥様と同室にしていただき、牧会上の色々な話も出来、教えられる事が多々ありました。共に福音を担う者として教会内では言えない苦悩を語り合い、同じ様な所を通られた方だけに理解し合える事を感謝したことです。
 研修を終わり、私達の教会でも是非セルの働きが出来る家庭が与えられ、その近所から求道者が起こされるように祈っていくこと、教会の近くに県立高校があるので、若者伝道のために音楽の賜物を持った人が与えられるように切に祈る必要に迫られています。
 栄光あるキリストの体なる教会の建て上げのためにいよいよ知恵と導きを頂き、用いられたいと願っています。高砂教会の千名礼拝が実現し、私たちの教会共々に民族総福音化に用いられる事をお祈り申し上げます。本当にありがとうございました。

教会作り共同研修会に参加して(6)ー教会とはこんなに喜びに満ちた場所なのかー


教会作り共同研修会に参加して(6)
―教会とはこんなに
      喜びに満ちた場所なのか―
前教団栗山教会牧師 三浦 亮平

 体の奥から熱いものがこみ上げてくると、堰を切ったように溢れ出した涙。口にしていた祈りは、いつしか、どこの言葉ともしれない不思議な響きに変わっていました。あふれ出すままの言葉の波に身をゆだねるうちに、心と体が解きほぐされていきます。やがて、潮が引いていくように波は収まりましたが、脱力感からか放心状態が続き、ようやく落ち着いて周りを見渡してみると、礼拝堂に残っていたのは、わたし一人だけでした。研修会五日目の早天祈祷会で味わった、初めての聖霊体験。それは、捜し求めていた、最後のピースがはまった瞬間でした。
 思えば私は、幼い頃から霊感に敏感でした。極めて内気だったのは、相手の表情や言葉とは別に伝わってくる矛盾した感情を感じ取って、当惑していたからだったのでしょう。「このままでは、社会で生きていけない」と、自分自身に封印をしたのは小学四年生の時でしたが、それでも飢え渇く魂は、自らの束縛を断ち切る救いを求め続けていました。大学時代に教会との出会いがあり、受洗へと導かれ、神学校、そして、教団の牧師へと…。
 「この方こそ真実の方だ。ここにこそ真理がある」そう確信して入った道は、しかし、踏み込むほどに、矛盾が膨らんでいきました。なぜ、教会の中で、教会によって傷ついている人がこんなにもいるのか? 不安と恐れと怒りと絶望が、これほどはびこっているのか。それでも歩み続けられたのはもちろん、何人もの信仰者との心揺さぶられる出会いを与えられてきたからですが、心の底には、満たされない思いがくすぶりつづけていました。
 そんなわたしが解放される大きなきっかけとなったのは、結婚と、ダウン症児として生まれてきた子どもとの出会いでした。妻や子どもへのマッサージを日々重ねる中で、わたしは、以前持っていた、あの感覚を、少しずつ取り戻していったのです。それは、喜びであると同時に新たな試練の始まりでもありました。説教壇に立てば、出席者の様々な感情が流れ込み、街中で不意に重苦しいものを感じることも度々で、終いには、遠方の人の想念までもが、のべつ幕なしに伝わってくる始末。休みなく押し寄せる想念の渦に疲れ果て、体調を崩し、死の淵にまで追いやられたこともありました。
 聖書で言う「悪霊」とは、こういう存在のことだったのかと、身をもって実感させられたわけですが、それを、誰にも相談することができないという孤独も苦しいものでした。霊に関する様々な本を読みあさり、呼吸法を学び、食生活を変え、自身の内面と向き合い、なんとか自分自身を保てるようにはなっても、やはり、魂の飢えは止みませんでした。隠し続けることが苦痛になり、教会の人にも伝えましたが、肝心なことは何一つ伝わらず、結果として、その教会を離れることになりました。これから、どうしたらいいのか?そんな時に声をかけていただいたのが、この研修だったのです。
 手束先生ご夫妻と、教会の皆さんの、その笑顔が何より印象に残っています。教会は、こんなにも喜びに満ちた場所としてあり得るのだということを目の当たりにさせられました。力強い励ましを与えられて、心軽く、新たな一歩に押し出されつつあります。ありがとうございました。この貴い出会いを与えてくださった主に、心からの感謝を献げつつ。
 「わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。…忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。」(ヨハネ黙示録三章八~十節・・・説教奉仕の時に、吉川潤先生を通して与えられた御言葉です。)

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