About The Death -クリスチャンの死生観-

クリスチャンの死生観について、日本キリスト教団高砂教会の手束主任牧師が永眠者記念礼拝で
語ったメッセージを6回シリーズでお届けします。
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手束牧師の「死」にまつわる説教 第2回
 2.目的を果たした生涯
【聖書テキスト】

これらの事の後、主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。
人々は彼をその嗣業の地のうちのテムナテ・セラに葬った。
テムナテ・セラは、エフライムの山地で、ガアシ山の北にある。
(ヨシュア記24章29-30節)



 ヨシュア記のエピローグに入る。遂にヨシュアは召された。死はすべての人間に共通した運命であり、
その死をいかに迎えるかということは、人間にとっての大きな課題である。
29節に「これらの事の後、主の僕、ヌンの子ヨシュアは110歳で死んだ」と簡単に記しているが、
これはヨシュアが果たすべきことのすべてをなし終えた後、召されたということである。
それは、ヨシュアの人生が、神の奴隷として神の御旨のための機能に徹し、一切を捧げつくした
生涯であったことを意味している。そして彼の死が110歳であったというのは、
師であるモーセの120歳の死に準じ、モーセと同様に、ヨシュアが神に迎えられ
天寿を全うしたことを告げている。


ヨシュアの生涯

 30節において、人々はヨシュアを彼の嗣行の地、テムナテ・セラに葬ったと記している。
この地はエフライムの山地、カアシ山の北に位置し(ヨシュア記19・50)、元来、〝太陽の部分〟
という意味を持った太陽礼拝の中心地であった。ヨシュアはこの町を八十歳になってから、
自ら志願して建て直し、そこに住んだ。このことは、ヨシュアの異教との激しい戦いをものがたっており、老年期に入っても尚、偶像崇拝に対し敢然と挑んだ積極的な生き様を暗示している。
まことにヨシュアの葬りの地にふさしい場所であった。
 このわずか2節で、イスラエルの優れた指導者ヨシュアの死が簡潔に述べられているが、
しかしこの中に、ヨシュアの人生がいかんなく表されている。それは自らの使命、目的を明瞭に自覚して、自己を徹底的に機能化し捧げきった生き方である。
 ヨシュアが主なる神から受けた重大な使命については、ヨシュア記の冒頭に記されている。

「主の僕、モーセが死んだ後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた、
『わたしの僕、モーセは死んだ。それゆえ、今あなたとこのすべての民とは共に立って、
このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。
あなたがたが足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。
あなた方の領域は、荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテからヘテびとの全地にわたり、
日の入る方の大海に達するであろう。あなたが生きながらえる日の間、
あなたに当たることのできる者はひとりもないであろう。わたしはモーセと共にいたように、
あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。
ただ強く又雄々しくあって、わたしの僕モーセが、あなたに命じた律法をことごとく守って行い、
これを離れて右にも左にも曲がってはならない。それはすべてあなたが行くところで
勝利を得るためである。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、
その内に記されていることを、ことごとく守って行わなければならない。
そうするならばあなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。
わたしはあなたに命じたではないか。強くまた雄々しくあれ。
あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない。
おののいてはならない」
(ヨシュア1・1~9)

 主なる神は、ヨシュアを立てるに当り、「強くまた雄々しくあれ」と繰り返し語り、偉大な働きへと
召し出された。ヨシュアは神の命令の意味を自覚するや、直ちにこれを自らの生きる目的、
使命として受け取った。ヨシュアの偉大な生涯の形成はここに始まったのである。
わたしたちも、ヨシュアの如く人生に明確な目的、使命を持ち、それに向かって遭進する時、
優れた人生を大きく展開することができるのである。


何のための働きか

 三重県の鳥羽で開かれた第27回ペンテコステ教役者大会の講師は、カナダのメル・フェザー・ムラン
牧師であった。ムラン牧師は、「生ける水の川」の主宰者である水野明廣牧師の神学生時代の
クラスメートであったようである。その当時のムラン牧師は、クラスでも最も目立たない存在であった
という。ところが今や、彼は世界的に用いられる素晴らしい主の器である。
 そのムラン牧師は開口一番、日本の教役者に向かってこう語った。「日本の教会が成長しないのには
一つの理由がある。それは日本の教役者達には、その目標、目的というものがはっきりしていない
からだ。何のために自分は生き、何のためにその働きをしているのか、そのことが明瞭でないから
なのだ」と。勿論牧師として神の栄光のためという、漠然とした目的は誰もが持っている。
しかしそれだけではいけない。
もっと具体的に、自分はこういう人々に対して伝道し、こういう教会を造り上げ、このように奉仕しよう
という目的、使命感が明確でなければ、教会は成長しないと指摘されたのである。
私はなるほどそうかもしれないと思った。
強い召命感なくしてはその奉仕を全うできないはずの牧師の中にも、何となく牧師をしているという人が
少なからず見受けられるからである。彼らは、地方の小教会に遣わされると不平不満をこぼし、
都会の大教会への転任を夢見て過ごす。これでは、確かに日本の教会の成長、
発展は望みようがないと言える。
 次に語られたのは「目的がはっきりするならば、決断する意志が強くなっていく。
そしてそこに奇跡がついてまわる」ということだった。ムラン牧師は開拓伝道を始めた直後、
一人の預言の賜物をもった人物より預言をもらった。それは「主なる神は言われる。あなたはこの町の
ヒッピーの人達に伝道しなければならない」というものだった。その時ムラン牧師は戸惑った。
「私はあの素行の悪い、社会のくずのような人達に伝道ができるだろうか。私はあの人達が好きでは
ない。好きでもない人達にアプローチしていくことが可能だろうか」と。
しかしムラン牧師は、この預言を信じて従った。
すると次々に奇跡が起こり、ヒッピーの人達が回心し、彼らが全く造り変えれていったという。
そしてこの状況を見た多くの人達も導かれ、教会は成長を遂げていったのである。彼はこの体験を通し、
教育について深く考えるようになり、やがて幼稚園から高校迄の一貫したクリスチャン・スクールを
建て上げた。そして更に神学校をも併設し、ヒッピーから改心した青年の多くが、伝道者としての訓練を
受け各地に遣わされるようになっていったという。これはムラン牧師の内に、自分は神の働きのために、
何を成すべきか、その目的、目標が明確になっていったからである。
 あなたはこのような目標、使命をもっているだろうか。あなたの人生の目標を明瞭にしているだろうか。
それとも、何となく生きているのだろうか。もしあなたが、自らの人生の目標を定め、目的を明確にして
それに向かって自らの人生を捧げきり、強い意志をもって成し遂げるなら、あなたの人生に多くの
奇跡的な業を見ることになるだろう。


高砂の地の奇跡

 私自身を振り返ってみるならば、高砂教会に赴任した時、ある一つの決意をもったことを思い出す。
高砂はその名前は有名だが、実際には鄙びた町であり、しかもそこにある教会はさびれ、信徒の数も
少なかった。しかし私は、この地に留まって、この教会をやがて大きな教会にしていこう、
私は一生涯この地に根をおろし、この教会のために自らを捧げようと決意した。
そして私が断固として決意し、目的をもって進んでいった時、神はこれを祝福して、地方にあっても
このように素晴らしい成長を遂げさせて下さっているのである。
 それだけではない。ムラン師の言うように奇跡が起こった。赴任して三年目の修養会において、
神の一方的な恩寵により、聖霊降臨の業に遭遇した。私はこの恵みの中で、一大決心をさせられた。
それは、今日カリスマの運動が起こされたのは、神の革命であるという確信であり、故に私はこの革命に
参与していこうと。どんな批判や攻撃があろうとも、これは神が私に与えられた使命であり、目的である。
ならば私はこのために生きていこうと、内から溢れる聖霊の強い力を覚えつつ、決心したのである。
 更にそれだけではない。その結果生まれたのが、「キリスト教の第三の波(正・続・余)」の三冊と、
「命の宗教の回復―キリスト教の第三の波説教集」である。これらの書物が日本における霊的信仰の
回復と復興に果たした役割は大きいと多くの方々が評価して下さった。そしてこれは偏に、
私自身が明確な目的と使命感を得たからであり、その結果、強い決心が与えられ、
神の奇跡を体験していったことによる。
 ソ連(現ロシア)をはじめ共産圏諸国の強さは(一時的なものであったが)、人類の歴史は必然的に
共産化に向かっているという確信のもとに、その目標、使命を明確化することにより、人間の生きる
意味と目的をはっきりと提示していったからである。目標をもち、使命を明瞭にすることは、
それほどに人間にとって大きな力となり、神を否定する人々でさえ、わずかな期間に、偉大なる成果を
収め得たのである。
 創価学会は戦後僅か千世帯で発足した新興宗教である。にも拘わらず約二十年間で公称一千万人の
信者を獲得したといわれる。何故彼らがこのような大組織をつくり上げることができたのか。
それはこの宗教もまた、強烈な目的意識を有していたからである。彼らは創価学会をして日本の国教と
なし、国費で国立戒壇を建て、そこに本尊を安置することを目的として、一丸となって向かっていった
のである。末端の信者に至るまでこの目標を徹底し、そのために政党をつくり、必死になって布教活動
をし、ありとあらゆる手段を尽くしていった。私達から見ると、低レベルと思える偶像崇拝者でさえ、
目標を明確にすることによって、このように大きな成果を収めているのである。
 第二次大戦中のアウシュビッツ収容所において、多くのユダヤ人が過酷な状況の中で力尽きて
死んでいった。しかしその地獄さながらの収容所の中にあって生き残った一握りの人々がいた。
その一人である有名な心理学者にして哲学者であるヴィクトール・フランクルは言う。
「それは必ずしも体の丈夫な人ではなかった。しかし彼等には生きる目的があった。自分は何故、
何のために生きるのか、そのことを明確に自覚していた人々が、生き残っていった」と。


人生の目的、目標

 あなたは人生の目的、目標をはっきり掴んでいるだろうか。神があなたに期待している務めは何か。
具体的にどのように召されているのか。そのような目標・目的を持つか否かで、あなたの人生は
大きく違ってくる。使命、目的がはっきりするなら決断する意志は強くなり、神の御業があなたの人生に
顕われることになる。私達の信じる神は目的論的なお方であり、あらゆる事柄に意味と目的を与える
お方であることを知らなくてはならない。
 現在日本で成長している有数の教会の一つに、大和カルバリーチャーチがある。
主任牧師はよく知られた大川従道師で、元々ホーリネス出身の方であるが、カリスマ運動にも理解が
深く、教会員は既に千名を超えているという。
 大川師は牧師の子供として生まれた、その頃の牧師は殆どがそうだったが、戦争直後の貧しく苦しい
生活を強いられた。そのために修学旅行にも参加できない状況だったようである。そのためか、
大川師は中学生の頃には、何故このように貧しい家に生まれたのかと両親を恨み、反抗を重ね、
時には家庭内暴力もふるったという。そんな時、大川師の母親はその暴力を甘受して、心が静まると、
にっこり笑って「従道、今はお前にはわからないけれど、お前はやがて立派な牧師になって、
日本だけでなく世界中で用いられる器になることを、私は知っているよ。今のお前は、本当のおまえでは
ないよ」といつも繰り返して語られたという。そしてこの母の言葉の如く、大川従道牧師は日本の
代表的牧師として、世界的な働きに用いられているのである。
 この大川師の母親の姿に、主なる神の姿を見ることができないであろうか。私達は往々にして、
神の御旨に背を向け、自分勝手な愚かな知恵や欲望のままに生きている。しかし主なる神は
私達の生きる目的を知っておられる。その軌道に早く乗って本来の目標に向かって歩むことを
待ち望んでおられるのである。
 その生涯の最初から最後まで、神の使命を自覚し、目的に全く従順に生きられた方、それは
イエス・キリストをおいて他にはない。主イエスの生涯は貧しい馬小屋で始まったのだが、それは
イエスのこの世における目的、即ち十字架を暗示している。主はその生涯の発端から、最終目的である
十字架の死に向かって進まれた。
その間に、悪魔は繰り返し、いろんな形で主を誘惑し、その目的の挫折を謀った。公生涯に入るに
当たって、イエスは悪魔の誘惑、試みを受けられた。また、受難の予告に対し、悪魔はペテロを通して
否定させようとした。その時イエスは即座に「サタンよ、退け」と命じられ、ご自身の生きる目的から片時も離れることなく、堅持された。
 イエスの生涯、それはご自身の十字架の死を通して、全人類の罪を贖い、救いをもたらす生涯であり、
主はこの目的を完全に成就された。そして今や、神の右に座すお方として、われらの讃美と誉れと礼拝を
受けておられるのである。
 あなたは主なる神があなたに与えられている目的や使命を知り、それにかなって生きているで
あろうか。神があなたに何をなせと命じておられるのか、速やかにその事を知ろうではないか。
そして、主があなたに期待しているその目的や使命をしっかりと掴み、受け取ったならば、
目的に向かって全力を挙げて進もうではないか。その時あなたの人生には奇跡の数々が起こり、
神の御業が顕わされ、そして何よりこの事を神ご自身が喜ばれ、大いなる祝福をもって応えて
下さることであろう。

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