About The Death -クリスチャンの死生観-

クリスチャンの死生観について、日本キリスト教団高砂教会の手束主任牧師が永眠者記念礼拝で
語ったメッセージを6回シリーズでお届けします。
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手束牧師の「死」にまつわる説教 第4回
 4.終わりから見つめる
【聖書テキスト】

 兄弟たちよ。わたしの言うことを聞いてほしい。時は縮まっている。今からは妻のある者はないもののように、泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。
(Ⅰコリント 7章29~31節)


 【メッセージ】

 私が高校時代、今でも時々思い出す印象深い一人の国語の教師との出会いがあった。大変な博識家であり、高校の教師よりも大学の教授の方が相応しいと誰もが思う程の逸材であった。
実際、その後請われて大学の講師となり、何冊かの書物を著された。その人の名は、尾川正二先生という。今も御存命だろうか。
 先生は博識に加えて威厳を湛えた、ある種の超越性というものを保持しておられた。
おおよそ栄達や出世というものを進んで求めるような方ではなく、いつも寡黙に、黙々とご自身の務めを果され、余り喜怒哀楽も表に出されない、一見取っ付きにくい先生でもあった。
しかし生徒達は強くその尾川先生に魅きつけられ、誰もが尊敬していた。
そのことを物語る一つの強烈なエピソードがある。
 ある一人の生徒が、授業中であるにも拘わらず、机に俯せになって眠ってしまっていた。
先生はその横を教科書を読みながら通りつつ、手でポンポンと肩を叩いた。しかし彼は起きない。
その時突然、あろうことか先生は教科書の背でバーンと頭を叩いたのである。相当のショックと痛みがあったであろう。彼は勿論驚いて目を覚ました。そしてあわてて教科書を開いて学びを始めた。
所謂、彼は今でいう〝ツッパリ〟であり、教師に対してもよく反抗をしていた生徒であったので、この時も周囲の者達は、彼がどういう態度に出るのかと固唾を飲んだ。しかし彼は何も反抗せず、逆らわず、申し訳なさそうに学びを再開したのであった。このように尾川先生には、たとえツッパリの生徒であっても逆らい難い威厳があった。

尾川正二先生のニューギニア体験

 一体この先生の威厳、超越性というものはどこから来るのか、私自身も関心のあるところであった。
実は尾川先生は、大東亜戦争当時、「地獄の戦地」とまでいわれたニューギニア戦線に従軍し、九死に一生を得て帰って来たという経験の持ち主だったのである。ニューギニア戦線の場合は、二百六十分の一の割合で兵士が生還できたといわれている。従ってもし千人いれば、せいぜい三人ないし四人しか生きて帰れなかった。後の九百九十数名は死んでしまったということである。
そういう、言葉では形容し難い壮絶、凄惨な戦いであった。そのような厳しい地獄模様の中を先生は奇跡的に生還されたのであった。
 一九六九年に出版された尾川先生の書物がある。「極限の中の人間」という表題がついていた。
この書物は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した優れた本であり、私も早速に購入して一気に読んだものである。ニューギニアにおける戦いというものが、どれほどむごい、凄惨なものであったか、よくぞあそこまで克明に記憶して書き綴られたものだと感服しつつ読んだことを覚えている。
例えばこうである。多くの傷兵達が行き倒れ、助けてくれと命からがら叫ぶ。しかし、自分自身が行軍していくことで精一杯の中、助けることなど全くできない。そして次々と兵隊達は倒れていく。
だが助けることはできない。只、黙々と進む以外にない。ところが気が付くと、死んだ兵隊達の太股辺りが抉り取られているではないか。何故抉り取られているのか。生きている兵隊達が食べるためである。人が人を食べるということが、この状況下では半ば公然と行われていたという。
 ある時、尾川先生がもう一人の兵隊と共に苦しい行軍を続けていた。すると、「おーい、お前達も食べんか」という声が聞こえてきた。見るとそこには鍋がかけてあり、グツグツと何かが煮られている。
「今、蛇を獲ってここで煮ているところだ。一緒に食べんか」と言う。尾川先生は「あれは危ない。人間の肉に違いない。」と咄嗟に思ったという。何故なら人の肉を食べている訳だから、誰しもの心の中には必ず罪責感がある。人間というものは罪責感を解消する一つの手立てとして、他の人も仲間に加えようとする。いわば「赤信号、みんなで渡れば恐くない」という心理が働くのである。
もしそうでないなら、食料も何もない状況下なのであるから、少しの食べ物を手にできた時、自分だけで食べたいというエゴイズム丸出しになってしまうのが人間というものであり、ましてや、生きるか死ぬかの極限の軍隊ならば尚更である。そんな中「一緒に食べんか」と言うのは、実は蛇の肉でも、カエルの
肉でもない、それは人間の肉であることを意味している。尾川先生は「いや、結構だ」と言って通り過ぎたという。

死の淵からこの世を見る

 私は「極限の中の人間」を読み、何故尾川先生があれほど超然とした人格者だったのかが理解できた。つまり、尾川先生はあの厳しい極限のニューギニア戦線時に、もう自分は死んだのだ。今生きてはいるが、あの時、もう自分の存在は死んだも同然なのだ。そのような自己認識を持たれていたのではなかろうか。つまり死の淵からこの世を見られた。自分の人生をあの死の淵から客観性をもって眺められたのではないか。それ故に何事にも動じないあの超然とした姿で生きることができたのではないかと私は理解したのである。
 ここで取り上げているコリント人への第一の手紙の七章は、実はパウロの結婚論とも言うべき箇所である。夫とは、妻とは、また結婚とは一体どういう事なのかをパウロが自身の見解を展開しているところである。ところが、このパウロの結婚論ともいうべき箇所に、割り込むような形で無関係とも思われる二九~三一節の言葉が挿入されているのである。何故だろうか。
 二九節で「兄弟たちよ、私の言うことを聞いてほしい」と、パウロは呼びかける。
「これから語ることは大事なことだ。大切なことだ。だからしっかり聞いて下さい」と強調している。
そこにはキリスト者の生き方、その根源、その倫理が開示されているからである。更にパウロは語る。
「時は縮まっている」と。時が縮まるとは即ち終末が近いという意味である。この箇所を新共同訳聖書では、「定められた時は迫っています」と訳している。この方がパウロの言わんとすることがよく解る。
「定められた時」、それは、終わりの時、キリスト再臨の時のことであり、ここに強い終末意識を見て取れる。そしてそれは同時に「死」の意識でもある。自分のこの世における存在がなくなる時が間近い、時は縮まっている、だからそういう終わりの時を意識しなさい。つまり、自分が死ぬ時、この地上にいなくなる時が必ず間もなく来る事を覚えなさい、と語っているのである。
 パウロは続けて語る。「今からは、妻がある者はない者のように、泣く者は泣かない者のように、喜ぶ者は喜ばない者のように、買う者は持たない者のように、世と交渉のある者はそれに深入りしないようにすべきである」と。ここに書かれている妻とは、広い意味を含んでいる。既婚者であるならばその配偶者、或いは愛し慕っている恋人や愛人、そういう大切な人の象徴として妻という名称が用いられているのである。この箇所の意味するところはこういうことだ。人生を、この世を、終わりから見つめ直す時、初めて私達にとって何が大切なものであり、そうでないものであるかが見えてくるのだ。今までこれは大切だと思っていたものが色褪せてきたり、これこそが価値あるものと思っていたものに意味を見いだせなくなったり、ということが起こってくる。価値観の大逆転が起こされてくるという訳である。
だからこのように終わりを意識した時に、初めてあなた方は本当の生を生きられるようになりますよと、パウロは主張しているのである。

「ありがとう」を残して

 「神は人をどこへ導くか」という、カトリックシスターの書物の中に書かれている話を紹介しよう。
ある実業家がいた。彼は五十五歳、若くして事業に成功を収め、何一つ不自由のない贅沢な生活を送っていたが、ある時妻が医者から呼び出しを受け、夫の病について聞かされた。
癌であった。それもかなり進行しており、余命二~三年しかないだろうとの医師の見立てであった。
正に青天の霹靂の宣告であった。医師は彼女にこう勧めた。「これからお二人で好きなこと、幸せなことを何でもなさって下さい」と。忙しさにかまけて彼に検診を受けさせなかったことを彼女は悔いた。その晩、眠れず思い悩んでいた時、ある詩を思い出した。それは谷川俊太郎の詩であった。

  本をたくさん頭の中に
  アルバムを一冊 胸の中に
  そして できるなら
  天国を心に深く
  来るかもしれぬ 一人の時に

 そうだ、アルバムを作ろう。夫と自分の中にできるだけ多くのアルバム即ち思い出を作ろうと彼女は決心した。そして彼女はあまり乗り気でない夫を連れて三週間のヨーロッパの旅へと出掛けた。癌の告知を受け、手遅れの状態であることを知っている夫は、複雑な気持ちを抱えたまま、上の空状態でしかたなく旅行に参加した。自分は、まだまだ働けるのに、まだまだやるべきことがいっぱいあるのに、こんなに元気なのにと、納得できないのは当然である。キューブラーロスは「死ぬ瞬間」の中で書いている。間近に死が迫ってくると人間というのは怒りが起こってくる。どうして自分なのだと。そして次には神との取り引きを始めるという。「私をもし治して下さったらもっと良い人間になりますから、神様何とか助けて下さい。これまでの自分を悔い改めます」と。そしてその後には抑鬱状態が襲ってきて落ち込んでしまう。こういう経過を辿りながら最終的には死というものを受容していくようになるというのである。
その夫も正にそうであった。ローマのカタコンベに着いた時、夫が自分自身の死を受け入れていることを知り、彼女は安堵した。彼は、その旅の最後の夜、妻にこう語ったという。「もう一度生まれ変わったら、また結婚しような」。やがて旅も終え、病院に帰り、まもなくして妻に向かって「ありがとう」という言葉を残して彼は召されていった。

 夫の死後、彼女の生活は大きく変革されていった。豪華な家を売却して、小さなマンションに移り、質素に自分らしいシンプルライフを作り上げていった。あり余る程の高級な調度品の数々も全て売り払い、難民基金にと寄付をし、自分も難民救済のボランティアとして活動を始めたのであった。
何が大切であるのかという価値基準が大きく転換されていったのである。人間は必ず死ぬものだと明確に体験し、死というものを強く意識することの中で、人間にとって何が大事で、何が大事でないかということが彼女にははっきりと分かったのであった。
 人はそのように終わりの時から人生を見つめ直す時、そこに真実が見えてくるのである。終わりから見る時、これ迄見えなかった大切なもの、本当の生き方が見えてくる。この聖書箇所にある通り
「買う者は持たないもののように」、正に彼女はこのように生きた。又、世と交渉のあるものはそれに深入りしないように生きた。即ち、新改訳聖書の訳では「世の富を用いる者は用い過ぎないように」となっているが、正にこのように生きたのである。

不幸にあったとき

 さらにこの箇所を見ていくと「泣く者は泣かない者のように」という言葉があることに気付く。
つまりたとえ不幸な境遇にあったとしてもそれ程その不幸を嘆くことはないという意味である。
私達は不幸な事柄に遭遇するとすぐに自己憐憫に陥りやすいものである。自分とは何と可哀想で不幸せなのだろうと嘆いてしまう。客観的に見るとそれ程でもないようなことでも、あるいはむしろ周りから見ると幸せそうに見えるようなことであっても、本人はほんの些細なことで落ち込んでしまい、まるで自分が悲劇の主人公にでもなったかのように考えてしまうのである。しかし終わりという所に焦点を当て、意識した時、そんな自己憐憫も吹き飛んでいく。それがこの「泣く者は泣かない者のようにすべきである」という意味なのである。
 クリスチャンとは何か、それは、人生とこの世を終わりから見つめることの出来る人のことである。
クリスチャンの「生き方」とはどういうものであるのか、それは一口で言えば「終末論的生き方」である。このことは洗礼式の中にも既に暗示されている。なぜなら、洗礼式というのは古い自分に死に、新しい自分に甦っていくことだからである。従って洗礼を受けた者すなわちクリスチャンは、死ぬということから人生をもう一度出発させていっているということである。終末論的生き方、これが私達クリスチャンの生き方なのである。

シュヴァイツァーの秘訣

 かつて日本で最も尊敬される人物として必ずアルベルト・シュヴァイツァーが挙げられていた。
世界的に見てもそうであった。彼は五十年間もの長期にわたってアフリカに入り、黒人医療に従事した。
これは凄いことである。。全く感服に値する。実は、私は十数年前に中国に行った経験があるのだが、その頃の中国は都会はまだましであったが、田舎に行くと悲惨な状況であった。例えば、トイレ事情も劣悪であり、吐き気をもよおしながら用をたさなければならない不潔さであった。現在は少しは改善されているかも知れないが、しかし、私にとって思い出したくない経験であった。その時、つくづく思ったものである。
「宣教師としてこのような所で奉仕する人々を私は尊敬する。何と見上げた人達か」と。
 アルベルト・シュヴァイツァーは、おそらくもっと酷い悪環境の中、一年や二年ではなく、何と半世紀もの間現地の人々と生活を共にし、医療活動に従事したのである。これは、余程の覚悟と献身がなければできることではない。しかもシュヴァイツァーには人並以上の豊富な才能があった。神学者であり、哲学者であり、又音楽家でもあった。勿論医学にも精通していた。彼の書いた神学、哲学、音楽に関する書物は膨大な数にのぼる。日本でもその著作集が刊行されている。将来を嘱望された人物であった。
しかし、それらの名声も栄達も捨てて、彼は半世紀もの間未開の国での活動に奉職したのである。
何故このような奉仕ができたのであろうか。多くの人々は彼の人道主義、人類愛を指摘し、それが動機なのだと言う。しかし私はそうは思わない。
何故ならば、人類愛、人道主義だけでは、五十年間も長続きすることは到底無理であるから。
それよりも、もっと深く彼の信仰に根差した動機であろうと私は推察する。
 何故、私がそう推察するのかというと、実は彼には神学上のある重要な発見があったのである。
彼はその若き日にイエス伝の研究やパウロの神秘主義について猛烈に研究を重ね、そしてその中である結論を見出したのである。それは、〝原始キリスト教の本質とは徹底的な終末論である〟
ということである。キリスト教というものを、あるいはパウロを理解するためには、この終末論を抜きにしては正しく解釈することはできない。初代のクリスチャン達も終末論的倫理に生き抜いていた。
終末論こそが聖書を解釈していく鍵なのである。シュヴァイツァーは、そのことを発見し、彼の著作の中で書き記していった。故に、彼の信仰の本質は、あの初代教会の終末論的信仰だったのである。
だからこそ、この聖書箇所を実践できた。つまり、「買う者は持たない者のように、世と交渉のある者は
それに深入りしないようにすべきである」という終末論的生き方の故に、栄誉、栄達、名声、そういうものを全て捨て去ることができたのである。いくら名声や栄達を手に入れたとしても、必ずやがてこの世は過ぎ去る。そして皆誰でも神の前に立つ時が来る。その終末論的信仰と意識、これが彼をしてあのような崇高な働きへと進ましめたのである。

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