月報 2011 10月

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奉献式の喜び(1)ー主は心を見ておられるー

奉献式の喜び(1)
― 主は心を見ておられる ―

村 川 由貴見

 9月4日の奉献式で主の導きと喜びのうちに捧げることが出来たことを嬉しく思います。奉献式を経験するのは、洗礼を受けてまだ間もない頃の教育館での奉献式が最初でした。献金についても、受洗準備の時に一度だけ十分の一献金の話を聞いていましたが、全くの赤ちゃんクリスチャンでしたから、何の予備知識もなく、たまたま礼拝に出た日が奉献式の日でした。頭の中は、チンプンカンプン。考えようにも何をどう考えてよいのか分からない白紙状態でしたが、それでも渡された紙には、祝い事で金封にお金を包むような感覚で金額を書いて、捧げた記憶があります(捧げたという意識もありませんでしたが)。その後、宣教センター、教会リフォームと続きました。

 クリスチャンとして教会員としていろいろなことを通して養われてきましたが、毎月の献金は、夫はまだ救われておらず、主婦で仕事もしていない身ですから、自分の収入もない状態で、十分の一献金をどう捧げたらよいだろうかといつも悩んでいました。他教会から来られた先生の特別メッセージの中で、「自分は家にいても毎月の収入が増えるように」と祈って叶えられた方の証を聞いたことがありました。私もそのように祈ってみましたところ、不況の時代であるのにもかかわらず、そのようになりました。それで思い切って献金することが出来るようになりました。けれど、月々安定した収入と言うわけではなかったので、いつもこれでいいのだろうかという思いは消えませんでした。ある日突然、夫から会社を変わるという話を聞かされ、夫の暗い様子に動揺しましたが、夫の前では平静を装い(私はクリスチャンなのだから神様が悪いようにされるはずがないと言いきかせ)明るく振舞いました。そしてふっと'新しい会社に変わるということは、初めてのお給料は、初穂になる!'という思いが浮かび、新しい出発の時を感じて嬉しくなりました。とてもチャレンジを迫られることでしたけれど、神さまは、いろいろな方法で『天に宝を積みなさい』と励まされ、その恵みを実感として教え、祝福して下さいました。

 今回の奉献式でも、神様に示して下さるようにと祈りました。けれど、なかなか金額は示されてきませんでした。今回も示されることはないのかなと思っていましたが、修養会のお楽しみ会の中でされた劇の内容のうちのいくつかが自分と重なってきたり、また、デボーションをしているうちに、御言葉を通してどのように捧げれば良いかを示してくださったのです。しかし奉献式の用紙に記入する時には、とても平安でした。もし、金額が示されたとしても思いもかけないような金額だったりしたら、悩まなければならなかったかもしれませんでしたが、本当に分かりやすく、教えられたのでした。神様は、私たちが何をしたかではなくて心を見ておられるので、いつも喜びを持って何事も出来たらいいなと思います。神様を信頼するなら、そのようにして下さるのも神様なのですね。

 宣教センターを取得する時に、教会学校で子ども達に献金の呼びかけがあり、それに応答した子どもは、宣教センターの電灯のスイッチを見ながら、自分のした献金がここに使われているかもしれないとしみじみと語り、宣教センターへの愛着を感じていたと聞きました。純粋な信仰により喜んで教会の働きに参加出来ていることに励まされる思いでした。娘達は毎週の教会学校や楽器クラスに行くのもとても楽しみにしていて、友達もたくさん教会に来てほしいと願っています。今回は、奉献式にも成人と一緒に参加しているので、主に守られ導かれながら素直に成長していることを感謝しています。

 今回の隣接地購入の経緯を聞いて、神様の計画が、時にかなった素晴らしいものであることを知りました。今この時に備えられ実現されたということは、今まさに神様の目的があり、教会全体にも、私たち一人一人にも、必要な時に必要なものが与えられ、そしてその恵みが流し出されてくるのだと思うと、今後どのように活かされていくのか楽しみです。



奉献式の喜び(2)ー奉献式ははずれのない宝くじー

奉献式の喜び(2)
― 奉献式ははずれのない宝くじ ―

小 嶋 健 太

皆さんの信仰と祈りによって、隣接地購入にかかる費用が与えられたことに、感謝します。
私の奉献式の一番の恵みは、自分の精一杯を捧げることが出来たことです。これまで私はそんなに奉献式を経験したことはないですが、まず間違いなく言えるのは、今回が一番自分の精一杯を捧げることができたということです。今までは正直なところ、奉献式というものがそこまで身近に感じられず、どこか他人事のように思ってしまい、まず自分の貯金やこれからの生活について考えてから捧げていました。そう考えると、今回自分の精一杯を捧げることができたということは、本当に感謝です。

私は今回、奉献式をはずれのない宝くじのようなものに感じました。普通宝くじは、なかなか当たらないけども、当たると多額の賞金がもらえます。しかし、奉献式は多額の賞金などとは比べ物にならないくらいすばらしいものが、はずれなしでもらえるのです。それは、もしかしたら金銭的なものではないかもしれないし、裕福になるというわけでもないかもしれないけど、私を創ってくださった神様が、私のすべてを知っておられる神様が、私にとって最善なものを与えてくださるんだと思うと、捧げないほうが損じゃないかと思い、いくら捧げるべきなのかは神様に聴かないと分からないけど、とにかく精一杯捧げようと思っていました。

いざ当日になり祈っていると、やはり人間とは弱いもので、肉的な部分が出てきてしまうんですねー。こんだけあったら何が買えるだろう…、何が食べれるだろう…、何ができるだろうといろいろ考えてました。しかし、「目先のものを見ないで神様を見よう」と、「これははずれのない宝くじなんだ」と自分に言い聞かせ、思い切って提出しました。すると、不思議なことにさっきまでの心の葛藤がなくなって、なぜか達成感がありました。これでよかったんだと、ホッとしました。

しかし、家に帰ると少しの不安がありました。妻はいくらと書いたのだろうか、自分のほうが多かったらこの額は認めてもらえるのだろうかと。ところが、そのことについて話をすると、新婚家庭で全然余裕がないのにも関わらずとても喜んでくれ、二日後くらいには喜んで捧げに行ってくれました。従ったときに、すべてをよくしてくれる神様に本当に感謝です。

そう考えると、今までの人生が祝福されすぎていて、これでは全然足りないような気もしますが、これから先の人生が、どんな風に導かれていくのかが本当に楽しみであり、常に神様に従っていけるような者でありたいと思います。

また、今回購入した隣接地の建物がどのように使われていくのかは分かりませんが、神様によって有意義に展開されていくと思うと、これから先がとても楽しみです。


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