月報 2011 11月

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特別早天祈祷週間「あゝその朝」(1)ー主は心を見ておられるー

特別早天祈祷週間「あヽその朝」(1)
  ― 地境を広げると能力も広がる ―

新谷園子

 今回で四回目の特別早天祈祷週間がもたれましたが、今回も多くの恵みを頂けたことを心から感謝しています。その中でも、特に恵まれた三つのことを述べさせて頂きたいと思います。

 先ず一つ目は、御言葉からの恵みです。手束主任牧師先生が、歴代誌上四章九~十節の〝ヤベツの祈り〟の箇所から毎日少しずつひもといて語って下さいました。「祈りは私たちの運命を変える。」「祝福して下さいと祈ることは、自分が祝福の基となり、他の人に祝福を流し出すためである。」等々語って下さっていましたが、四日目の「わたしの地境を広げ」の箇所から語って下さったメッセージが深く私の心に届いてきました。「人間は自分自身や他人が作った限界の中に自分を閉じ込めてしまっている。他人だけでなく自分自身に対しても偏見を持ってしまっている。そのことによって神様の祝福を制限しているかもしれない。神様は私たち一人ひとり可能性を与えて下さり用いたいと願っておられる。〝地境を広げる〟イコール〝御心に従ってチャレンジしていくと能力も広げられてくる〝」というメッセージでした。私自身保守的で、新しいことにチャレンジすることに対しては恐れや不安があったり、リーダーシップをとるのが苦手なので、他の人がチャレンジする事にはついていくけど、自分からというのは、苦手でした。ここ数年は、そうも言っていられないような訓練を与えて頂いていますが、この御言葉を通して更に力が与えられました。そして積極的に一歩踏み出していこうと思いました。

 二つ目は、兄姉の姿を通してです。様々な状況の中から集まってこられる姿。今回の特別早天祈祷がきっかけで、普段もたれている早天祈祷も選び取っていこうと決心された方の姿を通しても、恵みを頂きました。神様がお一人お一人に働きかけて下さっている姿を見せて頂けたことも、大きな恵みでした。
 三つ目は、自分自身の祈りの課題についてです。私はトーンチャイムのシャロン会の会長をさせて頂いていますが、クリスマスの奉仕の祝福のために、特別早天祈祷の前から祈り続けていました。祈っていく中でメンバーが備えられたり、奉仕の場が新しく広げられたりと、祈りが聞かれつつあります。本番を迎える時まで、更に祈り続けていきたいと思います。

 思い起こせば、高砂教会で本格的な早天祈祷会が始まったのは二〇〇三年五月からでしたが、その一ヶ月前から教会に住まわせて頂くようになっていたので、子供が小さいながらも環境的には守られていました。出席できない時期もありましたが、早天祈祷会に出席してこれて感謝でした。祈りの課題に対しては願った通りでなくても最善の答えが与えられたり、手束主任牧師先生がいつも言われているように、予防にもなってきたと思います。物事に対するとらえ方も、〝全ての事には神様の意味と目的がある〟と、信仰的に受け止めることができるようになりました。このことも、早天祈祷を続けていく中で、養われてきたと思います。

 高砂教会には日本民族総福音化、聖霊刷新、海外宣教等多くのビジョンが与えられています。また、養育システムも導入されいます。教会の働きの祝福のために、更に早天祈祷会で祈り続けていきたいと思います。




特別早天祈祷週間「あゝその朝」(2)ー早天祈祷に通い続けた亡夫の姿を想い起こすー

特別早天祈祷週間「あヽその朝」(2)
― 早天祈祷に通い続けた亡夫の姿を想い起こすー

山田 一恵

 さて、また特別早天祈祷週間が巡ってきました。前回は二日ばかり参加しただけ、しかも最終日の朝食会には堂々の参加という振る舞いでした!正に「厚顔何とやら」です。

 今回の早天祈祷にあたり、私は少しばかり考えるところがありました。というのも、私が受洗したのは二〇〇三年四月、即ち、受洗十年目を迎えるのも、そう遠くはありません。十年とは考えようによっては、長くもあり、過ぎてみれば短くも感じる年月です。人は十年一つの事をやり通すと、少しは形になると聞きます。

 かの有名な中島敦の『山月記』の一節にこういう箇所があります。
 「人生は何事をもなさぬには、あまりに長いが、何事かをなすには、あまりにも短い」と。洗礼を受けてからこのかた、ただ漫然と教会に通ってきたのではないか、セルや礼拝には欠かさず通っていたとはいうものの、仕事の多忙さを理由に、聖書を読むこともせず、お祈りも十分にできない自分。ましてや早天などとんでもないと。しかし本当にこのままでいいのだろうか?これまで特別早天祈祷週間は何回かありましたが、当然の如く参加は無理だと考えてきました。夜は明日の仕事の準備があり、就寝時間も遅い。五時起きで早天など到底無理だ。教会までの距離が比較的近いとはいえ、朝は余裕を持って出勤したいと考えていました。

 時たま、早天に参加した帰りには、牧師先生が体操をしながら「続けて来るように」と激励の言葉をかけて下さいました。しかし、私はある時は苦笑いをしながら立ち去り、ある時はキッパリと「無理ですぅ」と返答して、足早に教会を立ち去りました。

 自分の信仰はこのままでいいのか、自問し始めた私は、なんとか今回の特別早天祈祷週間は、休まず参加したいと思いました。幸いにも祝日や勤務校の創立記念日もあり、参加しやすい条件が整い、初日、二日目は四時に目覚めました。一週間早天を続けることができたことに感謝です。
 最終日には、友人に誘われ、豪華!朝食会にも参加しました。晴れ晴れした気持ちでした。この早天祈祷週間に参加できたもう一つの理由、それは親族の救いを求める強い気持ちでした。そのことが私を突き動かしたのかもしれません。

 思えば、夫は少年期からの病に苦しみ、私たち二人は共に魂の彷徨の末、たどり着いたのが高砂教会でした。誰からの紹介もなく、伝道されることもなく、いわゆる「飛び込み」でした。ただ救われたい一心で教会を訪れました。

 真言密教に傾倒していた夫は、百八十度の転回を経てキリスト教の教えに導かれました。礼拝のメッセージの終わりに、キリストが講壇の後ろに立たれた姿を、自分は、はっきり見たと言って、人目もはばからず号泣しました。また病院で意識を失っていながらも、主任牧師先生と新谷先生が耳元で祈って下さった時、夫はほほえみをもらしました。そして安らかに召天しました。夫は強い信仰心を持っていました。信ずる者は救われるということを身をもって私に示してくれました。

 私の場合、信仰心が決して揺らがない、確固たる信念を持っているといえば、それは嘘になります。時として、未熟な私は不平や疑問が脳裏をよぎります。しかし、そんな時、夫がバイクに乗って早天に出かけていたことを思い出します。冬の早朝はまだ暗く、目まいや耳鳴りを感じながら、ひたすら祈りを捧げていました。朝方まで残っている月を眺めながら、ただ涙が流れるのだと言っていました。

 夫の思い出を胸に、遅々とした歩みではありますが、これからも信仰の道を進みたいと願いを新たにした早天祈祷週間でした

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