月報 2012 1月

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「続・聖なる旅」を読んで(1)ー文章に連れ込まれ、時の絶つのを忘れたー甲東教会名誉牧師 芹野 俊郎

「続・聖なる旅」を読んで(1)
 ―文章に連れ込まれ、時の経つのを忘れた―

甲東教会名誉牧師 芹 野 俊 郎

 「続・聖なる旅」の御出版を著者である手束正昭先生に心からお喜び申し上げます。そして過日先生から読後感を書いて下さいとの電話を頂いて、大変光栄に感じました。私は2012年1月27日に満87歳の誕生日を迎えます。今から約55年前に日本キリスト教団甲東教会牧師として、手束正昭少年を求道者の一人として迎えたことを、懐かしく想起いたします。高砂教会の月報「新しい皮袋」に連載しておられる先生の自叙伝が、間もなくその頃の記述になると思われます。楽しみにしています。
 手束先生は今や熟達した牧師となり、高砂教会の牧会にとどまらず、日本のキリスト教の聖霊による刷新運動のリーダーとして、広く活動しておられることは大きな喜びです。この度の著作もこれまでと同様に、先生が主から賜った恵みに応えて、真剣に祈り、深く思索し、大胆に語ってこられた果実であると存じます。以下老骨者の独言として感想を述べることをお許し願います。

 「続・聖なる旅」を一読して感じたのは、先ず何よりも文章が読み易いということです。読んでいるうちについ連れ込まれてしまって時の経つのを忘れる程でありました。旅行談の形式でありますが、貴いメッセージが説かれており、その途中には脱線して過去の思い出やエピソードが飛びだし、「話を元に戻そう」という言葉に度々出遭います。しかしそのことが返って内容を膨らませています。それにしても一つ一つの事柄の背景となる歴史的事実の紹介や、政治的背景とか文化的特徴、そこに出てくる人物像の描写など、きわめて興味をそそるものがあります。

 たとえば、「ジャン・スティカの『キリストの磔』の絵―世界一巨大な絵画の語るメッセージ(50頁)の記事があります。実は私自身も曽て渡米した際に、ロサンゼルス市の一角にあるフォレスト・ローン・メモリアル・パークという森林芝生公園内の会館を訪れました。今回もご本を読みながらその日の情景が思い出されたばかりでなく、巨大な絵画の中に描かれた細部の人物像についての詳しい物語に触れることが出来て、恰も先生と一緒に鑑賞しているような気分を味わいました。これを作った画家ジャン・スティカについても、またこの会館の建造された経過をあらためて知ることが出来ました。今も甲東教会にはこれらの「キリストの磔」と「復活」の絵の写真が額に入れて飾っています。

 もう一つ、中国・景教の源流を辿る旅の項に、青龍寺―空海が景教とであった可能性―とある記述についてです(150頁)。中国の西安市に「空海記念館」を訪れた時、手束先生は空海が留学した二年間の内、恵果老師から密教を学ぶことが出来たのは僅か六ヶ月で、老師が亡くなられてから後の一年半を当時の唐に届って何をしていたのかと考えます。「私の勝手な憶測を発揮すると、その間空海は景教(ネストリウス派のキリスト教)を学んだのではなかろうか」と書いておられます。現に真言宗での儀式の最初に十字を切ったり、また「灌頂」という洗礼式を思わせる儀式もあるとのことで不思議なことです。

 手束先生がこの項で景教の特質について、溝口靖夫教授の説を紹介しておられますが、同教授の甥である故西原明氏は元高砂教会牧師であったし、由紀子夫人は今も東京自殺防止センター主宰として大活躍しておられます。彼等の結婚式が高砂教会で行われ、私達夫妻で仲人をしたのを思い出しました。

 次にドイツやルーマニアの旅については、沢山の示唆に富むお話が綴られていて、現代の日本の教会が追求すべき目標が何であるかを教えられました。それにしても、この様な聖なる旅を実現するためには、手束先生御夫妻は勿論のこと、高砂教会の副牧師方をはじめ信徒の皆様の熱心な祈りと惜しみない奉仕活動が、永年に亘って行われていることに、心からの敬意と感謝を捧げてやみません。そして今後も、様々な困難が予想されることでしょうが、信仰と希望と愛をもって、力強く前進されますようにお祈りいたします。




「続・聖なる旅」を読んで(2)ー広い視野から多くの示唆を得たー元カネボウ薬品社長 三谷 康人

「続・聖なる旅」を読んで(2)
 ―広い視野から多くの示唆を得た―

元カネボウ薬品社長 三 谷 康 人

 手束先生の素晴らしい本を読ませて頂き、学ぶ事が多く、有り難うございます。
 最後の「あとがき」に書いてありました様に、外国に対して謝ってばかりいた自分を大いに反省しました。私は平成9年6月末に退職して、これから第二の人生をどうしようかと考えている時、丁度その年の8月15日が韓国の建国50周年に当たり(日本では終戦50周年記念日)一週間かけて韓国の全キリスト教派合同の聖会が行われました。その時、日本の牧師代表として招待された方に誘われ、数人の牧師の方とソウルに行きました。数カ所の大会場で日本からの代表者は話をされましたが、内容は日本の韓国統治のお詫びに終始しました。話の前には必ず講壇から降りて、日本人全員が土下座して謝りました。その土下座の写真が翌日の新聞の一面に大きく載りました。それを見て、韓国の牧師は日本を許しますと語りました。帰国して、私達夫婦は伝道する人生を歩み始めました。今にして思えば「醜いアヒルの子」になっていたのだなと思います。未だ、残念ながらその流れは、日本のキリスト教界に残っています。

 先生の本の中で、在米韓国教会の親日性と同じ統治にも拘らず台湾の対日本人への良い評価、又インドネシアの日本人への感謝の念、ルーマニアの日本びいき等、プラス評価を知る事が出来て感謝です。此の様なプラスの情報に今迄接しませんでした。 
 その反面、アメリカの裏表(パリサイ人的発想、訴訟社会、自国中心的な正義感)、韓国の「華夷秩序」思想による中国への臣下の礼、日本を蕃属国と見下げた考え方。中国の中華思想と針小棒大、白髪三千丈の発想による日本への過大被害評価、(南京大虐殺記念館等)。此れ等により、残念ながら日本は外国に対して、言われるままに自己卑下して内向きになっていたようです。まだ日本の教会も同じ傾向にあると思われます。
 然し、私達を勇気づける話がありました。サムエル・ハンチントンの『文明の衝突』にある、日本は他の七つの文明とは異なり、一国一文明という独特の文明を持つと言う話です。聖徳太子時代に中国文明圏から離れ、独自の文化文明の形成をしてきたということです。(此の点、P・ドラッカーも日本文化の伝統と良さを高く評価して、戦後の日本の再興をリードした経営者達を人間として高く評価していました。)

 ここで、私が読んだ台湾の元総統の李登輝氏の書かれた『最高指導者の条件』から一部引用してみます。 「有史以来、日本の文化は大陸などから滔々と流れ込んで来た変化の大波の中で、驚異的な進歩を遂げつづけてきた。そして一度も奔流に呑み込まれる事なく、古来よりの伝統を残しつつも新しい文化を取り入れ、日本独自の伝統を築き上げてきた。外来の文化を巧みに取り入れながら、より便利で受け入れ易いものに作り変えていく。日本には古来、その様な希有なる力と精神が備わっている。・・・又、1898年(日露戦争前)台湾総督になった児玉源太郎中将は民政長官として後藤新平(後に関東大震災の復興を指揮)を赴任させた。彼は着任すると人事の刷新と人材登用を断行・・高等官以下1080名の官吏を首にして日本内地に送り返し、優秀な人材を幅広く採用して各分野に配置した。その中に新渡戸稲造もいた。そして今の台湾の基礎を作った・・台湾人は皆『台湾の今日あるのは日本のおかげ』と感謝している・・」
 今回の三・十一の東日本震災時に示した日本人の行動は世界で高く評価され、今一度、素晴らしい本物の日本を回復するチャンスです。その先頭を今クリスチャンが「地の塩」「世の光」となって歩む事が求められていると思います。
 素晴らしいリーダーに導かれている高砂教会の皆様に大いに期待しています。この度は広い視野から多くの示唆を与えて下さり心より有り難うございました。



「続・聖なる旅」を読んで(3)ー日本の教会が歴史の真実に目覚めることを願うー泉栄光キリスト教会 吉田 喜代子

続・聖なる旅」を読んで(3)
―日本の教会が歴史の真実に目覚めることを願う― 

泉栄光キリスト教会  吉 田 喜 代 子

 今回の続編は、正直今までにない非常に切迫した思いと、主なる神の啓示のような深い愛を身近に感じ、思わず胸が熱くなり勇気が湧いて来ました。以前の「聖なる旅」は、手束正昭先生御夫妻が、お二人で訪問先の国々を廻られた時の情景がこと細やかに表現されており、その素晴らしさに、私も思わずその文面にとけ込み、先生御夫妻と共に旅行をしているような錯覚に陥ったことも多々あり、すべてが目に浮かぶようで本当に楽しい気分になったことを今でもはっきり覚えています。

 ですから、同じ「聖なる旅」でも、この続編では、今直面している日本の教会の在り方に対し、神が如何に憂慮されておられるかがよく分かり、手束先生を通してその理由を明確にされ、解明の手立てとして、先ずその国々の歴史と国民性をはっきりと理解した上で、牧師と信徒が一体感で祈り、福音伝道に励むようにと、神ご自身が望まれておられることを、痛感したところです。それは、日本の教会が余りにもアメリカという国について無知であり、キリスト教国家として必要以上に尊敬し、その宣教師のメッセージや書籍などによって得た知識等を過信し過ぎたことが、今日の教会の不振を招いたように思います。今こそ日本の教会は目覚め、反省するにふさわしい絶好のチャンスが到来した事を心に刻み、歩んで参りたいと思わされました。
 私は活字を追いながら手束先生の豊富な知識と洞察力に一人感動したところです。中でも歴史に関することは、今の歴史学者でさえ先生には到底及ばないのに、多くの人が彼らの自虐的見解に賛同し満足している姿に悲哀さえ覚え、空しさも感じます。

 以前、合同修養会の早天祈祷でのメッセージで、ある女性牧師が、アメリカが広島や長崎に原爆を投下したのは、異様な大和魂を打ち砕き戦争を終わらせるためには当然のことであったと、戦争も知らないのに、アメリカの宣教師の受け売りを平然として披瀝した姿に唖然としたことを覚えています。勿論、周囲の年輩の人は顔をしかめていました。このように牧会者の年齢が若くなる程、誤った歴史認識で卑屈な思いを持ち続けている有様で、世の牧師にもっと真実について学んでいただくことの必要性を感じています。
 手束先生が描いたアメリカ、中国、韓国等の国民性は私も全く同感で、特にアメリカは政治経済の面で日本を圧迫し、思い通りに牛耳っている実態を見るにつけ、腹立たしく思う反面、日本の政治家の不甲斐なさにあきれてしまいます。
 例えばアメリカは小廻りのきく日本の軽自動車の技術が東南アジアで好評を博し、生産や売り上げが上昇しているのに待ったをかけ、生産台数を減らすようにと、日本の通産省に申し入れて来ました。その理由はアメリカの大型車がそのあおりで売れなくなったとのこと。それに対し、日本の通産省は減産に踏み切るようにとメーカーに指示したのです。なんという腰抜け外交なのでしょう。その他、イランからの原油輸入を中止し、アメリカと歩調を合わせる要請をされた時も、安住財務大臣は日本の立場を説明せず、易々同盟国として承諾したのです。本当に呆れ果てました。

 そのアメリカが、北朝鮮も核開発をしているのにイランばかり制裁するのは、本当に公平を欠き許されない行為だと思います。では、なぜ同盟国の日本が拉致問題を抱えているのに協力してくれないのか。それがアメリカの恐い部分で、戦時中の従軍慰安婦問題と拉致問題がからんでいるので、容易に動こうとはしないのです。それは中国同様、利害関係をにぎり、落とし所を知っているからです。昔から〝勝てば官軍負ければ賊軍〟と言われている通り、アメリカ兵がベトナムで少女を犯し、勝手に本国に戻った結果、ベトナムには混血児が溢れ、それが日本の週刊誌に紹介されたこともありました。しかしベトナムは韓国のようには騒ぎませんでした。

 戦後60年以上経ち、日本は確実に義務を果たしているのに、いつまで賊軍扱いをするのでしょうか。主なる神はすべてご存知です。今こそ日本の教会は真実を知るべきです。その為に「続・聖なる旅」を是非多くの牧会者達に読んで頂き、内容をよく理解し、新たなる出発をしていただきたいと心から願っています。


「続・聖なる旅」を読んで(4)ー読む者をぐいぐいと引き寄せるー高砂教会 北村 恵

「続・聖なる旅」を読んで(4)
 ―読む者をぐいぐいと引き寄せる―

北 村  恵

 今から15年前に出版された「聖なる旅」の〝キリスト教国アメリカ―光と影のアンバランス―〟を読んだ時、私は大きな衝撃を受けました。アメリカは理想と正義感に徹するが故に、その正反対の、残虐で常に好戦的姿勢を繰り返す。まるで振り子が大きく揺れるように相反するものでバランスを取ろうとする国だと書かれていました。フレンドリーでおおらかなアメリカ人宣教師達と親しい交流のあった私にとって、アメリカは、まぶしい輝きを持った、あこがれと理想の国だったからです。

 今回「続・聖なる旅」は、牧師先生と共にアメリカ西海岸を巡って旅したことを思い出しながら読みました。高元龍牧師先生の案内で、成長している教会見学はもとより、アメリカの歴史、政治、経済、アメリカ人気質、世界情勢、韓国人、黒人問題など様々な解説を受けながら、初めて見るあこがれの国をはしゃいで旅していたのですが、牧師先生はいつも手帳片手に何かをしきりに考えておられる風情でした。正編の東海岸と続編の西海岸の旅を読んで、アメリカに対して抱いていた私の幻想は物の見事に打ち砕かれ、様々な角度からアメリカの真の姿と日本の関係があらわにされました。次々と説き明かされていく実態を引き込まれるように読み、目の覚める思いでした。どんなに偏見と思い込みによって世界を見ていたことかと気づかされます。

 中国、ドイツ、ルーマニアと巡られた国々に対してもその歴史、政治経済や民族の持っている美しさや問題点等を浮きあがらせて書かれる描写力の見事さに感嘆致します。読んでいて各国の事情や様々な文献からその国や民族の性格を手に取るように分からせてくださるのです。牧師先生ならではの直感的なひらめきによる推察力には思わずアーメンと叫びたくなりました。少年のような感受性の鋭さと熟年故の豊かな経験から来る確信とがミックスされて読む者をぐいぐいと引き寄せ、圧倒的な感動と納得を与えます。その国と民の思考や行動は、どのような歴史的背景から生まれてきたかを考察する心眼力の確かさにうなりました。それは物事を冷静に公正に観察し、その国とその民を裸眼で見ることを心がけておられる姿勢から生まれてくるのでしょう。しかし何よりも私が凄いと思ったのは、どの章にあっても、牧師先生の視点が明らかだということです。

 外国語学習は、外国語の文法や表現を学んで、その民族の物の考え方や文化を知り、それと対比させて自国の文化や考え方、言語を知っていくものです。「聖なる旅」「続・聖なる旅」は、まさにこの原理を実証された紀行文でした。外国を旅してその国の風土や人々を知ることで、外国語習得以上に、もっと具体的実際的にその国と民族を知り、ひいては自国と自国民、自分自身をもよく知っていくことなのであること、そして、その点に焦点がぴたりと当たっているので、日本人の姿が明確に浮かび上がってきました。さらに、そこに立脚して、自国の民をどのように救いに導いていけばよいのかが分かってくると書かれています。牧師先生に託された日本民族総福音化運動という神様からの使命にここまで徹底して忠実に応えていこうとされる強靱な意志と情熱に圧倒されます。日本人を救うには日本人をよく知ること。日本人の魂にすり込まれた卑屈さと低いセルフイメージを払拭し、日本人の美徳と誇りを恢復するには、どのようにすれば良いのか。かくも熱心に探求される視点から書かれているのです。まるで金太郎飴のようにどこを切ってもその視点が現れてくるのです。まさに牧師先生の信仰告白の書物のようです。牧師先生の旅は神様からの使命を遂行するための手段であり戦略であったのです。このような書物を「私の喜びであり冠である高砂教会の信徒達に」と捧げられた私達は何と幸いかと、信徒冥利につき、感謝せずにはいられません。

 今まで牧師先生が主張される、人間中心ではなく神中心の信仰とカリスマ運動の推進によって、日本キリスト教団では異端児的存在だと様々な批判を受け、苦渋の雌伏の時を耐えてこられました。しかし、昨年の東日本大震災から、大東亜戦争の加害者的罪責感に翻弄され、無気力に陥っていたことを反省し、日本人としての誇りを取り戻そうという気運が起こっています。今、時は満ちいよいよ雄飛の時の到来です。この本こそ日本の姿を知る手だてとなり日本民族の救いの一役を担っていくに違いありません。牧師先生、この本と共に雄飛の時を雄々しく羽ばたいて下さい。私達も喜んで従ってまいります。



「続・聖なる旅」を読んで(5)ー何故手束牧師の著書はかくも魅力があるのかー高砂教会 林田 多香子


「続・聖なる旅」を読んで(5)
 ―何故手束牧師の著書はかくも魅力があるのかー

林 田 多 香 子

 時の流れの何と早いことでしょう。前著「聖なる旅」が上梓されて15年が過ぎようとしています。前著の「糟糖の妻」のエピソードが、昨日のように思い出されます。その後も、手束牧師先生は忙しい牧会の傍ら、次々と話題の書物を世に出されて、今回で十二冊を数えるとは、何と精力的な執筆活動でしょうか。当初、「続・聖なる旅」は出版の予定がなかったにも拘わらず、装丁も美しく上梓されたことに、主の確かな促しを覚えます。この新著が、牧師先生の著書の愛読者はもとより、神学書に興味のない人たちの目にも旅行記として留まり、用いられることを願って止みません。

 手束牧師先生の著書の魅力は?と問われたならば、即座に物事の核心を的確に見抜き、その事象を多面的に考察して、意味、目的、意図を明らかにしていく所と答えるでしょう。
 「続・聖なる旅」は、正にそのような書物であると思います。上質な旅行記としての楽しみ方と、他方、著書は霊的・神学的視点を持って洞察した旅行記でありますから、書物全体から、歴史の只中に介入し支配される生きた霊なる神の存在を認め、種々の事物から神の意図されること、教示を読み取り、神の介在を顕わにしていることです。また物事には二面性があるので、複眼的視点が肝要であることをも教えられます。

 深い人間理解も大きな魅力です。深層心理(無意識=霊)の部分は、私たちの肉体的病いと密接に関係しています。無意識の傷を放置すれば、個人の人生はもとより、家族、社会、国家、民族にまで影響を及ぼす事例を、本書〝「キリスト教的パリサイ人アメリカ」(その一・二・三)、〝秦始皇帝兵馬俑博物館「地下軍団」造作の謎〟に顕著に記されているように、無意識の根源的治療は神ご自身ですから、まず聖霊の光で内面の傷を探り、その所に癒しの御力を注ぎ入れて頂かなくてはいけないのです。キリスト教の精神・信仰・御言葉が必要となります。「外国を旅行して最大の収穫は、日本人は『醜いアヒルの子』ではなく、『美しい白鳥』であることの発見だ」と牧師先生は告白されています。

 戦後、敗戦国となった日本は、東京国際裁判において「日本人は極悪人だ」との不当な罪責感を刷り込まれたことによって、日本人としての誇り、アイデンティティを失い、低いセルフイメージ、社会の混乱、モラルの退廃と、精神の危機に陥りました。主なる神は様々の方法をもって今の日本に介入され始めておられます。「日本人よ、雌伏の時代は終わった。来るべき雄飛の時に備えよ」と。そのためには、日本人がこの洗脳から醒めて誇りを取り戻し、アイデンティティを確立することなのです。そうすれば不振に喘ぐキリスト教を回復し成長させる原動力になるのです。そしてやがては国家の再建へと繋がっていくのです。正に日本民族総福音化運動が必要であり求められているのです。手束牧師先生は、この使命の為に油注がれた神の申し子であり、預言者なのです。

 手束牧師先生は、「私は本来出不精です」とおっしゃりながらも、15年間に60回もの海外旅行を挙行し、それぞれの旅先での出来事を書物にして出版し、聖霊様の存在を示してこられました。今回の「続・聖なる旅」は旅行記でありますが、霊的・信仰的視点をもって洞察した書物でありますから、現実の旅を楽しみつつ、他国の状況を通して、むしろ「日本・日本人」への思いを深めることができました。主は確かに日本に介入され始めておられ、私達を用いて栄光を顕わそうとしておられます。霊の目を開いて、主の御声に応答し、主と共に歩みたいと願います。新しい年が復興と飛躍の幕開けとなり、主の御国が拡大していくことを信じ、期待いたします。

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