月報 2012 9月

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修養会って、すごい(1)ー未来に最良の時が待っているー

修養会って、すごい(1)
―未来に最良の時が待っているー

四 宮 忠 明

 今年は私にとって、又、家内にとって、特別な修養会となりました。それは修養会の直前に、家内の乳癌が骨に転移した痕跡(この痕跡が消えないことが家内にとって長年の苦しみとなっていました。)が、PET―CTという画像診断の結果、完全に消滅するという奇蹟の癒やしが与えられたからです。大いなる恵に与って必然的にテンションが高まった状態であったと共に、私には修養会での早天祈祷で証しするという機会が与えられていたという絶好の環境が整えられていた修養会でもありました。
 今年のテーマは「見よ、わたしは新しいことをする!」でした。この御言葉の意味するところは何なのか? この御言葉は聖書が記された時から存在していたのですから特定の時点ではなく、どの時点においても同じ意味を表している。即ち、時空を超えて同じ意味だろう・・などと思いを巡らしながら、中野先生の聖会のメッセージを拝聴していました。
 第一聖会において「見よ、わたしは新しいことをする!」これは主のご意志によって、やがて聖霊のリバイバルが起こる。教会のリバイバルが起こる。もう神は手を付けておられる。知らないのか? 救い、聖霊充満、そしてリバイバルを求める私達に、もう一度十字架の前で、私の罪が十字架の血で全て洗い清められていることを信じ、十字架の恩寵を理解し、味わってから、聖霊経験を受けようというメッセージでした。第二聖会は、殉教者ステパノの物語を通して、聖霊に満たされるとはどういうことかということの学びでした。第三聖会は、ヨブ記を通して、地上に於いて私達がどう処すれば、天上を動かし、神の御業がこの日本に成就するのかの学び。神中心への信仰の転換が必要であるとのメッセージでした。そして第四聖会では、イザヤ書五四章から、主は一人子をさえ惜しみなく与えて下さいました。私達も捧げる物を数えるのでは無く、主から受けた恵みを数え、惜しみなく捧げましょう。祈りは必ず叶えられるというメッセージで締めくくられました。
 昨年の十月の祈祷会において、家内は、末期癌を宣告された患者の一人として、どのように病と向き合ってきたか、八年間の闘病生活の中で治療の辛さからどのように意識を切り替えてきたか。その過程でイエス様の支えがいかに大きかったかを証しさせていただきました。証しの最後に、過去に拘るのをやめ、前を向いて生きていく決意を述べていました。手束先生が何度も説教で語られています。例え祈りが成就しなかった場合であっても、神にはさらに偉大なご計画がなおも用意されていますと。新しい計画は私達が後ろを振り返るのを止めたときに始まると。前を向いたとき「主が新しいことをする。」この通りに主の新しいご計画がスタートし、今回の癒やしに繋がったのだと確信しました。
 修養会での早天祈祷の証しにおいては、日々の早天祈祷の祈り、執り成しの祈りは必ず成就することをこの例を交えて証しさせていただきました。そして聖会での中野先生のメッセージを味わいながら、この御言葉「見よ、わたしは新しいことをする!」を私なりに受け止めることができました。これは「主が日々、私達に新たな恵と成長を与え続けてくださることの意思表示」なのだと。即ち、クリスチャンにとっては常に未来に最良の時が待っているということであり、過ぎ去った過去の人生には決して最良の時は存在しないということ。この家内に与えられた癒やしの御業も、人生の過程にすぎず、主の恵はこれからも日々与えられ続け、最善が更新されて行くという御言葉だと。もちろんそのためには、人間中心から神優先への信仰と思考のコペルニクス的転換がなされることが必要条件であることを意識しながら、今後の信仰生活に生かしていくことの必要性を確認することができました。主の絶大なる愛の深さに心から感謝します。





修養会って、すごい(2)ー主に応答し、従っていきたいー

修養会って、すごい(2)
―主に応答し、従っていきたい―

井 谷 由美子

 昨年の八月に洗礼を受けて、初めて修養会に参加させていただきました。修養会の事は、姉妹の方から、すごくいい!恵まれるよと聞いていたので今年は必ず参加したいと思っていました。でも、三日間留守にする間の子供の事を考えると、やっぱり無理かな・・と思っていました。そんな時に、子供が一緒にサッカーに通っている姉妹から「今年のサッカーの合宿が修養会と全く同じ日よ。」と聞いて何の心配もなく参加出来ることになりました。導いて下さった神様に感謝します。
 仕事の関係で、第二聖会からの参加でした。始まった賛美に、笑顔で手を叩き足踏みする先生方や兄弟姉妹の姿に、いつしか自分も同じように喜び賛美していました。修養会の間、賛美を歌うたびに神様への感謝があふれ涙がとまりませんでした。中野明子先生のゴスペルフラがとても素敵でした。全身で神様へ愛と感謝を捧げておられる姿と優しい表情に、ただただ感動し、私もこんな風に神様に自分の感謝を捧げたいなと心から思いました。そして、中野先生の独特な口調で、笑いを含めた力強いメッセージを三日間連続で聞かせていただき、たくさんの恵みをいただきました。
 私の母は、六年前になくなりました。まだ、私は神様の事を知りませんでした。私が救われて祈るようになって、神様の事を知らずに死んでしまった母はどうなるんだろうという思いがあって、母の救いを、こんな事を祈ってもいいのかな?と思いながら祈っていました。修養会特別礼拝の『親孝行は聖書の最大の教えのひとつ』のメッセージで、「神様は絶対なる愛のお方です。イエス様に父母の霊をゆだねますと祈りましょう。」と語って下さり、ずっと気になっていた事を導いていただきました。
 「親孝行、手をついて土下座してでも教会に来てくれるようにたのみなさい」。八十歳になる実家の父は、人と関わるのが苦手でほとんど家の中で過ごしています。私は、まだ父に自分がクリスチャンになった事を話していません。神様のことを話して、父に受け入れてもらえなかった時の事を考えるとなかなか言えませんでした。でも、先生が、ご自分のお父様の救いを涙して語られるのを聞き、「父が教会へ来て、たくさんの兄弟姉妹と交わって、神様を信じ救われてほしい。」と強く思い、父に救われたことを話してみようと思いました。
 「祈りは必ずこたえられる。肉欲だろうが、我欲だろうが、自己中心だろうが祈る事が大事。まずは祈れ。祈っているうちに、聖霊は私たちを清め神の御心に叶う祈りに私たちが変えられる。」自分の祈りに、こんな祈り方でこんな事を祈っていいのかな?と迷いのあった私には、心強いメッセージでした。私の内にいつもいて下さる聖霊様が自分の祈りをよりよい方へと導いて下さることを信じ祈っていきたいです。私は、救われて一年。まだまだ周りには神様のことをしらない人達がたくさんいます。一人でも多くの人が救われるように祈り、自分に与えられた事をやっていきたいと思います。
 この修養会のメッセージを通して、『おしみなく主に捧げる』捧げることの意味、大切さ、その祝福についてしっかりと受け取る事が出来ました。神様が私におしみなく捧げて下さった愛と恵みに感謝し、これからは、神様が示して下さる事に応答し従っていきたいと思います。
 『見よ、私は新しいことをする!』祈祷会での証しと月報の原稿を書くのは、私にとって大きなチャレンジでした。人前で喋る事、何よりも文章を書くのが苦手な私は、今までなら断る事ばかりを考えていました。でも、これもきっと神様が私に与えて下った事だと思え、聖霊様に導いて下さるように祈りやってみようと思いました。原稿を書く事になって、按手の祈りの時や異言の祈りの時に、姉妹方がかけて下さった優しい言葉を思い出し、同室の姉妹方に本当にお世話になった事、先生が語って下さったメッセージを何度も聞きなおす事で、又、たくさんの恵みに気付くことが出来た事、全てに感謝します。






修養会って、すごい(3)ー再献身に向かっての新たなる一歩ー

修養会って、すごい(3)
―再献身に向かっての新たなる一歩―

伊勢崎神愛キリスト教会牧師 堀 井 康 典

 去る二月の聖霊セミナー第四回デュナミスコースに参加した時、手束先生に面談する機会を頂き、牧師を辞した経緯と現状及び後の事を話しました。「何故、牧師を辞めるんですか。早すぎます…。」祝福の祈りの後で「再献身が決まりましたら教えてください。」と、言葉をかけてくださいました。
 宿題を持ったまま五か月の時が流れました。「あゝ、主よ。私は今まで自分は聖霊様を知っていると思っていました。聖霊様に知られているとも思っていました。しかし自分の力で事を行って来たことを知りませんでした。今、あなただけに信頼します。今まで逃げて来たことを赦してください。これからは聖霊様に満たされることを体験しながら生きて行きたいです。あなたに従います。主の御名によって祈ります。アーメン」そして、再献身を宣言したことを先生にお知らせしました。
 八月一日の朝のこと、手束先生から直接電話を頂き、修養会に招かれました。以前に修養会のご案内を頂いた時から心が動いていましたが、経済的な問題があってあきらめていました。そんな心を知って神が手束先生を通して呼んで下さったと信じています。
 自分が息子(牧師)との関係が悪く、主の召しから逃げたこと。また、妻の克枝との関係が悪かったこと。C型肝炎の治療のためにインターフェロンの強烈な副作用に苦しんでいる妻を見ながらも、どのように手を出せばよいのか分からずにいました。けれども、妻が鬱になり、共にその苦しみを通ったことにより、関係が改善されました。中野雄一郎先生ご夫婦の姿を見ているときに自分に無いものを感じ、自分たちもあの様になりたい、と思いました。
 また、六月、七月に起こった実家の問題を通して自分の生き方をはっきりと決断し、「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ二・二〇) このみことばを自分自身のうちにも、また周囲の人々にも宣言することによって解放され、今までの生き方が自分の力に頼ったものであったことを悟りました。そしてゼカリヤ書四・六の「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。」のみことばを受取り、長い間、主が語っておられた「我に従え」のことばに従順できることを心から喜んでいます。今から開拓、新しい一歩を踏み出しました。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ八:二八)何かを行って失敗したとしても、イエス様がその失敗を益に変えて、善としてくださること。その失敗を通して学び、成長できることはありがたいことです。今の私たちにはイエス様だけが頼りなのです。神との関係が正されて心が喜んでいるのが分かります。
 私たちを受け入れてくださった手束先生ご夫妻、教職の諸先生方、そして愛する兄弟姉妹お一人ひとりの愛に心から感謝します。皆様のお働きの上に、主の豊かな御祝福がありますよう心からお祈りします。



修養会って、すごい(4)ー「私にもできる」という神からの励ましを得たー

修養会って、すごい(4)
―「私にもできる」という神からの励ましを得た―

田 辺 さとこ

 私は、グリーンピア三木での修養会が初めてで、昨年に参加された姉妹方から様々な感想を聞いていたので、期待と不安が入り混じった心境でした。しかし、実際に会場に入り、兄弟姉妹の顔を見て温かく迎えられると自然に心に平安が与えられました。
 そんな中で私にとっての修養会が始まりました。世代・教会を超えて奏でる賛美、祈り、そして講師である中野先生の素晴らしいメッセージ。まさに、修養会でしか味わうことのできない特別な恵みと、祝福に満ちた時でした。特に、中野先生から語られる『福音を伝える』、『福音を恥としない』この語りかけが私の想いを熱くさせました。頭では理解しているつもりでも、心が『伝道』に対する『結果』を求めてしまい、どうしてもその一歩を踏み出せない中にいたのですが、神様は『結果』でなく、私の『伝道への挑戦』を望んでおられ、そこをどのような状況・結果だったとしても祝福してくださるのだと言うこと。そして何よりも、私自身がその恵みを、祝福を受け取りたいと願っているということ。だったら、結果、見返りを気にせず恐れず伝えるしかない!そんな強い想いが沸いてくると同時に、『あなたには出来る』そう神様からの励ましも受け取りました。私の家族は勿論のこと、わたしと関わる人達に神様を伝えていく。わたしにしか伝えることのできない『福音』。その最強の武器を携えて、主が与えて下さった道を主と共に歩んでいこうと・・・。日常から離れ、神様にどっぷりな時間を過ごすことで与えられる目標・ビジョン。これがまた修養会でしか味わうことのできない修養会の醍醐味だとも思います。
 また、今回の分科会、新谷副牧師による『You Can 伝道!』においても、普段交わりを持つことのない兄弟から、自身の救いの証を聴くことができました。たとえ受け入れるまでに何年かかろうとも、その途中悲しみや苦しみが訪れたとしても、わたし(伝える者)が決して諦めてはいけないということ。その人に抱かれる神様の計画をわたし(伝える者)の判断で、つくり変えてはいけないということ。兄弟をとおしくて深く考えさせられ、そしていつの日か、私をとおして救われた者が、この兄弟のような語れる者となるように・・・と想わされました。その姿を想像しながら祈り求め、実践していきたいです。
 そしてその後に行われた「お楽しみ会」においても、中野明子夫人のゴスペルフラ、高砂新喜劇によるコント?等など、ジャンルはまったく違えども、こんなにも多種・多様の才能をもった兄弟・姉妹が神様をとおして『家族』となり、この私もその一員として働くことのできる恵みに改めて、感謝を覚えました。
 このようにしてあっという間に終わりを迎えた修養会でしたが、今年のテーマ「見よ、わたしは新しいことをする!」の名のとおり、全てのこと、全ての者に神様が最善の時を用意してくださっていると信じ、祈り求め、行動に移していこうと思います。
 最後に、若婦人会の役員の立場から見ると、若婦人のメンバーの参加が少なかったことが残念でしたが、現在置かれている問題に対しても改善、チャレンジが必要なのだと感じています。そのひとつひとつの『できないこと』に目を向けるのでなく、『できること』をたくさん見つけ、そして、来年の修養会にはたくさんの姉妹方と恵みを分かち合いたいと思います。
 たくさんの祝福はもちろん、気付きを与えて下さった主に心から感謝します。



修養会って、すごい(5)ー自分の計画を神に任す事を決意するー

修養会って、すごい(5)
―自分の計画を神に任す事を決意する―

江別教会員 川 崎 光 生

 日本の敗戦後、大変な食糧難の為に、このままだとこれから約一千万人の人々が餓死するだろうと危惧され、北海道の未開発の地へと人々が送り込まれた時代、当時宗教指導者であった香川豊彦師と当時道議会議員の西村久蔵師とが、〝北海道の江別太の地に全国からクリスチャンを集め、キリスト村を建設しよう〟との構想のもと、全国に入植の希望者を募りました。その時洋服の仕立職人であった父は、早速応募し、東京の焼野原から北海道へと渡ってきたようでした。上には二人の姉と、下には二人の弟妹がおり、私は小学校の二年生でした。両親は泥炭地農業はまったくの素人で、ただ信仰者の農村を夢みてやって来たようです。そのような訳ですから、想像を絶する生活でした。そうした開拓生活の中で、私共の信仰が試され練られてきたように思います。そして農業に対する夢が育まれ、農業者としての精神が植えつけられて来たように感じます。
 そして三十歳になったある時、ピリピ書二・一三の、「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。すべての事をつぶやかず、疑わず行いなさい。それはあなたがたが非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、命の言葉をしっかり握って彼らの間で世の光として輝くためです」(新改訳)との御言葉を受け、このお言葉を信じて、大型酪農への道を歩み始めた私たちは、細々とした開拓農業から一躍既存農家へと祝福の道へと導きを賜りました。そうして主は、両親の生活と私共の家庭と二釜戸を維持する事三十八年間を過ごさせてくださいました。しかし、一昨年両親を天に送り、これからは自分の老後の準備が出来ると思いきや、その全てが取り去られたのです。
 自分の生きざまや信仰の在り方を一人座して悔い改める毎日を過ごす中で、竹井牧師から勧められて高砂教会での修養会に出席させていただき、「見よわたしは新しいことをする」と題されたテーマで信仰の学びの中に加えられました。
 中野雄一郎師のメッセージの中で、私たちのゴールは神の住まう天にある事を再認識させられ、全ての富、地位、名誉、財産はやがて過ぎ去るものである事を学び、そして、何を優先させるべきかを学びました。〝成功〟からは決して学ぶことが出来ないものを〝失敗〟は教えてくれる。失敗を体験するまでは、私たちはキリストの証人として十分に整えられていません。なぜなら私たちが奉仕する人々の大部分は、失敗がどういうものか知って居るからです。親、隣人、牧師等々、どのような立場の人であっても、そうした人の牧者となるには、まず私たち自信が苦渋をなめる経験を通らなければなりません。
 人生に課せられた自分の十字架から目を背けていてはイエス様に栄光を帰す機会を自ら閉ざすようなものです。「主は言われる。わたしがあなたがたに対していだいている計画は私が知っている、それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」(エレミヤ二九・十一)。この度の修養会に参加して、キリストにある喜びをいただき、また教会の在り方についても、高砂教会を手本とする新たな目標ができました。これからの残された人生を主にささげ、自分の計画をすべて神に任せあずけて参る事を決心しました。







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