月報 2012 10月

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早天祈祷の大きな力(1)ー自己中心的な信仰から主に委ねる信仰にー

 早天祈祷の大きな力(1)
 ―自己中心的な信仰から主に委ねる信仰にー
 
 中西弘美

 私は、洗礼を受ける約二ヶ月前から早天祈祷会に行かせて頂いたという、ちょっとめずらしい信仰生活の歩みをさせていただきました。約二年半前、私は問題を抱えており、『本当にしんどい』ところを通っておりました。そんな私に、グループセルや交流分析でお世話になっていた秋山姉が「早天祈祷が(問題が解決されるのが)早いよ」と勧めてくださったのがきっかけでした。その言葉の深さなど全く解らなかったし、夜型だったので朝早く起きることは最も苦手なことでしたが、そこに行けば解決の糸口があるかもしれないと思い、すぐに「明日から行きます」と返事しました。
 早天に行き、毎日御言葉を通して語られるメッセージに勇気付けられ、また多くの気付きを与えられました。最初は「どうか問題を解決し、しんどさ、辛さを取り除いて下さい」と祈っていました。祈り続ける中で、自分の高慢さを考えさせられ、問題の解決は私の心にあることを教えられ、そして相手を思いやる気持ちが出てきました。朝、聖堂で祈り神様と交わりを持つことができ、神様が、私の祈りに私の想像もしない神様流で答えて下さることを体験することができました。時にはあまりに方向が違うような気がして、「どこに行こうとされているのですか?私の願いとは違います」と訴えたこともありました。このように神様と対話することで、問題の渦中にいてまったく見えなかったことが、霧がはれるように少しずつ見えてくるようになりました。そして、神様の存在を大きくまた身近に感じることができました。
 毎日曜日休まず礼拝を守り、御言葉を聞いて頭では理解しているつもりでも、そのことが私の体の中に浸透し、実際に行動するまでには時間がかかったのですが、あるときを境に御言葉が染み渡ってくるのを感じました。それを助けてくださったのは聖霊様で、その聖霊様は、早天の祈りの積み重ねによって私の中に大きく育ってくれたのだと思います。洗礼を受けて間もないときに、「少しのことにいらいらし、その気持ちが心を支配してしまう」と美智子先生に相談したときに、「人間の持つ汚い心は雑草のように広がるのよ、でも清い心は薔薇のように毎日の手入れが必要なのよ」と教えてくださいました。早天祈祷は私の心の手入れをしてくれています。
 私は捧げきれない肉の思いを持っていました。それを祈り続けましたが、叶いませんでした。そのときはやはりショックでしたが、祈り尽くした満足感があったため、「神様のご計画があるのだ、期待しよう」と思い直すことができました。そして導いて下さっている道を喜んで歩もうと思えるようになりました。祈りが叶えられていたら、自己中心的になってしまい、御意を考えられなくなっていたと思います。固く握っていた手を開いたときに、神様に委ねるとはこういうことなのだと思わされ、そのとき心がとても平安でした。神様は、願い求めていた私に最も必要な聖霊様という大きなプレゼントを下さいました。
 早天に行っていなかった頃の私は、朝起きると、何か昨日までの重たい気持ちを引きずっていて、気持ちを切り替えることが必要でした。しかし今は、朝教会に行って聖堂で十字架を見上げ、救い主であるイエス様に感謝し、今日も命を頂いたことに感謝し、願い事は全能なる神様に祈ってお任せすることができます。こんなにありがたいことはありません。生活のスタイルを夜型から朝型に変えることは簡単なことではありませんでした。しかし、それに余りある早天の大きな恵みをいただいています。私がセルに行かせていただいているころから、新田姉を始め多くの兄弟姉妹に執り成し祈っていただいておりました。今まで祈っていただいたことを感謝し、これから私は、まだ神様を知らない多くの方のために執り成し祈り続けたいと思います。









早天祈祷の大きな力(2)ー主に守られて一日を始められる祝福ー

 早天祈祷の大きな力(2)
 ―主に守られて一日を始められる祝福―
 
 本山ミホ

 朝、時計のベルが五時を示して鳴り、そのベルを止めて、あともう少し・・・と思いながらも、床を出て身支度を整え、車へ。夜の仕事で午後十時に帰宅する身には少し辛いけど、さあ出発。夏ならすっかり明るくなっていますが、この季節、青みがかった空には星が二つ三つ光っています。教会に着いて空を見上げると、その星はまだ輝いていて、教会の建物に調和して一幅の絵のように美しい。五時三十分頃だと、もう玄関が開いていて、早く来られた兄姉方が席について祈っておられます。私もいつもの席に着くと、美しいBGMの旋律にゆっくりと心が開かれてゆきます。
 六時になると、担当の先生が聖歌を二曲導いて下さり、その後「主の祈り」、聖書の箇所を拝読、そして五・六分のショートメッセージに入ります。先生方それぞれに持ち味があり、厳しく、おだやかに、又熱く語られます。いつもノートを取りながら聴いていますが、悩みや苦しみのある時は、不思議に心にピタリときて、悩みの解決や、向き合い方を示され、力を与えられます。
 私は火曜日から土曜日まで、一日ずつテーマを決めて祈りますが、家族のことについて毎日祈っています。特に主人については、毎日「守られますように」と祈ります。若い頃は、解ってくれないと言っては主人とケンカばかりし、自分を被害者にしていました。「主人が赦せない」と口にして私が、神様に示されて、自分にも悪いところがあり、主人も仕事に一生懸命だったのだと、別の見方が出来るようになって、主人を赦し、自分も赦すことが出来た時、気持ちがとても楽になりました。
 今年の一月、主人の大腸にポリープが発見されました。皆さんにも祈っていただく中、手術を受けましたが、ガンではないと分かって無事退院出来、感謝でした。また、主人はこのところ仕事の関係で中国に滞在しているのですが、中国で起こった反日デモの折、心配して連絡を取ると、「邦人に対して、家族は日本に返し、外出禁止、屋内にいるように、との指示が出たので、今家に居るよ」とのこと。私はとても心配でたまらず、教会の祈祷会にてお祈りをお願いし、祈って頂きました。その上、翌日の早天でも新谷先生が祈祷課題に取り上げて下さり、おかげ様で何事もなく仕事に復帰出来ました。心より嬉しく、主に感謝を捧げます。このことを娘に話すと、「一番守られているのは、お父さんだね」と言っていました。
 朝の祈りは、それぞれに祈り、各々に終了します。会堂を出て、一階のロビーに降りると、いつも手束牧師先生が体操をされています。一言、二言、話をさせていただいたり、朝の挨拶をさせていただくのも、祈りの後の楽しみです。以前手束先生が、早天祈祷会をすることになった時、「誰も来なくても、私は一人で早天祈祷をします」とおっしゃったと伺い、先生の意志の強さを知りました。時々は、弱さに負けて休んでしまうこともありますが、手束先生のその言葉が心に浮かび、”がんばって行こう”と思わされています。
 教会の玄関を出る頃には、すっかり明るくなった空が迎えてくれます。気が引き締まる思いを胸に、帰りの車に乗り込みます。こうして私の一日が始まりますが、朝の祈りに来ることが許され、又、そこで祈ることが出来て感謝です。
 ”そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。探せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて、求める者は得、探す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。”(ルカ11:9-10)










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