月報 2012 11月

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聖地イスラエル旅行に参加して(1)ー数々の貴重な体験と恵みの感動ー

聖地イスラエル旅行に参加して(1)
―数々の貴重な体験と恵みの感動ー

伊 藤 信 義

 今回の聖地旅行は、環境が全て整えられたすばらしい旅行だったと感じています。①全日程天候に恵まれた事、②全員健康が守られた事、③牧師先生ご夫妻をはじめ気心の知れた教会の人達と行けた事、④知識・経験豊富なガイドさんに案内してもらえた事、⑤機転のきく聡明な添乗員さんが同行してくれた事、⑥治安の問題も含めトラブルに遭わなかった事等でした。聖書を読んだり写真を見たりはしていましたが、実際に現地に赴きますと「百聞は一見にしかず」の諺の通り、当時の聖書の世界の鼓動が伝わってくる感じでした。
 翌朝カイザリヤへ。ヘロデ王が築いたとされる円形劇場や海岸べりの遺跡を見学。ここにはパウロも二年間滞在し、ここからローマに向かった場所でもあります。ポンテオピラトもここに滞在し、祭りで大勢が集まる時、反乱を監視していたとのこと。地中海の潮風を満喫した一時でした。イエス様が活動されたティベリヤ方面では、ガリラヤ湖で船に乗り、ユダヤ人の船員が日本の国旗をマストに掲揚してくれました。粋な計らいだと感心し親近感を覚えました。この湖畔でイエス様が漁師のシモン、アンデレ、ヤコブらに声をかけられ、又、多くの奇跡が行われていたのかと思うと、自分がここに居るのが信じられない気持ちでした。








聖地イスラエル旅行に参加して(2)ー極上のフルコースの旅ー

聖地イスラエル旅行に参加して(2)
―極上のフルコースの旅―

盛 谷 千 恵 子

 ここ数年間の私の生活は、郷里広島に残してきた年老いた両親の介護のために度々帰省したり、娘の出産などの手伝いで大阪と加古川の二重生活をしたりの忙しさで、いつしか教会を遠く感じるようになっていました。それと共に、以前のような聖霊の満たしが感じられなくなり、このままでは私の信仰生活は喜びのない味気ないものになってしまうという恐れまで感じていたのです。そんな時、絶好のタイミングで、牧師先生ご夫妻と共に行く「聖地イスラエルの旅」が私の飢え乾いた心に迫ってきたのです。

今回の旅行に際し、私には一つの確信がありました。それは、高砂教会の愛する兄弟姉妹達の執り成しの祈りが積み上げられていることと、牧師先生とご一緒の旅ならば、恵まれないはずはないとの思いからくるものでした。しかし旅が始まると、それは私たちの期待を遙かに超えたものであることを強く思わされたのです。そのよき導き手となって下さったのが、ガイドの榊原さんです。ツアーで予め企画された所以外にも、私達が興味や関心を示したときに、榊原さんは可能な限りその要望に応えて下さいましたし、旅行会社から送られた添乗員の市倉さん、運転手のアビさんも、それを広い心で受け止めて下さいました。今回の旅が大変型破りな旅へと導かれたことは、主なる神様のお計らいであったように思われます。また、大変交通事情の悪い中、予定変更の多い旅にもかかわらず、最後まで主の守りがあったことに改めて感謝しています。

旅の大半はバスに乗っての移動でしたから、その目的の場所にたどり着くまでにバスの中で榊原さんによって語られたことが、私達の期待を大いに膨らませる予備学習となりました。まずは、目的地に関わる聖書箇所を朗読してくださいました。それにより、様々な出来事が生き生きと迫ってくるだけではなく、それが次の出来事にどのように繋がっていくかということにまで話は発展していき、型にはまらない言葉で聖書を奥深く読み解いてくださるお話に、ぐいぐいと引き込まれたものでした。そして目的地に着くと、聞いたお話をさらにリアルに体験でき、たっぷりと満足感を味わうことができました。

今回の旅の中で私の心に強く残っている場所は、世界遺産「マサダ」でした。日本語によく似たその響きに、なぜか旅行前から興味をもっていました。「マサダ」とは、ヘブライ語で「要塞」を意味するそうで、なんとこの場所には、六六年にローマ帝国との戦争でエルサレムが陥落した後、約九百名ものユダヤ人が二年近く籠城し、ついにはローマ軍に包囲され攻め落とされました。その際、ローマの奴隷になるよりは…と、集団自決の道を選んだとのこと。人々の苦しい胸の内を思いながらながら、要塞の中の至る所にそこで生活していた人々の息づかいを感じ、また、尊い命を絶たれた幼い子供達の泣き叫ぶ声が聞こえてくるようで、胸が痛む思いでした。しかし、そのような辛い出来事の中にも、神様は数名の生存者を残されるという配慮をされ、後々にまで語り繋ぐ人を立てられたのです。私はこの事実を教えていただいた時に、聖書の中でも「繋ぐ役目」の人たちがたくさん選ばれていたことに気づかされました。神様がノアに託されたこと、アブラハムの執り成しによってロトと娘達が生き残ったことによって、ユダヤの人々がその歴史を語り継ぎ今に至っているのだということを。

最終日に訪れた「ホロコースト記念館」においても、ヒトラーによるユダヤ人の大量虐殺という悲惨な出来事の中にあって、神様は愛するユダヤの民の中から「繋ぐ役目」としての生存者を残されたことを知らされました。それほどまでに配慮される神様が、この私を選んで救いの中に入れて下さったことに感謝するだけでなく、こんな小さな私にも、神様から大切な働きが託されているということに、改めて気づかされた旅となりました。

この九日間の旅は、食事に例えると、極上のフルコースをいただいたような、味わい深くて、目にも麗しく、何度でも味わいたくなるという表現がぴったりでしょうか・・・聖書に書かれている出来事を私達の肉眼で見、そして肌で感じることにより、イスラエルの辿ってきた長い歴史を垣間見ることが出来たことは、私にとって、信仰生活の大きなターニングポイントとなりました。放蕩娘であった私にも、悔い改めることで、もう一度信仰生活をやり直すチャンスが与えられたことに喜び溢れています。これからは、「一期一会」の出会いにも神様の愛を流し出す者として用いていただけるよう、主に従って歩んで参ります。


聖地イスラエル旅行に参加して(3)ー「わたしについて来なさい」の言葉を聞くー

聖地イスラエル旅行に参加して(3)
 ―「わたしについて来なさい」の言葉を聞く―

三 島 美 子

 夫が出張でイタリアに行った際、私への土産は本でした。「ヴァチカン」日本語版と書かれた重い立派な本は、美術館や宮殿、サンピエトロ大聖堂、美術作品等が網羅されており興味深く読みました。「お母さん絶対に連れて行ったるからな」と折に触れてよく口にしていました。牧会四十周年の記念行事で聖地旅行が週報に載った頃の夫はとても元気で、よく食べメタボを気にする程でした。
 イタリアも魅力だけど聖地の旅は長年私の夢でした。いつも読み耳にする聖書の地に身を置き、実際に自分の目で確認し触れたいと願っていたからです。夫は快く賛成してくれ「イタリアはその後で行こか」と言ってくれました。その後ガンが見つかり、既に数カ所転移し、手術もできない状態でした。厳しい状態の中入院の朝、娘達は紙にイタリアの地図を書き、家族で楽しんでいる様子を絵にし「お父さん、行こうね、約束やで」と渡しました。父親を大好きな娘達も夫に諦めないで希望を持っていて欲しかったのだと思います。
 僅か四ヶ月の闘病。自分の信念を貫き、牧師先生の祈りも断った夫が亡くなって一年。夫の死が受け入れられず苦しく、何度も遺骨を抱きしめました。沢山泣きました。何度も何度も大きな声で夫の名を呼びました。何の為に生きるのか意味も目的もわからなく、生きらんでもいいのとちがうかと思え、外に出て夫のことを聞かれるのが辛く、慰めの言葉を掛けられるのも嫌でした。そのくせ同じように大切な家族を亡くされた方の側にいるのは何も話さなくてもホッとしました。グリーフケアーの高木慶子さんの講演や本も沢山読みました。後に「泣く者と共に泣け」とあるけど「同じ苦しみを体験した者しか心には解り合えない」と聖書に書かれていると教えて戴きました。
 何故夫を救えなかったのか。受洗して三十年。何度か教会に来る機会があった夫でしたが、信仰の話になると不機嫌になり「俺は俺、あんたはあんた、薦めるな」と言われ、いつの日か諦めていました。信仰以外では家族や家庭を大切にする頼もしい夫でした。平穏な家庭に波を起こすことを恐れ衝突を避けた私は、夫に心から信仰を持ってほしいと願っただろうか、福音を伝えただろうか、伝え続けるべき信仰を無くしていたのは私自身でした。夫に頼り依存していた人本主義の私は、今や生きる方向を失い、意味も目的も見出せない状態の中、迷っていた中で、聖地旅行を決心しました。私はどう行きたいのか、信仰はあるのか、聖地に身を置き、私の心を探り知る主に祈り、求めたかったのです。
 二日目のホテルはガリラヤ湖畔でした。夜の祈りの中で与えられたのが「わたしについて来なさい」でした。イエス様がペテロに語られたように、私に語って下さいました。旅行中ずっとこの御言葉がありました。深い悔い改めと感謝で涙が溢れました。私に欠けていた事、それは神へ畏れと熱心な祈りと気付きました。
 過去も現在も未来も変わらない神様が一緒にいて下さり伴って下さるのだから、目を覚まし、しっかり生きなければと思います。旅行の最終日、予定には無かったホロコースト記念館を訪ねました。アウシュビッツの悲惨な出来事はフランクルの著「夜と霧」で強い衝撃と悲しみを受けていました。ユダヤ人虐殺で幼子をなくした父親が、この記念館の別館設立に多額の寄付をされ建築され、その内部は真っ暗で何も見えない恐ろしさでした。しかしその天上は無数の小さな星のような灯りが広がり、虐殺でなくなった方々の霊が希望の星のように輝いていました。死んだら星になると聞いたことが思い起こされ、、受洗していない亡夫はどこに行ったのか、どこかで彷徨っているのではと思うと涙が止まらなく、ある姉妹に夫とはもう会えない?と聞くと「私達クリスチャンはフリーパスで天国に入るけど、ノンクリスチャンでも神様はきっと家族の人の祈りによって天国に導いて下さる可能性があるということよ。」と語ってもらえ、大きな慰めと歓びを受けました。
 いつの日か私が天国に帰る時、夫は神様と共に天国でお婆ちゃんになった私をみつけてくれるかなと少し心配ですが。旅行を通して神様は、私に悲しみを乗り越える力と勇気と信仰を与えて下さったことを心より感謝申し上げます。

聖地イスラエル旅行に参加して(4)ーイスラエルの平和のために祈れー

聖地イスラエル旅行に参加して(4)
―イスラエルの平和のために祈れ―

則 竹 幹 子

 主人が救われたころから「イスラエルに一度行ってみたいね」と、よく話していました。牧師先生の牧会四十周年の記念行事として発表され、参加の申し込みをさせていただきました。乳と密の流れる所として、神様が御自分の民を導かれた地、イエス様が生まれ、成長し、宣教を始められたところ、やがて終わりの日に雲に乗って来られ、イエス様が立たれるというオリーブ山。イエス様の歩いた道を歩き、見上げた空を見て、イスラエルの風土を体験したいと思いました。

 イスラエルについてのキーワードは「水とパン」ということをガイドの榊原さんからうかがいました。日本で想像した以上にイスラエルの自然条件は過酷でした。砂漠地帯を移動しますと、絶えず喉の渇きに襲われ、水が手放せません。また疲労感も強く、四十年間砂漠をさまよい

彼らを率いていたモーゼの苦労を思いました。 クムランやエリコの城壁をめぐりながら、人々がどのように暮らしていたのだろうと思いを馳せていきます。マサダの遺跡は圧巻でした。ローマ軍に追われたユダヤ人がたてこもり、九六七人約二年間戦い続けたという戦場の跡には巨大な貯水槽や倉庫が備えられ、畑が作られ、鳥が飼われ、ローマ式の浴場まで備えられ数年に及ぶ籠城に耐えられるように造られた様子がしのばれます。常に外敵に襲われることを想定して、城壁を築き、砂漠地帯の貴重な水を蓄え利用して、生活を営み、信仰を守っていく。一九四七年に発見された「死海写本」を通して何よりも神様の言葉を大切にしていた当時の人々の信仰の強さを感じました。

 エン・ゲディ国立公園ではダビデの滝を訪れ、砂漠地帯とは異なったオアシスの様子も垣間見ることができました。

 ガリラヤ湖周辺ではイエス様の足跡をたどっていきました。様々な遺跡の跡には立派なカトリック教会が建てられ、訪れた聖徒たちのミサが絶えず捧げられていました。

エルサレムでの最終日はホロコースト博物館を見学しました。一部屋、一部屋とすすんでいくと、ユダヤ人たちの置かれた状況の悲惨さ、悲しみが切々と伝わってきます。「ヒットラーは民主主義によって選ばれたリーダーであるが、あのような独裁を行うことができた。」、「ホロコーストで何が起きているのかを訴え、救出を頼んだが、ローマ法王も誰も助けてくれなかった。」という言葉がいつまでも残り、民主主義の時代に生きる私たちの責任を問われました。

 イスラエルの置かれた地理的状況もまた厳しいものでした。絶えず他国の侵略があり、AD七十年以降は国を失い、世界に散らされていきました。今も国のあちこちにパレスチナ自治区が設けられています。ガザの空爆が連日ニュースで流れています。インチョン空港でテル・アビブ行きの飛行機を待つ間居合わせたクリスチャンのフィージーの兵士の方々から、これからガザに派遣されるのだと聞きました。彼らは今どのようにしているのでしょうか。




聖地イスラエル旅行に参加して(5)ー聖書の世界が身近になったー

聖地イスラエル旅行に参加して(5)
―聖書の世界が身近になった―

神 澤 佳 代

 このツアーのことを知った三年前、「絶対に行きたい!」と祈り、「行ける」との答えをいただけたと思っていました。しかし月日は流れ、決して環境も整っておらず、いつの間にか行く気も萎み、祈ることすらなくなり完全に諦めてしまっていました。しかしこの夏もう一度祈ることからチャレンジするチャンスが与えられ、どんどんと障害の壁が開かれて晴れて行くことが出来ました!励まし助けて下さった牧師先生や兄姉の皆様、家族、何より全てを導かれる主に心から感謝致します!

 本当に急にイスラエル旅行が決まったものですから、十分な勉強会をご用意してくださっていたものの、私自身がもう少し勉強していればと後悔していましたが…主は東京神学大学で学ばれたベテランガイドの榊原さんと聖書に詳しくイスラエルが大好きな添乗員の市倉さんを送って、さらに祝福された旅行にしてくれました!

 最初に空港のある都市テルアビブに夜到着したにもかかわらず、ツアーにはなかったヨッパ(現在はヤッフォ)に急遽立ち寄っていただきました。ここは使徒行伝十章にあるペテロが皮なめしシモンの家に滞在中に見た幻によって異邦人伝道が開かれていった場所。文章から創造するしかなかった二千年近く前の出来事が…ペテロが…。夜の灯りが素敵な海辺に静かに実際にあった“皮なめしシモンの家”。そう思いを馳せただけでワクワクしてくるそんな出だしの旅でした。

 二日目からは北部方面へカイザリヤ、カルメル山、ナザレ、カナと時計回りに回り、三日目はガリラヤ湖周辺、四日目はタボール山のご変容の教会の庭の隅で礼拝を持ち、そこから次第に乾燥した茶褐色の荒野地帯になっていく南部方面の聖書でもよく登場する町エリコやクムラン遺跡、マサダの要塞、死海へと回りました。残り三日はエルサレムを中心にここでは書くことは出来ないくらい盛り沢山の聖書にゆかりのある感慨深い名所、教会また博物館やホロコースト記念館などを回っていただきました。思っていたよりも世界中からあらゆる人種が集まり、旅行者や巡礼者でごったがえしていました。中でも印象深かったのはユダヤ人のナチスドイツによる大量虐殺を記録したホロコースト記念館でした。ユダヤ民族の存在そのものの抹殺迫害。しかしこの悲劇を乗り越え終戦の三年後にイスラエルを建国したと聞き、その力強さにびっくりしました。

 旅行中、またタボール山での礼拝でも手束先生は「ただ単に古い歴史、遺跡を辿っているのではなく、生きた命の宗教を体験した人々の記念を通して私たちも生きた神様との体験をもう一度捉えなおし出会っていく時となるように」と言われました。一見するととても近代的であり美しく豊かで、歴史・遺跡を大切に守っている国。しかし実際では私たちには見えないところで、歴史的に軍事的に自然環境的に宗教的に様々な厳しい問題を抱え、今も神と共に闘っている小さな国なのだなあと思いました。

 書き出すとキリが無いくらいまだまだいろんな体験や思いをいただいた旅行となりましたが、数千年前の聖書の世界がもっと身近になりました。これからの信仰生活がもっともっと生きて働かれる主を体験するものになりますように。









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