月報 2013 1月

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長き道、遂に与えられた救い(1)ー一粒の麦― 

 長き道、遂に与えられた救い(1)
 ー一粒の麦― 
 豊崎洋子

 私が小学校に入学した時代は、戦後間もない事もあって、一般の家庭の暮らしぶりは慎ましく、物資不足で配給切符に頼るものでした。小学校入学の学童の学用品ですら、不足で抽選で調えなければならなかったのです。終戦を迎えたばかりの学校は学童が多く、二部授業で給食もありませんでした。こうした時代背景の中で、私が初めて教会に行ったのは、小学二年生の冬休みでした。仲の良い友人が教会の子であったことからクリスマスイブへの誘いを受けたのです。今でも鮮明に当時が思い出されます。揺れるろうそくの炎の部屋で、子供向けに優しく聖書を解説された牧師さんの柔らかなお声、そして皆と歌ったクリスマスソング、自家製クッキーのおもてなしを受けたひと時の体験は、後の私の生き方に関わることになりました。その後、折々日曜教会に通うようになりました。週一度の教会は子供心に癒されるひと時でもありました。
 しかし、思春期になり、「人は如何に生きるべきか」の難問を考えるようになりました。
 私はその明快な答えを見出せぬままに分野の問わない書物の乱読の日を過ごしていました。卒業式間近なある日、尊敬をしていた教師から、教官室に来るように言われました。
 伺うと卒業祝いに一冊の単行本を手渡されました。それは貧しい人々や弱い人々に暖かな視線で満ち溢れていた作品『一粒の種』(著者は賀川豊彦)でした。
 本の遊び紙にはコリント人への手紙第一、十三章「いつまでも存続するものは信仰と希望と愛と、この三つである」今では色あせてしまった文字ですが、当時のインクの匂いが残る鮮やかなブルーの文字に私は衝撃を受けました。私が探し求めていたものが明らかになって目の前に現れたのです。
 その後、恩師はクリスチャンであることが分かりました。時を経て嫁ぎ先がクリスチャンの家庭でした。嫁ぎ先に最初のご挨拶に伺った時、義父の聖書の革表紙は角がすっかり擦り切れ、信仰の深さを物語っているようでした。信仰深い義父のエピソードは数知れなく一例をあげると、街中で食事に困っている人などに出会うとよく家まで連れてきて食事を振舞っていたとのことです。
 ある日の団欒の時、義父に卒業祝いの本の話をすると、本のタイトル「一粒の麦」は聖書の次の部分に由来すると話してくれました。
 「一粒の麦もし地に落ちて死なずばただ一つにてあらん。もし死ななくば多くの実を結ぶべし」(ヨハネによる福音書十二章二十四節)
 「一粒の麦…(以下省略)」はイエス自身が、人々が救われるために、自分は死ななくてはならないと述べているのではないか?と私は想像しています。
 一八歳の春に出会った書物は私が受洗に至るまでの道標であったのです。受洗に際し、手束主任牧師、新谷副牧師をはじめ、兄弟姉妹の祝福に心から感謝申し上げます。


長き道、遂に与えられた救い(2)―受洗前から体験した早天の恵み―

 長き道、遂に与えられた救い(2)
 ―受洗前から体験した早天の恵み― 
 井上志保子

 昨年の七月に受洗して半年の新米おばちゃんクリスチャンに突然舞い込んだ「救われた証」の原稿依頼。次々と続く教会の諸行事になかなか付いて行けず惑いながらの日々を過ごしている中で、何から何をどのように組み立てていけばいいのか、頭の中はパニックになりながらも、この半年の間に何人かの兄弟姉妹の証を聞かせていただいた事を、思い出し皆様の様に上手く表現は出来ませんが、主に与えられた初仕事として挑戦してみようとペンを取らせていただきました。学生時代の読書感想文以来の原稿用紙に向かいます。お読みづらい所があれば大いに笑っていただいて、ご勘弁下さいます様に。
 私が救われた事、それは早天祈祷に導かれて半年、娘が長い闘病生活に打ち勝ち、健康体に戻りつつある事と、その娘の健康状態を、承知の上で、生涯を共に歩む決意を示してくれた素晴らしい相手に巡り合えた事が、この半年の間に同時進行された事でしょうか。
 娘は長い闘病生活に苦しみ、三年程前に受洗し、病の完治はまだまだでしたが、精神的に立ち直り沢山の恵と祝福をいただく事が出来ました。一昨年の秋頃より、私も娘の影響を受け、交流分析、「グッドニュースコース」と、学びを受けさせていただき、いつの間にか受洗に向けて話が進むようになりました。娘の救われたのを、間近に見て、心は動きましたが、なかなか決心するには至らず少し考える時間を頂いている矢先に、娘の病が再発し、主治医より兵庫医大に転院して新しい治療を試みてはというお話がありました。娘がそれを受け入れるかどうか心配でしたが、以外にも「転院してみる」と今までにない強い意志を持って本当にすごい選択をしてくれました。この時に私は初めて娘の彼の存在を知り、彼に支えられている事を、実感し、彼のおがげと感謝しました。
 そして、「グッドニュースコース」の学びの途中でしたが、早天祈祷を薦められ、「親の祈りはよくきかれるんだよ」の一言に飛びつき、まだ洗礼も受けてない身でありながら、翌日から早天祈祷に足を運ばせてもらいました。早朝の静かな聖堂で、一心に祈り続ける兄弟姉妹、聖歌の讃美、先生のメッセージを受け取り、時間
の許す限りの祈り、まさに私にピッタリの祈りの場所がそこにありました。そしていつしか早天祈祷が毎日の生活の始まりとなり、以後毎朝、足を運んでおります。程なく娘も、新しい病院の、新しい医療スタッフによって良き治療に恵まれ又、彼の支えもあり、順調に回復の途をたどり週一回の通院はありましたが、退院の運びとなり、娘の退院を待って七月に洗礼を受け、六十歳からのクリスチャン生活が始まりました。未知世界で不安はありましたが、若い二人の先輩クリスチャンを見習って少しずつ歩んで行けたらなと思っております。娘も今では、奇跡的な回復をみせて、まだ一抹の不安はありますが、ほぼ健康体に戻り、一週間後に迫る結婚式の準備に精を出しております。
 二人共、これまで上がったり下がったりしながら、いろんな所を通らされてきたようですが、お互いに神様に祈って巡り合い、神様に祈って結婚を決意した二人に、親としてはちょっぴり寂しい気もしますが、心から「幸多かれ」と祝福の祈りを捧げたいと思います。そして心優しい伴侶を娘に巡り合わせてくれた主に感謝致します。
 末筆になりましたが、二人がここに至るまでには、主任牧師先生をはじめ、教職の先生方、多くの兄弟姉妹の支えがあっての事は勿論ですが、最初にこの教会に娘を導いて下さいました、秋山知之様、功子様ご夫妻に心から感謝の意をもってこの場をお借りして一言お礼を申し上げたいと思います。
 本当にありがとうございました。

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