月報 2013 3月

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今年のデュナミス”霊の戦いへの備え”(1)ー執り成し祈りの重要さを知るー

 今年のデュナミス”霊の戦いへの備え”(1)
 ー執り成し祈りの重要さを知るー                   
 新田静香


 また今年もデュナミスの学びに参加することができたことを感謝します。そして、とりなしの祈りについて実践的に学ぶことができたことは大きな祝福となりました。
昨年は「癒し」がテーマでしたが、その学びの中でさまざまな妨げと悪霊の攻撃があったこと、また今年は「霊的戦い」がテーマであることを考慮し、とりなしのチームを置くことが進められました。またスティーブ・タイヤー師はこのとりなしのためにのみ来高されるとのことでした。
スティーブ師の指導のもと、高砂教会と赤磐教会の姉妹方によってとりなしの祈りのチームが構成されました。どう祈るべきか、どのように祈るのか、その目的はなんであるのか、このような学びとガイダンスの後、とりなしのための油注ぎの祈りを頂きました。しかしこの学びの中で私はいいようのない不安にとらわれました。私はこのミニストリーにふさわしくない、という思いでした。
このデュナミスの始まる一週間ほど前から、子どもの学校での問題が浮上し混乱が生じていました。そして問題の直接的原因ではないけれど間接的要因のひとつが母親である自分にあることなどが表面化していました。そんな状態で家を空けてデュナミスに参加することは難しいのではないだろうか?私はとりなし手としてふさわしい状態にはないのだ、とささやく声。
しかしスティーブ師の「私たちはこのミニストリーにふさわしくない者ですが、しかし、イエス様の十字架によって購われた者として、この働きにつきます」との祈りによって力を頂き、この奉仕に当たることを決心しました。
 とりなしは大きく分けて3つの領域で祈られました。①神の目的のために ②神の供給のために ③神の保護と守りのために、の3つです。またその3つの領域ごとに、さらに具体的にいくつかの祈りの内容を教えてくださいました。が、まずとりなし手に必要なのは、聖霊様の導きに従順であること、どう祈るべきかは絶えず神の導きを求めるべきことであることが重要な要素だということです。霊の目、耳で状況を察知すること。また実際の目、耳で現実の状況をよく観察し聖堂の中で何がおこなわれているのかをありのままに認識すること。それによっていのるべき事柄、必要を見分けることができるようになるということです。
私自身がこのとりなしのミニストリーの中で学んだことは2つあります。
ひとつは「神の目的と栄光のために」です。とりなし手は自分の思いや人の思いではなく、神の思いに集中しなければなりません。人間が見て良しと思う事柄ではなく、神の善しとされること(みこころ)が行われるために祈る、ということを決して忘れてはならない。予期しなかったこと、人の計画になかったことが突然起きたとしてもそれが神の御心ならば甘んじて受け取り、祈りによってサポートすること、あるいはそれが悪魔から来るところの不必要な混乱であるならば妨げが排除されるように祈ること。そのためには霊的識別力を訓練する必要がある。そしてその判断の一番わかりやすい基準は「神の栄光が現れているか」「主に栄光が帰されているか」であることだということです。
もうひとつは「チームミニストリーの祝福」ということです。今回一つのセッションにつき4~6名でチームが組まれました。そして一日に一回はみなが集まり、祈りの共有がなされました。互いに示されたことが分かち合われました。私は霊的に何かが見える、といった敏感さはまったく持ち合わせていませんので、さまざまな情報の共有はとても有益でした。それぞれに異なった賜物があり、それぞれが導かれ、示されていることの情報の共有が正しくなされることは、同じ思い「一致」という視点からみても、とても大切なことであると思いました。
この点において、水曜祈祷会、アロンとホルの会など、教会でなされている祈りのプログラムはまさにこの情報の共有と一致において有効なとりなしの場だといえるでしょう。そしてそこにともに集まり祈る一人ひとりはこのとりなし手であるということです。私たちが心を一つにして祈るとき、悪魔の要塞は打ち砕かれ、神の目的が達成され、神の栄光が輝くことを信じます。
いよいよリバイバルのときは近づいています。同時に霊的戦いも激しくなることは避けられません。私たち一人ひとりが破れ口に立って霊的見張りをなし、とりなし祈ることを主は求めておられることを肝に銘じながら、日々祈りの門に立つものでありたいとそう願います。

今年のデュナミス”霊の戦いへの備え”(2)―悪霊の足場を崩すことの大切さ―

 今年のデュナミス”霊の戦いへの備え”(2)
 ―悪霊の足場を崩すことの大切さ―        
 前田美由紀


 私は今までデュナミスに参加したことが無かったですし、子供が14日に高校受験と
いうこともあり、ギリギリまで悩んでいましたが、前日の礼拝時にブラッド・ロング先生が語られた聖書箇所が、ここしばらくずっと自分の課題であると感じてデボーションしていた箇所と同じであったので、導きを感じ、受講することにしました。それは、エペソ人への手紙六章十節~「最後に言う、主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。」のところから、特に、「神の武具を身につけなさい」という箇所でした。そしてデュナミスの学びの内容は、「霊的戦いのための備え」というものでした。
 私はどうやら悪霊に攻撃されやすいらしく、よく嫌な目に遭います。そして、自分では追い出す力も無く、(この場合勿論追い出せるのはイエスの御名によってですが)嫌々教会に行き、(そういう時は猛烈に教会に行きたくないので)祈り、時には先生方にも祈ってもらい、ようやく立ち直る・・といった感じでした。悪霊の仕業だということも分かるし、時には見ることもあります。しかし、追い出せない・・・(と思い込んでいました)でもこの講義に期待しようと思い、思い切って受けて本当に良かったと思っています。
 私には難しい内容もありましたが、ブラッド・ロング先生の明るく、楽しく、力強い語りで、リラックスして学ぶことが出来ました。イエスの御名の権威を改めて実感することも出来ました。
 講義の中で一番印象に残っているのは、“悪霊の足場を作らない”というところでした。これはとても大事なことでした。“足場”とは、悪霊が入りこむ場所のようなもので、不信仰は勿論、赦さないこと、怒りや憎しみ、過去の心の傷、罪悪感などが誘因になります。悪霊を「追い出す」前に、まず「寄せ付けない」こと。何故悪霊はいつも私に寄って来るのか、それは私の中に悪霊の足場が沢山あるからでした。今まで自分で気付いているところは、祈り、聖霊様に委ね、手放してきたつもりなのですが、自分が気付いてないところにもあるということでした。それが何であるか、二日目の夜に聖霊様に祈り訊く時間が持たれ、聖霊様の臨在の中で祈っていると、出るわ出るわ、といった感じで、今まで自分で気付かなかったことが次々に示されました。人間は、気付きたくないことや、都合の悪いこと、忘れてしまいたいことは、自分の意識外で、封印してしまうのかもしれないと思わされました。その中で一番驚いたのは、この世的に当たり前のことや、むしろ良いことと思われていることの中にも、足場になり得るものがあるということでした。実はデュナミスを受けていても、子供の受験が心配で心配で、思い出しては焦りや、不安がありました。でもそんな「度が過ぎた子供に対する心配」も足場になり得るのです。(それはやはり自分の過去の心の傷とも繋がっていたのですが)そしてこの足場を手放すように祈り、最後に牧師先生に足場に憑いている悪霊を追い出す祈りをしていただきました。
 お陰でそれから平安が与えられ、講義に集中することが出来、十四日の子供の受験日も落ち着いて引率することが出来ました。感謝です。
 先日も礼拝で牧師先生の「家族への情愛はいいけれど、行き過ぎると神様との関係がおかしくなる」というメッセージを聞き、改めて、常に神様と自分との関係を見つめることの大切さを意識しなければいけないと思いました。
“油断することなく、あなたの心を守れ”箴言四章二三節の御言葉通り、常に神の武具を身に着けて、これからの信仰生活を送りたいと思っています。
 沢山の気付きと恵みを頂いたこと、そして共に祈り合って下さった姉妹方にも心から感謝します。

今年のデュナミス”霊の戦いへの備え”(3)ー霊の戦いについて広く深く総合的に学ぶー

 今年のデュナミス”霊の戦いへの備え”(3)
 ー霊の戦いについて広く深く総合的に学ぶー
 江別教会 鈴木則義


 この度2月11日から14日まで高砂教会で開催されたデュナミスコースに参加できたことは私にとって、霊の世界の現実の確認と霊の闘いへの大きな学びとなりました。わたしはキリスト教信仰に導かれる前にもともと所謂霊現象なるものを体験をすることがしばしばありました。振り返れば幼いころから不思議な体験がありました。幼いころに家に祭ってあった神棚にささげられていたダンゴをそっと一掴み取ろうと手を伸ばすと、神棚の戸がいきなり閉まり、あまりの恐ろしさにその部屋から逃げ出した、そんな記憶もあります。また写真で何気ない景色を撮影すると、そこに得体も知らないものが映っていたりすることもありました。そして日頃から行くところによっては邪気や邪念のこもった場所を感じたり、霊体そのものが見えたりすることもしばしばでした。そして私がイエス様と出会い、救われるちょっと前から悪霊に苦しめられている家庭に出入りするようになりましたが、その家はまるで悪霊の巣窟のようで、家人は心の状態も安定せず、家の中は何か落ち着かず、闇に閉ざされている状態でした。そして私がイエス様と出会い救われ、聖霊を受けますと、更に敏感に悪霊の存在を感じ取ることができるようになり、イエス様のご存在とお力を実感するようになりました。
 聖書の言葉と賛美と祈りによって、一気にではないのですが、徐々にその家から悪霊が退散し、家の空気がすっきりし、家人も縛られていたものから少しずつ解放されていくのが分かりました。また洗礼後、しばらくたって悪霊に苦しめられている人が救いを求めてきました。その方の家に行くとその家は先ほどの家と同じように悪霊の巣窟となっていました。牧師と教会員とでまず教会で祈りを深めてから、その方の家に行き、牧師が先頭になって一つ一つの部屋をまわりイエス様のお名前によって追い出しときよめをしていきました。わたしは家中に悪しき霊が無数にいることを感じていました。
 しかしこの家から悪霊はなかなか出て行きませんでした。むしろ攻撃にも合う状況もありました。この闘いで学んだこともいくつかありました。相手の領域にやみくもに入って追い出しをすることや攻撃を受けやすい人と一緒に行くことの危険性を知らされました。
 そして真の悔い改めがないところに、悪霊を追い出しても再び戻ってくることも主によって教えられました。このことはデュナミスで悪霊が踏み込むことを許す足場について学びましたが、そのことの重要さを特にその時に教えられました。
 わたしの出会う人は大概何らかしらの霊的障害を受けており、そこからの救いを求めている人たちです。最近では例えばこのような方との出会いが与えられています。霊が見えたり、聞こえるはずのない声が聞こえてきたりする現象が起こり、本人の自覚としては病ではなく、霊であると自覚しているが、医者からはまともに聴いてもらえず統合失調症と診断されて苦しみ続けてきた人。その方の話を聞いているとその人は病気というよりも、やはり悪霊に関する出来事であることが分かります。ですからその方が癒され、解放されるのは薬でもカウンセリングでもなければ、イエス様以外にないことを思わされています。
そのような中で今回のデュナミスコースでの霊的闘いについて広く、深く、総合的に学ぶことができたのは本当に聖霊様の導きでありました。洗礼を受けたのがまだ昨年のイースターの時でしたので、信仰に入って間もない私でしたが、講師の先生のお話をする霊的な問題が私にとってはよくわかりました。幼い時からの霊的体験が活かされて、サタンや悪霊の存在が聖書的に如何なる存在であるのか、またそれらの存在の攻撃のやり口など深め、学ぶことができました。またロールプレーを行い、実際に悪霊との闘いを体験させていただいたことはわたしにとっては大きな学びとなりました。そこで教えられたことは霊の闘いの奉仕はグループで行い、必ず聖霊の導きに従い、示されたところによって行うということです。パウロが「私たちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、…天にいる諸霊を相手にする者なのです」と言うように、霊的戦いの中にあることを実感する日々です。デュナミスで学んだように、いつでも祈りと御言葉によって神の武具を来て日々備えをし、一人でも多くの方を闇の支配からキリストの支配へと移していく働きをになっていくものでありたいと思います。どうぞお祈りください。

今年のデュナミス”霊の戦いへの備え”(4)ー戦いの最前線に立つ戦士の如くー

 事痔のデュナミス”霊の戦いへの備え”(4)
 ー戦いの最前線に立つ戦士の如くー
 赤磐教会 藤原由江


 ハレルヤ!主の御名をほめたたえます!
今年もデュナミスコース参加のお恵みに与り、主に心からの感謝でいっぱいです。講師・通訳の先生方はじめ、聖霊刷新協議会世話人・事務局の先生方ならびにスタッフの皆様、高砂教会の兄姉の方々、まことに感謝にたえません。ありがとうございます。
特に今回、とりなし手として用いて下さり、感謝します。毎回、特に高砂教会の皆様にはお世話になるばかりでしたので、このようなかたちでお役に立てるのなら…と榎本姉・宮石姉とともにとりなし手に立候補いたしました。その恵みを中心にお話ししたいと思います。
 スティーブ先生のセミナーを受け、油注ぎにより任命され、心地よい緊張感の中でスタートしました。聖霊様に聞き、お導きの中で祈り続ける、ただただ集中してその役割を全うするという時間は、想像をはるかに超越した素晴らしいものでした。
私個人が体験した感覚をお分かちします。とりなし手として立っているとき、いつも「目覚めていなさい」と主に言われ、霊の目も耳も肉の目も耳も開いて、五感がセンサーのようになっていると感じました。みことばが示されることもありました。時に戦いの最前線に立つ戦士のようであり、激しい時も過ごしましたが、いつも聖霊様の上昇気流に乗って、どこか軽やかなものでした。聖霊様の働きの中に私という人間を招き入れ、共にあること共に戦うことを実感させて下さり、喜びで満たされました。聖霊様とより一層親しい関係となったと感じています。
また、チームとして共に働く喜びも味わいました。礼拝堂の外で祈るように示された時、スティーブ先生もそのように思われていたと知り、御霊の一致・覆いがあり、たしかに聖霊様がこのとりなしチームのリーダーであると確信しました。賜物や立っているところも異なるひとりひとりが、ひとつからだとして共通の目的…神の目的の成就のために一致して働く、連帯感・一体感を体験できて大変うれしいです。聖霊様が完全な愛の帯で結びつけて下さったチームワークは最強であると感じました。とりなし手チームの高砂の姉妹のみなさん、破れ口に立つ仲間として一緒に労苦したことを感謝します。快く迎え入れて下さり、ありがとうございました。
しかし、順調なことばかりではありませんでした。レッスンが進むにつれて、私の中の悪しきものの要塞となるものが、現れてきました。痛みを伴いますが、告白し、ひとつひとつ十字架につけるという作業を繰り返しました。ところが次に、以前告白し、すでに解放されたはずの罪がまた迫ってきて、罪悪感を抱かせ、古傷をうずかせるのでした。苦しみの中でくよくよと「こんな情けない私、解放されていない私、弱い私には御前に立つ資格がない」と思ったとたんに、はたと気が付きました、これは悪の策略、偽りのささやき、惑わしだと。気づきが与えられたとたんに、目の前が晴れ渡り、宣言しました。「イエス・キリストの御名で命じる!サタンよ、出て行け!二度と戻ってくるな!イエス様の血潮には力があります!イエス様の十字架の死と復活により、私は罪から解放された者です!」目が開け、光の内を歩んでいる者であることを握りしめました。ハレルヤ!イエス様は勝利の主です。この中間の時代を生きる私たちのために、聖霊様が来られました。イエス様の御名で来られる聖霊様に祝福がありますように。
最後に…回を重ねるたびに深くなると感じる、参加各教会の牧師先生や信徒の皆様とのお交わりについて感謝を述べたいと思います。一つの大きな神の家族…愛し合い、仕え合い、祈り合い、笑い合い、励まし合ううるわしい時が与えられ、感謝します。主にあって楽しみと喜びにあふれたものでした。愛する兄弟姉妹に、各教会にご家族に主の祝福が大いにありますように、聖霊様が満ちあふれますようにとお祈り申し上げます。栄光在主

今年のデュナミス”霊の戦いへの備え”(5)ー教会がしっかり立っていくためにー

 今年のデュナミス”霊の戦いへの備え”(5)
 ー教会がしっかり立っていくためにー
 尾上聖愛教会 有馬由香里


 昨年に続いて、今年もデュナミスのセミナーに参加できました。今年の講義の題は「霊の戦いのための備え」。
{私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。}
 聖書がはっきりと教えてくださっています。サタンはなんとかして私たちをイエス様から引き離そうと攻撃してきます。私たちから喜びや平安を奪おうとやってきます。私たちは霊の目を主から開かれて、敵をみすえて、すべての上に立たれている権威あるイエス様の御名による祈りによって、勝利を宣言していきたいです。
 今回のセミナーには、尾上聖愛教会より、部分参加の方を含めて、十五名の者が共に参加し学びました。きっと各自、霊的渇きをもって、打ち破りを期待して臨まれたことでしょう。
 セミナーは聖霊様の満ち溢れている会堂の中で、其々の講師の方々のメッセージを有賀先生が、分かりやすく愛にあふれて通訳してくださいました。教会あげての、どれほどの準備と祈りが積まれたことでしょう。とりなしの祈りの大切さ、必要さを改めて教えられました。
 教会がしっかり立つために、律法主義や合理主義、ヒューマニズムそして文化に惑わされないように、識別することの必要さも教えられました。
 またイエス様との日々の祈りの親密な関係を大切にし、聖霊様の導きを求めつつ、光の中を歩み続けることは肉なる自分自身との戦いです。イエス様に喜ばれる者になりたいと願います。
{信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、あたらしいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。}
私はこのみことばを通して、いろいろなことを神様は体験させてくださいました。みことばの確かさをみせていただきました。
 私たちの住む日本はありとあらゆる偶像に満ち、人々は偶像に縛られています。クリスチャンでも、恐れ苦しんでいる方がおられます。私たちの意志や思いとは関係なく、幼いときから、親や親族によって神社や仏閣の偶像につれられて、祈願して来ました。思い出すすべてを神様のまえに悔い改めの祈りと共に、関わってきたすべての偶像からの断ち切りの祈りが必要です。先祖の罪とそこから来る呪いからの全き解放をうけとることを神様は望んでくださっています。
 私自身も、心あわせられる姉妹たちと十年以上も前になりますが、お互いに幼い頃からの偶像とのかかわりによる罪の告白をし、悪霊を追い出し、断ち切りの祈りをし、土台の回復の祈りをして、祝福と癒しと赦しの宣言の祈りをし合いました。
 今回のセミナーでは、チームを組むことの大切さを教えられました。チームを組んで、聖霊様に従って、悪霊からの解放を祈り合うことの必要さや力強さ、安心さを知りました。また守りのために背後の祈りが大切であることも。何をおいても愛によって。
 セミナーの数日後、私たちの教会で、一人の姉妹のために、祈ることに導かれました。姉妹の心にずっとある偶像とのかかわりからの、悪霊の追い出しをし、解放と喜びを体験され、共にイエス様の栄光を褒め称えあうことを実践出来ました。セミナーの学びを基にして。
{終わりに言います。主にあその大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。しっかりと立ちなさい.。---------感謝しつつ-----。




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