月報 2013 2月

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手束牧師の牧会四十周年を祝す(1)ー「神の時」は素晴らしいー

 
 手束牧師の牧会四十周年を祝す(1)
 ―「神の時」は素晴らしい ―
 馬道未寿


 私は、牧師先生が高砂教会に着任された当初からの教会員で、全てを見てきた数少ない信徒の一人として言わせて頂きますと、この四十年という期間は、一言でいうならば、「波瀾万丈」であったと思います。それは、教会が「社会派体質」から「カリスマ体質」へと変わっていったことにあります。「聖霊降臨」によって教会成長への道が開かれていく一方で、「カリスマ運動への非難・中傷」「教会分裂」など、困難の連続でありましたが、牧師先生は、「ヨシュアの如く」に毅然と対応し、切り抜けて来られました。
 特に思い起こされるのは、教会分裂の時、馴染みの兄弟姉妹が去って行く事に、私達は戸惑い動揺しましたが、手束牧師先生を信じて留まることができたのは、感謝なことです。神様は、その教会に必要な人材を集められて、「神の法則」に従って選び直しをされているのだと理解したのですが、それを納得するのに相当の年数がかかりました。時には牧師室に押しかけ、「それはどういうことですか」と詰め寄る事も度々ありましたが、牧師先生は大きな心で受け止めて下さり、そんな私をも教会のリーダーとして用いて下さいました。
 牧師先生が着任され暫くして、私は、「牧師先生が、大きな聖会会場で雄々しく説教され、多くの会衆が讃美と祈りを捧げ、神様を讃えている壮大な情景」の〝幻〟を見ましたが、四十年後の今は、まさにこの〝幻〟以上のことが興され、牧師先生による「聖霊刷新運動」は勿論のこと、「日本民族総福音化運動」更に「海外宣教」など、日本のリバイバルの拠点としての働きが、揺るぎなく進められています。ハレルヤです。神様のご計画による計り知れないみ業が、奇跡が、牧師先生を介して数多く成されたことを目の当たりにしてきた今、只々、牧師先生を信じて従って来れたことを感謝しています。
 旧約聖書、伝道の書第三章十一節では、
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。」
とあり、同じく第三章一節では、
「天が下(あめがした)のすべての事には季節があり、すべての業には時がある。」
と神様は語られています。神様がこの御言葉の如く、高砂教会と牧師先生とを特別に選ばれ、恩寵と恵みとを与えて下さったことにより、その時々に、牧師先生ご夫妻はじめ教職の先生方、兄弟姉妹方と共に体験することができ、感動の連続の四十年であったと感謝し、喜びに満たされています。
 牧師先生!これからも健康で、更に五〇周年、六〇周年を迎えられますように、ご活躍をお祈りしています

手束牧師の牧会四十周年を祝す(2)―カリスマ的信仰を教えて頂いた喜び―

 手束牧師の牧会四十周年を祝す(2)
 ―カリスマ的信仰を教えて頂いた喜び―
 寺田時雄


 私が手束正昭牧師先生に初めてお会いしたのは一九六九年四月です(いやそれ以前一九六五年に関西学院神学部で席を同じにしていた可能性もあります…)。当時は、高度成長期で母から受け継いだ稼業も順調に伸び、新たに大阪瓦斯の代理店を加え、飲食店と雑貨店を営んでいましたが。ある事情で、商売を整理し、私は関西学院大学神学部の編入生として、学びに専念することになりました。しかしながら、若さと驕りのため、整理に失敗し、最も望みのない雑貨店を家内と二人で再出発しました。やっと従業員が三人ほどになって、ほんの少しの明かりが見え始めたころでした。
 一九六四年から日本基督教団東梅田教会の家庭集会が教会の夕礼拝として認められ、近隣の人々が少しずつ集まって毎聖日に夕拝を開催していました。手束牧師先生が集会でメッセージされるようになって三ヶ月ほど経った時、参加者の仙石文江(視力障碍者の世話人であった)さんから手束牧師先生を主任の牧師先生に代えて専任としてこの集会の責任者としてほしいとの要望が上がりました。この事が実現した後、毎聖日夕方に宣教ビラを作り、携帯マイクを肩にかけ、一時間ほど出退勤の人々にまでメッセージをされました。そして私は、宣教ビラを道行く人々に配布したのでした。そのような中で、町の青年たちも救われていき、現在の日本基督教団大正めぐみ教会の礎を構築してくださったのです。
 一九八六年に出版された『キリスト教の第三の波』、この著書の素晴らしさは、第一章歴史的効果、第二章実践的展開、第三章神学的特徴と三区分されていることです。現在私はこの事の解明を求めて神学校で学んでいますが、特に第二章の「18日本教との戦い」で「カリスマ運動は聖霊と言う普遍的神の霊が日本教と言う民族的霊との厳しい対決を経て、聖書の信仰を日本において確立する道を…主にある真の希望へと続く闘いなのです」と論述していますが、これほどの論述に神学を専攻される教授たちが、研究に着手しようとしないのです。なぜなら、ここで論述されているカリスマ信仰がキリスト教をなによりも霊の宗教であり体験の宗教であると言うキリスト教の基本原理に立つために、仕事にならない、お金にならないとの判断が強く働いているからではないかと気付かされています。このためにもわが教会が実施している礼拝と早天祈祷において与えられる上からの知恵と力、それは信仰と希望と愛を発揮して、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝して共にいてくださる神を認識することではないかと思わされています。そして上よりの恵みをしっかりと握りしめて、日本救済の松明の教会を手束牧師先生と一体となって建てあげることが私たちの真の喜びとなって生かされるのではないかと深く考えさせられています。
 次に私が感謝することは、牧師先生から直接に受けた事柄です。①牧師先生は〈知恵〉を語られることです。知恵ですから語られる言葉は明らかです。しかしながらこの知恵は聖霊が語られた言葉なので、私たちには理解が出来たように思えて、ああそうですか解りましたで済ましてしまう危険性があることです。②牧師先生にご相談しても答えが返ってこないのです。これにはほとほと困りました。しかし今は違います。真の問題解決は、上からの知恵、内住の聖霊様による理解が得られるまで祈って待つということです。この歩みは神が私たちと共にいて歩んでくださるのです。勇気と力と信仰と希望ある回答を持つのです。そして発揮できるのです。③異言を正確に語るように、それは上からくる言葉である、とのご指導がありました。この事を意識することで自分の語る異言が解釈出来るようになっていったのです。「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう」(ヨハネ六・五一)。なんと素晴らしい信仰に生かされていることか。神と牧師先生と教会の諸兄姉に心から感謝します。

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