月報 2013 7月

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『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』を評す(1)ー良書というより快書、否むしろ、恩書であるー

 『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』(1)
 ー良書というより快書、否むしろ、恩書であるー
 元カネボウ特別顧問 大門英樹

 手束正昭師は、年来、明快にして首尾一貫した見解をお持ちである。改めて紹介するまでもないことと思うが、「キリスト教は、聖霊の宗教である。聖書の真の執筆者は聖霊様なのだ。したがって、聖霊に満たされて拝読しなければ、聖書を体得することはできない。」というものだ。この主張は、対象を伝道者においた著書にみられるのだが、このたび対象を日本および日本民族にむけて“警鐘”を鳴らす一書をまとめられた。
 わたしは一読して三嘆した。本書を推奨するに当たりもう一度精読してみて、“困ったなぁ”との思いがつのってきた。「紹介」という手軽なことでは納まり切れないものが充満しているからである。とは言え、困りつつも総括すれば、つぎのようになるであろう。
 本書は―「構想壮大なる書」「憂いの書」「愛あふるる書」「救国の道標を明示する書」「覚醒を促す書」「真正に帰れと訴える書」そして「希望の書」である、と。
 本書には随処に歴史事実の引用がみられる。一つの「事実」には、必ず相反する二つの視点が生じる。偏見と執着は、相対性と有限性と特性とする人間の宿命ともいえよう。本書には、適正な解釈はこうすべきではないかと著者の体験にもとづいた見解が述べられる。こうした姿勢は本書を一貫している。ここに、わたしは手束師が具えている誠実な歴史観をみる思いがする。そして著者は、とりあげたテーマについて必ず解決策を出し、希望を語りかけてくれる。
 あるテーマについて、わかりやすく「解説」する。つぎに、その件をどう「解釈」するのが適切であるかを述べる。と共に、「解決策」を具体的にさし出してくれる。
 わたしは、われながら読書量が多いほうだと自負しているが、本書にみられるような「解説と解釈と解決」がそろった著述は、極く少ない。という点では、本書は「希有な書」といわねばならない。
 大部(468ページ)ゆえ読み了えるには骨が折れるが、たとえ二、三本骨が折れても、新しい“視座”と“救い”が与えられた充足感という報酬にくらべれば、ものの数ではあるまい。
 「タイトル」にもあるように、この書は著者の「日本宣教論」である。お読みいただくと、すぐにお判りになるが“わたしは日本でいかにキリスト教を宣教したか、または、いかに宣教に苦闘したか”といった類書によくみられる記録と告白ではない。あくまで主題は、日本民族が根本から覚醒する妙策が一つある、それは「聖霊」を受けた伝道者が着実に増えることであるということだ。
 まことにシンプルにして不動の信念の提言である。と共に、日本民族の誇りと自尊の精神をとりもどすための事例が列記され、ありがたいことにまたしても解決策が提案されている。「救国の書」とわたしがよぶ所以はここにある。
 わたしが印象を深めた箇所をとりあげて所感を述べたいところだが、あまりにも多くて、それだけで紙面が尽きてしまう。四カ所のみにとどめさせていただく。
(1)〈…協議会の中には私の論に同調する人もいるであろうし、異論を唱える人も出てくるであろう。…要は、何としても、日本民族が、日本の国家が、全体として救われ、世界に対して貢献できる民族、国家になることこそが共通の願いなのであるから〉(16ページ)。
つづくページで、手束師は日本の現状を「憂い」(実は「憂い」は「愛する」ことと表裏一体である)、「救国」の道標を展開してくれる。本書の特長は「診断」するだけでなく「処方箋」が明確になっていることである。
(2)〈よく“聖霊によるバプテスマ”ということと“主の油注ぎ”ということが混同されることがある。…“主の油注ぎ”は神御自身がある人物に特別な使命を託そうとして、そのために必要な特別な力と権威を賦与することである〉(457ページ)。
このくだりは、わたしの関心を強くひきつけた。実際に一度、“油注ぎ”の栄に浴したいものと願っているのだが。つづいて重大な発言につながっていく。着目していただきたい。
〈そして、この“油注ぎ”によって、ナザレのイエスの人生は正に大転換を迎えることになったのである。このことは、牧師が地上において神の働きを担っていく場合にも“油注ぎ”が必要であり、これにより地上にあける伝道の業、教会成長の復興は飛躍的に前進していくことを暗示している〉(458ページ)。
〈聖霊体験をしないで、聖霊の 生きた働きも認めずして、牧師になっている人達が大勢いる。これでは日本の伝道が進まないはずある。これでは“宣教”という言葉を使いながら、福音を伝えることもせず、社会運動に血道をあげて「自分たちは伝道している」などと平気で嘘ぶくはずである〉(459-460ページ)。
 手束師の憂いの深さおよび義憤の強さが伝わってくる文章ではないか。
 手束牧師の文章を総点検してみたい。師の著書は本書を含めて三冊読んだだけであるが、その文章表現にはいくつかの特長がみられる。古来「文は人なり」という。(芥川龍之介は『朱儒の言葉』において「人は文なり」と言っている。この言も含蓄深きものがある。)
 意味はお判りと思うが、「その人がどんな見方、考え方、感じ方、そして究め方をしているかをみきわめるには、その人に文章を書いてもらうことである」と。脳科学の第一人者・故時実利彦(元東大教授)氏は“人の思考力と創造力を鍛えるのに最も効果があるのは、文章作成力を訓練することである”(『人間であること』岩波新書)と断定している。要は、その人の文章には、「思考力」と「創造力」がもろにあらわれるということだ。
 さて、手束師はいわゆる「名文家」というのではない。むしろ「達文家」というべき人であろう。達文とは「達意性のある文章」(わかりやすい文章)のことである。作家・故井上ひさし氏は、名言を遺して逝かれた。『むずかしいことをやさしく/優しいことを深く/深いことを面白く』この言が達文の何たるかを端的に示してくれている。手束師の文章はこの要件を満たしている。おそらく、師の文章力は天成の資質であろうと思われるが、加うるに「聖霊体験」によって資質に磨きがかけられたのではなかろうか。
 ビジネス社会に「達文作成の必須条件は3Cである」と認定されているルールがある。アメリカの文豪・故ヘミングウェイが自ら文章作成の黄金律として尊重していたことでも知られている。
 Concise(簡潔性)
・思考がよくまとまっていない人は冗長な文章を書くようである。
Clear(明瞭性)
・達文は「あいまいさ」を嫌う。一義性(一つの意味しかもたない語)のある語でストレートに主旨を述べるのをよしとする。
Concreate(具体性)
・抽象度の高い表現は、読者の共感が得られない。牧師の著述には、「愛」や「救い」や「美」や「真理」などの抽象語が多用される傾向がみられる。読者は、抽象画より具体画を好むものである。
実は、この原則は読者の立場から編み出されたものなのである。いわば読者が心地よく感じる文章は、すべて3Cがそろっているといっていい。
 読み手は、忙しい日常のなかで、果して冗長な表現と不明瞭な文言と抽象度の高い内容のものを好むであろうか。
 手束師の書くものには、3Cがそろっている。本書はわたしの「恩書」である。良書は「面白い本」と「考えさせる本」に分類される。この二種に共通なのは「有益である」ということ。本書は明らかに後者に属する。
 そこで、良書とは何か―わたしはこう考える。
(1)まず、著者の志が問われる。「どうしてもこれだけは書かずにいられない」とのやむにやまれぬ志を持っているかどうか。
(2)読者が、もう一度読んでみたいと思わせる知識・知恵・情報が盛りこまれているか。
(3)他人に推奨したいと思わせる魅力があるか。
 条件は他にもあると思うが、いま挙げた三項目をじっと見ているうちに、本書は「良書」というより「快書」と称したほうが良いようだと思えてきた。実は、わたしにとっては「恩書」といいたい。本書に、わたしは「学恩」を感じたからである。人に「恩人」、学問に「学恩」があるように、書物に「恩書」があってもよいと思う。ただし、この語は「辞書」には載っていないので、念のため―。



『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』を評す(2)ー日本人を自虐史観から解放する書ー

『日本宣教の突破口―醒めよ、日本』を評す(2)
 ー日本人を自虐史観から解放する書― 
 レムナント出版 久保有政

 手束正昭先生の本は手当たり次第読みあさってきた私ですが、先生の新著『日本宣教の突破口』はとくに読み応えのある本でした。以前から、「このような内容の本をリーダー的伝道者が出版してくれないものか」と思っていましたが、手束先生が出して下さったということで、本当に喜んでおります。先日も私の友人たちを呼んで、「おいおい、手束先生がこんなことを書いている!」と説明したところ、みな驚き、喜び、感動を隠しませんでした。
 先生は本の中で、「キリスト教は日本人の民族的アイデンティティを支える柱とならなければならない」と書いていらっしゃいます。私にはその意味がよくわかります。というのは、私は長い間「自虐史観」の持ち主でした。共産党の宣伝カーから聞こえてくる「日本は悪い国だ。侵略国家だ」との声、またいろいろな方々から同様のことを聞いて、「日本は悪い国だ」と思い込んでいたのです。今から思えば洗脳されていました。そのために私の日本人としてのアイデンティティは、ずたずたにされていたのです。
 しかしある日、私は「そう思い込んでいるけれども、今まで自分でちゃんと調べたことはないじゃないか」と思いました。それで1937年当時の新聞を調べてみたのです。日本軍が中国の南京を攻略し、そこを占領したときの記事です。
 そこにはたくさんの写真入りで、詳しく報道されていました。日本軍の南京占領の数日後には「平和よみがえる南京」「昨日の敵に今日の親切」といった特集記事も掲載されていました。日本兵が武器も持たずに、南京の商店街を歩き、中国人商人から物を買っている姿、また日本兵がおもちゃを使って中国人の子どもたちを喜ばせ、そのまわりで中国人の親たちが笑っている姿、また日本の衛生兵が中国の傷病兵を看護している姿、そうした写真がたくさん掲載されていました。
 それらはすべて、私が聞かされてきた事柄と全く違う光景だったのです。日本の新聞だけではありません。ニューヨーク・タイムズや、ノースチャイナ・デイリー・ニュース(イギリス系)など外国の新聞も調べました。南京占領から約2ヶ月後くらいまでいろいろ調べました。しかしそこには、日本軍が南京市民に食糧やお菓子を配り、南京市民が喜んでいる姿、またカメラマンの前で南京市民が笑顔で応えて赤子と共にポーズを決める姿などがあったのです。
 「南京では日本軍による30万人の大虐殺があったとか言われているが、事実はなんと違うことか」と思いました。日本軍が南京を攻撃する直前の南京の人口は約20万人、それが南京占領の約1ヶ月後には25万人に増えています。日本軍が南京市民25万人に食糧を配ったという記録もある。5万人もの南京市民が戻ってきたのです!
 言うまでもなく、人は大虐殺のあった所に戻ったりしません。しかし「南京はいま日本軍が統治しているから安全だ」といって多くの南京市民がカバンを持ち、ぞろぞろと列をなして戻ってきたのです。南京に帰った農民は畑を耕し始め、商人は道ばたで商売を始め、道ゆく日本兵らと談笑しました。そうしたたくさんの写真入りで、詳しく報道されています。
 南京の日本兵に全く落ち度がなかったわけではありません。市民への盗みやレイプなど数十件程度の犯罪はありました。しかし、それらはどこの国の軍隊にもあるようなものであり、彼ら犯罪者は厳しすぎると言われたほどの処罰を受けたのです。
 じつは、ひどかったのは日本軍ではなく、むしろ中国軍でした。当時の中国軍というのは、ルンペンの寄せ集めのような軍隊で、若い男をみれば拉致して兵隊にする、若い女をみればレイプする、民間人をみれば略奪する、そんな盗賊のような人々でした。だから中国軍が南京にいたとき、どれほど南京市民が苦しんだか、それを多くの市民が証言しています。
 また中国軍は、負けがはっきりしたとき、軍服を脱いで逃げ出しました。南京城外に出た中国兵は、そこにいた「督戦隊」(戦場から逃げ出す中国兵を背後で撃ち殺す中国兵)に撃ち殺されました。それを避けようとした多くの中国兵たちは、南京市民を殺して民間人の服を奪い、市民の中にまぎれこみました。そうした光景をエスピーというアメリカ領事その他が目撃しています。中国兵が中国人を殺したのです。
 そんな状況でしたから、日本軍が南京への入城式を行なったとき、これでようやく安心だと、南京市民はみなバンザイをして喜んだのです。もしウソだと思われるなら、当時の新聞をご覧になれば、はっきりわかります。
 南京戦のあと、日本軍は中国側のすべての死者の埋葬を「紅卍会」という中国人グループにゆだねました。お金を払って埋葬してもらった。埋葬された死者数は約4万人。その際、埋葬された者の性別と、大体の年齢が記録されました。女・子どもの割合はわずかに全体の0.3%だった。しかもこれは病死者も含んでのことです。もし日本軍による大虐殺があったのなら、男女の比率は半々くらいになるはずです。しかしそうなっていない。つまり彼らは大虐殺ではなく、戦闘で死んだ中国兵なのです。また、先ほど述べたように中国兵は民間人に化けるために民間人を多数撃ち殺し、その服を奪いましたので、その犠牲となった中国人男性たちも含んでいます。
 さらに南京戦のあと、スマイス教授というアメリカ人が、民間人の犠牲者数を調査しました。その数約6600人。しかしこの数は、「誰が加害者だったか」を特定したものではないのです。加害者は日本軍ではありませんでした。民間人の服を奪おうとした中国兵が多数の民間人を殺したのです。
 私はこうした事実をふまえ、「(日本軍による)南京大虐殺は捏造だった」と題してインターネットに発表しました。日本語と英語で出しました。しかし、なんとか中国語でも出したいと念願していました。そうしたら、この前いろいろサイトを見ていると、なんと、もう出ているではありませんか。私の文章が中国語に翻訳されて出ていた。どうも中国の民主化を求める中国人が匿名で訳してくれたらしいのです。私は主をあがめました。「中国共産党は嘘つきだ」と知っている中国人も多いのです。
 手束先生の本には、こうした南京でのことや、いわゆる教科書問題、韓国が押しつけた歴史認識、日米戦争、その他いろいろ書かれています。なぜ、こんな過去のことを今さら言うのでしょうか。それは今も自虐史観が日本人をむしばんでいるからです。教会をも、むしばんでいます。自虐史観が、日本人に対する神の愛をわからなくしてしまっています。
 教会の役目は「日本は悪い国だ」と言うことではありません。「日本は神に愛された国です!」と伝えることこそ、じつは「日本宣教の突破口」となるのだ、ということを私は先生の本を読みながら強く思わされた次第です。
 近代史をみると、日本は素晴らしいこともたくさん行なってきています。キリスト教会は歴史の真実を率先して人々に伝えながら、福音によって人々のセルフ・イメージを健全化していくべきでしょう。そのためにこの本は多くのヒントを与えてくれます。私は読みながら、目からウロコがぼろぼろと落ちました。ひとりでも多くの方々がそのような体験をなさることを望み、祈っております。




『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』を評す(3)ー『侵略国家』意識の克服が鍵ー

 「日本宣教の突破口―醒めよ日本」を評す(3)
 ー日本再生のために『侵略国家』意識の克服が鍵ー
 元カネボウ薬品社長 三谷康人


 『日本宣教の突破口』の本ほど、読み応えがあり,私の考え方に大きな示唆を与えた本はありません。
 台湾から始まり,洗脳の原点—東京裁判の欺瞞,洗脳の徹底としての「ウオー・ギルト・インフォーメイション・プログラム」等,初めて知った驚くべき内容でした。特に,マッカーサーの米国・上院、軍事外交合同委員会での発言で、アメリカの占領政策の本音を知る事が出来ました。 その内容は『日本国民が誇り高い民族であることは、この戦争で恐ろしいほど分かった。従って我々アングロサクソンが日本人の為に『ある種の神学者』にならなければいけない。それは日本人から根本的に,『愛国心』を取り除くことである。すなわち我々は日本に対し、『精神的武装解除』をしなければならない。・・』(406〜7頁)
 更に教科書の歪曲による洗脳教育が加わり,今や、次の文中にある様な、卑屈な日本人に成り下がってしまっています。
『戦前の日本がしたことはオール悪であり,戦前の日本は醜い“侵略国家”であり,どうしようもない“犯罪国家”であったという罪悪意識の強烈な刷り込みである。そこから、殆どの日本人は日本の過去の歴史や伝統に対してマイナスのイメージを持つ様になり,これを軽視していくようになった。そしてひたすら,欧米文化の崇拝と「侵略した」と訴えられた近隣アジア諸国に対する謝罪外交(土下座外交)をなす様になり,日本という国、日本人である事に誇りと自信を失うという,いわば“骨抜き”になっていったのである。「誇りなき国は滅びる」と言われている。』 (78〜9頁)              
 私は次の2つの事からも,我々日本人が如何に、事実を知らされないで卑屈な罪責感の国民になっているかを深く思わされたのであります。

1)2013年7月15日の日本経済新聞記事・・グロバルオピニオン欄(4頁)
 『対日観、中韓と東南アで差』米調査会社ピュ・リサーチ・センターが、2013年3月から4月にかけ実施した調査によると、アジア太平洋では日本のイメージは概ね良好で,7ヶ国のうち5カ国の国民が日本にきわめて好意的だった。回答者のうち日本に良い印象を持つ人の割合は、マレーシア、インドネシア、フイリピン、オストラリアでそれぞれ約8割り達した。一方,日本に反感を示した回答者は中国の90%、韓国で77%だった。・・・韓国人の98%と中国人の78%は日本の謝罪は不十分だと考えている。だが,インドネシア人の25%、マレーシア人の40%は日本の謝罪が必要だと感じない(略)。
 此れ等の国は長い間続いてきていたイギリスやオランダ等の厳しい搾取から、日本のお陰で独立が出来たと感謝しているからです。それでも日本人の多くの人々は太平洋戦争が「侵略戦争」だと言えるのだろうか。

2)台湾の李登輝総統の書いた『最高指導者の条件』(2008年3月3日発行・PHP研究所)の中で,次の様に日本統治の事を述べています。
「古きよき日の輝かしい日本の伝統に触れられた事を感謝しているのは、私ばかりではない。当時,私と同じ様な環境にあった台湾人は、みな大なり小なり「台湾の今日あるのは日本のおかげ」と感謝している.(72頁)
 日米の大学で学んだ彼は、「アメリカの教育は現象をとらえるだけの表面的なものだ。根本的に教養を養い、精神的な価値を考えさせられたのは日本の教育である.」と(147頁)
 同じ様に統治した、韓国と台湾での日本評価は、天地の開きがあります。特に韓国はエスカレートする反日教育と感情的に激し易い民族性が一因ではないのだろうか。
 今こそ、日本の良き伝統を再確認し、教育改革を通して世界に貢献出来る日本を作って行く時だと思いました。                     
 この本は正しい歴史認識のため、広い視野、深い考察、徹底した事実の裏づけの追求をされました事、感謝致します。先生の日本への熱い思いを強く感じました。有り難うございました。



『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』を評す(4)ー福音伝道の脱・植民地主義化を目指す書であるー

 『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』を評す(4)
 ー福音伝道の脱・植民地主義化を目指す書であるー
  日之出キリスト教会牧師 神戸大学教授 行澤一人


1 「福音を伝える」ということは、単に宗教的使信を情報として伝達するということではない。むしろそれは聴く者に深い認罪を呼び覚ましつつ、無条件で圧倒的な神の愛を悟らしめ、キリストへの全面的な人格的委任を促す神のわざであり、その意味で聴く者の人生を根底から揺さぶるものである。それゆえに、人は福音に直面するとき、大いなる心の不安と内なる葛藤にうち悶えるのである。だからこそ福音伝道には何の政治的・歴史的・文化的負荷もかけるべきではなく、福音それ自体がストレートに人の心に伝えられなければならない。  
2 にもかかわらず、戦後60年以上にわたって、日本の福音伝道は、あたかもキリスト教への帰依はアメリカの支配を受け入れることであり、否定されるべき戦前の悪と罪から抜け出して、新しい「日本人」として生まれ変わることであるかのように展開されてきた。そして多くの日本人にとって、クリスチャンになるということは、アメリカの描いた世界秩序と文化的枠組みを受容することだと受け取られてきた。このような前提は、あまりにも自明のものとして受け入れられてきたので、もはや日本人クリスチャンでさえも自覚し得ないほど、深くその無意識のうちに沈み込んでいる。これでは福音そのものが日本人の心に届かないわけである。なぜならこの負荷を背負わされた福音を受容することは、すなわち日本人としての精神的植民地化を意味するからである。それは、種々の利益を享受することと引き換えに、アメリカ帝国の属州民(平たい顔族?)として 忠実に生きることを選ぶことに他ならないのである。
3 本書は、なぜ、かくも徹底的に、戦後日本の福音伝道が「アメリカ支配」という深刻な負荷を背負わされてしまったのか、という問いに、懇切丁寧に答えるものである。もちろん、本書が執筆されたのは、決して戦前日本を賛美するためでも、先の大戦を美化するためでも、日本の罪を免罪するためでもない。本書に通底するものとして評者が感じるのは、福音を福音たらしめたい、愛する同胞に素晴らしいキリストを掛け値なしに伝えたい、という著者の宣教的情熱である。また、本書は、日本人としての誇りそれ自体を回復することを目指すものではなく、キリストにあって、福音こそが、日本人に真のアイデンティティを回復するものであることを訴える。それは戦後日本人の複層的に鬱屈し、幾重にも反転して傷ついた自己意識を、福音こそが解放するという使信なのである。
4 本書が特定の歴史観に著しく偏っているというありがちな批判は的外れである。なぜなら、歴史観とは特定の視点と目的に導かれた「物語」であり、その視点の設定の仕方いかんで、同一対象についての記述でありながら、複数の異なる歴史が描かれ得るからである。もちろん、その歴史記述が客観的な資料批判に耐え得ないような不正確でインチキなものであれば論外であるが、そうでない限り、どのような歴史観も成立するのである。問題は、視点の設定の仕方が相互に異なっているということである。
本書の意図は、自らのアイデンティティを見失い、深い自己喪失に苦しむ同胞に対して、真の悔い改めへと至る神の慰めと励ましの物語として日本の近代史を再解釈することの可能性を提供することにある。故に、本書の歴史観への批判者は、この視点の置き方の妥当性をこそ論じるべきであって、ただに歴史観が偏っているなどという批判は、自らを正統史観の保持者と自負する者の独善的言辞としか言いようがない。あるいは、日本人はアジアの近隣諸国に対していつまでも謝罪を続けるべきだという結論を導く歴史観に拠って本書を批判する者は、本書による宣教的視座の設定が聖書的・神学的に誤っていることを論証すべきであろう。




『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』を評す(5)ー現在の己の立ち位置を問う刺激的な書ー

 『日本宣教の突破口―醒めよ日本―』を評す(5)
 ー現在の己の立ち位置を問う刺激的な書ー
 毎日新聞記者 毎日文化センター広島館長 鈴江康二


 この原稿を春から赴任した広島の地で書いている。今年は原子爆弾が米軍によって投下されてから68年になり、8月6日に向けて広島では例年同様に各種の祈念行事が開催される。このような時期に、手束正昭牧師の新刊『日本宣教の突破口―醒めよ日本―』の書評を依頼されたのだが、光栄に思いつつも、いささか荷の重さも感じている。
 というのも、手束牧師が著書の中で指摘する、米国による洗脳工作の結果として出来上がった戦後民主主義の枠組みの中で、評者も若いころの人格を形成してきたからだ。つまり、この書評を綴るという行為は、現在の己の立ち位置を問われることに他ならない。
 その意味で、教界において誰もが触れたがらない事柄に、手束牧師があえて取り組まれたのは、日本でのキリスト教宣教の現状への強い苛立ちがあるからだろう。そして、評者以上に戦後民主主義の中で生きてきた手束牧師ならではの、実際に生きてきて、行動し、考えたことから生まれた書物なのだと思う。
 本書で述べられているように、確かに日本人の中には他国民に対して何かしら胸を張ることのできない劣等意識があるように思える。それは先の第二次世界大戦で他国の領土に軍隊を送り、そこに住む人々の人権を蹂躙したという負い目があるからだ。その過去に正直に向き合おうとすればするほど、自己否定に行き着くことになった。
 けれど、そのような歴史観そのものが戦争の勝者・米国によって巧みに誘導されたものであったとすれば、我々はその呪縛から一度解き放たれねばならないし、欧米の価値観をリベラルで優れたものとして受容してきた戦後民主主義や日本のキリスト教界のあり方を見直す必要がある。
 手束牧師が台湾やインドネシアで聞いた「日本は謝罪する必要はない」という現地の人々の声を、評者も中国や韓国を除いたアジアの国々で耳にしたことがある。
 私事で恐縮だが、評者は30代のころベトナムの首都ハノイに留学したことがあり、1940年代の日本とフランスの二重統治時代について関心を持った。いわゆる「南部仏印進駐」というマレー半島進撃に向けての仏領インドシナ全土の兵站基地化が、ルーズベルト大統領を激昂させ、日米全面戦争が必至となった。けれど直接の戦場にならなかったベトナムで静謐は保持され、蒋介石政権に近い華僑を除いて日本への感情は比較的悪くなかったとされる。
 それでも1944年から翌45年にかけて、北部ベトナムで「200万人の餓死者」を出したと、ベトナムの教科書は伝えており、ここでも中国同様に「日本ファシストを打倒した共産党の正統性」を強調する愛国教育が行われている。実際には日本の食糧徴発と並んで、天候不順により北部で凶作が起きたことが大きいのだが、それに加えて南部の穀倉地帯メコン・デルタから北部へのコメの輸送が、米軍の空襲や機雷封鎖によって思うに任せなかったことや、フランス側の撹乱工作があったとも言われる。
 しかし、このことはホー・チ・ミン率いるベトミン(ベトナム独立同盟)にとっては革命の好機であり、「日本ファシストを討て」というプロパガンダが奏功した。8月15日の日本の終戦に合わせてベトミンは全土で武装蜂起し、9月2日にベトナム民主共和国の建国が宣言された。その宣言は米国情報機関の肝いりで作られたとも言われる。そして英米の後ろ盾でフランスがインドシナに復帰し、以前と違わない植民地支配を継続しようとした。アジア各国が独立を勝ち取る中で、唯一ベトナムだけが東西冷戦下で代理戦争の舞台となった。その最大の地政学的な理由は1949年の中華人民共和国の成立であった。毛沢東はベトナムを局地戦争の舞台とすることで、中国本土を防衛した。その結果ベトナムでは、1945年から1989年までの長きに渡り、フランス、米国、カンボジア、中国と対戦国は代わっても、戦火が絶えることがなかった。「歴史にイフはない」という言葉があるが、民族独立と南北統一という悲願の達成の影で、未曾有の犠牲者を出したベトナムの現代史を評して、「アメリカ帝国主義を打ち負かした」などと言って無邪気にはしゃぐことはできない。どうしても「もし、あの時こうしていれば……」と思ってしまうのだ。
 今から15年ほど前に、評者は米国西海岸のある町で一人のベトナム老人と出会い、その話に耳を傾けたことがある。日本軍がハノイにやってきた時に、彼は日本語を学ぶ決心をした。彼にとって日本軍はベトナムからフランスを追い出してくれる「大東亜」の盟主に映ったからだ。そして憲兵隊の通訳に採用され、寝食を共にした若い補助憲兵と友情を育んだ。敗戦によって武装解除された日本軍が内地へ帰還した後、共産主義者の追及を恐れ、彼は南部に逃れた。そして南ベトナム政府の裁判官という要職にまで上り詰めた。けれどベトナム戦争が1975年4月30日の「サイゴン陥落」によって終結した後で捕らえられ、再教育キャンプに6年弱収容された。ようやく米国に政治亡命できた時は、すでに体はボロボロであった。評者はその頃に出会ったのだが、彼は「教育勅語」や「八紘一宇(はっこういちう)」と上手な漢字で紙にしたためた。そして「かつての友人を探してほしい」、そう評者に頼んだ。元日本軍の補助憲兵は岐阜県で存命であった。問い合わせを受けた時に日本の老人は、「ベトナムのことだな、そうピンときた」と話した。 
 このような評者なりの体験があって、手束牧師と同じように大東亜戦争の実相がいかなるものであったのか、それを探りたいと思った。ベトナムでは大川周明博士に薫陶を受けた日本人の老人とも出会った。その人物は、北部仏印進駐以来、軍属としてフランス語通訳官を務めながら、ベトナム民族主義者たちと接触し工作してきた。「大東亜」を信じる彼は戦後もベトナムに渡り、南ベトナムと日本の戦時賠償の橋渡し役を担った。
 いささか書評という領域を越えて、評者の体験談に偏ってしまったが、手束牧師『日本宣教の突破口』第1章から第6章までを読んで、今さらながら歴史認識の重要性について考えさせられた。正直言って、まだまだ戦争の勝者・米国が「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」で植えつけた罪責感から自由になってはいないのであるが、手束牧師が指摘するように、「健全なセルフ・イメージが健全な信仰を生む」ということは確かだと思う。戦後の高度成長期にみられたエコノミック・アニマル的な日本人は鳴りを潜めたものの、米国の強大な核軍事力の傘の下で安穏とし、「黄色い白人」としてアジアを見下してきた戦後の一部日本人の醜い姿を思い起こす時、第6章に収用されたマラヤの独立運動家ラジャー・ダト・ノンチックの詩を読んで、反省しつつも大いに励まされた。
 「日本のキリスト教会はマルクス主義者のように戦前の日本を批判し責めるのではなく、人類の歴史を大きく転換させるために莫大な犠牲を払った日本という国を誇りに思い、そこにキリストの贖いの死の雛形を指摘し、評価すべきである」(376頁)。そして日本基督教団の戦争責任告白とそれに連なる社会派が教団を支配した「荒野の40年」。教団内においても「日本人の罪意識とそれに伴う低いセルフ・イメージ、更にはそれがもたらす道徳的頽廃」があった。評者もかつては社会派が正しいと思っていた。しかし、教会から信仰が消え、「造反有理」が幅を利かし、社会運動の拠点と見紛う状態が続くに至って、何かが違うと思った。伝道はいやしいこととされ、教盛の衰えにつながった。メインラインの神学校は学生運動でその存立を問われたはずなのに、相変わらず欧米神学を金科玉条とする。社会派や伝道派を問わず、教界全体に妙な名門主義がはびこりパリサイ化している。そこでは生き生きとした聖霊の臨在が感じられないのだ。
 このような事実を踏まえた時、手束牧師が指摘するように、かつて内村鑑三が唱えた「二つのJ」(JesusとJapan)を、どのように結んでいくかが重要だと考える。『文明の衝突』の中でハンチントン教授が、いずれの文明圏にも属しない孤立文明国と分類した日本。この日本にマッチしたキリスト教のあり方が模索されて然るべきである。評者自身まだまだ戸惑いばかりが多いのではあるが、手束正昭牧師が提示した『日本宣教の突破口―醒めよ日本―』は、刺激的な書であった。                






日本キリスト教団 高砂教会  
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