月報 2013 9月

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一味違った今年の修養会(1)ー素晴らしい主の約束の幻を与えられたー

 一味違った今年の修養会(1)
 ー素晴らしい主の約束の幻を与えられたー
 冨 尾 佳 子


 今年の修養会に参加できたこと、心から感謝しています。
 昨年は、仕事の都合で参加できず、参加された方達の恵みの話を聞いて、とても羨ましくなり、次回は何があっても参加したいと思いました。なので、修養会が近づいてきた頃から、「修養会に参加できますように!」「仕事などの妨げがありませんように!」と、毎日祈っていました。すると、八月は有給を希望日にとれる事となったのです。まっさきに八月二十三日、二十四日を希望しました。祈りは聞かれる!!と、神様の恩恵を受ける事が出来ました。
 いよいよ、修養会当日を迎え、何が起きるのか?どんな事をするのか?忘れ物はないか?などなど不安がありました。でも、きっと主は喜びあふれさせてくださると信じ、期待して臨みました。
 初日、スティーブン・ケイラー先生の話を聞き、健康な教会とは何なのかを学ぶ事ができました。とてもわかりやすく、もっと話を聞かせていただきたいと思いました。
 その夜、私はワーシップドラマーとして奏楽奉仕をさせていただきました。初めての修養会参加で、このようなチャンスをいただき心から感謝です。練習の段階では、初めての曲もあってなかなか合わせられず、どのように演奏しよう?と、悩んでしまいましたが、小森先生が「最高の賛美者であってほしい」と言われました。その言葉を聞いた事で、「私は賛美者なのだ。ただのドラマーではない。神様の事が大好きだと、ドラムの一音一音に私の感謝の気持ちを込めて賛美ができる!なんて幸せなのだろう」と、思えました。その瞬間にスイッチが入ったかのように、ドラムを演奏する事が、奏楽チームと一致して音楽を奏でる事が、楽しくて仕方なくなりました。あのような感覚は初めてでした。あの時、まさに私の身体を使ってイエス様がドラムをたたいていたのだと思います。これからも、ワーシップドラムを演奏する時、主と共にいて、奏楽チームと一致して心から楽しみ感謝して演奏していきます。全ての音を主に感謝して捧げていきたいです。
 二日目の夜、聖霊のバプテスマを受ける事ができました。手束牧師先生が私に触れた瞬間!!私の身体から一気に力が抜け、気がつくと床で号泣していました。起き上がろうとしても身体に力が入らず、涙は止まらず、ひたすら異言で祈っていたのです。しばらくすると、小西姉が私に触れて祈っていてくれました。それがとても心地よくて、いつの間にか笑っていました。又、東根姉に「いま、よっちゃんが両親と教会に行っているビジョンを見せられたよ」と言ってくれました。私自身、按手の中で何かの映像のようなものを見ていた気がしたのですが、すぐにはわからず、冷静になって思い返していると、父と教会の階段を手をつないで上がっているビジョンが急に見えてきたのです。不思議でたまりませんでした。主はご存知だったのです。私が一番願っている事を見せてくださったのです。
 両親はクリスチャンに対し偏見を持っています。クリスチャンになる事は猛反対…その為、私は、まだ洗礼を受けた事を家族に告げる事が出来ていません。告げられていない事で、自分を責めてしまいそうになる事もあります。しかし主は、責めるわたしに「大丈夫だよ。そのときはちゃんと用意しているから、まかせなさい。」と語ってくださったのです。そればかりか、父と一緒に教会に行っているビジョンまで見せてくださったのです。安心して、『その時』を持てます。喜びを持ってイエス様の事が大好きなのだと語る事が出来るよう、祈っていきます。そして、私の家族みんなが救われるよう、一歩一歩焦らずイエス様と一緒に歩んでいきたいと思います。
 使徒行伝 一六・三一の「ふたりが言った、『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』」。この御言葉に支えられています。
 この三日間、神様の栄光・素晴らしさ…言葉では言い表せられないほどの恵みを受けさせていただきました。イエス様に愛されている事や教会の家族である事を実感し、ますます感謝の気持ちが深まりました。兄弟姉妹の暖かさに触れ、私も教会の身体の一部として使命を持ち、イエス様のように、兄弟姉妹方のように、良い働き手となれるよう成長していきたいです。







一味違った今年の修養会(2)ー「キングダム・ビルダー」になろうー

 一味違った今年の修養会(2)
 ―「キングダム・ビルダー」になろう―
 川 鍋 朝 美



 「このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び,その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。」 (詩篇一・三)

 ときどき、どうして私は幼い頃にCSに行っていた加古川の教会ではなく、この教会に導かれたんだろうと考える事がありました。世の中には多くの教会がありますが、自分の教会と呼べるものはひとつしかありません。今は、神様が高砂教会を私の教会としてくださって、ここに植えられている事に深く感謝するとともに、しっかり根を張って流れのほとりに植えられた木になりたいと思っています。
 修養会の前に、スティーブン・ケイラー師の著書「ヘルシーチャーチ」を読みましたが、今まで全く思いもしなかった視点が開かれました。少し本文を引用します「祝福された集会を持つことの責任は全て牧師にあると思いがちです。しかし、私たちがそれぞれの集会でどれほど祝福されるかは、一人一人が自分の役割をどれだけ果たすか・・・中略・・・その集会にどのような心の姿勢で参加するかということにあるのです」。また、「教会とは見ているだけの『傍観者』として出席するものではなく、『参加者』として出席するものである」など、まだまだ続きますが、私はいつも与えられるのを待つばかり、自分が恵まれる事を望むばかりで、それが自分にかかっているとは考えもしなかったし、もちろん教会を建て上げる人の一人であるなどとは・・・。「あなたがたはキリストの体である。一人びとりはその肢体である。あなたが御霊の現れを賜っているのは全体の益になるためである」と何度も賛美していました。いろんな場面で御言葉を聞き賛美しても、いかに何気なくしていたのか恥ずかしい限りです。
 今年の修養会で、スティーブン・ケイラー師を用いて語られた健康な教会の姿、そしてそこに植えられた教会員一人一人がビルダーであることは、今、神様が高砂教会に大きな期待と計画を持っておられることだと知り、嬉しいです。自分で実行せずあれこれと指摘・批判する批評家でなく、励まし・勢いづける応援団長になっているか、私の心の姿勢を日々チェックです。
 又、ディサイプルセミナーの一回目に見た「木を植える人」の映像を思い出しました。その人は、たった一人で何年も何年もかかって荒地を広大な森へと作り変えていきました。私たちも、一人一人が植えられた所で根を張り、幹をのばし、枝をひろげ、葉を繁らせていくと、聖霊のさわやかな風が吹き、新しい命をはぐくむ森となり、教会はこの世で神の国を体験できるところとなるというイメージが浮かびました。と同時に、高砂教会のリーフレットに「キングダム・ビルダー」と初めて見た時は、英語だし、もうひとつ心に迫って来なかったのですが、修養会の学びを通して、「ビルダー=建て上げる人」が私の中で具体的なものとなりました。しかし、ビルダーは一人では教会を建て上げられません。神の家族である教会員が一人も欠けることなく、共にビルダーになって神の国を体験したいです。来年の修養会にもケイラー師が来てくださるかも・・ですから、鬼に笑われても来年の修養会に参加して、今年は行けなかった人も直接楽しい学びを聞きませんか。来年まで待てない人には、師の著書「ヘルシーチャーチ」がお勧めです。
「正しい者は、ナツメヤシの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、生い茂っていましょう。」
(詩篇九二・一二-~一四)





一味違った今年の修養会(3)ー神への畏怖の念が起こるー

 一味違った今年の修養会(3)
 ―神への畏怖の念が起こる―
 谷 元 延 幸


修養会は、参加する度に必ずその時の自分に必要なことが深く語られて恵みに満たされますが、今回はいつもと違ったことを感じました。素晴らしい恵み、励ましと共に、修養会期間中、恐れと喜びの混ざったようなものを感じていました。神様に対する畏怖の念です。なぜなら、修養会前に示されていたことが次から次へと語られたからです。神様は全てをお見通しだと思うと畏れが起こり、全てを知っておられるかと思うと喜びが湧きました。
 転会する前から修養会などに参加させて頂いていましたが、まだ教会に馴染めていない自分には教会内の横の関係がないにも等しい状態でした。修養会の中で何度か「日本の教会は個人主義に陥りやすい」と語られていましたが、確かに自分にも神様と個人的につながっていれば問題ないと考えていた節がありました。しかし、それは極めて不健康な信仰であるのだと知らされました。
 開会礼拝で手束先生が語られた、高砂教会に起こった油注ぎに対する応答メッセージのように、スティーブン・ケイラー先生の「ヘルシー・チャーチ神学」を通して、教会の大切さを再認識しました。教会はキリストと切り離すことのできない存在であり、教会は神様の特別な目的を持って存在していること、私たちの集まり、教会としてどうあるべきかを示されました。 
 リレーションシップ(教会内での横のつながり)についての大切さを語られたときに、自分と神様との縦の関係だけだと、いびつであることを強く思わされました。教会内の横のつながり、人間関係にこそ、神様との関係が現される場であると。 
 そして、さらに重要なのが、パートナーシップ(夫婦関係・協働者関係)であると語られました。どんな集まりであれ、特に奉仕においては、パートナーシップが良好だと周りにいる人達へも良い影響が流れ出ます。
 縦と横の関係を大切にし、健康な教会として機能するために、「一致」の大切さについて強調されていました。一致は自然となされるものではない。御霊の実の謙遜・柔和・寛容をフル活用して求めて作り出していくものであること。一致についての話の中で、肝に銘じておこうと思ったのは、人の性質は、教会を壊す方に傾きやすいということです。一致の妨げになる思いが自分の中に起こっていないか、心をしっかり見張る必要があることや、特に、疑問や不満については、隠し持ち続けてはいけない。正しい取り扱いとしては、天国は光の文化であるから、それを明るみにだして質問することだと強調して言われていました。これは、場合によっては勇気もいるだろうけど、重要なことだと思いました 。
 分科会におけるサーバントシップ(仕える心)についての学びも素晴らしかったです。「仕える心ほどキリストの弟子を現す言葉はない」。立場を求めない(名刺の肩書きは「しもべ」である)。報いを期待しない。しもべの心は与える心。与えることは神様の性質でもある。そして、教会を強くするのは与える心と忠実な心である。教会にも多くの欠点があり、不完全なものであるけれども、親や兄姉たちの愛と神の愛を比べないこと。教会に勝る組織はこの世にはないことを教えられました。
 今回の修養会は、セミナー形式で定期的に受けたいと思うような内容でした。リレーションシップ、パートナーシップ、サーバントシップを意識して、神様・自分・教会の健康的な関係を築いていきたいと思いました。人見知りの私にとっては大きなチャレンジです。また、今回学んだことは教会だけでなく、家庭・職場・学校、あるいは所属しているコミュニティにも適用し実践出来ると思える内容だったのが印象的でした。〝修養会以後自分自身の信仰がアップグレード出来ているか〟、この一年、折に触れ自分を点検していこうと思います。





一味違った今年の修養会(4)ーすべての人が憧れる教会ー

 一味違った今年の修養会(4)
 ―すべての人が憧れる教会―
 西 田 登紀子


 講師のスティーブン・ケイラー師は、流暢な日本語で、時にユーモアを交えながら、教会を建て上げる勘所を力強く判りやすく語って下さいました。
 「人間は不完全ながらも各々の賜物を生かし、一人一人が機能してしっかりと組み合わされ、ひとつの体としての教会を作り上げていく。」
 「神様が置いて下さったところが自分の教会です。どんなに捜しても完全な教会はありません。もし仮に見つかったとしても、あなたが行けば、そこでその教会は完全ではなくなります。」
 「気付いたことがあれば批判するのではなく、気付いた人がやればいいのです。」
 ひとつひとつの言葉がストンストンと胸の底に落ちていきます。そして次第に心も体も軽くなり、肩の力が抜けていくようでした。「観客ではなく参加者になりましょう。」「評論家ではなく応援団長に…。」
 時々、修養会に参加出来なかった姉妹方の顔が浮かび、この素晴らしい恵みを一緒に体験できないことが残念に思えるのですが、今はまず自分自身がこの贅沢な祝福の恵みにとっぷり浸って、神様の愛を受け取ろうと心を切り替え集中し多くの恵みに与ることができました。
 第一聖会のメッセージで、ケイラー師が「すべての人が憧れる教会」と語られました。早天の祈りで、高砂教会の基本理念について祈っている時、今年の春頃ふと与えられた思いがあります。高砂教会が地域の祝福の基となるように。地域の誇りとなるように。喜びと平安が人々を引き寄せるほどに溢れるように。そのように毎朝祈っていたのですが、まさしくケイラー師のこの一言に集約されているではありませんか。神様はいつもベストタイミングで必要を満たして下さいます。
 今回は、大部屋に宿泊し、日頃接する機会の無い若い姉妹方との交わりの時が与えられるという素晴らしいプレゼントもいただきました。教会学校に来ていた子供達が、しっかりと信仰を確立し、クリスチャンホームを築き豊かな心で子育てをしている姿、青年階の仲間の祈りと関わりによって、様々な困難な状況を克服し、救いへと導かれた姉妹方の証し、家族の中で初穂となった姉妹の家族への熱い思い、友人の救いへと積極的な熱心さに感動一頻りでした。
 元気な若者達、そしてどんなに賑やかでも誰に抱かれてもスヤスヤと安心し切って眠っている幼子の姿に、神様が私たち高砂教会を愛し、期待し大きな役割を与えて下さっていることを確信しました。
 今年参加出来なかった愛する兄姉、来年こそは是非参加して、共に喜びを分かち合いましょう。
 素晴らしい神様と、様々に心を配り準備をし整えて大きな働きをしてくださったスタッフの皆様に心から感謝します。



一味違った今年の修養会(5)ー神様との合体は本当に凄いー

 一味違った今年の修養会(5)
 ―神様との合体は本当に凄い― 
 稲 垣 逸 太

 僕が洗礼を受けたのは小学年の冬のことでした。受洗準備会の時に新谷先生に「〇〇レンジャーのロボットは一体ずつじゃあそんなに強くないやん?でもそのロボットが最後に合体して一つになったらめっちゃ強くなるやん?…洗礼ってのは、逸太君と神様が合体してめっちゃ強くなるってことやねん…」と教えてもらい、それを聞いて、その時は意味を理解してして洗礼を受けました。ですが、祈ったりするのもごくまれで、信仰も緩いクリスチャンでした。
 中学になりCSからYCになってからも,小学生のときの延長線のような信仰生活でした、キャンプも、正直なところ、恵まれるというより楽しみの方が大きかったです。
 そんな僕が最近よく祈るようになってきました。会社のこと、家族のこと、友人関係、いろいろな悩みが同時にきました。
 まず会社……組織替えで業務は変わらないけど、班の直属の上司が変わり、その上司は課内では結構な嫌われ者。上司がいない場所で話す内容はほとんど上司の悪口、実際僕自身も上司のことは顔も見たくないほど嫌いだったので、一緒に悪口を言っていました・・・でも悪口を言いながらも心がずっと痛かった…みんな仲良くすればいいのにって思ってた。
 あと友人関係……友達と喧嘩して、それからずっと連絡も取らずだったり、仲良くしてるグループの中で分裂が起こってバラバラになったり……そんなこんなで毎日が辛くて最近はよく祈っていました。
 そして夏、修養会の時期になり前回同様に「修養会かー、CSキャンプと違って会費高いなー・・・」とか考えながら参加しました。二日目の夜、按手の祈りが近づいてきてふと「会社の悩みってどないやったっても自分では動けるもんじゃないからもう無理やん、神様に任せるしかない」と思いとにかく祈りました……そうしたら、牧師先生の手が触れた瞬間何とも言えない安心感に包まれて涙が止まらなくなり、ひたすら「ありがとう」ばかり言ってました。本当に重荷が取り除かれた気がしました。
 そのほかに、メッセージで「あなたは何かやり残したり放ったらかしにしてる問題はありませんか?あるならそれをしっかり解決しましょう」と語られ、その瞬間、神様から「喧嘩した友達と仲直りしなさい」と言われました。しかも、その友達は修養会の会場から車で十五分くらいのところに住んでいるので、「これは導きやな」と思い、その後すぐに連絡をしました。すると、修養会が終わった後で会うことになりました。神様に力をもらってしっかり謝って仲直りもできました。
 その後、会社生活にも神様が力をくださいました。班の仲間が上司に対して悪口を言うのはあまり変わらないものの、僕自身でつぶやく悪口の数が減ってきました、また、みんなに対しても、「そんな悪口言ってもなにも変わらいし言わんとこうよ」と声をかけれるようになってきました。これらのことは、ほかの人からしたら普通なことかもしれませんが、僕にとってはすごい大きな変化です。
 これが僕の修養会の恵みです。神様との合体は本当にすごいです。

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