月報 2013 11月

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教会作り共同研修会の大きな恵み(1)ー喜びが満ち溢れ、天国を体験する教会ー

 教会作り共同研修会の大きな恵み(1)
 ―喜びが満ち溢れ、天国を体験する教会―
 日本キリスト教団 喬木教会牧師 伊奈 聡


 今回、素晴らしい恵みの時を備えて下さった神さまと、高砂教会の手束先生を始め、皆さんに心から感謝をいたします!! 幼い子を連れての参加でしたので、子守もして頂きましたし、美味しい食事、心温まるお交わり、本当に感謝しています。
 今まで「手束先生」の名は有名ですし、知っていましたが、あまりにも偉大な方なので、私などが会うには恐れ多い、という思いがありました。その先生に近隣教会の牧師が会わせて下さり、そして手束先生が「ぜひこの研修会に参加しませんか」と声をかけて下さったのです。
 偉大な先生からお誘いというのは怖いですよね。声をかけて頂いたことは光栄ですし、研修会に行けば恵まれるだろうな、と思いながらも心のどこかで「怖い。逃げたい」、という思いもありました。そんな思いで役員会に諮ると、「ぜひ行って来て下さい」とのこと。覚悟を決めて参加させて頂きました。
 しかし、着いてすぐ、その「怖い」という思いは吹っ飛びました。駐車場に車を停めた時から、外は雨模様でしたが心に喜びが湧いてきたのです。会堂に入ると、何かわからないけど嬉しくて、テンションが上がってしまいました。教会が「喜びの満ち溢れる空間」だったのです。
 手束師を前にするとさすがに緊張はしました。でも徐々に先生もブラック・ジョークが好きな方だと知り、とても親しみを覚えるようになりました。また、一緒に研修を受けた上条師の面白いキャラクターによって緊張を解いてもらうことができました。お陰で、本当によく笑う研修会となりました。
 私が救われたのは十八歳の時でした。聖書を読んで、イエスさまに憧れ、こんな漢(おとこ)になりたい!!と思い、従う決意をしたのです。そしてイエスさまに従う時に何とも言えない喜びを体験し、この喜びが重要だと思い、教会には何よりもこの喜びが満ち溢れていなければならない。そして、その喜びを通して、天国を地上で体験することが出来ると信じていました。そして献身した今も、そんな教会形成をしたいと願い、取り組み続けています。
 高砂教会で数日間を過ごさせて頂いて体験したことは、その自分が求めている、「喜びが満ち溢れ、天国を体験する教会」が形成されている、ということでした。日本キリスト教団の中にもこのような教会がある!!と本当に驚きました。五泊六日。長いような短い期間の研修会。次から次へとプログラムを用意していただき、「休む間もなく大変ですよね」と声をかけて頂きながら過ごしましたが、こんなに恵まれる研修、しかも六日しかないなかで出来るだけ学び、体験したいとの思いで満たされる中、全然「大変」とは思いませんでした。
 最後の日、高砂教会を出るのが、何かとても寂しい思いになりました。先生が送り出そうとする、その雰囲気に何とも言えない寂しさを覚えました。皆さんと別れたくない、もっとここで笑っていたいし、もっと学ばせてもらいたい、そんな思いでいっぱいでした。
 手束先生ご夫妻は、何とも言えない暖かさ、包容力があって、(実際は親の年齢ですが)まるで田舎のおじいちゃん、おばあちゃんのような存在でした。接する教会員の皆さんは、牧師のブラックなジョークも浄化してクリーンな教えとして実践される、愛に満ちた主の勇士たちであって、一緒にいるだけで励まされるような方々でした。
 これだけ見事なモデルを見せられたら、私たちも立ち上がらないわけにはいきません。私たちの教会は、高砂教会以上(?)に、地方(村)に建てられた教会です。この村にあっても主の祝福を受けて成長するのだ、という証しを立てたいと願わされました。
 目下、手始めに五時三十分より早天祈祷会を始めました。毎日六名程が集まっています。ここから始めます。やがて主の栄光を豊かに現し、それによってこの研修会で受けた恵みへの恩返しができたら、と願っております。












教会作り共同研修会の大きな恵み(2)ー新たな出発の始まりー

 教会作り共同研修会の大きな恵み(2)
 ―新たな出発の始まり―
  日本キリスト教団 喬木教会牧師夫人 伊奈 ちさこ


 高砂教会での教会作り共同研修会に参加させて頂き、心から感謝申し上げます。この研修を通して、心に浸みる皆様の愛、そして、主の偉大な働きを見、またキリストの体である教会を建て上げることを学ばせて頂き、言い尽くせない感謝の思いでいっぱいです。
 高砂教会に働かれている主の凄さに圧倒されながらも、私たち夫婦は、これから喬木教会に激しく主の御業が起こるのだ! と心が燃やされています。
 「まずは、早天祈祷会を始めよう!」と夫が言いました。その時、手束先生が「イエス様の十字架の犠牲を思えば、少しくらい朝早く起きることは大した犠牲ではない」とおっしゃられた言葉が私の心に響いてきました。そして、喬木教会に帰ってきた次の朝五時半から、いよいよ早天が始まりました。その日は十月三十一日 宗教改革記念日!新しい一歩を踏み出すにはまさに最高の日でした。早天祈祷会への勧めをしたところ、現在、毎朝六名前後の方々が来られ、祈りの勇者となっています。「牧師がイエス様に熱心になっていないことが一番の問題である!」心底悔い改めました。早天には「これから喬木教会を通してどんな御業が起きてくるのか楽しみ!生きている間に主の奇跡をたくさん見させて頂きたい」と希望に溢れている姉妹や、「私の生き甲斐がまた一つできた!」と、八十五歳のおばあちゃんが自ら運転し、毎朝祈りに来られている姿が見られ、これには敬服します。早天祈祷会は、確実に主日礼拝に祝福をもたらします。また、教会内で伝道活動も起こされ、主が勝利を収めておられることをすでに体験し始めています。ハレルヤ!
 また、「神を畏れ、神を第一にするという点においては、一歩も譲ってはいけない!」という〝無遅刻無欠席〟のお勧めは衝撃的でした。礼拝厳守は当然なことなのですが、喬木教会では、何か地域の行事や仕事で重なれば礼拝を休むのは止むを得ないという雰囲気が出来上がっていました。これまで、礼拝欠席の連絡を頂くと、私はすぐに「わかりました」と、あまりに物わかりのいい人になりすぎていて、主を第一にすべきであることを信徒さんになかなか強く言えていませんでした。高砂教会では、第一礼拝に来なければ、第二礼拝に! 第二礼拝に来なければ夕拝に! 更に、朝も昼も夜も来なければ月曜日のビデオ礼拝!と、徹底して礼拝厳守を指導されていました。この姿が重要だと気付かされ、礼拝は厳守すべきことであるとの原点に立ち返らされた思いでした。研修後に迎えた週末、教会のある姉妹が、「明日は、子どもが村の文化祭に行くと言っているので、礼拝は多分お休みします!」と言って来られたのです。今だ! と思い、「神さまを第一にしましょうよ」と言いました。まず神さまを礼拝してから文化祭に行くよう勧めたところ、次の日、この親子は、「『神さまを第一にしなさい』の言葉に従います」と言って礼拝にやって来たのです。ハレルヤ! そして、礼拝を終えて、「これから文化祭に行ってきまーす」と素晴らしい笑顔で帰って行かれました。その顔には、勝利の笑顔が輝いていました。
 これまで、厳しいことを言って相手がつまづいたらどうしよう、という恐れに私自身が縛られていて、物わかりの良い人になっていました。信徒さんを礼拝第一に出来なくしていたのは、そのことについてきちんと指導できていない私の問題だったのです。ここでも本当に悔い改めました。「聖書に書かれている主の教えは、譲らず、ストレートに語るべき。その際、ユーモアを持ちつつ堂々とあるべきだ」と、手束先生のお姿を見て学ばされました。
 高砂教会での研修によって、牧師として信徒の方々を整えるべきヴィジョンと励ましを頂き、そして、何よりも私の心に熱い火をともして頂きました。
 喬木教会は、今新たなスタートをきったところです。そして、高砂教会で教えて頂いた教会でなすべき様々な事柄に、これから取り組んでいきたいと願っています。素晴らしい研修会を心から感謝致します。ありがとうございました。






教会作り共同研修会の大きな恵み(3)ー教会成長は人格なる聖霊を仰ぐときに起こるー

 教会作り共同研修会の大きな恵み(3)
 ―教会成長は人格なる聖霊を仰ぐときに起こる―
  日本キリスト教団  鷹取教会牧師  上條 悟


 伝道とはすなわち、神への「祈り」と「服従」の具現なり! 教会とはすなわち、生ける「御霊」の御業を求め、それを讃える集いなり!
 御霊の力をいただきたいと願うのであれば、そのとき人は、自分が神を受け入れるのではなく、憐れみの神に自分が受け入れられるよう、肉の塊が砕かれていかねばならず、ただこちらは「無」に徹してキリストの御業のみを仰ぎ求めるべきであり、決して自己の力量に頼ってはならない。―集約すれば、これが今回の「教会作り共同研修会」において私が学ばせていただいたものの要締である。
 生きた聖霊を受ける時、人はどうなるか。喜悦と平和の能力の充満。それがキリストにおいて起こされるのである。事実、聖書と教会はそのようにして成立した。今回の高砂教会での研修会において、その様子を目の当たりにし得たことは、私にとって大きな学びとなりました。手束先生ご夫妻はじめ、高砂教会の皆様の主にある信仰的ご厚意に、心より感謝します。多くの方々から私は、牧会の糧となる「救いの言葉」をいただきました。また、その様な言葉を交わし合うことが出来たことが、今回の研修会の大きな恵みの一つでもありました。いま困難の中にあって、なお教会の献身的生活に邁進している高砂教会の、多くの兄弟姉妹に、心からのエールの祈りを捧げます。
 教会はそこに集うものが、こぞって神の御業を求め、それに励む場所である。だからこそ、悪霊が虎視眈々とその妨げを狙っている。イエス・キリストを救い主とする「救いの体験」なくして伝道を図ることは出来ない。贖罪の十字架への確信と、復活のイエスへの喜ばしき服従。そこには必ず、個人「聖潔」がある。ところが、心と時間を神に捧げた「服従と聖潔」の生活の中に私たちが入ることを憎む相手が存在するのだ。そして神と私たちとの平和を崩す。それが悪霊と呼ばれるものの働きであり、教会はまず、これに妨げられてはならない。でなければ伝道など為し得ない。
 しかし同時に、「失われていく霊魂」に対する救霊の熱情なくして、伝道に勤しむことは出来ない。ということは、そういう深刻な実感があってこそ、我々も「服従と聖潔」の生活の中に自分を置くことが出来るという、そのことだ。とすれば、どんな境遇も恵みとならぬものはない。
 伝道には如何に「愛」が必要か。伝道にはいかに「忍耐」が必要か。伝道にはいかに聖書の御言葉に身をゆだね、信頼し続ける「信仰」が必要か。私たちの「弱さ」にこそ働く神の恵み。これにすべてを預け、全てを賭けなければ、祝福は得られない。
 それは事実としても、時間と労力を惜しみなく捧げ、そのような伝道を中心とした信仰生活に、喜びと目的を持って献身的に勤しんでおられる高砂教会の姿を目の当たりにした今、私の心にあるもの、それは「聖霊のバプテスマ」と言われるものの絶対的な価値である。大体において日本キリスト教団は、ただ「来る人」を待つばかりである。これは「聖霊のバプテスマ」の明確な体験がなく、しかも、 そこから生じる「祈り」に突き動かされていないからだ。なぜか。キリストが成就された御業を観念的にしかとらえておらず、それに絶対的に信頼することを為していないからである。生きた聖霊を受けていないがゆえの失敗が、争いが、いかに多いことか。〈喜び〉のための信仰ではなく、単なる〈教養〉のための信仰がいかに多いことか。それでは生きる力にならない。むしろ、日本キリスト教団の中にはカリスマなる聖霊を敵視する傾向が根強い。何よりも〈霊〉を重んじる使徒行伝やパウロの書簡の真実から、みずからはそれに遠ざかりながら、その内容を説き明かしている牧師の滑稽さよ。いま、聖霊を受けていない信徒が問題なのではない。聖霊を受けていない教職こそが問題なのである。
 極論すれば、「聖霊のバプテスマ」を受けずして、今回の「教会作り共同研修会」で学んだすべてのことは、本当の意味で活かして用いることは出来ない。信仰の命なるそれなくして、たとえば「セル」の集いも成り立たない。形だけ真似ても、きわめて危うい〈人のための集会〉となるだけである。神は不在だ。すべての核心は、聖霊の注ぎを受けているかどうかにある。
 「霊的共同体」! これこそがキリストの生きて働く教会のダイナミズムを保証する。その真実、いわば「教会の本質」を味わった今回の研修会であった。そこにおいて「キリストの教会」は聖霊を受けた一人一人の只中にある。だから〈日曜日信徒〉とはならない。一人一人の内に信仰は絶えず〈創造〉されてゆく。聖霊が働いているからだ。日々がペンテコステなのだ。そこには「一致」がある。それを私は、高砂教会の方々の「祈り」の声から聴き取った。この「一致」があってこそ、今回の研修で垣間見た様々な「教会作り」のプランは豊かに進められていく。
 高砂教会に集う方々は、聖霊を一つの、まぎれもなき「人格」としてとらえているのであろう。そういえば主イエスも聖霊を「助けぬ主」と呼ばれた。「主」である以上、人格であるのだ。「神が人となられた」、それこそがイエス・キリストである。そのキリストは何によって生まれたか。聖霊である。とすれば、聖霊こそ神であり人である。仰がれるべき「人格」そのものである。その「人格」に魅せられて人が集う場所を「教会」と言う。ならば、キリスト教会というのは宗教という戒律の場ではなく、キリストに人としての命を与えたもうた聖霊の働きを、我々が驚きと喜びをもって見させていただく場、なのである。
 この核心を具体的に与えられた今回の「教会作り共同研修会」に感謝します。そこに導いて下さった神に感謝します。高砂教会が、そして、願わくばすべてのキリスト教会が、この主の「人格」なる聖霊のダイナミズムとともにあるように。

日本キリスト教団 高砂教会  
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