月報 2014 3月

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デュナミス・コースの最終回は(1)ー聖霊様と協力する器となっていくー

 デュナミス・コース最終回は(1)
 ―聖霊様と協力する器となっていく―
 教育主事 小 森 仁 美

 二〇〇九年から始まったデュナミスコースを通して、主は本当に多くの気付きと恵みと油注ぎを与えて下さいました。それまでの私は外側をきれいに着飾っているけれども内側に命がない、根から切り離されたクリスマスツリーのようでした。教会に仕え、主の働きをしていると自分では思っていたけれども、そこに聖霊の命がなく、その原動力は自分の肉の力にすぎなかったことを気付かされました。上からの油注ぎを求めながら、聖霊様の力を求めながら、イニシアティブはいつも私が握り、「聖霊様に協力する」とはほど遠い「聖霊様に協力させる」歩みをしていたのだと思います。しかし、このデュナミスの六年間を通して主は私に「聖霊様に聴く」という姿勢、「聖霊様の心に沿う」という歩みを教えて下さいました。その一つ一つは目新しいことではありません。聖書が語っている当たり前のことでした。でも知らず知らずに自分が着込んでしまっていた肉の服、信仰と思い込んで使っていた「自分の力」という衣を一枚一枚脱がされていく時となりました。
 デュナミスの学びを簡単に振り返ると、それはいつも高砂教会のその時の必要と不思議にリンクしていて、また私の必要にもタイムリーで、本当に主に感謝しました。特に第四回「イエスの癒しのミニストリー」においては、イエス様の地上での癒しのミニストリーを私たちのモデルとして追いかけました。それを通してイエス様の心、私達を癒したいと願われる愛を知りました。そして感情的・霊的・身体的癒しのための祈りを学び、原理と実際的な応用を教えられました。実践の機会も与えられ、実際に私たちの生活において、大胆に具体的に癒しのミニストリーを行っていく助けとなる学びでした。それまでももちろん「癒し」を信じていました。主が素晴らしい癒し主であること、今の時代にあってもその奇跡は起こることを知っていました。でもそれまではどこかで「牧師先生に祈って頂いたら…」という限定が私にあったように思います。私も執り成し祈るけれど、とにかく先生方のところに連れて行かないと、と。しかしデュナミスにおいて、癒しの働きが全聖徒達に委ねられていること、その権威と油注ぎが私にも確かに与えられていることを気付かされました。もっと大胆に祈っていい。もっと確信を持って宣言したらいい。主は私という小さな器を通しても癒しをなさりたいし、それを通して神の国が更に前進することを願っておられるのだと教えられました。神様から委ねられているものを、勝手に箱に入れて鍵を掛けて「私には使えないもの」のように取り扱っていたことを悔い改めました。そしてそれ以後、大胆に手を置いて癒しを宣言して祈る者に変えられました。
また第五回「霊的戦いへの備え」では、神の王国とサタンの王国との対比の中で、悪魔・悪霊の領域や現実を知り、それに対して私たちに与えられている権威と神の国の現実がどれほどであるのかを学びました。霊的な識別力、悪霊追い出しのミニストリー、悪霊が築く要塞などを知ることによって、より的を射抜いていく霊的戦いへと導かれる時になりました。それはサタンが知られたくない領域を分かち合う時でもあったので、執り成しチームの祈りに覆われて学びを進めていきました。特に心に残っているのは、人々の心にサタンが要塞を築いているということです。心の癒しや悪霊からの解放を願いつつも、その要塞を築く足場になっているところを手放すことを拒んでいるなら、いくら悪霊追い出しをしても悪霊は出て行かない。イエス様を信頼してその足場を取り除いていく過程を大切にする必要がある。そしてサタンは憎みつつも、悪霊につかれている魂自身は尊び、ただ声高に悪霊追い出しの祈りをするのではなく、聖霊様の促しを聴きつつ、丁寧にその魂と関わりながら霊的解放のミニストリーを展開していく重要性を学びました。
そして今回、⑥聖霊の力による伝道でした。
 最後が「伝道」というテーマで締めくくられたことも素晴らしかったと思います。聖霊様の働きと言うとこれまで、癒し、悪霊との戦い、預言、祈り…などのミニストリーのことを言うといった偏った受け取り方があったかもしれません。しかしデュナミスでは一貫して「聖霊様と協力すること」を語られ続けました。伝道もまた「聖霊様と協力して」行う大切な働きだということを再認識させられる時となりました。伝道の学びというと、様々なスキルや方法論が語られたり、熱い情熱が分かち合われたりするということをイメージするのですが、デュナミスにおいては全く違っていました。伝道の主役は聖霊様であること、ただ聖霊様に「聴く伝道」をしていくことを学んだのです。それは当たり前のことのようで、実は本当に目からウロコのようなことでした。
 特に伝道実践の時間にそれを強く感じました。実践は大きく三つのチームに分かれて行いましたが、一つは教会に残って執り成し祈るチーム、もう一つは地域のために出て行ってプレイヤーウォーク(祈りの歩行)をするチーム、そしてショッピングセンターなどに出て行って実際に伝道をするチームです。伝道は一人でする働きではありません。祈る人がなければできないし、人々が心を開くためにも地域が霊的に解放されて行く必要があります。その中で現場に出て行くのです。ですから直接に伝道する人たちも、絶えず聖霊様に聴く事をチャレンジされました。どこに出て行くのか、誰に声をかけるのか、何を語るのか、その人の霊的な必要はどこにあるのか…自分の勝手な考えではなく、聖霊様がどのように語られるのかに耳を澄ますということ、そこに本当の聖霊様に開かれる伝道があるということを知らされました。それはとても敏感にさせられる時であり、自分勝手にするのではない緊張感と、でも同時に聖霊様に開かれた心を持つ中で、主の語りかけに従っていく時になされることを体験させられる時となりました。
 「デュナミス」とはギリシャ語で「力」を意味します。だから「デュナミスコース」と聞くと、「聖霊の力によって」という印象を持ちやすいのですが、学んでわかったことは、聖霊の力を強調するというよりも、聖霊様を無視するのではなく、聖霊様を用いようとするのではなく、聖霊様の力だけを求めるのではなく、聖霊様を愛し尊び、聖霊様と協力することを何よりも大事なこととしていく。それこそがこの時代に生かされている私たちに主が求めておられることであるということでした。聖霊様と協力しようとしていく時、そこに癒しが起こり、悪霊からの解放が起こり、知恵と知識の言葉が語られ、祈りが開かれ、御霊の実を結ぶ者とされ、人々が救われていくのだと。だからただ聖霊様に敏感に聴く者となりたいと願います。その細き御声を、「聞き慣れた声」として聞き取れるようになりたい。聖霊様に心を開いて、主が今私たちを通してなさりたいと願っておられることがこの地上でなされるために。
 私は今年の末から未伝地へ宣教師として遣わされていきます。そのために主が六年という期間を使って整えて下さったと思います。未伝地には私達家族の他にクリスチャンがいない。教会もない。そんな場所で一体何をしていったらいいのだろうか…。証しをする、メッセージを語るといっても言葉は本当に拙いものでしかない。どんな戦略で宣教を進めていくのだろうか?「何をしたら…」という考えが頭を回るところでした。しかし、主は私に「何をするか」ではなく、聖霊様にイニシアティブがあることを示し、「主が何をされたいのか、何をしようとしておられるのか」を聴くこと、そして讃美と礼拝を通してただただその聖霊様と親しく時を過ごすことなんだと導いて下さっています。聖霊様が語りやすい者、語られたらすぐに応答できる者、聖霊様の協力者として出て行きたいと思います。その時、神の国がその地に解き放たれ、御国の前進のために本当の意味で仕える事ができると信じています。デュナミスコースを終えて、私たちが更に聖霊様と協力する器とされ、高砂教会において、またそれぞれが遣わされている家庭で、学校で、職場で、地域で、そして未伝地で主の御心が前進していくことを切に祈ります。





デュナミス・コースの最終回は(2)ー悔い改めの体験をいただくー

 デュナミスコースの最終回は(2)
 ―悔い改めの体験をいただく―
  紀伊長島教会 山 口 英 希


 二月一〇日(月)~一三日(木)、喬木教会の伊奈聡先生にお誘いいただき、初めてデュナミス・コースに参加させていただきました。
 私は一八歳の時に受洗しましたが、その時に与えられた御言葉が未だに自分のものとなっていないことにまず気づかされました。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(ルカ一一章九節)。ずっと、欲張りなほどにいろんな賜物を求めてきたように思います。ただ、求めるうえで一番大切な聖霊の働きの大きさを心から信頼していなかったのだと、今回のセミナーで痛感させられました。つまり、「まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」(同一三節)ことのすばらしさを、主が体験をとおして示してくださったのです。
 一日目?三日目午前の学びは消化不良ながらも、心に響いた言葉は書ききれないほどたくさんありました。その一部を記します。
◆一日目…「伝道とは、福音の喜びを分かち合うこと」、「聖霊が主権者として救いを与えるので、この聖霊にタイミングを得て協力する」、「人間の伝道の動機は他者への愛、自分の救いへの感謝、永遠の離別からくる恐れ、従順、責務と様々だが、神ご自身は愛の交わりの完成に向けて伝道されるので、民族を越えた救いを求める」、
◆二日目…「主の召しに従うために、私を、どのように召しておられるかに気づく」、「召しを果たすため、霊的な戦いに勝利するために、イエス・キリストの力と権威を求めるが、福音を語る時には謙遜になる」、「伝道はプロセス(植え、育て、刈り取ること)なので、継続することが大切」。
◆三日目…「福音を説明する時、効果的な質問をする。霊の世界について話した時のリアクションも大切」、「三分で語れる福音のプレゼンテーションを自分なりに準備しておく」。
 これらの言葉のピースをつなげるように思い巡らせ、三日目午後に行われた伝道実践に出かけました。そこで、聖霊の働きにうちのめされる体験をしたのです。私は、「アスパ高砂」のフードコートで伝道実践をしました。まずはコーヒーを注文して一息入れ、共に組んだ伊奈先生と祈りました。そして一人のご婦人に狙いを定め、レクチャーで教えられてイメージしたとおりに、「三分間、お時間をいただけますか?」と切り出します。…すぐに断られました。落ち込まないうちにと場所を変え、大型テレビがある広間にたくさん座っていた男性から一人を選び、同じように声をかけました。…ジェスチャーだけで断られました。「二度あることは三度あるんじゃないか」と思い始め、少し肩を落としてコーヒーがある席に戻ろうとした時、隣りの席にずっと座っていた二人のご婦人と目が合ってしまいました。後戻りはできないと思い切って声をかけました。結論だけいいますと、三分どころか一〇分も福音に耳を傾けてくださり、最後にはイエスさまを受け入れる祈りまで共に導かれました。毎日のようにフードコートで昼食をとっているとのことで、高砂教会の方にフォローをお願いすることもできました。
 この時、私は礼拝堂で祈ってくれていた仲間の存在に思いを馳せました。その祈りに、聖霊ご自身が働いてくださったのだと確信しました。私が伝道の勇気を失いかけたその時に、「なおも語るチャンスを与え、交わりを祝福し、語る唇を謙遜にさせ、救いの主権者は聖霊だと確信させ、継続してフォローできるまでに」主は計らってくださったのです。一つ一つの学びのピースが体験をとおしてつながると、まことに今までの自分の薄い信仰生活を悔い改めました。セミナーから帰って以来、自らの十字架を負うため毎早朝身なりを整え、「ハレルヤ」と礼拝堂で祈る日々です。
 四日間、主の恵みの中で過ごしやすいように温かくおもてなしくださった高砂教会の皆様に心から感謝します。








デュナミス・コースの最終回は(3)ー自分にも「神の権威」が与えられているとはー

 デュナミスコースの最終回は(3)
 ―自分にも「神の権威」が与えられているとは―
  片 桐 瑞 希

 今回、長野県の喬木教会から参加させていただきました。喬木教会の牧師である伊奈聡先生とちさこ先生が昨年の高砂教会の研修に参加し、魂を熱く燃やして帰ってきました。そのすぐ後から教会で早天祈祷会が始まり、教会が熱くなり、祈りもどんどん聞かれるようになっていきました。そうしたなかで、私もさらに燃やされ、自分の領域を拡げてもらいたい、と思ったのが動機でした。
 今回の研修のテーマは「聖霊に導かれる伝道」で、講師の先生方が証しを交えながら講義をしてくださいました。聖霊に導かれて知恵の言葉を語ったこと、人の問題を解決したこと、悪霊を追い出したことなどの力強い証しを聞いて、「こういった奇跡は使徒言行録の中だけのことではなく、今現在も現実に起きることなのだ」と改めて思い、神様の力に感激しました。その中で私が特に考えさせられたことは「神の権威」についてでした。
 先生方の証しにもあったようなすばらしい奇跡は神様の権威によるもので、その権威は聖霊をいただいた者、つまり自分にも与えられていたのではなかったか、と思ったのです。私は権威をいただいているにも関わらず、まるでなんの力も持っていないかのようにふるまっていたことに気付きました。そのような時、ルカによる福音書に出てくる「放蕩息子」のたとえ話の、兄に語られた父の言葉がよく理解できるようになりました。兄は、弟が帰ってきたことを父が喜んで宴を催すことに怒り、家に入ろうとはしませんでした。自分が友達と宴会をするときに子山羊の一匹もくれなかったと怒るのです。そんな兄に父は言いました。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。」(ルカ一五:三一)と。与えられている権威と恵みに気付けずに過ごしていたのです。その兄と自分は一緒だと思いました。今までの私はなんてもったいないことをしていたのでしょう。これからは、「神様、○○してください!」という祈りだけではなく、自分に権威が与えられることに感謝しつつ、目の前の問題に対して、また悪霊に対しても権威を使って命令していく祈りをしようと思いました。
 また、今回は聖霊に満たされる、ということも経験しました。二日目の夜、皆で讃美し、祈っているとき、聖霊の濃密な気配を感じました。心が神様の愛に満たされて涙がとまらず、祈り続けました。会場全体が聖霊によって満たされていたようです。伊奈先生が私のために祈ってくださり、先生を通して神様が「あなたは慰めの子、はげまし、喜びだ」と語ってくださるのを聞きました。本当に感謝です。神様によって全てのことが可能であり、その神様の力を自分で制限してしまわないようにしよう、ということ、そして恐れず主に従っていこう、という想いが与えられました。
 そして、三日目の夕食の後に、私が以前から祈り求めていた異言の賜物のために三人の姉妹方が手を当てて祈ってくださり、その祈りと讃美の中で与えられました。研修中にお会いした何人かの方々には、異言の賜物を求めているんです、ということをお話ししていたのですが、そのお話した皆さんに賜物が与えられたことを報告しました。するとまるで自分のことのように喜んでくださり、「まだ与えられていなかったら自分が導きの祈りをしようかと思っていた」と何人もの方が言って下さり、その皆さんの愛にも感動しました。
 今回のデュナミス・コースは本当に私にとって良い時となりました。神様がこれから私に何か新しいことを始めてくださるので、そのために私を整えてくださった、という印象を受けました。神様への期待に胸がドキドキします。本当に私たちの主はすばらしい方だと思います。この機会を与えてくださった主と高砂教会の皆さんに感謝です。ありがとうございました。






デュナミス・コースの最終回は(4)ー素晴らしいイエス・キリストの福音を伝えようー

 デュナミスコースの最終回は(4)
 ―素晴らしいイエス・キリストの福音を伝えよう―
 赤磐教会信徒 榎 本 聖 子


 二〇〇九年二月、初めてこの学びが始まった時のことをとてもよく覚えています。それは、私自身の信仰の状態であり、周囲の人、セルの仲間や家族、友人関係についてです。当時、私はセルリーダーとして、いろいろなことを一生懸命にしようとしながらも、思うようにはいかず疲れ切っていました。とてもじゃないけれど、何か新しい学びをしようという気持ちはありませんでした。そんな時に、新しく加えられたメンバーが「是非この学びに行きたい!」と言い出したので、「一人で行かせるのもなぁ」と、リーダーとしての配慮で私も同行することになりました。でも実際は弱り切っている私を、この姉妹を通して主が招いて下さったということにすぐに気が付きました。それは、この学びが「神学なのに愛があり」三位一体なる神ご自身を知り、三位一体の神様との関係の中に入れられ、神様と共にダイナミックにこの世に出ていく者へと私自身が変えられるためだったからです。
 一~二年目の学びでは、聖霊様の働きを知るために、先生方はとても丁寧に時間をかけて、御言葉を研究し教えて下さいました。特に私たちの上に働く聖霊の力と、内側に働く聖霊の力の説明には感動しました。私は信仰生活の様々な場面でこれまでも聖霊様の働きを実感し、恵みを感じてきましたが、個人的な体験と部分的な理解しかなく、聖霊様の働きについて説明することなどできませんでした。それどころか、聖霊様の働きを小さく捉え、誤解も多くありました。今では、赤磐教会での受洗や転入会の学びの中でも、この部分は実感を持って恵みとして伝えることができます。上からの聖霊の油注ぎを受けて主の働きに用いられていた人が、ある時からそのようなことがなくなって、自分は神様に見放されたのではないだろうかと思っていたというケースもありました。主は思いのままに上からの力付けを与え、大きな働きへと人を遣わします。しかし、それがあろうとなかろうと、神様の内住には関係がありません。神の愛を疑う必要はないのです。私自身は、内なる聖霊様の存在感がよくわからずに、聖霊様の声が聞こえないと思っていました。思春期以来、母との関係がしっくりといっていなかったので、母なる聖霊様との関係もうまくいかないのではないかと思い、泣きながら聖霊様との和解を願い、あなたに聞き従いますから語って下さいと祈ったことを思い出します。今、神様は憐れみ深く祈りに応えて下さる方だと、告白します。学びの初めに聖霊様を知るということは、デュナミス・コースの学びの中でとても重要なことだったと思います。これが最初の突破口のように感じました。天の父なる神がすべてを造り、御子イエスキリストが尊い犠牲を払い死と復活を成し遂げたとしても、聖霊様がそこに私を招き入れて下さらなかったら、何の意味もないからです。
 それ以降も学びは、聖霊様に大胆に導かれ「祈り」「癒し」と実践を伴い進められていきました。同時に、私の人生に命が注がれ、祈りが導かれ、癒しを体験しました。聖霊様の働きは三百六十五日休むことなく進められていたと思います。教会の仲間と共に学び、分かち合い、他の人にも伝え、体験し、教会全体で実践の学びができました。そこに御霊の実を見ることができています。
 そして、最終回の今年の学びは「伝道」でした。聖霊を受け、行ってすべての民をキリストの弟子とする働きに大胆に突入するものです。まさに、前年より私自身が外向きに変えられ、主の声を聴いて、初めての就職へと導かれ、世に出ていくことを始めたところでした。教会でも老いも若きも聖霊様に満たされ、喜びを持って、素晴らしいイエスキリストの福音をあらゆる世界に伝えているところです。この学びは終わることなく、聖霊様と共にキリストの身丈になるまで、神の国が再び現れるまで続くだろうと思います。
 『あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』





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