月報 2014 9月

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恩寵あふれる修養会(1)ー波のように押し寄せるイエス様の愛ー

 恩寵あふれる修養会(1)
 ―波のように押し寄せるイエス様の愛―
 松 本 尚 子

 修養会を迎えるまで、心にいくつかの煩わしい思いがありました。人と信仰を比較し劣等感に陥ったり、人との関わり方に悩んだりしていました。〝あの人みたいになりたい〟という思いならまだしも、〝私だってこうしているのに〟 と、神様の前でへりくだった姿勢でいることができなくなっていました。そんな思いが取り除かれるよう祈っていました。
 そんな時、二十四時間連鎖祈祷が行われました。朝四時半、苦しい時間帯に夜警の祈りを捧げてくれた兄弟達が賛美していました。人も少なかったので一番前で祈っていると、今まで抵抗や恥じらいがあったことが嘘のように、気付いた時には手を上げ大きな声を出していました。本当に心から賛美する喜びを全身で感じました。そこで自分の心の問題に目を向けるのではなくて、私と神様との一対一の関係を固く揺るぎ無いものにすることが、今の自分にとって一番の課題だと思いました。
 中学時代、相手が誰だかわからないいじめに二年程あっていました。唯一、一番傍にいた友人に相談していましたが、後々その人から受けていたいじめだと知った時、何もかもを疑うようになりました。誰かを信じる、感情を出す、心を開くという事に恐れを持つようになりました。しかし、いつまでも過去に囚われることは、私の信仰の妨げだと思いました。暗い闇から救い出してくれたイエス様の手をしっかりと握り、より固い関係を築くことができるよう、期待して修養会に参加しようと決めました。とにかく思い煩いの解決を祈るのはやめ、神様だけを求めて修養会を迎えました。
 当日、第一聖会の賛美の練習の時、なぜだか涙が溢れてきました。もう準備は整っているよ、と確かに私の心に触れてくださったのです。それでも聖会中、また人と比較する思いが邪魔をしてきました。いつも一緒にいる冨尾姉と松田姉にお願いし、礼拝を捧げることに集中できるよう席を離れると伝えました。いつも突拍子もなく理解し難いことを言っても快く受け入れ、また励ましてくれる信仰の友がいることを心から感謝しています。講師でお越し頂いたスティーブン・ケイラー先生のメッセージは、核心をつきわかりやすく、ダイレクトに私の中へ入ってきました。大事な基本の所へ立ち返らせてくれるものでした。特に第四聖会では神様の無条件の愛について語ってくださいました。その言葉は私の過去に受けた傷を癒してくれるものでした。
 その後按手の時が持たれました。全身の力が抜けていくその瞬間に語られたことがあります。〝こんなにあなたを愛しているんだよ、やっとわかったか〟と。こんな私でも無条件に愛されていることを知り、また涙が止まらなくなりました。波のようにイエス様の愛が押し寄せてくるからです。
 「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」(一ヨハネ四・一〇)
 私が神様を愛するずっと前から、神様は私を愛してくださっていました。それも計り知れない程の大きな愛で。まさか自分がこのような体験をすると思っていなかったので驚きましたが、それ以上に嬉しかったです。
 神様は私にあった最善のタイミングで必要なものを用意してくださっていました。身の回りの問題も、神様からの恵みをより深く受ける為の、愛に溢れた計画でした。そして、この思い煩いは神様の愛を信じていたら、おのずと整えられていくことを明確に教えられました。私が必要だったものは、問題の解決の為に行動することでもなく、神様に用いられる為に努力をすることでもありませんでした。ただ神様が私のことを愛してくださっていることを知ることでした。聖日礼拝では走馬灯のように恵みに満ち溢れていたことが駆け巡りました。恵みによって始まり、恵みによって導かれ、恵みによって豊かに強くされました。修養会、素晴らしいです!






恩寵あふれる修養会(2)ー神の愛を流し出す者になりたいー

 恩寵あふれる修養会(2)
 ―神の愛を流し出す者になりたい―
 岩 上 恵

 今年の修養会は二つの喜びと感謝にあふれた時となりました。一つ目は私の姉が修養会に参加したことです。姉は長く県外に住み教会から離れた生活をしていました。姉は私と母の祈りと誘いで、一月頃から徐々に教会へ行くようになっていましたが、七月からは礼拝だけでなく早天や祈祷会にも行き、神様に祈り求めていました。そこで、修養会が近づくにあたり姉を誘ったのですが、姉は頑なに修養会の参加を拒否し、修養会の話をすると怒りだしました。そんな折にYCキャンプがあり、不思議なことに、一日目と二日目の夜、姉と一緒に参加することになりました。そこで神様は姉に触れてくださり異言が与えられたのです。さらに姉は高松での祈り会にも参加させてもらい、聖霊に満たされ帰ってきました。そして、頑なに行かないと言っていた修養会の申し込み締切最終日に、まさかの申し込みをしたのです。驚きました。まさにキリストマジックです。驚き、また嬉しく、姉が実家へ帰ってきたことも、教会へ戻ってきたことも、YCキャンプや祈り会へ行って触れられたことも、全て神様のご計画だと信じ感謝します。こうしてドキドキと期待のなか修養会に参加したのです。しかし、姉は二日目にはひどい頭痛があり妨げにもあいましたが、共に祈り、空き時間には共に賛美し、みんなと楽しく過ごすことができ、少し前までは考えられいほどのすばらしい時を過ごすことができました。感謝します。
 二つ目は神様の無尽造の愛についてです。ケイラー先生のメッセージはとても分かりやすく、ケイラー先生を通して神様の大きすぎる愛を知りました。弱く小さい自分が嫌になっていたり、将来について不安があったりという状況でしたが、失敗・過ちに関係なく神様は私を愛してくれていることや、また、神様を深く愛し献身的に仕えても、そうでなくても、神様は変わることなく私を愛していてくださるということを聞いて安心しました。それを聞いて、修養会から帰った今もなお心が軽く平安なことに感謝しています。
 分科会では、新谷先生の「キリストの弟子となる」に参加しました。最後に証を考える時間があり、今までのことを振り返ったときに、神様が私をいつも守り導いてくださっていたこと、本当に愛されていることに気づき、改めて感謝しました。自分が祝福を受けることばかりを願うのではなく、私たちが生まれる前から、行いに関係なく、いつも一人一人を一方的に愛して下さる神様を周りの人に伝えなくては!と思わされました。
 二日目の晩の聖会で、聖霊のバプテスマを受け、神様が大きな愛で心も体も満たしてくださいました。涙がとまらず、力が抜け、心地良くあたたかい気持ちになりました。聖会が終わった後に隣に座っていた高谷美里姉と抱擁すると、また涙がとまらず心地が良く子どものように泣いていました。そのとき美里姉が、「神様の大きな愛が、私を通して周りの人に流し出されることを感謝します」と祈ってくれ、私は以前にこのことをメッセージで聞いてから、神様から頂いた愛をみんなに流し出すことができるようにと毎日祈っていましたが、また改めてこのことを握り直しました。イエス様の愛を周りの人に、言葉だけでなく態度ででも流し出していける者になりたいと強く思わされました。
 神様は、誰に対しても無条件で、無尽造の愛をもって愛してくださいます。神様の愛の対象は私たち一人一人であり、私たちが存在する一番の目的は、神様の愛を受けるためです。周りにはたくさんの必要がありますから、私がイエス様を運んでいきたいです。たくさんの気づきを得、満たされた修養会でした。ありがとうございました。






恩寵あふれる修養会(3)ー残された人生をどう生きていくかー

 恩寵あふれる修養会(3)
 ―残された人生をどう生きていくか―
 秋 山 ひ ふ み

 今年の修養会も昨年に続き、ホープチャーチ主任牧師であるスティーブン・ケイラー師を講師としてお迎えした。会場も昨年同様赤穂ハイツであるが、ケイラー師の持っておられるユーモラスで温かい人柄のせいか、始まる前から終始和やかな雰囲気に包まれていた。
 今年は二つの特徴があった様に思う。一つは、いつもは開催ギリギリまで参加人数が満たされないのだが、今年は早々に締め切った様。皆の期待が伺い知れる。もう一つは、若者達が受け身でなく積極的に参加している姿である。一番前の席を陣取り、声高らかに讃美し、熱心に講義を受けるこの姿は、高砂教会の次世代を担うにふさわしく、頼もしくもあり、嬉しくもあった。
 今年のテーマは「主の教会を共に建て上げよう」であった。とりわけ、〝共に建て上げよう〟のところに気持ちが向かった。来年度高砂教会は、手束主任牧師が元老牧師に、新谷副牧師が新主任牧師に就任される。そして、小森宣教師が海外宣教へと一家で向かわれる。元老牧師制度は日本で初めて用いられる制度であり、手束主任牧師が四十年牧会してこられた教会を、高校生の頃からこの教会で育った生え抜きの新谷副牧師が牧する。少し期待と不安が往来する中、このところでしっかりと教会論を学び、共に新しい高砂教会の歴史の一頁を開いていきたいと思わされた。
 このテーマは、私たちをもう一度信仰の原点に立ち返らせ、クリスチャンとは? 教会とは? いかなるものであるかを問い直す機会を与えてくれた。
 「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだのである」。この御言葉から、私達は神様から選ばれた者であり、何よりも神様に愛される存在であり、高価で尊い者なのである。権勢によらず能力によらない。ただ神様の一方的な恩寵により救われているのだという、クリスチャンの立つべきところがはっきりとさせられた。だから、私達は互いに愛し合い、祈り合い、助け合えるのだ。この神様に愛された者の集合体が教会である。この事を、神様を知らない人々が知ったならどんなに幸いだろうか。
 「キリスト教は、日本人に合っている。アメリカ人の僕が言うのも変だけど。何よりイエス様がこの日本を愛しておられる。そして、再臨の際の栄光を現す国として日本を取っておられる」と、ケイラー師は言われる。また、「日本人の礼節あふれる姿は、キリスト教精神そのものであり、古い時代からすでに景教として日本に入っている」と手束主任牧師はいつも言っておられる。
 ならば、なぜ一%の壁を打ち破る事が出来ないのか?「悪魔が日本人の心を牛耳っている。だましている。悪魔は偽りを言う者である」と、ある新聞に台湾の李登輝元総統の言葉が記されていた。そしてさらに、「日本人は自信を失っているが、武士道にも通じる精神で乗り切って、世界でリーダーシップを発揮して欲しい」と訴えられていた。
 日本人が立ち上がるのは、日本の為だけでなく、世界の為でもあったと気付かされる。その為、私達一人一人の信仰がしっかり建て直され、クリスチャンとして誇りを持って世に出て行き、福音を宣べ伝え、教会が多くの人々を受け入れる器とならなければならないことを再度確信した。高砂教会は、民族総福音化運動を支え、その中核を担う教会として召し出されている。又、自虐史観から抜け出る様にと手束主任牧師は、『日本宣教の突破口―醒めよ日本―』を出版された。私達の教会の使命はかくも大きいことを痛感する。
 私にとって、今年の修養会は果たして参加出来るかどうかが危ぶまれた。夫を家に置いて行けない・・・部分参加するか、通いにするか。信仰を持って三十一年、毎回当たり前の様に参加してきた修養会だが、その恵みも決して当然のものではなく、行けなくなる時も来るのだと思うと悲しかった。しかし、東京で「著者を囲む会」が開かれるその日の朝、夫は召されていった。静かに、静かに。後日、「牧師の日記」に、秋山兄の死は贖いの供え物としての死であったと記されてあった。夫がこの様な役割を果たしたのなら、さしずめ私は、この本の販売部長を務めさせて頂くのか? 今後、残された人生をどう使って行くべきか、修養会で神様に問いたいと思った。







恩寵あふれる修養会(4)ー主の無尽蔵で無条件の愛を知るー

 恩寵あふれる修養会(4)
 ―主の無尽蔵で無条件の愛を知る―
 中 谷 友 一

 今年の夏は二年ぶりに高砂教会の修養会に参加させていただきました。昨年の修養会後の一年間を振り返ると、激動の一年間でした、まだ一歳に満たない長男の育児の最中、妻が重い病気になってしまいました。『信仰が無ければどうなっていたか・・・』と思うとぞっとしますが、病気との闘いの中にあっても不思議と平安で乗り切ることができたのは、変わらぬ主の愛を感じていたからだと思っています。と同時に、皆様からの熱い執り成しのお祈りを沢山いただき、本当に感謝します。また妻は、修養会の二日前まで最後の仕上げとなる週五日の通院治療が続いていましたが、それも完遂し、無事に全ての治療を終えて病が完治したことも大きな恵みでした。神様がすばらしいタイミングで働いて下さったことに感謝します。
 そのため、今回の修養会にあたっては、闘病の一年間からやっと解放されて、気分的に少しゆったりとする中で、主の愛に憩いつつ、恵みを体験させていただきたいという気分で臨みました。修養会の会場となった赤穂ハイツは、昨年仕事で参加できなかった僕にとっては初めての場所でしたが、景観がとてもよく、自然豊かで、とてもリラックスした三日間を過ごす事が出来ました。
 聖会では、非常に分かりやすいメッセージを語っていただき、日々自分の中にあった無意識の罪責感に気付くことができました。これまで、高砂教会のすばらしい信徒の方々と自分を比べてしまっていたことにより、『神様が注いで下さる愛にも差を生じるのでは・・・』と、少し誤解をしている部分がありました。「恩寵絶対主義」ではなく、「行い比例主義」の意識になってしまっていたのです。しかし、ケイラー師のスタンプチケットの例話による説教や、サムエル兄の証から、主の無条件の愛と無尽蔵の愛が絶え間なく注がれているのだという事実を知って、非常に感動し心打たれ、感謝の気持ちが湧き上がってくるような思いになりました。この「恩寵絶対主義」を一人一人が深く味わうことにより、神様との個人的な関係が回復し、それこそが、ブレイクスルーの鍵となっていく! 主の恩寵こそが信仰の基本的な部分であると再認識することができました。日々のどうしようもなく慌ただしい生活を離れ、自分自身の信仰に向き合うという体験は、本当に恵みになると思わされました。
 あわただしい生活の中にあって、主から受けている恵みを感じることをつい忘れがちなところがある自分ですが、その中で、いつも主の変わらない無尽蔵で無条件の愛を受けていたことに感謝しています。スティーブン・ケイラー師、サムエル師、高砂教会のスタッフの皆さん、そして主の恵みに感謝します。








恩寵あふれる修養会(5)ーひれ伏したまま、涙止まらずー

 恩寵あふれる修養会(5)
 ―ひれ伏したまま、涙止まらず―
 猪 澤 弥 生

 私は去年の六月に母を亡くしました。お葬式の帰り、喪服のまま抜け殻のような私は息子を連れ、上原姉の行っている高砂教会へと、導かれました。まるで吸い込まれように、行かずには家に帰れないという心境で足を踏み入れた時に、小森姉が迎えてくれ、牧師先生に祈って貰ったのが始まりでした。それから毎週礼拝を守るようになり、小森宣教師からGNCを受け、一年前の九月二十二日に洗礼を受けたので、修養会は初めての参加でした。
 この修養会への私の期待の大きさは半端なく、連鎖断食祈祷に二度入り、二十四時間祈祷会には夜から朝まで参加。また、聖霊さまを迎える為に体内のクレンジング大作戦を始め、聖書をひたすら読み、レーマが与えられるように祈りました。そして、修養会の間は断食させて欲しいとお願いし、食事をなしにさせて頂きました。
 「神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。」(エペソ一章一九 )
 「すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。」(エペソ 三章一八―一九)
 イエス様と共に過ごした三日間は、この御言葉のような三日間でした。この御言葉を読むだけで、聖別された三日間から現実に戻った今でも、思い出し涙が込み上げてくるのです。これまで私は、イエスさまの愛の広さ、長さ、高さ、深さに自分のものさしや思いで制限をかけ、勝手に決め込んでいました。しかし、その愛の大きさに触れて解かされ、涙が止まらない、ただただ涙が止まらない。
 按手の時は、常に小森姉と小森宣教師が私と輝くんを守り、導いてくれました。私はこの二人にこの一年特別に助けられ、導かれ、守られて教会生活を送ることが出来ました。異言を頂く時は、籠谷姉がひれ伏して祈る私の手をとってくれました。それから沢山の人が私の周りで私の為に祈ってくれてるということだけは分かりましたが、ひれ伏したまま涙が止まらない状態でした。小森姉から「異言出てる?」と聞かれた時には、もう涙が溢れ過ぎて鼻がつまり、息をするのも大変な感じで、異言なのかなんなのか分からないけど、ただひたすら涙を流しながらイエスさまに感謝を捧げる祈りをしていました。気がついた時は、籠谷姉と神澤姉と恵満姉が私の為に祈ってくれていました。この三人の姉妹方も、私にとっては特別な存在で、神様は本当に大いなる計画の中で、確実に一人ひとりに違った役割を与え働いて下さっている。そんな慈悲深い愛を感じる気持ちでいっぱいになりました。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです(エペソ四章一六)。この御言葉の深さが魂に染み込むようでした。聖霊の宮として、キリストを着せて頂いた者として、教会の一部分として、無尽蔵の富から離れること無く、恵みから始まり、恵みによって成長して、恵みによって成熟出来るように、深く祈り、一人で頑張るのではなく、聖霊さまと一緒に歩んで生きたいと思いました。
 日本は神様に特別に愛された国だと本当に思います。だからこそ、サタンのやり口が巧妙なのだということも思わされています。リバイバルはベールが取れればあっと言う間、そんな気持ちさえ湧きました。自分がやるべき事、祈りの課題、そしてこれからの方向性が見えて来た気がします。日本のリバイバルの為に、異邦人宣教の為に、イスラエルの救いの為にも一致の心で祈っていきたいと思います。そして来年の為に備えて祈る者で在りたいとも思いました。今回の修養会には残念ながら行けなかった方も、修養会の素晴らしい聖会メッセージを是非聞いて欲しいです。















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