月報 2014 12月

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早天祈祷による祝福の体感(1)ー主を愛し、そして変えられていくー

 早天祈祷による祝福の体感(1)
 ―主を愛し、そして変えられていく―
 吉 田 誠 次

 私が洗礼を受けたのは2年前の2012年11月でした。クリスチャンとして歩み始めたこの2年間を振り返ると、初めの頃は、決して御前に胸を張って立てることばかりではなく、イエス様に対する後ろめたい想いを自分の内側に幾つか持っていました。イス様は私に御声を語ってくださり、そしてまた、目の前に最善の導き、示しも数多く与えてくださっていました。ですが私はそれに背き、イエス様の想いに反した「自分の想い」を握る、という歩み方をしていたのです。そのような時、イエス様は愛をもって私が歩んでいた誤った道を正し、その都度方向修正をしてくださる…そのような大きな愛を再々受けながらも、イエス様との距離は一向に縮まらない。そのような想いを持ちながら日々を過ごしていました。しかし、そのもどかしい距離が縮まり、イエス様と親密に交わることができるような多くの出来事、体験をイエス様は私のために用意してくださっていました。
 まず、今年の春、毎週火曜日に聖堂で行われている「主を慕い求める祈り会」に初めて参加する機会が与えられました。でも、それまでの私は手を挙げて賛美することもなく、小さな声で祈り、縮こまった姿で礼拝を捧げていました。しかし、そのような私をイエス様は見逃しませんでした。私の内に隠れていた、イエス様を大胆に慕い求める心を見つけ、それを掴んでくださったのです。…そして気付くと、大声でイエス様の名を叫び、大声で手を挙げ賛美し、祈りも湧き出てくる、という不思議な体験を味わいました。その祈り会において、イエス様は私の心のおおいを取り除いてくださいました。それは、イエス様との距離が縮まった明確な転換点だったと私は確信しています。また、それまでのイエス様との関係性が今までとは違う、親密なものへと変化した特別な瞬間でした。
 もう一つの変化は、早天祈祷に行くようになったことです。今まで何度か早天に行くということを日々のルーティンにしたい気持ちはありましたが、前日の仕事の疲れと早朝という時間の壁が相まってなかなか足を運ぶことができずにいました。しかし、イエス様と親密な日々を重ねていく内に、気付けば朝自然と目が覚めるようになり、「早天に行かないと…」という気持ちではなく「早天に行きたい!」という自発的な気持ちへと変化していったのです。
 そのような自身の変化によって思わされた事があります。それは、イエス様を愛すれば愛するほど、礼拝も祈りも賛美も…全てのイエス様との交わりがとても楽しく、喜びに満ち溢れたものとなる、ということです。愛する人に一日の初めに会うことが苦痛なわけがなく、喜びに満ち溢れた時間となる事は当然だと気付きました。早天で御言葉を聞き、祈り、イエス様にお会いし、一日をスタートすることで、日々与えられている祝福を体感する事ができます。もちろん、困難を感じる日もありますが、それすらもイエス様の愛やチャレンジとして受け取り、感謝することができるのです。そして、早天に行く中で、「どのような状況、場所にあっても、イエス様を慕い求めなさい」という想いを与えられました。また、「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」というクリスチャンとしての基本形の歩み方を改めて私の心に置いてくださりました。
 これからも、イエス様が私に与えてくださる全てのものを感謝し、イエス様の大きな愛に私も愛をもって応答する。そして、如何なる時もイエス様を礼拝し、御足元に留まり、御声を聞き、示される方向へイエス様と共に突き進んでいきます。「恐れることは何もない、主が私と共にいてくださるのだから。」








早天祈祷による祝福の体感(2)ーパニック症状から解放されるー

 「文は人なり」の講演を聴いて(2)
 ―パニック症状から解放される―
 池 端 直 子

 今年も春と秋とに特別早天祈祷週間がもたれ、多くの人が早天にチャレンジする機会が与えられたことを感謝します。この私もかつては「早天」と聞けば「無理」と即答していました。それは、月曜日から金曜日まで働き、しかも2つの仕事をしていたので、早天に行っていると十分な睡眠をとることができず、身体をこわしてしまうのではないかという理由からでした。しかし、今年は仕事がひとつになり、さすがに1週間すべては無理でしたが、5日ほど参加することができました。感謝です。
 私の思いがどのようにして変えられたか、それは昨年のことでした。私が仕事や人間関係のことで色々悩んでいたのと、執り成しの祈りをしたいとの思いで、「2013年は早天を守ろう」と心に決めてスタートしたことが始まりでした。しかし、初日から寝過ごしてしまって早天に行けない自分に情けなさを感じ、やっぱり無理かなぁ、理想と現実はちがう、そう思いながら何日か過ごしていたある夜、突然心臓がドキドキしだし、冷や汗が出てきてパニック発作を起しました。ほとんど眠れず、幸い次の日は仕事が休みで外にも出たくなかったのですが、食事の材料を買いに仕方なくスーパーに出かけたのです。しかし、そこで何を買っていいのか決められず思考回路がストップしたみたいになり、足元もフワフワして、いったい自分はどうなってしまったのだろうと不安が押し寄せてきました。
 早天に行くようになったのはその次の日からでした。十分な睡眠をとり身体は健康を取り戻したものの心は沈んだままでした。朝五時過ぎに自然に目が覚め、一日また一日と早天を守っていると、出鼻をくじかれるかのように仕事場で大きなトラブルが二件も発生しました。気持ちはとても落ち込みましたが、サタンの妨げかも…と思い、かえって負けてたまるかと早天に期待し祈り続けていると、トラブルはすみやかに解決していきました。しかし、私の心の中はずっと暗く重たいままでした。初めは荒野の40日と思い頑張るも、40日過ぎても変わらず、半年経っても苦しみから解放されずうつ状態が続き、更年期かと思い病院に行き、2~3か月治療しても変わらず、なぜこんなことに、どうして、まさか自分が…と不安に押しつぶされそうになりました。そして、とうとう週2日の仕事に向かう時、何とも言えない不安と恐れで胸が苦しくなり、仕事を続けることに限界を感じて辞める決心をしたのです。それでも私の心の重りは取り除かれませんでした。いったい何が…と祈り求めながら早天に通いデボーションをして過ごしていました。そんな中、唯一の心の拠り所は礼拝でした。現実逃避をしているような気持ちにもなりましたが、何より日々の霊・肉・魂の疲れが洗い流され気持ちがフラットになる、礼拝を守らなければ次の1週間は動けない、そんな日々でした。
 昨年1月に初めてのパニック発作が起きてから、春、夏、秋と季節は変わるものの、私の心はずっと暗い終わりのないトンネルの中にいるような気持ちでした。一生心がどよんとしたまま治らないのだろうかと不安がつのり、早天に行っては、元の私に戻りたい、うつになる前の自分に帰りたいと祈っていると、ふと神様は元に戻るのではなく前に一歩踏み出してみることを望んでおられるのだとの思いがきました。そうです。私は一歩を踏み出す勇気が無かったのです。それは、この長い苦しみを通して知らされたことです。いえ、この苦しみを通らなければ気付く事が出来なかったのです。イエス様から「来なさい」と言われて水の上を歩いたペテロのごとくに、〝自分では出来ないけれど主がともにいるなら出来る〟、そう思った途端私は苦しみから解放されました。ハレルヤ












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