月報 2015 1月

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私、クリスチャンになりました(1)ー脳梗塞からのいやしを体験してー

 私、クリスチャンになりました(1)
 ―脳梗塞からのいやしを体験して―
 森 晴 彦

 僕は大学を出てから二十年程広島で携帯電話を作る仕事に就いておりましたが、一昨年脳梗塞を患ってから仕事を休職し、今は神戸の施設で職場復帰を目指してリハビリに励んでおります。
 この前、クリスマス晩餐会の折にも少し触れましたが、僕の母が高砂教会でお世話になっていた事もあり、〝物心ついた時には教会がそこにあった〟という感じで育って来ました。実際、幼い頃育った家と教会の旧会堂は子供の足で五分くらいだったでしょうか。幼稚園の方が遠かったかもしれません。古い話であれば、新谷先生がまだ神学生だった頃、教会学校で色々伺った様な記憶があります。と言う訳で、「キリスト教と出会うまでの自分」と言うものはそもそも自己が確立してなかったと思います。
 イエス・キリストの癒しを強く感じる様になったのは病気をしてからでしょうか。病気をする前の自分には傲岸不遜な所があり、何でも自分ひとりで決めていたので、たとえ交通事故か何かで足の骨が折れても、痛いのを我慢すれば何とかなると思っていたのですが、実際にいざ病気をしてみると、意識不明となり、何とかしようという意思そのものがなくなっていました。
 その後、手束先生を始め多くの方が僕のために祈って下さったお陰で、集中治療室から出て、意識を取り戻す事が出来ました。その後神戸の病院に転院して来たのですが、マンガにある様に、汗をたらしながら車椅子まで這いずって行くような事はなく、リハビリ期間はとても順調に過ごせ、その間、僕の学びのために何度も多くの方が来て下さいました。ですが、僕はあまり良い求道者ではなかったので(今もそうですが)、皆様の御導きにも関わらず、中々信仰に踏み込んでいこうとしませんでした。
 ターニングポイントとなったのは、昨秋小森宣教師一家と一緒に旅行したことでしょうか。僕は子供の頃から生活の中で父なる神の天地創造を知っており、病気をした事によってイエス・キリストの癒しを信じる様になったのですが、今一つ聖霊の働きを感じる事が出来ていない人間でした。小森伝道師たちと旅行する間もその事が気にかかっていて、疑問として投げかけてみました。しかし、いろいろと話しをしていただいたものの、これまでの三十数年、外からキリスト教を見ていて分からなかった事が、これから自分の人生がどのくらいあるか分かりませんが、理解出来る様になるかどうかは甚だ自信がありません。と言うわけで、数日考えた後に、洗礼を受け、内側からキリスト教を見てみようと思った次第です。
 これまでの三十数年は否定するばかりの人生でしたが、クリスチャンとなったこれからは、物事を肯定する人生が送れれば良いなと考えています。ですが僕の場合、洗礼を受けたその夜に夢枕にイエス様が立って…というようなドラスティックなイベントはありませんでした。しかし、その分これから素晴らしい聖霊体験が待っているのではないかと思い、楽しみにしています。元から能天気な性格で、あまりくよくよしたりしないたちなので、洗礼を受けた後急に晴れやかな気持ちになったりはしていませんが、受洗後一ヶ月、最近妻と教会の事について話す事が次第に多くなって来たように思います。
 今年施設を出る予定で、その後、広島の元の職場の方に戻るか、あるいは引き続き高砂でお世話になるか、まだ分かっていませんが、これからも明るく楽しい信仰生活を送っていければと考えています。









私、クリスチャンになりました(2)ー家族の反対を振り切ってー

 私、クリスチャンになりました(2)
 ―家族の反対を振り切って―
 井 上 大 吾


 僕自身のこれまでの人生としては、キリスト教とは全く無縁の環境で育ちました。周囲にはクリスチャンの人はいないし、近くに教会もありませんでした。今まで宗教その物を身近に意識したことがなく、テレビなどで得る情報程度でした。僕はキリスト教に関してはよく知らす、特に偏見も持っていませんでした。
 では、なぜキリスト教と出会うことになったかというと、ご存じの方もいると思いますが、池端千尋姉とのお付き合いがきっかけです。彼女とは、お互いの友達がカップルだったことで、その友達の紹介で知り合いました。その頃は彼女がクリスチャンだとは知りませんでした。彼女と付き合い始めて数ヶ月経ったある日、実はクリスチャンだと打ち明けられました。彼女がクリスチャンである事に少しは驚きましたが、キリスト教に偏見が無かった僕にとって、それは大した問題ではありませんでした。打ち明けられた後も、特に問題なくお付き合いが続きました。
 そしてある日、「教会の人たちとたこ焼きパーティーをするから大吾君もどう?」と誘いを受け、せっかくなので参加する事にしました。そのたこ焼きパーティーは同年代のクリスチャンが多く、みんな非常に明るい印象を受けました。会の終盤に差し掛かると、今日の事を感謝しようとお祈りをしました。それが初めて目にするお祈りでした。普段彼女は僕に気を使ってかクリスチャンらしい言動を見せていなかったので、少し戸惑いを感じました。この様なクリスチャンとしての彼女の一面を見て、彼女が信じていることだから、自分も少しは勉強してみようと思うようになりました。
 それから、お誘いもあって礼拝や青年会の行事などに参加する様になりました。最初のうちはクリスチャンになる気はあまりなく、とりあえず勉強だと思って礼拝に行っていました。そんな中、教会員の方からGNC(信仰入門講座)を勧められ、受講し始めました。GNCに参加してイエス様の事を学んでいく内に、自分の心が少しずつ変わっていく感じがしました。そして、もうGNCも一回か二回を残すだけという時に、新谷先生から、彼女と一緒に食事に…と誘われました。そこで色々とお言葉を頂いた後、「洗礼を受けませんか?」と言って頂きました。洗礼を受けたい気持ちは少しあったものの、家族に、クリスチャンの彼女と付き合っている事、教会に行っている事を伝えてからあまり日が経ってなかったので、家族は反対するだろうと思いました。そんな事もあり、返事は保留にさせてもらいました。その数日後実家に帰った際に、思い切って母と姉に洗礼を受けたいと思っていると打ち明けると、案の定反対され、一生の事だからもっと考えて決断した方が良いと言われました。それで色々と悩みましたが、洗礼を受けたいと家族に気持ちを伝える事が出来たのは導きがあったからだと思い、家族の同意を貰わないまま洗礼を受けることにしました。
 そういった経緯があって、十二月に洗礼を受けました。今の心境としては、すっきりしたような感じで精神的に安定しています。仕事の事、家族の事、色々と悩む事はあるけれど、いつでも導いてくれるのは神様だと思うと気持ちが救われたようになります。本当に洗礼を受けて良かったです。




私、クリスチャンになりました(3)ーこれまでの自分への深い反省からー

 私、クリスチャンになりました(3)
 ―これまでの自分への深い反省から―
  薮 田 浩 彦



 冬の晴天は透明感があって、寒くても何かしら爽快さを覚えます。昨年十二月二十一日、まさしくそのような日に、当教会で洗礼を授かったことを大変うれしく光栄に思います。
私は一九六二年奈良市で出生しました。実家は特に信仰があった訳ではなく、むしろ典型的な日本の家庭で、仏壇があり、仏法に対して一定の畏敬の念はあるというような環境でした。それゆえにと言うべきか、何ゆえにと言うべきか判りませんが、両親は、私を近くのキリスト教会が運営する幼稚園に通わせました。つまり五〇年くらい前に一度主イエス様と出逢っていたことになります。卒園後もしばらく土曜学校に通いましたが、そこは子供のことで、有難さも分からぬまま疎遠となり、以降、特に信仰を持つこともありませんでした。
ところが、この度、半世紀を経てまたご縁があり、当教会の信徒である義姉が、私のある問題を気にかけてくれたことがきっかけで、昨年の三月から月に一、二度、LFCのカウンセリングを受けることになり、その日に礼拝させて頂いておりました。しかし、永きにわたって何の信仰にも無縁で、しかも市井の薄汚い垢が心身に滲みついた自分が、このような敬虔な場所に居ることを果たして許されるのか? という気持ちが強く、信徒になれるとか、なりたいという考えはまったく浮かびませんでした。 また、牧師先生や教会の皆さんの温かいお言葉や励ましをいただくうち、教会自体はとても楽しく、私にとっては、まるで昔のテレビアニメの「ムーミン谷」のような、明るくてほっとする場所だとすぐに察知しましたが、とりわけ「神を信仰する」という意味や方法はよく分かりませんでした。洗礼を受けてこう言ってしまっては、お叱りを受けるかもしれませんが、今も実感として分かったとは言い難いですし、これからも確たる自信のあることではありません。実家の仏教の問題もありましたが、いざ受洗となると、この事が最も大きく心に引っ掛ってきました。
そんな折、十月末ころだったでしょうか、一人の信徒さんが、礼拝後の食堂で「今日の聖書のメッセージは如何でしたか?」と声をかけてくださいました。私は、半ば社交辞令的に「いつも自分のことを言ってくださるような気がします。」と応えました。すると「そうですよね。でもそれって本当に神様が言ってくださっているとしたらどう思われますか?」と重ねて訊かれました。私は、少しハッとして、その質問を心の中で繰り返すうちに、何か信仰を考える上での糸口がふと見つかったような気がいたしました。同時に、難しく考えなくていい、感じるままでいいと言っていただいたようにも思いました。
そして、ついぞ今日までよく考えたことすらありませんでしたが、一体自分は何を心の拠り所に、何を判断の材料、基準にしてこれまで行動や決心をしてきたのだろうか? 恥ずかしながら、唯一そうかもしれないとすれば、特に社会人となってからは、「経済合理性」という宗教に偏執し、妄信していただけではないのか? そして、はじめから、どの宗門によらず天啓というような目出度い都合の良い話は、あるはずがないと決めつけて生きてきたのではないのか? そう思い巡らざるを得ませんでした。でも、このような凝り固まった心のリセットが出来たなら、きっと本当に新しく生まれ変われるのではないのか? 自身の年齢に戸惑うことなくそう思えるようになり、洗礼を受けさせていただく決心をした次第です。末筆にて甚だ恐縮ですが、教会の皆様には、これから何卒よろしくご指導お願い申し上げます。



私、クリスチャンになりました(4)ー喪失感と罪責感から解放されてー

 私、クリスチャンになりました(4)
 ―喪失感と罪責感から解放されて―
  名 村 祐 司


 なぜ無神論者であった私が信仰を持ち洗礼を受けるに至ったのか。それは、私が抱いていた途方もないほど積み上がった喪失感と罪責感がその根底に有りました。私はあることがきっかけとなり、三十歳を超えるあたりから徐々にそれらが私の中に積もりはじめ、四十歳を超えるころにはピークに達していました。このような感情の鬱積を自分でどうすることもできず、その重圧と戦いながら、色彩のない暗くて長いトンネルの中のような世界を生きていました。怒りと悔恨と不安を抱きながら。また私は誰かに頼るとか相談するという術を知りませんでしたから、すべての事は自己責任として飲み込み、そのストレスで持病も悪化し、心身ともにボロボロになっていました。そして私は誰にもこの状態を語ることも無く、世間に対して高い壁をつくり、強がりながら、只々早く命が尽きることだけを願って苦痛だけの人生を送っておりました。
 そんな折、こんな愚かな無神論者である私に神様のご計画が実行され始めました。私たち夫婦の共通の友人がクリスチャンで高砂教会に属されていたことから、少しずつではありますが、教会や教会の方々との交わりが生まれて行きました。しかし無神論者であって神様のご計画に気づかない私は、「そういう世界もあるのだな」というぐらいで、キリスト教や教会について真剣に考えてみたことはありませんでした。
 そしてしばらくの時が流れ、ついに神様の素晴らしいご計画が進みました。二〇一四年一月一日の礼拝に初めて参加させていただき、生まれて初めてこの目で教会の真の十字架を見た瞬間、自分の体の中のすべてのものが入れ替わるような不思議な感覚を覚えました。そして、生まれて初めて感じる素晴らしい癒しを体験し、無神論者であった私が、「これから少し教会に通ってお話を聞いてみるのも良いかもしれない」と思うようになりました。そして約一年間、礼拝での祈りを通しての神様とのふれあい、また教会の皆様との交わりを続けているうちに、だんだんと私の心の目が色を感じ始め、気が付くと色のない暗いトンネルから色彩に満ち溢れた明るい光に満ちた大空の下に立っている自分が居りました。途方もなく積み上がった喪失感は消え失せ、イエス様の十字架の力で罪責感はいつの間にか赦され消えていました。しかし、元来無神論者である私はなかなかこれを受け止めることができず、何ヶ月か心の葛藤に苦しみました。洗礼を受けるべきか否か。また昔の辛い世界に帰るのかそれとも新しく生まれ変わるのか。そしてついに訪れるべくしてその時が訪れました。イエス様の愛が私を変えてくださいました。
 二〇一四年十二月二十一日、高砂教会で洗礼を受けました、初めてこの目で十字架を見て衝撃を受けてから約一年、私は生まれ変わりました。今私には心からの幸福感と安心感があふれています。まるでかけがえのない愛に包まれた幼子のように。今から思うと、これまで私が感じていた喪失感や罪責感は、神様が私に天を仰ぎ見ることができるように与えてくださった素晴らしい愛と御計画だったのでしょう。神様はこんな私にも手を差し伸べてくださり、私に試練だけでなくその出口をも用意してくださいました。そしてその出口を出ると、恵みに満ちた素晴らしい世界が待ち受けていました。
 今まで本当に辛い生き方をしてきました。こんな愚かな私をも神様は見捨てられませんでした。感謝でいっぱいです。これからの信仰生活の中で、神様のどのような素晴らしいご計画が待ち受けているのか?期待でいっぱいです。そして私をここまで導いてくださいました高砂教会の皆様に感謝でいっぱいです。





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