月報 2015 4月

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元老牧師推戴によせて(1)ー予期せぬ涙がこみ上げてきたー

 元老牧師推戴によせて(1)
 ―予期せぬ涙がこみ上げてきた―
 松 本 美 和

 先月の月報連載自叙伝に、居心地の良かった前の奉仕教会を理不尽にも出て行かなければならなかった経緯が詳細に綴られていた。これを読んだ時に、遡って、母を亡くした幼い頃の牧師先生が、頼りにしていた父にまで見捨てられ、言いようのない屈辱と孤独感に苛まれたというつらい体験談を思い起こした。またもやこの理不尽な体験。そして次の赴任先がこの高砂教会。当時は〝お化け屋敷″の代名詞があるほど荒れすさんだ教会、信徒訓練が成されておらず物置場と化した聖檀、雨漏りのひどい薄暗い惨めな生活空間。理不尽さを誇張するかのような環境の中でのスタートを切られた。何とその冒頭で「この地で骨を埋める覚悟です」と宣言されたたくましさは、これまでの度重なるつらい体験の賜物なのか。痛手が瘡蓋となり、むしろ前より固く強くされた証。主にあっては何一つ無駄になることがないことを思わされる。
 以来四十二年間、不利な環境にあっても卑屈になって立ち止まっておられるのを見たことがない。想像を絶する辛さ、落胆を味わわれたに違いない。しかしながら聖霊の力により淡々とそこを改善改革して前進してこられた。むしろ打たれても叩かれても立ち上がる姿は、私たち信徒にとって良き模範であった。そしてその熱心さは今もって変わらない。
 この度、元老牧師推戴を記念して一冊の記念写真集が編まれ手にすることができた。編集委員の方々のご苦労に本当に感謝したい。ページをめくるごとに忘れかけていた事が甦る。主の恵みの数々。主が成して下さった奇しい御業。
 アルバムを通して気付かされたことがある。この四十二年の歩みは新しいことへの大胆な展開と、一方で古き時代からの継続で綴られていると。社会運動に熱心であった牧師先生が、聖霊体験をしたならば一転。教会内で反発が起ころうとも屈することなくカリスマ運動を進めるためにあらゆる努力を怠らない。説教で聖霊について熱く語る。反発する信徒たちの理解を得ようと月報にカリスマ運動について詳しく説き続ける。新会堂建設のヴィジョンが与えられたなら、ひたすらそれに向かって祈り準備を重ねる。どんな波風が暴れようと耐えていかれた。新会堂に移ってからは、大きな教会の大きな牧師になるための自己改革を始められ、教会の理念もしっかりと打ち立てられ、方向性が与えられた。それに沿ったプログラムでいいと思われるものは数々導入実践されていく。海外の教会との交流も広がった。この度の元老牧師推戴という節目も新しいことへの大胆な展開の一つではないか。
 時を見定め、決心し、実行に移す。この斬新な展開は深い洞察力が伴わなければならないだろう。時代を見極める能力と実行にいたっては勇気と大胆さが求められる。それゆえ反発者も多く覚悟が必要だ。一方でおごそかな礼拝形式は今も重んじられ、神の美しさを表現し臨在感を高めるために更に讃美の向上や聖餐式の充実が図られた。弟子訓練のための学びも続いている。牧師先生が導入されたベテル聖書研究は四十年来のものだ。伝道への熱心さも変わらない。時代に即して展開され続けてきた。
 思えば私たちは牧師先生の爆弾宣言に何度驚かされたことだろうか。いつのまにか苦笑しながらここまできた。振り返ればすべて主の御業であった。私たちの弱さゆえに起きた悲しみの出来事も、肉の意気込みもすべて含めて織りなして綴ってくださった神様の歴史。
 祝賀会席上、予期せぬ涙が込み上げてきた。
新たに主任牧師となられる新谷師ご夫妻が手束師ご夫妻に花束を贈呈された場面。とうとうこの時代がやってきたのか。次代を受け継ぐ者もバトンタッチする者も、これまでの主の恵みを心の碑にしるし、これからも、ただ歴史の創造者なる聖霊様に従って新たなページを綴っていきたいと思わされた。








元老牧師推戴によせて(2)ー手束牧師先生のDNAを受け継いでいくー

 元老牧師推戴によせて(2)
 ―手束牧師先生のDNAを受け継いでいく―
 岩 上 恵

 今回の祝賀会は、今まで手束牧師先生と高砂教会を導いてくださった主の御手を鮮やかに見ることができたような、素敵な祝賀会でした。祝賀会の中で、青年の有志で、特別賛美としてアウェイクジャパンを賛美させていただきました。練習や本番に歌いながら、この日本を愛している主の心、またその情熱をいただけたような気がして、とても感謝なことでした。
 就任式典委員として、七月から委員会が進められていきました。その中で、手束牧師先生について高砂教会を支えてこられた兄姉方の、牧師先生や教会に対する熱い思いとまた、パワフルな行動力を間近で見せていただいて、私も、また青年の私たちも受け身ではいられない!主のために、教会のためにこうでありたいなあと素敵な後ろ姿を見せていただけたことも感謝でした。また、今回委員会に入れていただいて、手束牧師先生は、本当はとっても温かい方で、お茶目な一面もあるということが分かりました。楽しくて大好きになりました。
 私は手束牧師先生や高砂教会の長い歴史を詳しくは知らなかったのですが、就任されて四十二年間、冷笑されたり批判を浴びたり、誹謗中傷されたりと手束牧師先生にとって本当につらいことがあられた時も、そんな時にも御言葉を握り、ただひたすら主に祈り、主だけに従い、走り続けられたというその姿に胸が熱くなりました。
 私は生まれた時から高砂教会に通っています。母は、高校生の時から教会に通い始めました。結婚したり姉を出産したりしてから少し教会から離れていたようですが、みなさんのお祈りや、新谷先生が母に、もう一回だけでいいから神様を信じて祈ってみて」と家を訪ねてくださったことからまた教会に戻ることができました。それから母自身、また私たち家族に色々なことがありましたがその度に牧師先生や美智子先生にお話を聞いていただいたり祈っていただいたりして支えていただいたから、今があり、そのおかげで私もこうして高砂教会につながり神様と歩めていることに改めて考えさせられ、感謝の思いがこみ上げてきました。
 そして新谷先生夫妻が手束牧師先生夫妻へ花束贈呈された時は涙が出ました。次期主任牧師が新谷先生だと知った時、素直に嬉しかったです。私たち青年は小さい時から新谷先生にお世話になってきました。何も飾らず自然体でいつもみんなを笑わせてくれて応援してくれていたからだと思います。また、一人一人のことを一生懸命に祈ってくれました。神様に本当に忠実であられたからこそ高く引き上げてくださったのだと思いました。そしてこの世代交代を通して主がこれから、どんなことを高砂教会にご計画されているかもまたとても楽しみです。ますます一人一人が信仰に立って主にあり、一致していくことや祈り合っていくことが必要であると感じました。
 私たちは主に呼ばれてここへ集められている一人一人です。私は本当に小さい者ですが、そのことに誇りをもち、大きな希望と願いを持って与えてくださっている賜物を主の教会のためにどんどんと用いられていきたいと強く感じました。高砂教会に植えられた者として、手束牧師先生のDNAをしっかり受け継ぎ、日本のために、世界のために主の心を教えていただきながら仕えていきたいと願わされています。





元老牧師推戴によせて(3)ー「家康型牧会」がいよいよ実行に移されてー

 元老牧師推戴によせて(3)
 ―「家康型牧会」がいよいよ実行に移されて―
 聖書福音聖川教会牧師 當 銘 由 正

  その人のすることはすべて 繁栄をもたらす(詩篇一・三 共同訳)

 この度、手束正昭先生の元老牧師推戴行事にお招きいただき、心から感謝します。
 日本の教会では、「元老牧師制度」を取り入れ、「元老牧師推戴式」を行うのは、初めてのことではないでしょうか。そのような歴史的行事に参加し立ち会えたことは無上の名誉であり喜びでした。
 厳粛な推戴式、華やかで明るく、また、婦人たちの着物姿での奉仕は、まさに日本的キリスト教を彷彿とさせる気配りの行き届いた行事で感動的でした。
 私は常々、教会成長の大きな妨げの一つは牧師の交代にあるのではないか、と考えていました。私がまだ若い頃、沖縄で最大と言われる教会がありました。しかしその教会は、牧師が変わるたびに役員会が真っ二つに割れたり、三つ巴になったりして、現在は小さな教会になってしまっています。また別のある教会は、飛ぶ鳥を落とす程の隆盛を極めていたのですが、牧師の辞任後、何度も無牧状態となり、現在もまだ無牧のままです。
 牧師の交代は、陸上競技のリレー競走に似ているのではないかと思います。リレー競走で勝敗を決するのは、ほとんどバトン・タッチでうまくいくかどうかにかかっています。バトン・タッチで手間取ったり、落としてしまったら、まず勝ち目はありません。 
 前任牧師の辞任後、次の牧師を誰にするかで揉めたり(バトン・タッチで手間取る)、数年間無牧状態になったり(バトンを落として次走者がバトンを取るまで間が空く)で、教勢を落としてきた教会を多く見てきました。
 神の教会は、決して「夏草や つはもの(つわもの)どもが夢の跡」(奥の細道)となってはならないし、世の習いと言われる「栄枯盛衰」の〝枯〟や〝衰〟があってはならず、常に〝栄〟があり、〝盛〟がなければなりません。すなわち、教会は常に成長し続けてこそ、神の栄光は現されるものです。
 そういうことで、今回の手束正昭先生が取り入れられた「元老牧師制度」は、大いに期待されるものです。先生が「教会成長の勘所」で主張される「家康型牧会」が、いよいよ実行に移されました。高砂教会はこれからの日本の教会の手本となり、模範となると信じます。
 ところで、高砂教会に行きますと、私にはいつも心に浮かんでくる不思議な歌があります。

 あおによし 奈良の都は 咲く花の
    にほふ(におう)がごとく 今盛りなり

という万葉の歌です。ここは奈良ではなく、高砂だし、都ではなく教会なのに、なぜかこの歌をいつも口吟んでいるのです。高砂教会の兄弟姉妹が明るく賑やかで笑い声が絶えないからだろうか。また、一人ひとりが命輝かしているからだろうか。不思議と、私はいつもこの歌を口吟んでいます。
 手束正昭先生が元老牧師となられ、新谷和茂先生が主任牧師となり、強力な指導体制が取られて、高砂教会はますます大きく成長し、繁栄し神の栄光を現していくであろうことを、今回の「元老牧師推戴行事」に参加してさらに確信しました。
 これから十年後、二十年後、私が高砂教会を訪問するときには、次のように口吟んでいるものと思います。

 あおによし 高砂の群は 咲く花の
      にほふがごとく 今盛りなり



元老牧師推戴によせて(4)ーまるで結婚披露宴のような華やかさー

 元老牧師推戴によせて(4)
 ―まるで結婚披露宴のような華やかさ―
 星城大学准教授 加 藤 知 子

 手束正昭先生との出会いは、『HAZAH』2011年12月号の、「日本宣教の突破口 大東亜戦争は本当に侵略戦争だったか(その十一)」を拝読したのがきっかけです。同誌は、マルコーシュ・パブリケーションの木村淳兄が送ってくださいました。木村兄には、私の論文(「『キリスト教と天皇(制)―メシアニック・ジュダイズムを手掛かりに―』」)を読んでいただいたところでした。手束先生の紹介欄には、「日本キリスト教団聖霊刷新協議会」代表世話人とも書いてありました。
 現在の日本キリスト教団は社会活動団体としての色合いが濃く、また、所謂日本自虐史観が根強く残っています。教団に疑問を持っていた私には手束先生の存在は驚きでした。その後、日本基督教界の政治性や歴史認識についての論文を書き、先生に査読していただいたことがご縁で、今回、元老牧師推戴記念行事に参加させていただくことになりました。
 行事の初日は推戴式でした。皆様スーツ姿(当たり前?)の中、私は旅行着のままで内心恥ずかしかったです。その後、軽食会場に移りましたが、高砂教会のスタッフの皆様と施設の充実ぶりに驚きました。翌日は推戴記念礼拝で、またしても、皆様お祝いに相応しい装いでした。Tシャツ姿でカジュアルな雰囲気の中礼拝する教会もありますが、はれがましい日にはその気持ちを服装で表して神様を賛美することは素晴らしいですね!
 礼拝後は加古川プラザホテルで記念祝賀会です。ここでも思い切り煌びやかに、一緒にお祝いすることができました。このような華やかさは教会にはそぐわないのではというご意見もあるでしょう。また、教会内で家庭的にお祝いする良さもあるでしょう。しかしながら、教会から出てホテルで祝賀会を開くことにより、教会の存在を加古川市民の皆様にも知っていただくことができます。クリスチャンが何をしているのかをわかっていただくことにも繋がるでしょう。
 軽食会や祝賀会では、私個人の力ではお会いすることが叶わない方々とお話しすることができました。御心に叶うよう、伝えるべきことは伝え、控えるべきことは控えられたと思います。
 『HAZAH』2011年12月号には久保有政先生の「日本文化の中に封印されたキリスト教」が掲載されていました。当時私の父は膵臓癌を患っていました。久保先生がお書きになっている事柄を参考に、これまでのアプローチをすっかり改め、昭和一桁生まれで古い家に育ち、伝統をずっと護ってきた父に感謝することにしました。するとどうでしょう。父は亡くなる四日前にイエス様を受け入れました。祝賀会でお隣になった久保先生には感謝の気持ちを伝えられて本当に良かったです。
 しかしながら、そもそも、日本の中に眠っている聖書的伝統が見えるようになったのは、故笹井大庸兄の『キリスト教と天皇(制)』を読んだのが一つのターニングポイントでした。今回の元老牧師推戴記念行事にご参加の皆様と私とを繋ぐ接点の一つが笹井兄の存在です。笹井兄にも論文を読んでいただいたことがあります。兄は既に御国におられますが、手束先生の元老牧師推戴式を見守ってくださったことでしょう。
 祝賀会は、高砂教会や国内外の来賓の皆様によるスピーチ・琴演奏・歌・踊りなど、盛りだくさんでした。広いネットワークをお持ちの手束先生と、神様を様々な形で賛美することができる高砂教会の方々に敬服した次第でございます。
 美しい写真集・美味しいカステラ・可愛い水筒など、お土産まで頂戴し、結婚披露宴のようでした。この大規模な行事を企画・運営するのは並大抵のことではなかったでしょう。あらためて、高砂教会の皆様に感謝申し上げます。
 祝賀会では「海ゆかば」高砂教会讃美版を斉唱しました。パウロたちも「キリストの辺にこそ死なめ」と思って伝道したことでしょう。その伝統は日本の大本に既にあります。日本が目覚めるよう、これからも祈りを共にさせていただければと願っております。



元老牧師推戴によせて(5)ー「元老牧師」の意味が分かったー

 元老牧師推戴によせて(5)
 ―「元老牧師」の意味が分かった―
 JEC奈良福音教会牧師・アテネミニストリーズ主宰 宮 谷 泉

 韓国の教会にお訪ねした時には、よく元老牧師という言葉を聞いておりましたが、何を意味しているのかよく理解しておりませんでした。「名誉牧師のことなのか、引退牧師なのか、協力牧師なのか」と勝手なイメージをもって韓国の元老牧師先生方を見ておりました。今回の先生の元老牧師推戴式にお招きに与りこのこともスッキリいたしました。一般の会社でいう会長職になられたのだという説明を聞いて「なるほど」と頷きました。
 それなら何故日本の教会はこの元老牧師という立場を用いてこなかったかと考えるようになりました。名誉牧師、代表牧師、創立牧師、顧問牧師、協力牧師、引退教師、様々な言葉が用いられてきましたが、この当然の「元老牧師」という制度を用いてこなかったのは問題でないかと感じています。手束先生がそこに目を付けて日本最初の元老牧師になられたのは、さすがというほかありません。
 三十五年ほど前、有賀喜一先生が、関西聖書神学校校長であられた時期に、私は献身しこの神学校で訓練を受けておりました。私の場合もその時期、高砂教会に神学生の派遣を求められ、受け入れ先の牧師として、よく神学校に顔を見せておられました。その当時は神学生としての挨拶をするぐらいで、今のように親しくしていただくようになるとはまったく思っておりませんでした。その後、先生はどんどん著名になられただただ感心しておりました。時も過ぎ、私が札幌近郊の町で開拓伝道をしております時、先生が教会形成のセミナーに来られていると聞き、懐かしさもあり何度も中島公園通り教会に通い講演を拝聴いたしました。その内容は、先生独特の鋭い観察からくる的確な提言で、それを聞くことは私の楽しみのひとつとなりました。
 関西に戻り、傷つき混乱した教会の後継者として赴任いたしました。この時も、幾多の試練を聖霊の導きに従って乗り越えてこられた先生ご夫妻のことを耳にし、大きな励ましを受けておりました。私の場合は、礼拝出席者が100名近くあった教会が、30名を切る状態となっていましたが、いくつかの試練を越えて常に150名以上の礼拝出席者が与えられるまでに回復し、さらに成長してまいりました。これも、見えないところで先生方からの感化を活かして下さった神の御業と信じ、感謝しております。
 さて、釜山の教会の主宰する教会成長の研修会に先生とご一緒に参加させていただいてから、とても親しくさせていただき、民族総福音化運動にも加えられました。また、「仏教についてのアカデミックな研究者たちに何人か会ってきたが、現役の牧師で伝道・牧会に適応した解説ができる人に出会ったのは初めてだ。」と言われた一言が、私を仏教や神道などの日本の伝統宗教に対しての戦略を講演し、巡回するきっかけになりました。日本国中を巡り歩いておられる先生が、そう言われるということは本当に日本国中の教会が悩み苦労しているのだと感じると、神様が「このためにあなたを召した。立ち上がれ」という声になって聞こえてきたのです。そうなると、私も伝道者ですから、その声に従うほかありません。そして、アテネミニストリーズの働きが始められました。トップランナーとして道を切り開いていくことは苦労が多いですが、常に日本のキリスト教界でトップランナーを走り続け、道を切り開いてこられた先生の後について、日本のリバイバルのために走り切りたいと願っております。これまでのご指導を心から感謝しつつ。









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