月報 2015 5月

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ベテル聖研は「人生の星の時間」(1)ー執り成し祈ることの必要性を痛感ー

 ベテル聖研は「人生の星の時間」(1)
 ―執り成し祈ることの必要性を痛感―
 滝 本 聖 子

 手束元老牧師先生より主任牧師最後の受講生としてベテルの学びを取り次いで頂き、素晴らしいメンバーと共に貴重な時間を過ごさせて頂けたことを心より感謝しております。ベテル卒業生の先輩方が口々に「ベテルを受けている間は本当に祝福された星の時間だった」と言われるように、この二年間を振り返り、私もそのことを実感しております。
 当初私はベテルを受講することに関して、かなり消極的でした。というのは、二年間も毎週仕事の調整をし、その時間を聖別出来るだろうかという心配と、テストがあり欠点を取ると罰金制度があると噂に聞いていたので、歴史や暗記の苦手な私にとってはかなりハードルが高く思えたからです。そんな私が、ある日突然神様からのラブレターである聖書をもっと深く知りたいと思うようになり、受講を決心しました。そして五人のメンバーが与えられました。一人一人境遇も世代もキャラクターも違いますが、今では心から祈り合い本音で分かち合うことができる信仰の友となりました。決して偶然集まった訳ではなく神様が私に与えて下さったかけがえのない宝物だと感じています。
 学びが始まり、初めは緊張していましたが牧師先生が冗談を交えながら解かりやすく教えて下さったので、すぐに緊張がほぐれ心が開かれて、神様がどれだけ私たちの事を愛し祝福して下さっているのかという事に気付く事ができました。そして与えられた祝福を、今度は私が流し出したいと思うようになりました。
 「祝福を流し出す」ことで、まず思い浮かんだのは伝道することでした。救いの喜びを一人でも多くの方々に伝え、どんどんと神の家族が増し加えられることを想像するとワクワクしました。しかし、途中からその前にもっと大切な事があるように感じ始め、この時期に手束牧師先生の元に集められた意味を今一度深く考えるようになりました。すると、「すべての人の為に、王たちと上に立っている全ての人々の為に、願いと、祈りと、執り成しと、感謝とをささ捧げなさい」(一テモテ二・一)が与えられ「祈り」が必要だという事が示されました。祝福の基となる事が祈る事?と一瞬意外な感じがしましたが、具体的に何について祈ればいいのかを聴き求めました。
 今、高砂教会は主任牧師先生の世代交代によって大きな変革の時を迎えています。新体制に向けて、今まで先生方の為には祈ってきましたが、どこか他人事で自分の事として受け止めていない事に気づきました。そして、世代交代は先生方だけの事ではなくて、私自身も関係しているということを自覚し、教会の変化に順応していくことが教会成長へと繋がるのではないかと感じるようになりました。
高砂教会は、これから一千人教会を実現する事で日本の教会のモデルとなり、神様から与えられている使命である、民族総福音化・聖霊刷新運動を進めていく責任があります。神の国の実現に向けて、まだまだ発展し、なすべき事が多くあります。その為にも、今信徒一人一人の一致した祈りが必要なのではないでしょうか。
 私には息子の病の癒しを通して皆様の執り成しの祈りが次々にきかれたという証があり、祈りの力は確信しています。私の祈りは本当に小さな祈りですが、祈りを積み重ねることにより聖霊様が働いて神様が祈りに応えて下さることを信じます。まず、自分自身が整えられ、聖霊様によって祈りが開き深められるように祈りつつ、教会のため、先生方のため、全ての人々の為に願いと祈りと執り成しと感謝を捧げたいと思います。
 神様が臨在されている高砂教会に植えられ、素晴らしい先生方の元で素晴らしい仲間と共に信仰生活を歩める事を感謝して、これからは私に与えられている使命を喜んで果たしていきたいと思います。









ベテル聖研は「人生の星の時間」(2)ーベテルのノートは私の宝物となったー


ベテル聖研は「人生の星の時間」(2)
 ―ベテルのノートは私の宝物となった―
 中 西 弘 美

 「一緒にベテル受けよう」と声をかけて頂いた時、迷うことなく手束牧師先生の聖書の学びを受けたいと思いました。学びの日が仕事の日と重なっていたため調整が必要でしたが、神様はみごとに整えてくださいました。年齢も、今までの信仰生活の歩みも、置かれている環境も、持っている賜物も違う姉妹方を神様が集めてくださり、当番制で感話することで、恵みを思い起こす時となりました。また信仰的に捉えるべき状況が起こされた時には、牧師先生からみことばをいただくこともありました。学びの後では、料理を作る賜物を持つ姉妹がおられ、豪華なランチを頂きながら、分かち合いの時を持つことができました。
 最初の頃の私は、年齢が一番上ということもあって「いい子でいなければ、しっかりしなければ」という思いを強く持っていました。その頃の私を表現力豊かなある姉妹は、『曲がり角を直角に曲がる人』だと言われました。私はこの学びは自分が知識を得るための学びだと思っていました。ところが学びを続けるうちに、単に聖書を学ぶだけの時間ではないと気づかされました。得られた知識を知恵としていくことを学ぶ時間だと思わされました。テストがあり、多くのことを覚えないといけなくて本当にしんどかったのですが、ノートを見直した時に、牧師先生はこの学びを通して、キリスト教の神髄【神様との交わりの宗教である、神様は祝福の神様である、神様がいかに私たちを愛して下さっているか、聖霊による可能性の宗教であるなどなど・・・】を繰り返し繰り返し私たちに語って下さっていることがわかりました。そして、牧師先生から私たちに直接励ましのメッセージを送って下さっていることにも気づかされました。牧師先生が「このベテルの時間は人生の中の輝く星の時間です」と言われた意味がここにあるとわかりました。今では、ベテルのノートは私の宝物となっています。
 牧師先生は、ベテルの学びが始まった時から「全員が揃って卒業できるように」と祈って下さっていました。その意味の深さを知るのには時間がかかりました。二年間という期間はやはり長いです。この間、ベテルの時間を聖別していくことの難しさを時が経つごとに痛感させられました。仕事や病、信仰的に下り神様から遠ざかってしまうなど、多くの妨げが一人ひとりにかかってきました。私たちはそのたびごとに祈り合いました。祈りを一致させることによって大きな妨げをぶち破ることができることを実感しました。そして神様の計画のために、神様に仕える者になるために、ベテルの時間を聖別すること、学び通すことの意義深さを思わされました。また祈り合う中で、神様によって集められた仲間はかけがえのない信仰の友となっていきました。自分をさらけ出し、支え合い、祈り合うことができました。私はこの学びを受けるに当たって一つ決めていたことがあります。それは『休まない』ということです。私のこの小さな覚悟に、神様は答えてくださいました。感謝です。
 この学びを通して、聖霊様による一致した祈りが教会を成長させる、教会が成長するためには聖霊様による一致した祈りが不可欠であることも強く思わされました。そして、神様のご計画は計り知れませんが、それぞれの置かれている場所で、役割にのみ目を捉われることなく、自分の存在意義を考えるようになりました。この高砂教会に植えていただいて、教会の世代交代のこの時期に置いて頂いている意義をしっかりと受け止め、祈っていきたいと思わされています。この学びのテーマである『祝福の基となるために祝福を受ける』を胸に、今後の信仰生活を歩んでいきたいと思います。二年間守り導いてくださった主に感謝するとともに、学びを取り次いでくださった手束牧師先生に感謝いたします。そして一緒に学ぶことができた姉妹方に感謝します。






ベテル聖研は「人生の星の時間」(3)ーこんなに恵みの時はありませんー

 ベテル聖研は「人生の星の時間」(3)
 ―こんなに恵みの時はありません―
 小 西 知 美

 この度、べテルを無事卒業しました。始まる前は、二年間は長いだろうと思っていました。しかし、二年間はあっという間に過ぎていきました。手束先生が主任牧師として指導して下さる最後のクラスでしたので、先生の貴重な二年間を共に過ごせたことは、私にとっても貴重な二年間となりました。さらに集められたメンバーによって、学びあり、笑いあり、涙あり、熱い思いあり、美味しい食事ありと、祝福された時間となっていきました。年齢、環境、境遇、全く違う様々なメンバーでありましたが、神様がこうして楽しいメンバーを集めて下さり、手束先生の元での学びへ導いてくださいました。
 こうして毎週聖別された木曜日を過ごすことになりました。暗記がことごとく苦手な私は、散々な成績ではありましたが、学びは楽しく、毎回気づきを与えられたり、チャレンジを与えられたりの連続でした。中でも、『祝福の基となるために祝福を受ける』ということ、これはすごく大きな学びでした。今まで曖昧だったクリスチャンとして生きることの目的と手段が明確になり、救われた喜びにひたるだけでなく、伝道は先に救われた者の任務であると、しっかり握り直すことが出来ました。そして、まず神様に聞く、そして聞いたことを信頼する、そして御言葉の通りに行う、『聞いて行う』事が大切な事であると改めて思わされました。しかしこれがなかなか難しく、つい神様に聞かずに先に行動に移してしまったり、感情が先に来ることもしばしばあります。けれども、その都度立ち返ることができる恵みに感謝しながら、日々訓練されているんだなと感じています。
 旧約聖書を少しづつ見ていくなかで、人間の罪深さ、神様の偉大さ、厳しさを知っていき、現代の私たち人間もこの繰り返しの中にいるのだと、痛感しました。しかし、イエス・キリストの勝利の十字架の信仰を持って歩んでいける恵みに、感謝でいっぱいになっていきました。
 そうして一年目が終わりかける頃、子どもを授かりました。信仰を持つ前は、自分の体があまり丈夫でないこともあって、子どもを授かることができるなんて思ってもいませんでした。予定日は八月ということでしたが、幸いべテルもほぼ休む事なく復帰する事ができました。出産後は、ハーピスツの皆さんの練習時間とべテルの時間が同時刻でしたので、母、そして美智子先生、盛谷先生をはじめハーピスツの皆さんに見ていただきながら学びを続けることができました。多くの方にご迷惑をおかけしました。と同時に、感謝の気持ちでいっぱいです。母が救われていなければこのような環境にもならなかったことを考えると、全てが整えられているんだなと思わされました。
 二年間大丈夫だろうかと思いつつも踏み出したこの学びでしたが、全てを神様はご存知でした。何をするにも、今していることの全てが神様の計画の中にあり、素直にその流れに乗ること、それが一番大切なのだと感じています。
 毎週、こうして聖別された時間を、神様と手束先生と信仰の友と呼べる姉妹方と過ごすことができたことは、感謝です。さらに、共に祈りあえる、信頼できる仲間へと成長していきたいと思っています。そして、これからも神様と共に歩み、祝福の基となり、祝福を流し出す者のとなっていきたいと願います。ぜひべテルの学びを受けていない方は受けて頂きたい!!切に願います!!こんなに、恵みの時はありません!



ベテル聖研は「人生の星の時間」(4)ー心が燃える思いを何度も体験ー

 ベテル聖研は「人生の星の時間」(4)
 ―心が燃える思いを何度も体験―
 冨 永 依 里

 二年間の聖別された学びの時を心から感謝します。ベテル聖書研究一日目の時に、手束牧師先生から「この学びの時は、まさに人生の星の時間ですよ。」とおっしゃていただき、今、その言葉の意味を心から実感し、噛みしめています。
 幼い頃から教会学校に通っていた私にとって、《神様》というお方は、もちろん疑う余地もない絶対的なお方であると同時に、どこか神話的・精神的なものとして受け取り、なんとなく信仰していた感覚が大いにあったな・・・と、今思わされます。ベテル聖研で、歴史の流れに沿って学んでいく事により、キリスト教の歴史というものは、クリスチャンにのみ通じる神話的なものではなく、全世界・全人類に通じるものなんだ、と百二十%実感、確信を持つことができました。(今更ですが・・・)
 聖書の学び、特に『旧約聖書を学ぶ』と言うことは、非常に難しそう、一人で読んでいただけでは、そこに込められている本当の意味は理解しにくいと感じていた中で、牧師先生は、聖書のその奥に隠された、驚くべき神様の深い御旨を解き明かして下さったり、現代の情勢に照らし合わせながら語って下さったり、とても興味深く、解りやすく、楽しく学ばせて頂く事が出来ました。また、昨今の事件や災害などの惨事を、そして今年、まさに戦後七十年を迎える日本と、バビロンにおけるユダヤの捕囚の七十年間を重ね合わせて・・・と、様々な事柄を神の目を持って解釈し語って下さり、「そういうことだったのか!!」と、希望ある答えや、日本人として誇りをもてる答えを頂き、心が燃える思いを何度もさせていただきました。
 そんな、たくさんの貴重な素晴らしい学びの中で、私が一番強く確信をもって握ったものは、創世記一二章二節から三節の『わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地の全てのやからは、あなたによって祝福される。』と、神様がアブラハムに言われた箇所、『祝福の基となる』ということです。幼い頃から、たくさんの祝福を頂いてきた私ですが、その祝福は「機会があれば、その時、その人に流し出そう・・・」と思っていました。しかし、学びを通して、「私には、神様から頂いたたくさんの祝福を流しだす使命があるのだ」「祝福の基となる使命を課せられたアブラハムと同じ使命が課せられているのだ」ということを、しっかりと示されました。そして、学びを重ねていく中で、祝福の基となれるよう成長していきたいと心から思わされていることに感謝しました。
 そんな折、神様から求道者との出会いが与えられ、伝道を実践する場が与えられました。そしてその中で、神様の御業、聖霊様の働きというものをまざまざと見せられ、私が何か行動するのでもなく、私が何か語るのでもなく、ただただ祈り、神様に用いられ、祝福を流し出す管になるのだ・・・ということを実感させられました。それまでの私は、伝道をするには、祈り、聖書を読み、御言葉を用意し、こんな風に話そうか・・・あの姉妹の証を伝えてみようか・・・と、自分なりに計画を練っていました。しかし実際には、祝福を流し出す管となりながらも、私自身にも共に気づきが与えられ、祝福を注がれ、愛を注がれて、涙している自分がありました。本当に本当に、このような体験を身をもってできたこと、心から感謝です。
 そして、この貴重な学びと同じくらいの素晴らしい出会いがありました。この二年間、聖別された木曜日の朝に、共に学び、共に祈りあった姉妹方との出会いです。アメリカ在住の折、日系の教会にしばらく通っていたのですが、その時、教会内の人間関係に不信感を持ち、つまづいた私は、こんな煩わしい思いをするなら、神様との関係だけの為の教会生活、信仰生活でいい。そんな思いをずっと心の片隅に持ち、気の合う人とだけ交わろう、と思って過ごしていました。しかし、神様はこの学びを通して、信仰の友をも与えて下さいました。苦しみの中にいる時も、喜びの中にいる時も、祈りあえる友がいるという喜びを知りました。





ベテル聖研は「人生の星の時間」(5)ー本当に充実した二年間でしたー

 ベテル聖研は「人生の星の時間」(5)
 ―本当に充実した二年間でした―
 前 田 美 由 紀

 まず無事にベテルを卒業出来たことを主に感謝します。
 二年前、滝本姉からの、「ベテル受けへん?人数足らんねん。」と軽い口調でのお誘いに、何故か「受けよっかな…」とこれまた軽く返事してしまった結果、当たり前ですが五月からはベテル生としての生活が始まりました。
 毎週木曜日、遅刻、欠席無しでという事がそんなに難しい事とはその時は思っていなかったのでした。しかしなかなか日常生活に追われ、無遅刻無欠席は実現できませんでした。それでも二年間、木曜日は聖別された日として過ごせた恵みは大きく、沢山の気付きも頂き、これからの信仰生活の糧としていけるようにと思っています。
 学びで、創世記の時代からイエス様の時代を経て、今の自分が生きている時代へという繋がりを、実際の年月を超え感じる事が出来ました。
主に祝福されたアブラハムやイサクやヤコブ、ダビデなどのとても人間臭い部分も逆に面白く、人間は罪の存在であり、完全な人間などいないとしみじみ思いつつ、どうしてこの方々が主に用いられる存在になったのか、結局最後に一番大事な事は、主を信頼し、主に従う事だと改めて思わされました。
 中でも個人的な感想を言わせてもらえば、私はいつもアブラハムがやっと授かったイサクを燔祭に捧げようとする聖書箇所を読むと涙が出ます。どんな想いで刃物を我が子に向けたのかと思うと、想像しただけで胸が張り裂けそうになります。しかし主を信頼し、主に従った時、大いなる祝福の約束を頂く事が出来た事、そして祝福の基となり、祝福を流し出す者とされた事に主の計画の偉大さを思わずにはいられません。
 ベテルの学びは、そんな風に聖書をじっくりと読み、その時代の事を今、感じる事ができる、またそれによって御言葉をより深く受け止める事ができる、というとても貴重な時間でした。
とは言え、実はテスト勉強も途中から放り出し、優等生とは程遠かった私でした。ベテルのメンバーにフォローして頂き、手束牧師先生には拳骨を我慢して頂き、這々の態で卒業した私がこの文章を書くのもどうかと思うのですが…。能天気な事を言わせて貰えば、本当に充実した二年間でした。感謝です。
 ベテルの授業中には、脱線する牧師先生の話も面白く、今の時代の問題点など、沢山の大事なメッセージを含んでいて、ただの脱線話ではないところもすごかったです。時には懐メロ?を歌い出すお茶目なところも見る事が出来、聖壇の上でとても遠い存在に感じていた牧師先生が、親しみ溢れる存在に思えたりもしました。そして手束牧師先生が主任牧師先生でおられる間の最後のベテル生という、特別な時に学べた事にも感謝です。
 正直この二年間、色々大変な事もあり、挫けそうになった時もありました。でもきっと私みたいな者でも、主は弟子として訓練してくださっているのだと自分に言い聞かせ、何とか踏ん張って乗り越える事が出来ました。今ベテルを卒業してまだ二ヶ月程ですが、既にその事も全て祝福に変わりつつあります。ハレルヤ!
 今の時代、自分に出来る事は何なのか?主が喜ばれる事は何なのか?常に自分に問いながら、初めに掲げられた『祝福の基となり祝福を流し出す』ベテル卒業生として、これからの信仰生活を歩んでいけたらと思います。
 最後にこの二年間、こんな私を助け、励まし、祈って下さったベテルメンバーの皆様に本当に感謝します。
 そして手束牧師先生、こんな劣等生を最後まで温かく御指導下さりありがとうございました。これからも走り続ける元老牧師先生でいて下さい。









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