月報 2015 6月

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新しく執事に選出されて(1)ー自分の都合を優先するか、選ばれた事を優先するかのはざまでー

 新しく執事に選出されて(1)
 ―自分の都合を優先するか、選ばれた事を優先するかのはざまで―
 谷 元 延 幸

 今年度新しく執事になりましたので、その感慨を月報に書くことになりました。執事になったといっても、何もしていませんので、まず、私がこれまで見ていた勧士・執事の方の姿を思い返してみました。
 勧士・執事の方々は、教会全体をよく見ておられると思います。建物だけでなく、教会員をくまなく見て気を配られています。教会に来たばかりの頃の私もよく気付かっていただきました。会えば必ず気持ちよく挨拶してくださるし、すれ違いざまに何かしら話しかけてくださったり、私が一人でポツンといるときは隣にきてくれて声を掛けてくださったり。勧士・執事の方々の励ましと慈愛に満ちた言葉と態度で、私は教会の事がどんどん好きになっていきました。今なら、それは、御霊の実の現れた行動だとわかります。
 勧士・執事の方々は、教会員への愛もさることながら、主への愛、教会活動への愛、建物としての教会への愛を持っておられると思います。すなわちキリストの御身体なる教会愛に生きている方々です。これが私の見ていた勧士・執事の方々の姿です。このような方々が関わってくださるので、私は教会のことを好きにならずにはおられませんでした。
 この度の執事の選出で、新谷先生から「やってくれへん?」と言われたときは、みんなに言っているのだと思っていました。私は「無理です」と答えました。それでこの話は終わりだと思っていたら、後ほどまた電話が掛かってきて、何だか断れない雰囲気になってしまいました。本気で言っておられたんだ……。冗談ではなかったのだなあ。申し訳ないけれど断ろう。
 当時の私は体力も心もギリギリの状態でしたので断る気満々だったのです。しかし、新谷先生との会話の最中に私の頭の中では、次のような考えがグルグルと回り始めました。「今の自分には余裕がなく、いろいろといっぱいいっぱいだ。しんどい状態なので引き受けるのは無理だから断ろう……。いやしかし、万全な状態で何か役割が巡ってくるわけでもないし……。自分の気持ちや状況は常に変わるもので、あてにならないものなのに選択の土台をそこに置いてよいのだろうか?自分の気持ちを優先するのか、選ばれた事を優先するのか……。」私が断る雰囲気を醸し出しているにも関わらず、すぐに電話を切ってくれない新谷先生と話す中で、次第にこんな時だからこそなのかもしれないと思わされ、お引き受けすることにしました。
 私は今回執事になりましたが、執事は何をするのかまだよくわかっておりません。ですが、日々、高砂教会のこと、教職者の先生方のこと、教会スタッフのこと、教会学校のこと、勧士・執事の方々のこと、教会の皆様のことをこれまで以上に引き続き祈っていきます。
 また、新しくは、礼拝中も礼拝のために執りなし祈っていこうと思わされています。これから、教会の皆様と様々な場面で関わることもあるでしょうが、その都度、皆様と仲良くできたら嬉しく思います。今後とも皆様よろしくお願いいたします。



新しく執事に選出されて(2)ー主に問いつつ、聖霊様の助けを得て執事の務めをー


新しく執事に選出されて(2)
 ―主に問いつつ、聖霊様の助けを得て執事の務めを―
 塩 河 幸 子

 教会定期総会を終えて帰宅後、新谷先生から「執事をしていただけませんか。」との電話をいただきました。「えっ、なぜ私が」欠けの多い小さき器の私には、到底お受けすることのできる働きではないので、断りの理由を二、三申し上げました。しかし、新谷先生は「そうですか。」とおっしゃってくださらず、「助け手の姉妹もいらっしゃるから」と、柔らかい口調で言われました。これまで、試練の時に祈りをもって支えてくださったその姉妹のことが浮かんできました。また、娘の摂理問題のことで何度も東京に足を運んでくださった新谷先生のことが思い出され、執事をさせていただくことにしました。
 その夜、神様は私に、出エジプト記四章一〇~一四節の御言葉を示してくださいました。エジプトで苦しむイスラエルの民を救い出すため、神様がモーセに命を下された時の御言葉です。「わたしは口も重く舌も重いのです。」とモーセは言い訳をし、再度「ああ主よ、どうか他の適当な人をおつかわしください」と言った時、主が怒りを発して「あなたの兄弟、アロンがいるではないか。わたしはあなたの口と共にあり、彼の口と共にあって、あなたがたのなすべきことを教える」。神様は、この御言葉をもって、「執事の働きは、あなたの力でするのではなく、困った時は、わたしに尋ねなさい。わたしがなすべきことを教えるから。また、助け手も送るから心配しなくていい」と語ってくださいました。その御声を聞いた時、私の心から不安が消えました。
 初めての勧士、執事会は、緊張の面持ちで参加しました。各委員会からの報告の後、「さらに礼拝を充実させるために」という議題で、一泊研修での提案の仕方について話し合われました。その時、手束元老牧師先生の提案に対して忌憚のない意見が交わされました。権威ある先生に対しても率直に意見が述べられる雰囲気に正直、安心しました。というのは、とかく宗教団体が陥りがちな、権威者に盲目的に従うという問題点が感じられなかったからです。この自由な雰囲気が、高砂教会の爽やかな風通しのよい雰囲気を生み出しているように思いました。
 勧士、執事一泊研修では、宮谷泉先生(奈良福音教会牧師)から「仏教徒にいかに伝道するか」というテーマで講義を受けました。家に仏壇があり、長男として墓を守らなければと思っている夫に、なかなか伝道できない私にとっては、タイムリーな講義でした。
 仏教は釈迦の教えだが、現在、各家の宗派の元になっている大乗仏教は、釈迦の死後五百年たってできたもので、勝手な解釈が入っていること、仏教行事の、お盆、彼岸も釈迦の教えの中には無いこと、仏壇は、徳川幕府のキリシタン弾圧から逃れる為に各家に置かれた物であること、位牌は、寺参りを毎日し、戒律を守って修行した証として発行された証明書が、後に白木に漆を塗り本人の名前を書いた物になったことを教えてくださいました。そして、こうした慣習が、いつの間にか、粗末に扱うと祟りが起こるという恐れを抱かせるようになってしまった。この恐れは悪霊の働きであり、多くの日本人がその恐れに縛られている。この恐れから、愛する家族、友人を解放してあげなければならないと、宮谷先生はおっしゃいました。
 研修後、教えていただいたことを夫に話しました。「へえ、そうなんや。」と言う夫の表情から、これまでの縛りから解放されていることが感じとれました。「時がくれば、速やかに事を為す」との御言葉通り、長い間できなかった夫への伝道の糸口が開かれ、感謝でした。




特別早天祈祷週間は本当に有難い(1)ー大手術を前にして与えられた平安ー


特別早天祈祷週間は本当に有難い(1)
 ―大手術を前にして与えられた平安―
 神 澤 聿 子

 今回の特別早天祈祷週間は、私にとって特別の思いがあり、どうしても一週間全日参加したいと思っていました。今までは一週間の内五日位の参加でしたが、五月に東京の病院で心臓の手術を受ける事が決まっており、この事ばかりが頭に在り不安な毎日を過ごしていました。それで、朝一番に主に祈り何とか神様の御心のまま、平安で在ります様に一心に祈りました。今回は六時からの祈祷会に参加させていただきました。近所の三澤さんが、遠回りして私の家の玄関まで五時三〇分に迎えに来て下さいました。有り難い事でした。
 早天祈祷の三日目位になって、私は主に守られて、何かとても平安な心になってきました。それまでは、手術を受ける事がとても不安で怖い思いでしたが、だんだん平安な心になり、天のお父さんに任せておけば間違いないという確信の気持ちが大きくなりました。教会の兄弟姉妹の皆さまからの「祈っているからネ~」との言葉にとても励まされました。
 いよいよ五月二十一日の朝、五時に主人と家を出て東京に向かいました。もうその頃には、「神様は私に最善の事をしてくださっている」という気持ちで本当に平安な気持ちでした。
 『主はみずからあなたに先立って行き、またあなたと共におり、あなたを見放さず、見捨 てられないであろう。恐れてはならない、おののいてはならない。』(申命記三一・八)
 病院に着くと、私の部屋はとてもきれいな窓側の素晴しい眺めの部屋で、何もかも感謝でした。手術の日も怖い気持ちは無く主に感謝でした。八時に手術室に入り、気が付けば肩をトントンと「終わりましたよ~」の先生の声でハット気が付き、本当に心臓の手術はしてくれたの?って感じで平安そのもの。本当に恵まれ、教会の皆様の顔が浮かび、兄弟姉妹達が一心に祈って下さったと感謝で一杯でした。手術後も大きな痛みは無く、順調に回復。主人もずっと東京で私に付き添ってくれ、術後一週間で退院する事ができ、主に守られていると、感謝以外なにもないです。
 この病気になって、息子夫婦のおかげで教会を知り、イエス・キリストをほんとうに信じて受洗することができました。聖書のお勉強はまだまだですし、判らない事ばかりですが、今、改めて早天祈祷と皆様の執り成しの祈りの素晴らしさを体験することができ、感謝致しました。朝一番に神様に祈ることを第一とする高砂教会の素晴しさを、出来るだけ多くの皆様に伝え広めたいと思わされています。




特別早天祈祷週間は本当に有難い(2)ー「諦めるな」という神様からの励ましの言葉ー


特別早天祈祷週間は本当に有難い(2)
 ―「諦めるな」という神様からの励ましの言葉―
 永 友 正 美

 改めて早天の恵みを感じさせて頂きました。早天によって毎日が神様と共に居る喜びを長く感じられること、とりわけ、特別早天祈祷で神様がこれから私に願っておられることを確認出来たことは大きな恵みでした。
 三年前、私は神様からお店を開くことを示されました。そこで、主人の伝道のためになることを願いつつスタートしました。そして昨年、祈りが聞かれて、主人は受洗しクリスチャンになりました。これからは、主人と私と二人で、神様が与えて下さったお店をどのように経営していけば良いのかを聞いていくことが大切であると思わされています。何となく店に出ていると一般的な考えに流されがちです。色々な人に出会いますし、色々な意見も多く耳にします。何が正しくて何が間違いであるのか、分からなくなる事が多々あります。その時々、神様を中心に二人で話が出来れば良いのですが、それがまだまだ出来ません。主人の考えと私の考えが一致しないことがよくあるのです。両親に相談すると、もっと難しくなります。そんな時、早天で御言葉を受けると、聖霊様が働いて下さって導かれていきます。問題が恵みに変えられます。主人との関係はすぐには良くなりませんが、少しずつ神様が回復して下さっています。このお店は神様が用意して下さった場所であると思うと、不安が感謝に変わります。このお店は普通の店ではないと確信します。
 また特別早天では、神様が喜ばれる店とはどのような店なのかと祈ってきました。そこで示されたことは、神様を第一とする店にするには、やはり私が神様を慕い求めていなければならないということ。いつも神様に聞いていく。祈り会、祈祷会、礼拝、早天祈祷など聖霊様が働いておられる所で礼拝し、主を求めるのは一番大切なことです。そして、どんなことでも神様に聞くことによって神様との交わりを深めていくので、誰かに聞くのではなく、神様に聞く、それが一番だと分かりました。
 今はもう神様に聞かなければ分からない事ばかりで、すべてを祈りながら進めています。不安になったり、諦めそうになったりもするのですが、神様は「大丈夫だ。諦めるな。私はあなたを祝福している」と言って励まして下さいます。私はその神様の愛と希望を信じることでかろうじて立っていられる状態です。神様の声なしでは壊れてしまいます。このような状況の中に立たせて下さった神様に感謝します。神様とより強い信頼関係を築くために、この状況が与えられていると思います。この中で聖霊様の力を借り、知恵をいただいて前に進んでいます。このことを忘れずに信仰生活を送るために、日々早天祈祷で祈れることは本当に感謝です。
 また、お店を開くことで色々な方との出会いがあります。そこにはクリスチャンとして多くの人達に福音を伝えていける場所があります。これは神様が私に強く願っておられることですので、イベントなどで知人がお店に来てくれた時は、神様に聞きながら、神様の愛を流し出すことができるよう心がけています。そうした中で、今ある姉妹が交流分析へと導かれていることは感謝です。
 私自身、早天祈祷から一日をスタートすることで、その一日が変わってきます。聖霊様が共にいて手取り足取り教えて下さるので感謝です。この聖霊様の火を絶やすことのないよう、さらに祈り求めていきたいと思います。




特別早天祈祷週間は本当に有難い(3)ーバランスのとれた速さで一日を過ごすことができたー


特別早天祈祷週間は本当に有難い(3)
 ―バランスのとれた速さで一日を過ごすことができた―
 西 谷 紀 子

 早天の祈りと聞いて最初は、朝はたくさんやるべきことがあり、朝早く起きないといけない大変さがあり、避けていました。手束先生著書の「朝早く主に叫べ」中の〝早起きは古来より日本の文化である〟という箇所より、朝活のことを知りました。元々、やるべきことの多すぎる毎日を過ごしていた自分自身の生活を顧みるためにも、この朝活のことを知れたのも大きいチャンスでした。朝早く起きることで、朝の時間の有効活用につながっていくという朝活スタイルのことがわかり、一日の過ごし方を見直し、改善していこうと思い、早天祈祷参加のことを考え始めました。
 私にとって、朝というのは、その日与えられている仕事のための準備の時間で、そこに特別な楽しみもなく、「今日も仕事か…」と憂鬱なものでした。しかし、朝早く起きることによって、時間の使い方について見直し、改めることができました。まず、だらだらとしたメリハリのない過ごし方が見直されました。〝まず神の国と神の義を第一に〟、このみことばに従い、朝起きて、まず神様にその日その日の自分の心を向け、み声を求めていくことで、ゆとりをもって一日に臨むことができるようになりました。私自身、物事を複雑に考えすぎてしまうところがあるので、この朝の祈りを通して、とても穏やかな、落ち着いた気持ちになって、置かれているすべてに感謝して一日を過ごすことができるようになりました。
 また、一日の始めに静まることによって、その日のスケジュールが整えられていきます。というのも、朝の早天の祈りによって、一日の歩むスピードが保たれ、慌ただしくしすぎず、ゆっくりしすぎず、バランスのとれた速さで、一日を過ごすことができるため、朝の祈りを行なった日は、充実しています。
 朝のこの時間を、早天の祈りの時として時間を割くことは、決してたやすいことではありませんが、一日の始まりを神様に心向け、聞いてスタートすることで、その日の夜までの流れも良くなるので、「次も行こう」と、次の日につながっていきます。自分の与えられた生活の中にそのよき流れが築かれていることで、早天の祈りを通して、恵みに浸り、もう一度新たな気持ちでスタートできることを感謝しています。ここから、一つ一つ丁寧な姿勢で、心尽くして 臨むことで好循環を生み始めています。
 日々の早天の祈りは、私自身の生活に密着したものとなり、毎日、この恵みに浸らせて頂いているこの朝の時間は、本当に何にも変えることができない貴重な時間です。








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