月報 2015 7月

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主任牧師就任式を終えてーこの新たなステージに献身しますー

 主任牧師就任式を終えて
 ―この新たなステージに献身します―
 主任牧師 新 谷 和 茂

 教会員皆さんの祈りと応援で「主任牧師就任式」を終えることができました。心から感謝いたします。その日は、とにかくスポットライトが当たりっぱなしで緊張しました。手束元老牧師先生からは「わが子、テモテよ」というド・ストレートな説教を頂きました。「親しまれつつも恐れられる指導者になれ!」「神様を喜ばせる主任牧師になれ!」との心が引き締まる説教でした。就任式には五十名程のゲストが来て下さったのは意外でした。というのは、私は日頃から地域教会とそれ程親密な交流をしているわけではないからです。恐らく、〝あの〟高砂教会の主任牧師交代という話題性があったからだと思われます。大田先生からはヨシュア記一章一~九節から私と教会員に励ましを下さいました。祝賀会では各会がユニークなエールを贈ってくれて楽しかったです。播州地区の先生が「ここまで暴露される就任式もめずらしい。面白かった!」と言っておられました。これで私が主任牧師になったことが正式に外部にも知らされました。ジタバタしても仕方ありません。「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行くところどこにでも,あなたと共にいるからである」です。
 思い返せば、私が高砂教会の門をくぐったのは一九七九年初夏,高校二年生でした。「何のために生きているのか?自分は何者なのか?」という思春期特有の問いのただ中でした。そのクリスマスに親の反対を押し切って洗礼を受けました。間もなく、カリスマ運動是か非かの教会紛争の最終段階に巻き込まれ、反対派の人達から〝一緒に教会を出よう〟と誘われました。カリスマ運動の何たるかを知っている訳でももなかったのですが、その場で〝僕は反対派の人達が間違っていると思います。僕は教会に残ります〟と応えていのです。大人同士のやりとりを知らない若者の発言でした。思ったことを素直に言っただけのことで、目の前の大人の反応など気にしていませんでした。
 受洗して数ヶ月経つと、教会にいる自分と教会外にいる自分の矛盾に悩み始めました。それで半年ほど自主休憩を頂きました。高校三年生の夏、中高生キャンプに誘われ、仕方なく参加しました。それぞれの思いを発表する時間があって、私は思っていたことをそのまま言いました。「信じていることの意味が分からない…。信仰を持っても同じではないか…」。今考えるとよくそんなことを言ったものだと思いますが、まだ若かったので、その場をうまく取り繕う術を知りませんでした。ところがどういう心変わりでしょうか。キャンプ後、祈ってみよう!聖書を読んでみよう!との思いが起こってきて、毎日実行し始めました。心が熱くされました。神様の憐れみ以外の何ものでもありません。神様は私を拾って下さったのです。
 信仰が回復した私は、自分の救いの証を書いてコピーし、中学時代の友だちに郵送しました。教会の倉庫にあったトラクトを自宅周辺に配布しました。ある冬の寒い夜に集会がありました。集会の最後に招きがありました。「将来神様のために働きたい人はいますか?」私は小さく手を挙げたのです。それが献身への最初の意思表示だったのですが、後で〝あれは気の迷いだ〟と誤魔化しました。
 大学生となりKGK(キリスト者学生会)に加わり活動しました。そこで「聖書の登場人物からセルフ・アイデンティティを見つけるといいよ」と教えてもらいました。それから〝私は聖書の人物で言うと誰でしょうか?〟という祈りとデボーションが始まりました。そんな中で得た答えが「私はテモテだ」ということでした。大学四回生になり、進路について祈っていると献身の思いが起こってきます。おかしいなぁ~そんなはずはないのに…と打ち消しつつも、祈るとその思いがやって来る。遂にテモテへの第二の手紙四章五節「しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。」が心に刺さり、仕方なく献身することを表明しました。当然の如く、ノンクリスチャンの親は反対しました。母親は泣きました。私もぐらつきました。両親も迷っていたので、霊媒師のところに伺いを立てに行ったのです。すると霊媒師は「お金のことでは苦労するだろうが、牧師の道に行かせなさい。」とのお告げだったそうです。それで両親も〝神さんの言ういことだから仕方がない〟と諦め、私の献身を許可してくれました。その後家族は一人ずつ救われて来ることになりました。関西聖書学院(KBI)を卒業してから、二十七年間、高砂教会で奉仕させていただいています。これといった功績を挙げている訳でもなく、これといって優れた霊的能力がある訳でもありません。ただ長いだけなのです。誰でもできることを誰もがするようにしてきた「ザ・普通の働き人」です。しかし私にとって一つの節目となったのは、リック・ウォレン師の著書「人生を導く五つの目的」との出会いでした。十一年前です。私の中で整理されずに放り込まれていた信仰の原理がクリアに整理され、何を行動の原則とすればいいのかグリップし直すことができました。この十一年間、普通の人のままで、「五つの目的」を実践しています。
 世代交代が来ることは世の常ですから分かっていました。手束牧師先生も人間ですから永遠に生きているわけでもありません。問題はそれがいつ来るかでした。手束牧師先生御自身が「七十歳で主任牧師を降りる」と明言され、次期主任牧師選考委員会が組織されました。何人か候補が挙げられたようですが、私に白羽の矢が立てられました。さあ、どうする?私は生来〝子分肌〟なので、主任牧師なんぞになって大丈夫か?教会には多額の借金があるし、教会の規模も大きいし、大丈夫か?手束牧師先生は元老牧師として教会の牧会に関わると言っておられるのでやっていけるかなぁ~、いろんな思いが巡りました。最終的には、主任牧師としてやっていけるかどうかよりも、献身者としてどうなのかという問いに行き着きました。献身者として自分を捧げているのなら、この導きの中で神様に応答するのは当然だろう、ということです。ダメならダメでいい。この新たなステージに献身します!というのが結論です。
 五十三歳からの新しいステージです。自分の持ち分だけでなく、教会全体を見渡し、神様の導きを指し示して、教会をトータルに建て上げていくことに重点が移行します。パラダイム(視点)の転換の途上です。牧会理念は手束元老牧師先生の「神の国牧会」を引き継ぎ「神の国を体験する教会」とさせて頂きました。私は高砂教会が、礼拝でクリスチャンもノンクリスチャンも神の国を体験できる教会、セルを通して生活レベルで神の国を体験できる教会、国内伝道と海外宣教で神の国拡大に貢献する教会、一人ひとりがイエス様の弟子となる教会、各自が喜んで自分の賜物を出し合って仕え合う教会、クリスチャンホームが祝福される教会、赤ちゃんから高齢者までが大切にされる教会、そしてイエス様の再臨の時に花嫁として迎えられる教会となるのを夢見ています。何はさておき、四月から私がしていることは週に四~五回は教会員の名前を呼びながら祈ることです。これもまた普通のことです。神の家族の新米父さんとして、この原点からスタートしています。
 さあ、どうなりますことやら…。少しずつです。教会スタッフ、勧士・執事、そして教会員の皆さん、途上の私に我慢して下さい。そして祈って下さい。助けて下さい。協力して下さい。教会員の皆さん、ピリピ二章十二節をもじって思い切って厚かましく言わせて頂きます。「わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、手束先生が主任牧師であった時だけでなく、新谷が主任牧師になった今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて神の国の貢献者となるべく努めなさい。」そして手束元老牧師先生、お手柔らかによろしく御指導ください。




主任牧師就任おめでとうございます(1)ー足の裏で踏む所はことごとくー


主任牧師就任おめでとうございます(1)
 ―足の裏で踏む所はことごとく―
 関西聖書学院院長 大 田 裕 作

 今回手束牧師が主任を退かれ、元老牧師となられた一連の経緯を拝見し、私は、手束牧師がまさしく神の人、知恵と信仰の器だと一層尊敬を深めています。手束先生の決断は考えられる選択肢の中で最善だったと思います。後継者である新谷牧師は、これまたまさしく主の配剤です。守りに強い、じっくり構えて、知恵深く、対応力に富んだ器だと思わされております。この大教会を引き継ぐのは至難の業です。手束牧師の後継者となることは最も難しいことであり、同時に最も恵まれたことです。なぜなら前任者がしっかりとした骨のある信徒を育てられた。福音に堅固に立ち、宣教を第一の使命とし、教会をこよなく愛する信徒を育てられた、これはなんと幸いなことでしょうか。
 さて、本日のみことばは、ヨシュア記一章一―九節です。
■ヨシュアの前には二つのチャレンジが
①ヨルダン川…四十年荒野を彷徨した民は、誰一人泳げる者はいません。ヘルモン山の雪解け水で増水し、川幅いっぱいにあふれたヨルダン川は、当時腰まであるいは背丈ほどあったと考えられ、女子供・老人を含む民全員が渡ることはまず不可能でした。
②今一つは川向こうの民…向こう岸には城壁に守られ、鉄の武具を備えた戦いになれた民がすでに住んでいるのです。一方、こちらは天幕生活を四十年間続けた、流浪の民です。五節「誰一人立ちはだかる者はいない?」、うそでしょう…。ヘテ人、ヒビ人、ペリジ人、カナン人、エモリ人…いくらでもいました。
■その時神がヨシュアに命じた行動は―四つの動  詞―
①立って…とは、前の時代を懐かしんでいる、モーセを惜しみ悲しんでいる民へのチャレンジ。座り、留まっている民に「立て!」の命令。
②渡り…とは、新しい領域へのチャレンジ、ボーダーラインを越えて踏み込め。
③行き…とは、障害物を乗り越えて前進せよ。④踏め…は、二本の足で強く踏みしめ占有せよ。
これが、ヨシュアと民に与えられた四つのチャレンジでした。文字通り挑戦です。
■ヨシュアのためらい
 かつては四十代の力みなぎる男盛り。モーセの命を受けて十二人の偵察隊の一人としてカナンの地を行き巡り、民を鼓舞する信仰の報告をしました。しかし今はどうでしょう? 彼は八十歳を超えていた。年齢は人に知恵を増し加えますが、一方で、大胆さ、無鉄砲さをそぎ落としていきます。また、かつてはモーセという指導者の下にあってナンバーツーでしたが、今はトップの立場です。ここが大問題です。トップとセカンドでは決定的に違います。そのヨシュアに向かって主は語ってくださるのです。
■神の命令
 六節、「強くあれ、雄々しくあれ」。七節、九節にも同様の励ましです。感謝なことは、このヨシュアと民へのチャレンジの土台をなすところには、前提として主がおられるということです。この戦いはもはや人間のそれではない。イスラエルと先住民との戦いでもない。すべての民を祝福しようとする神と、人を欺き、奪い取り、滅ぼそうとするこの世の君(サタン)との戦いなのです。主は言われる、これは「わたしのことなんだ」「わたしの戦いなのだ」と。
「わたし」、「わたし」と、二、三、五、六、七、九節に主の宣言が続きます。さあ、この確信に立ちましょう。
 足の裏で踏め。手当たり次第に勝ち取れ。高砂教会よ、さらに前進せよ。リーダーが替わる。スケールが違う。みんなそのことは知っている。しかしこれはチャンスの時。前がバズーカ砲なら、今度はショットガン。
 「わたし」といわれる方の前に結集せよ。
 「聖霊」の豊かさをいよいよ経験していこう。
 先輩の世代の方々へ、もうしばらく次の世代が育つために力を貸してください。また奉仕の機会を与え、責任を分担させてください。委ねられないと人は育たないのです。
 土台は堅固。基礎は十二分。次の世代よ、しっかり立ち上がれ。あなたが担う、あなたが支える、あなたが捧げる。この点でも高砂は日本の教会の模範たれ! しっかり立て。渡れ、行け、踏みしめよ。足の裏で踏む所はことごとく、あなたがたに与えている。ハレルヤ。





主任牧師就任おめでとうございます(2)ー1番地味な二人が残ったー


主任牧師就任おめでとうございます(2)
 ―1番地味な二人が残った―
 岩 上 映 子

 六月二十九日に行われた就任式、祝賀会の席で感動し、涙する私がいました。
 ただひたすらに主を見上げ、手束主任牧師先生の後に従ってこられた新谷先生を、神様は高砂教会の主任牧師として選んで下さり、晴れて任職式の日を迎えることができたことを思うと、主に感謝の思いがあふれ出ました。
 新谷先生と私は同じ高校の同級生で、一緒に登校したり、教会の高校生会では、先生のギター伴奏でみんなと一緒に讃美したりしていました。その頃の先生は、ジーパンとゲタがトレードマークでした。私達は高三のクリスマスに並んで洗礼を受けました。今回の祝賀礼拝において手束元老牧師先生が「昔、たくさん来ていた高校生の中で、一番地味な二人が残った。一人は新谷先生、もう一人は岩上姉妹だ」と言われましたが、私達は神の恩寵のゆえに、こうして高砂教会に残されたのでした。
 今から二十八年程前、私がしばらく教会から離れていた時、新谷先生がお世話になっていた姉妹と一緒に訪ねてきて下さり、「僕、神学校へ行くことにしたんや。もしも今願い事があるなら、もう一度だけでいいから神様に祈ってみて、その祈りが聞かれたら、ぜひまた教会に来てほしい」と言われました。その時の先生はとても輝いて見えました。またその言葉は、祈る者に神様が必ず働いて下さることを確信された上でのものだったのでしょう。そして私は先生の思惑通りに祈り、主に触れられて、当時一才八ヶ月の長女を連れて、再び教会に通うようになりました。
 祝賀パーティーの中で、神学校を卒業したばかりの先生が、これからの抱負を語っておられるビデオが映され、若かりし頃の、希望に満ちあふれておられた姿が思い出されました。結婚式の映像では、園子師ととても幸せそうなお二人の姿があり、それは今もそのまま変わりません。続いてご家族からのビデオレターが流され、「神様に仕えるお父さんは格好いい、大好き、尊敬しています」などと、四人のお子さんたちはそれぞれの思いを伝え、最後には愛妻の園子師からも、「病気の方や魂を見送るための働きに力を注いでいる新谷先生を尊敬しています。結婚して良かった。これからもろしくね!」とのメッセージが流れ、愛する家族に尊敬される先生は、本当に素敵だと感動しました。先生はご家族の思いを聞かれ、さぞ嬉しかったでしょうし、会の後で撮られた家族の写真は、ご一家にとってすばらしい記念の一枚になることでしょう。
 また、以前この教会で一緒に仕えておられた井上先生が祝賀会でお祝いの言葉を述べて下さり、「先生は独特の感性を持っておられ、忠実に従う信仰者としての姿はテモテのようだ」とおっしゃっていました。大田先生は、礼拝の中で、「手束先生が築かれたこの高砂教会の後継者は、やりにくいものがあることを信徒達も理解し、新谷先生のために祈り、一丸となって進んで行ってください」とのお勧めを下さいました。
 新谷先生は、「色々な風評を受けたとしても、自分はこれまで、〝神様はお父ちゃん〟〝イエス様は友達〟〝聖霊様を相談相手〟として歩んできました。これからも同じように歩むだけです」と言われたことが印象的でした。
 新谷先生がこれまで力を注いで来られたことの一つに、教会学校の指導があります。毎年夏には、CSの子供達をキャンプに引率して下さっていた姿が今も目に浮かびます。地道な働きの結果、指導していただいた子供達が今成長し、小森伝道師や小嶋神学生のように献身し、教会学校の教師となり、また、楽器の演奏や讃美等、それぞれ得意な賜物を用いて奉仕に与っています。私の子供達もそのような中の一人ですが、大人になった今も、新谷先生のことは大好きだと言っています。先生の飾らず、親しみやすいお人柄は、老若男女を問わず、みんなに愛されています。
 これからも高砂教会の一員として、日々教会のために、先生方のために祈り歩む者であり続けたいと願わされています。





主任牧師就任おめでとうございます(3)ーありのままで生き、礼拝するー


主任牧師就任おめでとうございます(3)
 ―ありのままで生き、礼拝する―
 池 端 千 尋

 私は小さい時から新谷先生にお世話になっています。私の最初の記憶は、CSの時ナイタープールで投げ飛ばされたことです! 当時私は水が大嫌いだったので、いきなり投げられて泣きました(笑)。でも、楽しいことを全力で楽しむそんな先生が大好きです!
 私は、去年の九月から今年の四月までディサイプルセミナーを受講していました。受講のきっかけは、大吾君が教会に来るようになって、新谷先生にGNCを担当してもらい、神様のことを教えてもらっているのを見て、私ももっと深く神様の事を知りたいと思ったのと、神様の事を伝えるにはどうしたらいいかを学びたいと思ったからです。授業はまったりして新谷先生らしく、毎回とっても楽しかったです。ある日授業で先生が、「伝道に失敗はない。相手が洗礼を受けたから成功という訳ではない、御言葉や白紙伝道の内容を伝えることができれば成功。しかし伝道のゴールは洗礼ではなく、天国である。伝えて、その時は断られても天国で会えるかもしれない。その時、『あなたが神様のことを教えてくれたからここにおるんやで』って言われたら嬉しいやろ?」と教えてくれました。伝道は私にとってすごくハードルが高いものでした。昔、小学生の時からとても仲の良かった友達が違う宗教を信じていて、大学生の時私も誘われたことがあり、その時友達がとても怖く感じられたので、私も神様の事を伝えたとき怖く思われたらどうしよう、断られてそのあと避けられたらどうしよう、誘えたとしても、そのあとも教会に繋ぐことができるのだろうか…などと思うと一歩踏み出すことができず、今まで、自分が教会に行っているということしか伝えられなくて、中々教会や聖書のことについて話すことができませんでした。なので、先生の話を聞いたとき、今まで私は失敗を恐れすぎて何もできていなかったな…、というのと、伝道ってそんなに難しくないかも!と思えるようになりました。そのあと、聖日礼拝の中で証をする機会を頂いたので、勇気を出しておじいちゃんとおばあちゃんを教会に誘ってみると、来てくれたのですごく嬉しかったです。それからは礼拝に誘えていませんが、おじいちゃん、おばあちゃんも含め、天国でも会いたいなぁと思う人が沢山いるので、これからも、祈りつつ自分なりに伝道をしていきたいと思います。
 また、大吾君とのGNCの中で、新谷先生が「ありのままで生き、礼拝する」ということを話してくれました。私は今まで礼拝には出席しているけれど、常に周りからどう思われているかを気にしすぎて、神様を一番にできてなかったと気づきました。例えば、賛美している時、手を上げたくなったけれど、周りで誰も上げていないから止める、とか。小さいことですが、そういうことも気になってばっかりだったんです。でも、それでは神様との関係づくりがきちんとできていないと理解できたので、それからは、ありのままで礼拝するということにチャレンジしています。そうすると、ずっと長い間教会に来ていましたが、これまで自分の中で感じていた堅苦しさがなくなってきました。最近で言えば、新谷先生の就任式の時、みんなの前で出し物をしたのもチャレンジでした。ありのままに生活し、礼拝することで、少しずつ新しい自分になっている気がします。新谷先生、色々なことを教えてくださってありがとうございます!これからもついていきます!







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