月報 2015 9月

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今年の修養会は(1)ー自分の抱えた問いに答えを得るー


 今年の修養会は(1)
 ―自分の抱えた問いに答えを得る―
 河 野 満

 私は二〇一三年十二月のクリスマス礼拝にて洗礼を受けクリスチャンとなり、妻と息子の三人で家族が始まり、今では 四月に誕生した双子の娘が増し加わりました。そして五人家族となり、駆け足でクリスチャンホームを築いている新米クリスチャンの一人です。
 修養会という行事の事は、先輩クリスチャンであり妻であるさとこ姉により聞かされたことがありました。何でも二日目の夜の聖会が『聖霊によるバプテスマ』といって物凄いものらしく、その光景を初めて目にする人は何かしらの恐れを感じるかもしれないとの事……。
 そんな前情報もあって、まだまだ自分に修養会は早いと思っており、今までは仕事に託つけて参加を見送っていましたが、今年は家族も増え、この恵みに応えるべく、また、自身の抱えた一つの問いに確信を得る為、参加を決意しました。幸いにも今年の修養会は大型連休中に開催され、その時が来ました。
 双子の赤ちゃんを連れての初参加であった為、右往左往するかと思いきや、妻の計らいで修養会に集中できる環境を整えてもらえた事もあり、礼拝をし、賛美をし、また、たくさんの兄弟姉妹たちとの交わりを持つ事ができました。
 そして、二日目の夜の第四聖会を迎えるにあたって、事前に分科会で『聖霊のバプテスマを受けるには』をテーマに手束元老牧師から講義を受け、『泣き出したり、笑い出したり、急にバタンッ!と倒れる者もいる』『私は悪霊が分かるのだぁ!』『リラックスして按手を受けると良い』などと言われており、不安ながらもその言葉を信じ夜の聖会へと向かいました。(・・・ん?バタンッ!と倒れる?!)
 会場では谷元兄と高橋兄が周りを気にして余計な緊張をしないようにと一緒に最前列へ誘ってくれ、按手による祈りを待ち臨みました。継続した祈りの間にスティーブン・ケイラー牧師から按手による祈りを受け、不思議な感覚に陥った事を覚えています。祈りの中でダイレクトに神様に繋がったと感じた瞬間、賜わった恵への感謝と自身の抱えた問いの答えに確信を得る事が出来ました。
 この自身の問いとは、私と妻のさとこ姉と息子の明の三人で始まった家族生活に、新しく双子の赤ちゃんが加わり、『時間を共にしてきた子』と『血が繋がった子』双方の親になった事で、それによる愛情の変化はないのだろうか?また、何かしらの潜在的な葛藤はないのだろうか?というものでした。やはり、息子の明を知らない他の人らから見れば『血の繋がり』を重んじる意見も多く、その意見に私は愚問だと応え続けてはいても、頭のどこかで『血が先で時間が後なら?など、今と違う状況で家族が構築された場合はどうであったろうか?』と、ふと考えた事実が自身の心を見えない形で確実に蝕んでいたのでした。
 これまでの高砂教会で受けてきた学びや、この修養会での学びを振り返り、神様を人生の中心に据えてこの問いを改めて考えた時、『時間』であろうが『血』であろうが何であろうが、神様が私にと信頼してこの子供達を預けて下さった事に対し、この問いは考えるにも満たない程に小さ過ぎる事で、全ては神様が私の生きる道の上に最善を尽くし、絶妙なタイミングで祝福をお与え下さっているという事を再確認し、受け入れた時、この問いは杞憂に終わったのでした。
 この修養会を経て、得たものは本当に多く、これから教会を通じて何らかの形で神様にお返し出来たらと思っています。





今年の修養会は(2)ー家族に笑いが絶えず、喜び平安、希望が起こったー


 今年の修養会は(2)
 ―家族に笑いが絶えず、喜び平安、希望が起こった―
 高 橋 仁 美

 今回の修養会は、二回目の参加でした。二年前に初めて参加したときも今回も、家族で参加することができました。娘たちはナースリーで楽しく過ごしてくれて、修養会のプログラムにほとんど全部参加することができて感謝でした。主人も私も兄弟姉妹との交わりを楽しみ、家族みんなで恵まれた楽しい修養会となりました。
 スティーブン・ケイラー先生のメッセージで心に強く残ったのは、「わたしにとっては生きることはキリストであり、死ぬことは益である(ピリピ一章二一)」の箇所から語られたメッセージでした。「イエスさまと生きるということは、イエスさまは私のパートナーであり、イエスさまは私のパワーであり、イエスさまは私のモデルであり、イエスさまは私のゴールなのだ」と語られました。
 また、「神様の愛は本当に素晴らしく大いなるものだ」と語られました。私は今まで、神様は自分を愛してくださる方だとはわかっていたのですが、今回の修養会で神様から受けるその愛がどれほどすごいものなのかと気づかされました。 そして、「すべてのしばりは神の愛によって簡単にとかされる」と語られました。毎日の生活で、家事や育児やいろんな場面で、小さなしばりを自分自身でつくり、それによって、知らないうちにいろんなことにしばられてしまっているように思いました。修養会から帰って、ささやかなことですが、今までできないと思っていたことをやってみようと思ったり、また、周りの目を気にしていたことが、気にならなくなったりと、神様の愛によってしばりからとかれる体験をしました。ハレルヤです。
 また、聖会でメッセージを聞いているうちに、初めての修養会のときの自分や家族のことをたびたび思い出しました。そしてこの二年間でどれほど神様が私たち家族を助け、励まし、支え、必要なことを備え、私たちを救い、祝福してくださったか、その大きな愛にも改めて気づかされました。
 二年前の修養会のとき、私たち家族は長女のことで試練のまっただ中にいました。聖会の中で、自分が自己憐憫におちいり、心の中に神様を恨む気持ちを持っていることに気づかされました。でも、祈っていただき、神様を心から信じていこうと思えるようになったのでした。最後の聖日礼拝では、「自己憐憫におちいらず、思いを変えなさい、問題を問題にしているのはあなた自身の思いなのだ」、「自分の思いを神さまの思いに変えていきなさい」と語られました。修養会から帰ってから、スティーブン・ケイラー先生のそのメッセージを何度も聞き直し、自分の思いが変わるように願って祈りました。弱弱しいながらも、神様の道を一歩一歩あゆみ始めました。それからの二年間、神様はいつも私たちのそばにいてくださり、私たち家族に必要なことをすべてなしてくださったように思います。
 今回の修養会に参加した私たち家族には、笑いが絶えず、喜びがあり、平安があり、希望がありました。特に私の思いは二年前とは大きく変わっていました。今の私たち家族があるのは、神様と教会の兄弟姉妹の方々のおかげだと本当に強く思います。祈る力も、神様を信じる力もない時もありました。そんなとき、牧師先生方や兄弟姉妹の方々に助けられ、支えられました。そのことへの感謝は言葉では言い表せません。
 最後に、スティーブン・ケイラー先生は「自分が体験した愛を相手にも見せるのです」と語られましたが、私も、神さまがくださった大きな愛の体験を、伝えていけるようになりたいと思わされました。




今年の修養会は(3)ー祈りと賛美で宮を満たしたいー


 今年の修養会は(3)
 ―祈りと賛美で宮を満たしたい―
 東 根 あ す か

 今年は仕事の環境が整えられ、全日程参加することができ大変恵まれました。まず、開会礼拝において新谷主任牧師先生がメッセージの中で「私達は、神様の夢を実現するパートナー」だということを語られた時にハッとしました。自分自身のことを省みた時に、長い信仰生活を送りながらも、いつの間にか仕事の忙しさ、大変さに追われ、神様に対して愚痴やお願いばかりの祈りをしていたことを悔い改めました。
 神様が願われている御国の実現のために、小さい者ですが私もその夢を実現するパートナーとして歩みたいと願わされました。神様がその時、その時に何をしようとされているのか、何を喜ばれ、望まれているのか、そのことをいつも聴きながら歩みたいです。
 第一聖会から第四聖会までは、スティーブン・ケイラー先生よりヘルシーチャーチのことについて、たくさんのことを学びました。ビジョンの重要性、燭台は教会であるということ、教会には輝かしい将来、驚くべき使命があるということなど、一つ一つが心に響き、目が覚める思いでした。
 今、この日本を見る時に悲しいニュースに溢れ、若者達が生きる目的も分からず、偽りや惑わしの中にいる状況があります。ケイラー先生が語られていたように「イエス・キリストの福音が地獄の働きを止める」ということを信じて、握ってイエス様にしか救いがないということを証していきたいです。そのためには、まず自分自身が神様との親しい関係、教会との正しい共同体の関係、クリスチャンとの大切な関係を持つということを学びました。高砂教会という祝福された主の臨在に満ちた教会に植えられていることを心から感謝します。
 二日目の夜の第四聖会の賛美、按手の祈りでは、圧倒的な聖霊様の満たしを受けました。奏楽でドラムを叩きながら霊の賛美が溢れ、体が熱くなりました。その中で「宮を満たせ」「宮を満たせ」という言葉を何度も語られました。賛美と兄弟姉妹達の祈りがひとつになり、ただただ平安と喜びでいっぱいになりました。祈りと賛美で主の宮を満たすこと、そのことを神様が喜ばれているのだなあと感じました。
 お部屋では、同室の姉妹達と恵みの分かち合いをすることができ、さらに恵まれました。恵みを受け取った時に、すぐに信仰の仲間達とシェアし、流し出していくことができるのは本当に感謝でした。これからも教会に植えられた者として、神様と結ばれ、信仰の仲間達と御国の実現のために日々祈り合い、支え合いながら主を賛美していきたいです。






今年の修養会は(4)ー暗くて長い旅から帰ってきましたー


 今年の修養会は(4)
 ―暗くて長い旅から帰ってきました―
 加 納 規 実 子

 修養会に参加して私が頂いた恵みは、素直に「ただいま」と言えたことです。今年の春から夏に季節が移る頃、親しい姉妹から、「修養会は参加できそう?予定空けておいてね!」と声を掛けて頂きました。「んーっ修養会、修養会。修養会って何?」というところから始まったのが私の修養会です。早速インターネットで調べました。「信仰生活における非日常体験を通して、違う自分に気付き、能力開発をするような時間」とありました。その情報が当てはまるかどうかは分かりませんでしたが、中でも「違う自分に気付く」という言葉が目に留まりました。
 いよいよ修養会が始まりました。スティーブン・ケイラー牧師先生の講義を受け、牧師先生や兄姉達と、お部屋で、または食堂で時間を共有しながらの三日間は、自分を振り返る大切な時間になりました。スティーブン・ケイラー牧師先生の今回のテーマ「ヘルシーチャーチと御国の実現!」を通して、チャーチビルダーとして個々の役割を教えて頂きました。私は出来ているのかな?私に出来るのかな?それより何より、私って教会やイエス様について理解できていたかな?
 私は講義を受けながら、去年九月に洗礼を受けた頃から今までのことを思い返していました。当時は救いを求めていたから洗礼を受けたはずなのですが、何ヶ月経っても何故か変われない自分がいました。変わりたいのか変わりたくないのか、それとも変われないのか。私って何なんやろ。途中で投げ出したくなったり、こんな私では洗礼を受けた意味が無い等、そんな事ばかりを考えながら悶々と過ごしていたのです。なので、日常生活も受洗前と何ら変化はありませんでした。家族のこと、仕事のこと、自分、友達、教会、祈っている風に祈りを捧げても心は空虚なままで、何をどうしたいのか、考えれば考えるほど頭の中は混乱するばかりでした。そのうち、牧師先生のお話や兄姉の方々の助言に対しても、私にいったいどうしろと言われているのか解らず、すべてを、自分がいつまでも変われていないからダメなんだと言われているように感じてしまい、どうすれば変われるのだろう…と、変わる方法ばかりを考えるようになっていました。そうだ、聖書だ!聖書を読めば何か変わるかも。そこで平日の通勤時は電車の中で聖書を読もうと決めました。これで少しは自分に変化があるかなと期待しました。ですが、聖書を読むのはほんとに少しずつ。通勤電車は片道三十分ですし、座席に座れば居眠りもします。そんなゆったりペースの信仰では劇的に変わる訳がありません。恐らく、〝私は洗礼を受けたクリスチャンなんだ〟という自負から御言葉に触れた気になっていただけだったのかなと反省しました。結局、受洗する以前と大差ない状態で修養会を迎えていたのです。
 イエス様、聖霊様、教えて下さい!私は相変わらず悩みに囲まれ、自業自得なんだと自分自身を責め、そして自分だけでなく相手に対しても正論を押し付けて非難し、周囲を傷付けていました。もしかしたら自分の存在自体が無意味なのかもしれないと否定し続けてきました。教えて下さい!教えて下さい!そう祈っているうちに私は謝っていました。ごめんなさい。私はこの身を傷付けて、こんなにボロボロにしてしまいました。本当にごめんなさい。そして次に浮かんだ言葉が「ただいま。ただいまお父さま」でした。私は暗くて長い旅から帰って参りました。両手を広げて待っていて下さったお父さまに包まれた様に感じました。その瞬間、私は教えて頂きました。私が自分を変えるのではなく、常にお父さまを一番に置いてお話していれば歯車は回っていくのだと。私は愛されていた自分に気付き、温かい気持ちで今年の修養会を終えました。




今年の修養会は(5)ー修養会前までは満たされず、だが・・・ー


 今年の修養会は(5)
 ―修養会前までは満たされず、だが・・・―
 原 翔 太 郎

 この夏、赤穂ハイツで行われた修養会について感じたことや思ったことを書きたいと思います。私は今年三月に洗礼を受けました。自分に自信が無くなり、仕事やプライベートでも悩んだり、不安になったり苦しい時期でした。その同じ時期に、教会員である身近な人が神様に救われ、変わっていくのを実感したのを覚えています。それを感じて神様は本当に居るのかな、本当に居るなら私もその救いを受けたいと思い、受洗を望むようになりました。
 受洗してから数ヶ月、まだ悩み、苦しみ、不安がありました。そうして過ごしているうちに、修養会というものが行われるということを知りました。周りの人達は修養会がどの様なものか、どの様な事が行われるか色々と教えてくれました。でも、仕事を変えたばかりで、それもとても忙しい時期で、私はほぼ修養会への参加を諦めていました。恵まれないな、神様は今回参加するべきではないと言っていると思い、悲しい気持ちでした。それでも参加できるようにと祈り、仕事をしていました。日が近づいてくると、何とか参加できそうになり、段取りが付き、結局初日の夕方から参加することができました。不思議とそれだけで安心したのを覚えています。
 神様が導いてくださったことで初日から参加でき、期待をもって望む準備もできました。初日は楽しく過ごしました。二日目の第四聖会は不安で始まりました。第四聖会は私の浅い信仰で聖霊様の満たしはあるのだろうか、何も変わらないのではないか、と様々な不安な思いがありました。第四聖会が始まり、按手が近付くにつれて気持ちが高ぶってきました。祈りの間にも不安な思いで気が散っていましたが、少しずつ集中して祈れる様になっていきました。
 私の按手の順番が来ました。緊張して身体に力が入っていましたが、力を抜くように促されたので、そうしました。そして、元老牧師先生に按手していただいた時、倒れました。自分が倒れるはずが無いと思っていましたが、ひざに力が入らず不思議な感じでした。満たされることとは真逆で、虚しさや罪責感、悲しさで一杯になりました。何故こうなったのか分からないのですが、按手の後は不安で一杯になりました。
 第四聖会が終わる頃になってもそれは消えず、異言も出ず、悲しみの思いがありました。すると、皆が手を置いて祈ってくれました。私は第四聖会でも異言が出なかったので、皆が異言が出るようにと祈ってくれました。ですが、長い間祈って頂いている中で、異言を語れない自分に罪悪感を感じ、その思いに押し潰されそうになり涙が出て来ました。皆に申し訳ない気持ちと語れない悔しさで。
 結局、第四聖会で按手を受け、祈り、皆に祈っていただいても満たされることはなく、通常の仕事の日を迎えることになりました。いつも通り仕事に行く途中、車の中で不安や罪悪感を感じていました。車の中でずっと祈っていました。祈り始めて、普段とは感じが違うなと感じました。今不安に思っていることや、神様に向けての思い等色々なことを祈りました。その時、何故か涙が溢れていました。祈り続けていると、不安や罪悪感が全て無くなりました。とても満たされたことを覚えています。そして全て神様を中心において、どんな時も一緒に居てくださる神様に頼っていこう、告白していこう、神様に導かれるままに生きたい、そう思いました。
 修養会前までは、賛美をしても満たされず、礼拝でも満たされず、祈っても満たされることは無かったです。修養会に導かれ参加できたことで本当の意味で神様を知ることができました。イエスさまはいつもそばに居てくださいます。アーメン。






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