月報 2015 12月

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教会作り共同研修会に参加して本当に良かった(1)ー高砂教会からもっと学びたいー


 教会作り共同研修会に参加して本当に良かった(1)
 ―高砂教会からもっと学びたい―
 篠山教会牧師 河 南 一 成

 今年定年退職をして献身し、まだ牧会や神学の基本も充分に分かっていない私にお誘いをして頂きましたことを感謝しつつ、参加させて頂きました。手束先生が何年か前に教区総会で発言しておられた時、反対意見も多い中で、私にはその内容が「正論」として聞こえたことを覚えています。また、全体の三分の一の方々が先生に拍手を送っておられたことも覚えています。そういうことがあって、八年位前、インターネット等で高砂教会と先生のことを調べ、三度ほど礼拝にお伺いしました。私自身まだ仕事を持ち忙しい生活をしておりましたので、手束先生の三冊の著書と高砂教会の礼拝出席経験だけを頼りにして、私なりに篠山教会へいくらかの事柄を取り入れました。まず礼拝堂に「聖霊を呼び込もう」という垂れ幕を掛け、信仰告白や使徒信条を唱和する時に、静かな音楽を奏楽してもらったり、説教・祈りの中では〝聖霊〟の言葉をできるだけ用いるようにしました。私自身は神学校に行っておらず、教団のCコース(独学、おしくは教団外の神学校で学んだ人のために設けられている)を受験して牧師となり、ただ長い信仰生活の経験だけを頼りに牧会を始めましたので、どうしても視野が狭くなり、井の中の蛙的な牧会をしている状態でした。しかしお蔭で、今回の研修では沢山の良い刺激を受けて帰ることができました。早速、何点か取り入れました。
 また、今回の研修のスケジュールの内容一つ一つを振り返りますと、セルの見学では、「こころの友」にも掲載されている「野の葉」オーナーの宮川ひとみさん宅を訪問させて頂き、家庭的な温かさあふれる集会と、心温まる、そして豪華なもてなしに感激をしました。そして何よりも、「こころの友」に掲載されていることに感動を覚え、早速、篠山教会の礼拝説教で報告をしました。
 近隣地区教会堂視察では、加古川バプテスト教会の広大さと、近代的設備・明るい雰囲気、尾上聖愛教会の成長し続ける姿勢や落ち着いた雰囲気等を肌で感じました。また、そのような教会とつながりがある高砂教会にも敬服をしております。
 そして手束先生による教会成長セミナーを受け、先生の血のにじむ様なご努力の中での教会成長を知り、さらに先生より説教の仕方についても学ばせて頂き、これを今後の実践につなげていくつもりです。教団の危機に瀕する中で、私自身も、教区総会では、政治問題よりも、教会の成長を支える根本的な取り組みや姿勢を考えるべきだと思っています。例えば、兵庫教区で成長している、あるいは頑張っておられる教会の取り組みを学ぶような勉強会や、宣教フォーラムのようなことを検討していくべきだと思っています。またこれからは、各教会が危機感を持って切磋琢磨し合い、教会作りに励まなければならないという現状も思い知らされました。
 ヨシュア会では信徒の方々と楽しく会食をさせて頂きました。そしてスタッフ祈り会、ナイトセルリーダー会、ミッションセルリーダー会等、全ての会合が、前向きで熱心な姿勢で取り組まれていることに感心致しました。また、カナン会と称する卓球同好会の活動をも見学し、皆さんと共に、私も久しぶりに一緒に楽しませていただきました。交流分析の学びにおいては、手束美智子夫人から心に響くお話しを沢山して頂き、今までの御経験が今日の礎になっておられるのだろうと感じ入りました。グレースワーシップでは上原智加子先生(須磨月見山教会)のお話に感動を覚え、心の中で応援しつつ聴かせていただきました。そして、今後上原先生とは教区総会で協力して発言していきたいと思っています。また、姫路観光では手束先生のガイド付きで教会員の方々とのつながりもでき、楽しい思い出になりました。そして観光客のあまりの多さにも驚きました。早天祈祷は私自身初めての体験で、心・魂・体に爽快感を覚え、早速教会に帰って、CDをかけながら、今の所私一人で始めております。その内、教会員にも参加の呼び掛けをするつもりです。
 また、八年前に高砂教会の礼拝に初めて出席した時は、上の方の丸い大きな穴から聖霊がどんどん流れ込んでくるように感じておりましたが、今回の高砂教会の礼拝では、天上での礼拝・讃美を感じさせられました。そして充実した音楽のスタッフの方々の姿にも感動しました。篠山教会でもこの様な雰囲気が与えられたらと願っており、礼拝奏楽者たちにも少しずつ働きかけています。そして早速、篠山教会の礼拝説教でこの研修会で学んだ事を報告しました。思いのままに語ったところ、「今までで一番良かった」「聖霊を感じた」「行っていただいて良かった」「先生の熱意を感じた」等、お褒めの言葉を沢山頂き、何人かの方々が涙を流していました。今後、高砂教会で学んだ事を一つ一つ振り返りながら、篠山教会へとりいれていくつもりです。現在篠山教会では、隔週で月二回ほど音楽療法を行っており、地域の方々にも呼びかけています。今後は、➀冠婚葬祭でキリスト教式を希望される方に教会を提供する。➁車にスピーカーを積み、村中・町中の全地域に讃美歌を流していく。➂大きな病院の終末医療を受けておられる方々で、祈り・讃美歌・神の御言葉を必要とされる方々へのご案内等を予定しています。一般の方にとって教会は敷居が高いようなので、まずこちらから働きかけていくつもりです。
 高砂教会での感想ですが、少子高齢化の中で、教会学校が成立していない教会が多い中、多くの若い人達が与えられていることや、皆々様が真剣に教会の為に汗を流されている姿、また何事にも一生懸命さになっておられる姿に驚きました。お一人お一人にとって、教会が生き甲斐になっておられるのでしょう。研修中、私は二宮金次郎の「小事に忠実・大切に」の精神で学んだつもりですが、その甲斐あって多くの収穫がありました。また、今後私が自分一人で遠回りをして様々な事を学んで行くよりも、高砂教会から学んでいく方が、より本質的なことを体得できるのではないかと思っています。素晴らしい内容のスケジュールに参加でき、沢山の感動も覚えました。頂いた資料・手束先生の出版物・歴史認識・教会秩序等について整理し直し、自分の財産として生かしていかなければなりません。やるだけやって主イエスに人生を捧げないと申し訳ないと思っています。
 最後になりますが、手束元老牧師・新谷主任牧師・新田副牧師はじめ多くの方々の、ご親切な温かいご指導とご高配、心のこもった豪華な食事に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。






教会作り共同研修会に参加して本当に良かった(2)ー超有名だが、ヤバイ先生だと思っていたがー




 教会作り共同研修会に参加して本当に良かった(2)
 ―超有名だが、ヤバイ先生だと思っていたが―
 松本筑摩野伝道所牧師 島 津 晃

 それはI牧師の電話から始まった。「手束先生の講演会、恵まれますよー、是非来て下さい」「ええまあ、都合がついたら…」後日「明日の講演会、出られますね」との伝言。K牧師からも「先生、是非来て下さい。恵みがいっぱいですから」この執拗なお誘いが思いがけない出会いへとつながっていった。
 町会総会の準備や来賓の接待、分区や他教派との協議会で慌ただしく疲れ切った時期、二月十六日だけ空白だった。少し前から健康上の理由から一人早天を始めていたが、その朝ふしぎに、行ってみよーかなーという気分になっていた。
 手束正昭師と言えば、超有名なヤバイ先生という認識だ。ところがその警戒の構えが崩れて講義に引き込まれてしまった。聖書をもっと素直に学びたい、信じたいと思った。そして散会直前に祈っていただく決心をした。牧会のこと、土地購入の迷いについて打ち明けた。すると手束先生から、「先生は今まで人間性で牧会をされてきたようですが、これからは聖霊によってして下さい」「その土地を本当に手に入れたいと願っているなら叶います」そう断言された。そして、按手と祈りから不思議な平安をいただいた。
 教会作り共同研修会への参加も「先生、推薦しておきました」と一方的な報告。祈り会で五ヶ月にわたってI牧師からデボーション指導を受けていた最中のある日のことだった。研修会を終えてひと月経った今、「恵まれたなー、楽しかったなー、感謝だったなー」と振り返っています。兵庫、沖縄、東海教区から、それぞれの課題に直面している私たちを手束先生ご夫妻ほか教会をあげて迎えて下さり、霊肉ともに豊かな恵みに養われた五泊六日。十四回の食卓の豊かで楽しかったこと。笑いに溢れた親しい交わりに入れられた研修会でした。 
 恵みの第一は、いちずに主を礼拝する信仰生活、教会形成のありようをお一人お一人の人柄から感じたこと。生き生きとした諸集会を経験できたこと。大教会であろうと小さな伝道所であろうと基本線は同じ、主日礼拝や諸集会で、個人としてだけでなく組織としても、自らの現場で生かせる具体的なヒントを与えられたことです。
 恵みの第二は、手束先生の信仰や人柄に接して、教会へのパッションが覚まされたこと。美智子先生や諸先生方ご夫妻、勧士方、執事方、スタッフ方の自然でたゆみない祈りの奉仕と交わりを毎日見ることができました。主が「わたしの食べ物とは、御心を行うこと」とおっしゃったように、多くの課題を喜んで担われていたことです。
 意外だったのは、早天の静けさです。さぞかし会堂のあちらこちらで大きな祈りの声が響いてくるものと思っていましたが、静かに祈りの息が充満してくるひとときでした。他を気にせず、自分らしく祈り、黙想を続けることができました。わたしは毎朝ほとんど一人きりなので、たまに二人以上になると人への対応を意識し過ぎていました。みことばの傾聴と主との交わりに集中したいと思いました。初めての異言には驚きましたが、自我に縛られず自由に祈れるとのこと、霊的な賜物の多様性に接しました。
 具体的な気づきについていくつか記します。キリスト教に興味があっても、主日礼拝には距離感がある人、聖日礼拝に出たいと思っても家族の事情で日曜日の外出ができない人は、私たちの交わりの中にもおられます。聖日礼拝へのステップ、受洗後のフォローにもなっているセル集会に出席し、みことばを伝えようとする熱意と具体例を学びました。わたし個人は「出て行く伝道」を心がけていますが、教会としての伝道はおもに役員会で計画して「教会に来て頂く」ベクトルとなり、さらに働き手が固定化しています。セル方式にならい、「受けるより与える方が幸い」の恵みを共有できる伝道姿勢に切り替えていきたい。
 教団の教会のほとんどは財務が弱く、献金は個人的でプライバシーの問題だと矮小化されたり、小さな教会では一人あたりの献金は大教会の数倍になる傾向があると思います。私自身常々、献金も時間も喜びをもって精一杯献げようと訴えてきました。高砂教会の「ヨシュア会」は個人経営者のグループだと伺い、さぞかし献金の大黒柱として儲けている方々だと想像していましたが、小さな店や塾もあり、内情も年齢も幅広いことが紹介されて、この顔ぶれは面白いと感じました。苦労して事業を継続しお金を扱っておられる方々が、祈りあい支えあい、さらに教会のために献げる目標を持っておられます。教会が神から預かった宝を運用する一人の経営者集団でもあるとしたら、たとえ少人数でも、まだ気づいていないタラントを探しあい発見するならば、その活用によって生じる利息は大きいはずです。
 讃美練習は恍惚のひとときでした。ヘッドホンでメサイヤを聴きながら地声で一人歌って悦に浸るかのように、聖歌隊の素晴らしい歌声に便乗して声を合わせていると、なぜか涙腺が緩んでしまい、「豚も木に登る」思いでした。盛谷先生からは楽譜もいただき、若き日の喜びを思い出しました。また、運動系のクラブ活動の設置には驚きました。久しぶりに卓球で汗を流し、熱い交わりをしましたが、これは筑摩野伝道所にも導入でき、老いも若きも盛り上がりそうです。
 いろいろな学びのテキスト、説教集や書籍も入手しました。手束先生とは政治や天皇制についてはまだ考えを交わしたことはありませんので、ライフワークとしての学びを重ねていずれ再挑戦したいと願っています。本当にたくさんの気づきと刺激をいただきました。そして、具志堅先生、河南先生との出会いと交わりによって教区や教団の実情を知り、思いを深め、聖霊に聴き従って伝道に生きたいという思いを強くしたことも収穫でした。
 最後に、二月の集会で手束先生からいただいたアドバイスと按手の祈り、毎朝の祈りの恵みに導かれて、突然与えられたチャレンジが成就したことを報告します。十人余の信徒しかいない伝道所では無謀に思われていた一二〇坪の土地購入は、信徒の一致と教会外から寄せられた多大な献金によって六月に契約が成立。そればかりでなく、二月の支払い準備(献金と教会債)も整いました。このように、「信じれば与えられる」ことを体験しています。さらに、新しく委ねられたタラントを積極的に活用して、伝道を進めていきたいと決意を新たにしています。




教会作り共同研修会に参加して本当に良かった(3)ーそこはまさに「神の国」でしたー




 教会作り共同研修会に参加して本当に良かった(3)
 ―そこはまさに「神の国」でした―
 読谷教会牧師 具 志 堅 篤


 昨年九月、手束正昭先生からお電話で「教会作り共同研修会」へのお誘いを受けました。丁度その時私は西宮におり、「西日本教会青年同盟」スタッフ会を終え、牧師たちと夕食を共にしていたところでした。高砂教会の伝道の実り、その働きは教団内外で無視できない豊かなものがあると認識しておりました。ですから是非とも参加させて頂きたいとの願いがありました。けれども、それは諸事情により叶いませんでした。しかし、この度何とか日程を調整して参加の道が開かれ、大変嬉しく思いました。
 雨の中、荒井駅下車、高砂教会へ。すると、前方にヨーロッパの古い教会のような建物が見えてきました。「羊の家」とありました。「パンの家」と言う意味の店がベツレヘムにありますが、きっとこの「羊の家」は高砂教会の信徒さんの店に違いないと想っておりましたら、お店の真向かいに大きな高砂教会の会堂が建っているではありませんか。早速、教会の玄関に入りましたら、教務主事の谷元亜衣姉が優しく声をかけ迎えてくださました。さあ、これから始まる一週間の研修は一体どのように進んでいくのだろうかと胸を期待で膨らませながら手束正昭先生からオリエンテーションを受けました。(手束先生は開口一番、「今回の研修生は高齢の牧師三名となったが … 」と言われましたが、私はまだ五十代なのに高齢にカウントされ、小さなショックを受けました。)
 ところで、手束正昭先生は私にとっても特別なお方です。実は、三十五〜六年前、私の母教会(与那原教会)が無牧となったときに、故井上哲雄牧師(当時教団赤坂教会)は後任牧師として手束先生の名前を挙げられました。しかし、手束先生は高砂教会に骨を埋める覚悟で伝道牧会なさっておられましたのでそれは叶いませんでした。加えて、私に洗礼を授けてくださったR・フラック牧師も手束先生はご存知であられると伺い、益々親近感を覚えた次第です。「教会成長の勘所」を読みながら、井上哲雄先生の「現今の奇跡」に通じるものを見た思いもいたしました。やはり、聖霊さまのお用いになられる器には共通するものがあるということでしょうか。ここまで書くと、もう察せられたかも知れませんが、実は十代後半〜二十代前半、母教会はカリスマ派の影響を受けておりました。しかし、様々な出来事や周囲のカリスマ派教会や教師たち(本土や韓国からのゲスト)のカルト的な立ち振る舞いを目の当たりにし、私はいつしかカリスマ運動には距離を置くようになりました。所謂「カリスマ運動」とは一体何だろうとの思いで、二十代半ばに「キリスト教第三の波」を手にしました。その後、福音主義信仰・聖書信仰に立つ書物を読むようになりました。自身の召命に関しては、既に神さまからのコールはあったと思いますが、神学大学へ入ったのは三十四歳の時です。神学校入学前からカルヴァン神学を志向し、「キリスト教綱要」など読んでました。修論もカルヴァン神学(「律法の用法」)を書きました。自己紹介的背景の記述が長くなりましたが、そのような者が、今回高砂教会の「教会作り共同研修会」に参加させて頂いたわけです。
 聖日礼拝においては説教の奉仕をさせて頂きましたが、高砂教会の聖日礼拝は良い意味において私の期待を裏切りました。カリスマ派の礼拝は、ドラムやギターなどのリズム楽器を用いて飛んだり跳ねたり、あちらこちらで大きな声で聞えてくる異言の祈り、と賑やかなものと推測。果たして、厳かさの中に格調高さ、霊的秩序が維持された礼拝が守られていました。特別なこととして、美智子先生のリードによる讃美の声、声(Voice)そのものがメッセージを持っている。勿論、讃美は歌詞が大切ですが、その歌詞にメロディーを奏でる時点で、「声」が既に讃美のメッセージを持つというような声質には驚かされました。非常に感動しました。このような礼拝を体験しただけでも私はこの研修の目的を果たしたと思いました。「というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みの霊なのである。」《Ⅰテモテ一・七》それから、これだけの規模の教会ならではのスタッフ配置に音楽主事(盛谷耕三兄)がおられるのも賢明ですし、主任牧師の新谷和茂先生、副牧師の新田恵一先生も御霊の賜物に溢れた大変魅力的な器でありました。そして、そのような先生方・スタッフを支える信徒の皆さまの愛に心を打たれたのも事実です。
 伝道・教会形成プログラムとして〝Kingdom Builder〟(神の国を体験し創り上げる教会)やはり、このようなプログラムこそ聖霊の賜物(カリスマ)を証しする強力な武器だと思いました。聖霊さまこそが教会を建てるのだということです。そのような養育システムは非常に理にかなったもの(これこそ霊的)だと確信しました。それらを通奏低音的プログラムとして「早天祈祷会」の実践がある。つまり、祈りと神讃美に裏付けられた教会形成がなされている。今回、私はそれを私の身の丈に応じたスタイルで早速実践に移して行こうと思っております。どうか、お祈りお支えください。
 会食時には毎回信徒の皆さまの同席というご配慮も感謝でした。とても楽しい一時を過ごさせて頂きました。そこはまさに「神の国」でした。ハレルヤ! 土産に「羊の家」のカステラ、素敵な焼き物、替え歌CD「牧師道」(私の妻は、それを聞いて大変慰められ、励まされたようです。故に、このCD試聴をもって、妻の研修会参加に換えさせていただきます。笑)、そして、皆さまの暖かい心と素敵な笑顔、確かに頂きました。本当にありがとうございました。手束正昭先生、高砂教会の信徒の皆さまの上に神さまの豊かな祝福が注がれますように心よりお祈りいたします。そして、再会の日を今から楽しみにしております。













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