月報 2016 5月

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伝道師への道程ー小児喘息からの癒しが起点となりー



伝道師への道程
 ―小児喘息からの癒しが起点となり―
 伝道師 小 嶋 健 太

 三年間の神学校での学びを終えて、四月より高砂教会で仕えさせていただいている、新米伝道師の小嶋健太です。幼い時からこれまで祈り支えて下さった、牧師先生方、教会員の皆様、そして家族に感謝すると共に、これからしっかりと主と主の教会にお仕えしていきます。
 私が初めて教会に来た時のことは殆ど覚えていません。おそらく二~三歳くらいだったと思いますが、母が家庭集会にて導かれ、その母に連れられて教会に来たのだと思います。毎週連れられて教会に通ううちに、自然とイエス様を信じていきました。そして、五才の時に洗礼を受けました。
 私が最初に主への献身の思いを告白したのは、六歳ごろでした。二歳頃から小児喘息を患っており、枕が変わると発作が出たり、掃除機の排気で発作が出たりと、何かあるとすぐに発作が出るような状態で、発作が出ると病院に行くという日々でした。
 そんなある日、いつものように家で発作が起きた時のことでした。母はいつものように、病院に行って、吸引や薬で発作を押さえようとしていましたが、そのときの私は、「病院じゃなくて牧師先生のとこに連れて行って」と言いました。その頃は、私はもう洗礼を受けてクリスチャンになっていましたし、イエス様なら絶対治してくれるという確信があったのです。牧師先生のところに行った後に病院に行くという約束で、連れて行ってもらい、牧師先生に祈ってもらいました。そして、祈ってもらい、病院へ行ってから帰っている途中に、急に気分が悪くなり、嘔吐してしまいました。そのときは非常に不思議な感覚で、体は気持ち悪いのに、心はすごく晴れやかで、「完全に治った。」という確信がありました。それ以来、旅行に行って枕が変わっても、近くで掃除機が動いていても一切発作が出たことはありません。その時に完全に癒されました。そのことにより、イエス様の偉大さを知り、また、牧師という働きに魅力を感じました。また、当時の私には牧師先生はすごくお金持ちに見えていたようで、そのことも相まって、「将来は牧師先生になりたい」と宣言したようです。今思えばそれが私の最初の献身表明でした。
 ただ、その頃から今まで、ずっとその思いを強く持ち続けていたかというと、そうではありません。小学生から中学生、高校生へと成長していく中で、次第に自分のしたいことを優先するようになりました。さらに、部活のために、教会に行くのは、ほとんど日曜日の夜の礼拝のみとなり、献身に対する思いも頭のどこかに行ってしまっていたと思います。
 次に転機が訪れたのは、高校を卒業した時です。私の希望する進路は、警察官か消防士になることでした。それが幼い頃からの夢で、自分の中で細かい未来設計を立て、必ず神様もその通りにしてくれると信じていました。そして、高校在学中にそれらの試験を受けました。しかし、結果は無残にも全て不合格でした。自分の中ではそれが神様の計画で、その通りに行くと自分勝手に思い込んでいたのです。受験勉強もせず、その道しか見てこなかったので、本当に落ち込みました。それまでの人生で最大の落ち込みだったと思います。しかし、その時主は私に、神様の計画と自分の願いが、必ずしも一致するとは限らないということを教えてくださいました。神様の愛によって救われ、神様に従って歩んでいたつもりが、いつの間にか神中心から自分中心となり、自分の願いのために神様を利用してしまっていたのです。それに気づいた時、進路も決まらず、先も見えないはずなのに、なぜか不思議な平安がありました。そして一つの御言葉が与えられました。
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」(エレミヤ二九・一一)
自分の目には先が見えていなくても、神様を信頼し、従っていくなら、災いではなく、平安、将来、希望を与えてくださると教えられました。そして、その時から、「神様を第一にできる道を開いてください、主に委ねます」と祈り始めたのです。今思えば、それが二回目の主への献身表明だったのかもしれません。
 その後、専門学校に入学し、二年生の六月に、大阪府堺市の消防士の試験があり、学校の勧めで受験したところ、内定がいただけたのです。以前の自分なら間違いなくその道に進んでいたことと思います。しかし、当時の私は、消防士になると日曜日が休みじゃないし、勤務地が大阪府なので、これは祈ってきたことと違うと思い、すべてを主に委ねる決心をして、その内定を断りました。普通なら、悩んだり、これで本当によかったのかと後悔するのかもしれませんが、他の内定もなく将来が見えないにもかかわらず、心は晴れやかで平安がありました。それから、ようやく九月にあった兵庫県職員の試験に合格し、そこで働くことが決まりました。県職員は、土日は休みだし、教会行事に合わせて休むこともしやすいので、神様を第一とする生活を送ることができます。本当に主が祈りを聞いてくださったと、心から感謝しました。主に全て委ねた時、主が道を開いてくださる、災いではなく平安、将来、希望を与えてくださることを体験しました。そして、この素晴らしい主に全てを捧げて仕えたい、この福音を多くの人に伝えたいと思いました。これが三回目の献身表明であったと思います。
 入庁してすぐに、牧師先生にその思いを伝えました。しかし、牧師先生の答えはNOでした。数年間社会人として働いてから行きなさい。とのことでした。その時は、すぐにでも学校で学びたいと思っていたので、少しショックでした。しかし、振り返れば、その働いていた期間にも主の恵みと祝福が溢れていました。まず、主が導かれた最高の妻と結婚することができました。さらに娘も与えてくださり、最高の家庭を持たせてくださいました。普通なら、家族がいたら仕事を辞めて学校で学ぶなど、ありえないことかもしれませんが、妻も、私の献身を応援してくれ、実家の家族も応援してくれ、全ての必要も満たされて、仕事を辞め、神学校に入学することができました。主に信頼して一歩踏み出した時、主は全てを導いてくださるお方です。
 神学校に在学中も、多くのことを主は教えてくださいました。その中でも特に教えられたことは、自分がまるで放蕩息子の話に出てくる〝兄息子〟のようであったということです。幼い頃に洗礼を受け、毎週教会に行っていた私は、ある時から、新しく救われ、劇的な救いを体験する人に対して、妬みのようなうらやましさのような感情を抱くようになり、さらには、自分はそこまで愛されていないのではないかとすら思うようになっていました。しかし、主は御言葉を通してはっきりと教えてくださいました。
「すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。」(ルカ一五・三一)
 兄息子は、放蕩の限りを尽くして帰ってきた弟に対し、父が盛大に喜び宴会をしているのを見て妬みました。自由に自分勝手に生きて何も無くなって帰ってきた弟にはここまでするのに、いつも父に従ってきた私には何もないのですか、と妬みます。先の御言葉はそんな兄に対して父が語ったことばです。このことばを通して私も気づかされました。私は、幼い時から恵みによって救われ、いつも主の愛のうちに入れてくださっていたのに、そのことを感謝せず、当たり前に思い、さらには他の人を妬むという愚かな自分を心から悔い改めました。神様の愛は当たり前じゃない、ありえないことをしてくださった。そして、神様は全ての人を愛しておられる。その愛からもれる人は一人もいない。ということを教えられました。そして、自分がなすべきことはその愛を知らない人に伝えることだと。
 私はこれから高砂教会の伝道師として奉仕をさせていただきます。まだまだ未熟な者ですが、主が召してくださった者としていつも主に信頼し、精一杯主とキリストの体なる教会にお仕えしていきます。








恵みを喚(よ)ぶ特別早天祈祷週間(1)ー特別週間が終わっても、早天祈祷を続けていきますー



 恵みを喚(よ)ぶ特別早天祈祷週間(1)
 ―特別週間が終わっても、早天祈祷を続けていきます―
 北 田 和 美

 前回同様、あまり混み合わない五時からの早天に行きたかったので、家族の協力を得、夕食迄に私が孫二人をお風呂に入れ、早めに就寝、そして、おにぎり、お茶を車中で食べて教会へ。前回は当初から七日間の皆勤ということを目標にしていたので、最終日は達成感と同時に安堵感があり、それ以降も続けて行ってみようという気持ちには至ることができませんでした。そこで、今回は自然体で臨むように心がけ、元老牧師先生の「早天はいいよ」のお言葉を信じて、気負わず行くことにしました。
 聖堂の入り口で祈りのしおりをいただき、普段見過ごしていた身近な祈りの課題に気づけたり、教会のこと、日本全体のこと、ひいては世界のこと迄祈ることができたことは大変有意義でした。また、元老牧師先生の連続メッセージは賛美に関することでしたので、聖歌隊で奉仕させていただいている私にとって非常に興味深いものでした。聖歌隊での初めての奉仕の日迄、正直、続けていけるかどうか不安でしたが、当日の練習で、神様が祝福して下さってる!と不思議な感動を覚え、自分なりに喜んで賛美させていただいているつもりでした。しかし、このメッセージを聴いて、自分の未熟さを思い知らされました。「賛美は人間に対してするものではなく、神様へのラブソング、尊敬、愛の表現。信仰と聖霊に満たされて歌いなさい。また、それによって聖霊が働き、リバイバルが起きる!」とは、責任の重さに驚かされました。おっしゃられた通り、日本で一番美しい賛美を捧げる教会になれば必ずリバイバルは起こるから、それくらいの気持ちで頑張ろうと思わせられました。そして説教もまた賛美だと位置付けられたことで、礼拝全て神様への賛美なのだと腑に落ちました。信仰に至る迄は、仕事を通して目に見えない力の大きさを感じてはいましたが、受洗後は、それが聖霊であり、人間にとって一番大切なものは聖霊だと考えるようになりました。礼拝での賛美の奉仕も、他の兄弟姉妹方との霊の一致と神様との霊の交流があって初めて素晴らしい賛美となることを実感しています。
 私自身、昨年のペンテコステで洗礼を受けてまだ一年ですが、価値観がずいぶん変わってきたと感じています。以前は自分自身の楽しみとか癒しを重視していて、例えば旅行とか、美味しいお店での豪華な食事等を…と考えていました。しかし今、そういう話には全く心が動かなくなり、それよりも家族揃って食事ができること等、日常の中に口では言い表せない程の無上の喜びを感じるようになってきたのです。自分でも、この心境の変化は何だろうと不思議に思っていましたが、ある時これは霊的満足によるものだと気づきました。物欲は次々と限りなく、満足しきるということがないのに対して、霊的満足は心から満たされ、平安が得られます。今回、この早天によって霊的満足が与えられることをはっきり気づかされました。しかし、我が家から早天に行くには、遅くても四時起きしなくてはならず、また夜が遅い家族の中にあっては、睡眠時間があまりとれない日があるにもかかわらず、これを機会に、特別週間が終わっても、続けて早天祈祷に行ってみようと思うようになったのです。受洗当時は、低血圧のため、朝早くの早天は絶対無理と思っていた私にとって、自分でも驚きの変わり様です。
 この一年間、私の価値観や周りの状況が大きく変わりました。そして早天に行って祈ったことで、心の扉がまた一つ開いた気がします。元老牧師先生の著書「命の宗教の回復」には、神様は多くのものを豊かに与えたいと思っておられるから、もっと大胆に、不可能と思えるようなことまでも祈ってよいとあります。これからは、より大胆に祈り、そして感謝し、喜んで、もっと造り変えられていきたいと願っています。



恵みを喚(よ)ぶ特別早天祈祷週間(2)ー一度この感動を味わってみませんかー



 恵みを喚(よ)ぶ特別早天祈祷週間(2)
 ―一度この感動を味わってみませんか―
 三 澤 晃 子

 四月二十五日から六日間の早天祈祷週間は、「賛美って何ですか」という連続メッセージが語られました。私が今までお世話になった教会や、他の団体では、賛美とは何か…というテーマで学びがなされたことなどなく、ただ漠然と良い曲だとか好きな曲だという位で過ごしてきました。
 ところが高砂教会の礼拝に出席させていただいてみると、毎回三十分も前から何人もの音楽の先生方の指導によって賛美歌の練習があり、本番に臨むという熱心さです。「主の祈り」「使徒信条」もメロディーに添って唱えられます。
 キリスト教は賛美の宗教であり、音楽を楽しみ重んずる宗教です。神様ご自身が賛美されることを喜び、願われておられ、そしてこの聖堂に臨在されているということを知りました。
 イエス様が、罪、呪い、悪魔、病など、私たちに災いのすべてを断ち切ってくださったことにより、私たちは大勝利者となり、ここに聖霊が注がれるならば、私たちには、天国を体験できる幸運な生涯が待っているというのです。それゆえに必然的に神に感謝し、賛美することができます。ならば心から喜び、主を信じ幸福な人生を歩みたいと願うものです。
 では、どのようにして賛美をするのでしょうか。これが今回メッセージを通して知らされた
ことでした
①賛美は、神が喜ばれる。
②賛美は、喜びと解放の表現である。
③賛美は、神との交わりである。しかも説教以 上に交わりをもたらす。その上に深みのある 交わりができる。
④音楽には、癒しの効果がある。
⑤賛美によって、祈れるようになる。
⑥賛美は、主に対するラヴ・ソングである。
などと教えて頂きました。日本人には良い声で上手に歌いたいという風潮があります。常に他人を意識する。賛美歌は他人や自分のために歌うものではありません。賛美歌は神が喜び、私たちには救いの喜びと、解放の喜びが与えられます。心を合わせ、声を合わせて歌いましょう。賛美は、讃美歌、聖歌、またその他多くの宗教曲もありますが、これによって安らぎと癒しが与えられる。それは聖霊が働くからです。信仰と、詩篇と賛歌と霊的な歌によって、語り合い、主に向かって心からほめ歌を歌いましょう。
 礼拝の時、なぜ三十分前に集まり、祈り、賛美歌を練習するのでしょうか。信仰と聖霊に満たされ、整えられて、神の臨在をより感じられるからです。主が喜び、天使が喜び乱舞する賛美ができますように。この教会から本当に美しい賛美が拡がっていきますように。私たちは心を一つにしてお祈りしたいと思います。
 今回の特別早天祈祷会により、賛美とは何か…のメッセージをいただいて、本当の深い祈りとは何か、神への賛美とは何か。信仰の根本を教えていただくことができましたことを感謝致します。
 教会を欠席されている方々、又他の教会の方々も一度この感動を味わってみませんかと呼びかけたい気持ちです。



恵みを喚(よ)ぶ特別早天祈祷週間(3)ー十字架の贖いを確信できた恵の朝に感謝ー



 恵みを喚(よ)ぶ特別早天祈祷週間(3)
 ―十字架の贖いを確信できた恵の朝に感謝―
 梅 本 和 代

 『特別早天祈祷週間は、教会員全員参加です』との、手束元老牧師先生のお言葉でしたが、主婦の朝は忙しく行けないと諦めていました。ところが感謝なことに特別早天祈祷週間は午前五時の部があります。前日は、教会に行って祈れる喜びと早起きできるかなという不安が入り交じり「聖霊様、起こしてください!」と祈り備えました。すると、四時に目が覚め、賛美をしながら教会へ。このワクワク感はなんだろうと聖堂の扉を開け、「主よ、来ました!」と十字架を見上げると、主が待っていて下さったように感じ嬉しくてたまりませんでした。「主はまどろむことも眠ることもなく私たちを守る」という主の守りを思い出し、主の御前に静まりました。
 今回の特別早天祈祷週間の説教テーマは『賛美って何ですか』で一貫して語られました。ルカ二章、主の誕生の喜びを、光り輝く天使たちが驚くほど多く現れ賛美したというのです。私は目を閉じその光景を想像しました。大勢の天使たちの輝きで、辺りは真昼のようです。『いと高き所に栄光が神にあるように』と、美しい歌声がユダヤ全地に響き渡り、天の栄光が地に満ち溢れ、全てのものが神様のなされる御業を褒め称えます。まさに天国の賛美だと感動です。礼拝の中でも賛美しますが、「賛美の中に主は住まわれる」の御言葉通り、賛美の中で、私は十字架に架けられたイエス様と一体となり喜びにあふれます。また、心からの賛美を主が喜んで受け取って下さる恵みに、感謝で一杯になります。
 このように早天祈祷会で恵まれながら、翌朝、私はある問題を通し、自分の中に見える嫉妬心に愕然としました。十字架の贖いを信じ、聖霊様に触れられ、内面から変革していく体験を幾度もしたにも関わらず、まだ湧き出てくる罪の数々。私は、いつもより早く教会に出向き「このままでは祈れません。十字架の血潮で洗い流して下さい」と主の御前に出ました。そこで『詩篇五一篇』と示され、すぐに詩篇五一篇の御言葉をもって祈りました。「ああ!十字架の贖い、我が罪のためだ」と強く悟り十字架を見上げることが出来ました。
 この世の思い煩いを横におき、ただイエス様に心を向け祈ると、ゲッセマネの園で血の汗流し祈られるイエス様、十字架を背負い何も語らずひとりゴルゴダの丘へ向かわれるイエス様がおられます。聖霊様が私をイエス様の辿られた道を十字架まで導いてくださいます。神であるイエス様が自ら全人類の罪を背負い、神の御怒りをおさめるなだめの供え物となり、十字架の刑罰を受け陰府にまで下ってくださった。そこはアダムとエバが罪を犯して以来、罪人である私が送られるべき所です。その滅びの穴で父なる神様を完全に信頼し待ち続けるイエス様。三日目に神様はイエス様を甦らせた。イエス様は死に勝利され、いのちに至る道を完成された。御父を信じ切るイエス様の信仰が力となって私を励まします。十字架で流されたイエス様の血潮が私を癒し潔め全ての悪から守って下さいます。『十字架のことばは滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには神の力です』御言葉がますます確かなものとなります。
 陰府に下ったイエス様の苦悩は私には想像を絶しています。しかしイエス様の十字架の贖いをただ信じる信仰により、私は罪赦され永遠のいのちをいただきました。そればかりか真理の御霊である聖霊様が内住してくださり、この私を天において主とともに祈る祭司として下さった。何という驚くべき恵みでしょうか。「とてつもない恵みをいただいた」と神様の一方的な愛に圧倒され、救いの喜びと解放が賛美となって溢れます。『わがたましい主をたたえよ、聖なる御名をほめたたえよ。主の良くして下さった事を何ひとつ忘れるな〜』詩篇一〇三篇を賛美しつつ帰路に着きました。これからも十字架の贖いの真理から離れず、いつも心をイエス様に向けて喜びの賛美を精一杯捧げていきたいと思います。十字架の贖いを確信できた恵みの朝に感謝します。



















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