月報 2016 6月

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再び宣教の地に向かってー「焦りから」燃え尽きた経験を踏まえてー



再び宣教の地に向かって
 ―「焦りから」燃え尽きた経験を踏まえて―
 宣教師 小森康三

 祈りに包まれて日本から派遣されました。最初の一年、二年目は言葉を学びその地に住めれば充分…そう言われながら遣わされました。未伝地ですから私たちを受け入れて所属させ、何らかの奉仕をさせてくれる教会は勿論ありません。牧師が言葉を奪われたら本当に何も出来ません。今までは日本語という言葉を使って伝え、励まし、祈りをしてきましたがその言葉を失いました。焦りました。一生懸命言葉を学びました。T族のところに出て行きました。焦らないでいいのですが、隔離されたような環境の中で私は少しずつ「焦りから」言葉を学び「焦りから」村へ出掛け…と焦りが動機へとずれていったように思います。さらに妻のひどいつわり、子供たちの現地適応の手助け、またチームの問題等々異文化の中で予想できないことが次々と押し寄せて来る日々でした。そんな中で聞こえてくる世界の各地で起こっているリバイバルの証しの数々…霊的には休んでいるつもりでしたが、精神は休めていなかったようです。現地でも時々真夜中に目が覚めて様々なことを案じて睡眠がうまく取れない日なども出てきました。しかしあまり気にせず過ごしました。
 帰国後やっときちんと妻の妊婦検診ができ、バタバタと出産。そして妻が退院。…ホッとしました。そして二、三月は招いてくださっている教会での奉仕が全て埋まっていました。「さあエンジンを掛けて再開しよう」とした矢先の一月二十三日深夜二時、目が覚めて私の精神が悲鳴を上げました。底が抜けて足のつかない大水で溺れる感覚。恐れ、心配、不安の大波が次から次へと押し寄せ、感情のコントロール不能…「バーンアウト」でした。派遣前にアンテオケ宣教会からも散々その危険性を語られ、ストレスマネージメントの重要性を説かれていましたが、私には関係ないとどこかで思っていました。しかし紛れもなく私にそれが来ました。
 「あぁ、壊れた…」と思うような体験。信仰が、情熱が、召しが死んでしまったと思う程の体験でした。二月、三月の奉仕の予定は全てキャンセルするしかありませんでした。初めての全キャンセルの経験でした。多くの方々に本当にご迷惑をお掛けしました。
 その日の内にメンターの先生方に全てを打ち明けて祈ってもらいました。もう違う人生を歩まなければならないかもしれないと妻に告白し共に泣きました。自分は絶対になり得ないと思っていましたがどん底を通った二週間、祈れなくなりました(異言では祈れました)。
 弱さの中で主の前に過ごしました。今も安息を学んでいます。しかし祈れなくなった時、祈られているということが分かり始めました。神の家族の中で生かして頂いているということを実感するようになりました。
 教会のメンバーの優しさが身に沁みました。数人のメンターの先生方が親身になってただただ話を聞いて下さり、責めず、追い立てず、共にこの状況を受け止めてただ祈ってくれました。特にLFCのアンドリュー先生夫妻には本当に助けられました。混乱する私にすべきこと、今すべきでないことを明確にする具体的な助けとなってくれました。この方々が居なければ私には続けて立つ選択肢はなかったかもしれません。
 その時の私にとって宗教的なキリスト教、教え、概念、理屈、信条は一切助けにも救いにもなりませんでした。キリスト教的…聖書的…そういうものは意味がありませんでした。そうではなく、救いはやはりイエス様ご自身でした。イエス様が味わい深く感じました。そしてイエス様を味わうことを今も学んでいます。
 イエス様は弱い私を救うためにこの世に来られました。どんな姿でかというと赤ちゃんとして。神が神の栄光をまとったまま近づいてきたら人間は恐れをなして逃げ出すのでしょう。だからイエス様は最も弱い姿をとられた。イエス様は赤ちゃんからヘブライ語の方言アラム語を覚えられました。最初から話すことができる奇跡の赤ちゃんではありませんでした。おそらく
〝普通に時間をかけて〟 言葉を習得されました。抱っこされないと死ぬ存在であられました。当時のヘロデ王が二歳以下の男の子を殺せと言った時イエス様は父ヨセフと母マリヤに抱かれてエジプトへ逃がしてもらわれました。後に人間を守り救う前に、人間に守られないといけないほどの弱さの極みにまで下ってこられた。〝命のパン〟と呼ばれ全人類に命の糧を与えるお方が、食べさせてもらわなければ死ぬ存在となられました。
 聖書にはイエス様が空腹を覚えたと書いてあります。涙を流したとも、旅の疲れを覚えてサマリヤの井戸に座ったとも書いてあります。完璧な天の御国の王子が「天の栄光」も「立場」も「神の御姿」も全てを置いて人間の世界に入ってこられました。
 さらにイエス様は十二歳~三十歳までは聖書の中から即ち私たちの前から完全に姿を隠されました。何も出来ない自分と向き合いながら、イエス様が二十歳、二十五歳、二十九歳の頃、いわゆる〝公生涯〟 に入り活躍される前の時期に何を考えながら過ごされたのだろうかという問いに導かれました。赤ちゃんからヘブル語を学ばれ、その文化で助けられながら生き、成長されました。成人を迎えて何でも出来るようになってきた頃もイエス様は神の側面は世に表しませんでした。周囲には病人、悪霊に苦しむ人々、滅びゆく人々が居たけれども、ただ人として淡々とその文化の中をイエス様は生きられました。家族や隣人に仕え、友人と過ごし、忍耐と謙遜の限りを尽くされた三十年を経てからあの偉大な三年半の〝公生涯〟へと入られたのです。
 これが天からこの世に来られた異文化宣教師の元祖、イエスキリストの完璧な模範でした。私はイエス様の過ごした公生涯以前の期間を忘れて、あの三年半の再現がすぐにでもなされることを期待していました。そして焦ってずれていったのだと気づかされ、そこから回復が始まっていったように思います。
 もう一回あの地へ向かって行くにあたって「恐れはないか?」と言われたら、ないとは言えません。しかしイエス様に私が経験したことを全て打ち明けました。「そんなすぐ言葉覚えられません」…イエス様は「私だって一から学んだよ。時間掛かったよ」と。「彼らに何も与えられるものを持ってません」…「私も何も持たずに裸で行ったよ。与える前に受けたよ」と。…何を言ってもイエス様が経験していました。全部「分かるよ、私も経験したよ」とカウンセリングしてくれました。燃え尽きてもう立ち上がれる気もせず、途方に暮れていた時、ある方から手紙が届きました。内容は「祈っています…」ということと「これで何も遠慮せず美味しいものでも食べてください」という尊い献金でした。私は神の家族の愛を通してイエス様の愛を感じました。まるでイエス様に肩を抱かれて、「康三、なんか美味しいものでも食べに行こうか」と寄り添われた感じがしました。
 このイエス様が共にいるから、また神の家族である皆さんが共に立ってくれているからもう一度あの地へ行こうとしています。弱さの極みの中にいます。しかしこの弱さを通して主の恵みが現れるのならこの私という器を差し出したいと今、思っています。

 皆さん、どうぞお祈り下さい。決して強い者ではないけれども、愛する主の御心が成し遂げられるお手伝いをさせて頂きたいと願います。未だ主を知らずに良き知らせを待つ民に心を痛めておられる主の足となり、その人々に寄り添いたいです。最後に愛する兄姉の皆さん、どうぞこれからも一緒に立ってください。祈って下さい。食前の祈りで、祈祷会で、家庭集会で…世界宣教のために祈ることが当たり前の文化が高砂教会に築かれますように。宣教師を遣わす教会として共に成長へと導かれたいと願います。「御国が来ますように。御心が天におこなわれる通り、地にも行われますように」(マタイ六章十節)






熊本地震ボランティアへ行ってきました(1)ー爽やかな雰囲気で作業ができたー



 熊本地震ボランティアへ行ってきました(1)
 ―爽やかな雰囲気で作業ができた―
 谷 元 亜 衣

五月二十四日から二十八日まで、熊本市へ地震復興支援のボランティアとして教会から八名のチームで行かせていただきました。現地の作業は二十五日から二十七日までの三日間でした。私たちが行った時期は地震発生から一ヶ月が経った頃で、すでにニュースなどで地震被災地の情報があまり報道されなくなっていました。また、私たちを受け入れて下さる九州キリスト災害支援センター(以後、九キ災)へ新田先生が事前に問い合わせて下さったときも「作業は一段落している頃」というような言葉もあったので、現地の復興はだいぶ進んでいるのかもしれないと思っていました。しかし、ボランティアのベースとなっている熊本市西区にある熊本ハーベストチャーチに着き、周りを歩くと、まだまだ復旧のための作業は多くあり、人手が必要なことが分かりました。
 被災された方々のご様子からは、地震から一ヶ月が経ち、ようやく復興、再建に向けて考え・動き始めることができる…という段階のように感じました。ですから、これからさらにマンパワーが必要だと思います。私たちがさせて頂いた作業は、倒壊したブロック壁の回収・運搬、重たい家具の移動、引っ越しの荷物整理、など生活再建の初歩段階です。九キ災から派遣されて活動を行うメンバーは、黄色いベストを着て作業をしているので分かりやすいため、作業中にも声を掛けられ、作業依頼が次々と入っていました。
 私が今回熊本へボランティアに行って印象深い一つのことは、ボランティアをまとめる方々の組織が安定して良く機能していたことです。私たちがお世話になった九キ災は、いくつかのキリスト者の団体が協力して熊本地震において被災した教会をはじめ、支援を必要としている方々に対して、諸教会、諸団体と連携しながら長期にわたる支援を行う団体です。この九キ災のスタッフの方々の運営が機能的で機敏であることに感心しました。作業依頼や被災している方々のニーズの把握、各地から(海外からも!)来られるボランティアの受け入れ、他ボランティア団体との連携、そして、ボランティアチームをどの場所へ派遣するかをコーディネートしていきます。これらの膨大な対応を毎日続けて下さっています。九キ災に協力している団体の中には、五年前に起きた東日本大震災後から長期にわたり復興支援を行っている団体も多いため、災害ボランティアのノウハウが蓄積されているのだと思います。
 自らも被災している教会がボランティアを受け入れ、作業依頼を把握し、ボランティアを派遣すると、その教会、特に牧師先生は疲れ果て、倒れてしまうと思います。しかし、ボランティア活動の運営を外部団体に任せるならば、ベースとなる教会、牧師先生の重荷はかなり軽減できるでしょう。教会もまたご自身も被災した中で復興支援活動の中心を担っていくのは非常に苦しいことだと思います。
 熊本ハーベストチャーチでは毎朝、支援活動へ出掛ける前にミーティングがあり、そのミーティングの最初は賛美と礼拝でした。礼拝の後、九キ災のスタッフの方から注意事項とその日の活動内容と作業者の振り分けがあります。各地から集まった初めて会う人たちとチームを組み、様々な場所へ作業に行くのですが、同じ神、同じ救い主を礼拝する人々なので、一致しやすく、爽やかな雰囲気で作業ができたことは感謝でした。
 すっかり熊本地震被災地の報道が少なくなっていますが、復興のためにこれからも多くの必要があります。熊本から高砂へ帰る途中に大分県別府市の別府不老町教会を訪問させていただいたのですが、大分県も復興支援が必要です。熊本も大分も復興が必要なところは多いですが、街の機能は問題なく活気に溢れています。熊本・大分へ観光や遊びに行くのも重要な復興支援の一つだと思いました。それならできるわ!という方も多いのではないでしょうか。どうぞぜひ行ってみてください!




熊本地震ボランティアへ行ってきました(2)ー使命のようなものに突き動かされてー



 熊本地震ボランティアへ行ってきました(2)
 ―使命のようなものに突き動かされて―
 山 田 一 恵

 まずは、宮崎ハーベストチャーチで一泊、翌朝の五時、我々は熊本ハーベストチャーチを目指しました。この教会はボランティア活動の本拠地となっていたのです。朝のミーティングで、それぞれのグループに仕事が言い渡されます。私たちのグループは、瓦礫処理作業でした。車も通れないほどの細い路地裏にブロック塀が倒壊していました。それを細かく砕いて土嚢袋に詰めます。また、大きいブロックは一輪車に乗せ、指定された置き場に運ぶのです。熊本地震一か月後ですから、隣接する墓地は荒れ放題で雑草に覆われ、蚊が繁殖していました。折しも小雨が降り続き、ヘルメットをかぶり、手袋を履き、マスクをし、汗と雨、泥でぐっしょり濡れながら、その作業は二日間続けられました。
そしていよいよボランティア最終日は、障碍者の男性の方の引っ越しのお手伝いでした。大きなダンボール箱が部屋中に積み上げられています。押入れもお手洗いもお風呂も手つかず、2Kの部屋はもので溢れかえっていました。明日の引っ越しに間に合わせなければならないという厳しい作業でした。
 仕事を終えた後、被災の中心地である益城町を車で走りましたが、多くの家が倒壊し、どこもいまだ手つかずといった状態で、復旧にはかなりの時間がかかりそうでした。熊本城の石垣も無残に崩れており、修復には今日の技術をもってしても、数十年はかかるそうとのことでした。
帰路途上、別府不老町教会を訪れ、斉藤真行先生と再会しました。斉藤牧師は勧士・執事一泊研修の講師として来て下さった方です。先生の教会も被災し建物に大きなヒビがたくさん入っていました。今後のことも考え、教会は取り壊すそうです。
この千五百キロにわたる、熊本震災ボランティアの活動を振り返り、幾つかのことを考えさせられました。まず、様々な作業をしながら、決してマイナス思考にならなかったことです。もう、無我夢中、一心不乱で対処しました。何か使命のようなものに、突き動かされていたような気がします。また、毎晩、湿布を手足や腰に貼りながらも、誰一人体調を崩す者も出ず、健康が守られました。さらに、この年代の異なる参加者八人が、非常に良くまとまっていました。信ずるものを同じくする者の結びつきと表現したらよいのでしょうか。それは、目には見えませんが非常に強いものです。ことあるごとにお祈りをして、仕事につき、目的に向け、ブレることなく邁進していきます。
ボランティアは、全員黄色のベストを着用します。胸には〝九州キリスト教会〟と書かれています。依頼があれば何でもしました。被災者の方々に、私たちの奉仕する姿を見ていただくのだというのです。この人たちは、どうして、こんなことまでしてくれるのか。どうしてここまでしてくれるのか。そう思っていただくことが大切なのであって、伝道は次の段階だと言われました。
 熊本ハーベストチャーチには、全国から、世界からボランティアが集まり、それぞれグループで活動していました。牧師先生や看護師さんをはじめ、中には両腕に刺青の入った方や、加古川刑務所に薬物中毒で入っていたと証する方までいましたが、その表情は明るく、クリスチャンとして新しく生まれ変わり、新たな人生を歩んでいると感じました。
私は退職してから、聖書学院やボランティアに行き、約一か月間家を空けました。これからが、本当の退職生活です。最近になって、やっと自身の生活も落ち着いてきました。一日の始まりは早天祈祷から。教会ではいろいろなサークルや委員会に所属することになりました。これからは教会に軸足を置き、自分の将来も見据えつつ、特に身寄りのない方やお一人様に対して奉仕していきたいと考えています。教会がお一人様の心の支えとなる、そのような場であってほしいと願います。そのために自分はどのような働きができるのか、主のみ心に委ね、主のみ心に叶うよう祈りつつ働きたいと思います。




熊本地震ボランティアへ行ってきました(3)ー〝仕える心〟を学びましたー



 熊本地震ボランティアへ行ってきました(3)
 ―〝仕える心〟を学びました―
 東 根 あ す か

 はじめ、熊本ボランティアのお話をいただいた時は、正直なところ、いろいろと不安なことがありました。「余震があったらどうしよう」「体力はもつだろうか」「作業中に家屋が倒壊したら?」等々…ですが、同行予定の姉妹方とボランティア旅について話しをしたり、安全靴捜しをしたりする中で、不安よりも楽しさの方が勝り、いつの間にか出発の日が待ち遠しくなってしまいました。
 ボランティアメンバーは、二十代から六十代の男女八名という、教職の先生方をはじめ、個性豊かな兄弟姉妹方との五日間は、移動中もわいわい賑やかに過ごす時間が長く、良い交わりの時となりました。
 今回お世話になった九州キリスト災害支援センターは、熊本ハーベストチャーチをベースとして五月末には、北海道から沖縄まで、日本各地の教会からたくさんのクリスチャンの方が来ておられました。また、国内にとどまらず、アメリカ、イギリスからも十代~三十代の兄姉が来ておられました。話しを聞くと、中には、初めての来日で、しかも観光は一切なしで、九州でボランティアをするためだけに仕事を休んで来ておられるという方もありました。本当に胸が熱くなりました。こんなにも日本のことを心配し、愛して助けようとしてくれているその事実を目の当たりにして、主への感謝でいっぱいになりました。
 今回のボランティアで、私は〝仕える心〟を学びました。何でも喜んでお手伝いしたいと願いながらも、損壊のお宅での作業中に、しんどさを覚えたり、冷蔵庫内の処理中に「避けられるなら、避けたい」と思う弱い自分がいて、「イエス様のように、愛をもって人に仕える心を与えて下さい」と祈りました。でも、神様はそんな小さな者を覚えて、平安と力をくださいました。兄弟姉妹方のとりなしのお祈りにも支えられて、高砂教会チームだけでなく、他の教会の方々との良きチームワークも与えられて、五日間全てが守られたことを感謝します。前半はきつく思えていた作業でしたが、後半になると、汗をかく気持ち良さを感じられるほどになっていて、「本当に祈られているなあ」と実感しました。
 九州キリスト災害支援センターでは、ボランティアに対する注意として、「被災者の方々に直接伝道することは控えて下さい。今はまだその時期ではないと考えています。そのうちに、あちらの方から興味を持って尋ねて下さると思うので、伝道は次のチームに委ねましょう」というようなことを言われていました。確かに今は、住む所を探すこと、家の中の片付けや生活の再建が一番の課題です。でも、時間が経った時に、次々と国内外からやって来るボランティアメンバーの背後にあるもの、神様の存在に興味を持ち、福音を聞くチャンスがやってくると思います。
 立ち寄らせていただいた大分の別府不老町教会では、震災後、新しく礼拝に来られる方が起こされているとお聞きしました。九州の地で、まだイエス様を知らない人達が、地域の教会に導かれ、生活の再建だけでなく、何よりも多くの魂が救われていくことを、これからも祈っていきたいです。


















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