月報 2016 9月

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修養会の恵みは凄い(1)ー幸せ感で、笑いが止まらずー



修養会の恵みは凄い(1)
 ―幸せ感で、笑いが止まらず―
 川 西 幸 子

 私が初めて高砂教会に足を踏み入れたのは、今から七年も前の事になります。その頃は、人間関係で悩み辛い日々を送っていました。自分の存在価値が分からず抱えきれない程の孤独を感じ、気付けば周りの人達を避ける毎日を過ごしていました。
 そんな時、高砂教会ゴスペルクワイヤーTCGCと出会いました。ゴスペルを聴くのは初めてでしたが、凄く穏やかな気持ちになったのを今でも覚えています。秋からは正式メンバーとして参加し、初めは戸惑う事ばかりでしたが年を越す頃には変化が起こり、少しずつ笑えるようになりました。しかし、その反面、しんどかったという記憶が心に大きな傷となって残り、剽軽に演じる事でその傷を必死で隠すようにもなっていきました。
 こうしてまた自分を偽り隠すようになった頃、私の人生を大きく変える出会いがありました。神様について学びを深めようという会が突如開かれたのです。そこでは不思議なほど自分自身と向き合え、心のバリアが緩まり素直な気持ちになれました。そして人を信じる事を思い出し、変わりたいと思うようになっていきました。その数ヶ月後の今年三月、長い時間はかかりましたが、たくさんの兄弟姉妹に支えられ守られて私は救われました。
 そして迎えた修養会では、溢れる程の恵みを受け祝福で満たされました。しかし、初めからこう感じていたわけではありません。数日前から様々な感情に襲われ参加をやめようと何度も考えましたが、その度に止まった足を再び前に進めてくれるような出来事が続きました。不思議なもので、気持ちが落ち着くと不調は体へと現れ、初日の深夜から強烈な吐き気と貧血に悩まされたのです。
 二日目になってもそれは続き、夕方にはピークに達していました。立っているのが苦痛。笑い声を聞きたくない。集団を離れ、しゃがみこんで一人で逃げ出す事ばかりを考えていました。でも、それを救ってくれたのは姉妹達です。第四聖会では、両隣でしっかりと寄り添ってくれ、肩や腰に当ててくれた手が本当に温かく優しく感じました。按手が始まるその時まで気付きもしませんでしたが、私の周りにはたくさんの家族が寄り添ってくれていました。もう何も考えずただ目を閉じる事しかできませんでした。
 そして、「神様に任せます」と呟いた瞬間、全身の力が抜け、まるで糸の切れた操り人形のように倒れこみました。体中が痺れ大きな悲しみに襲われ、まるで自分の人格を乗っ取られたかのように感情コントロールができなくなりました。頭の中には五人もの人格が存在しているようで、本当の自分は一歩さがった所に居るような気分でした。涙が溢れ止める事ができず、わんわん泣きました。暫くした後、次は急に怒りと恐れに襲われ、逃げる事ばかりを考えていました。足をバタつかせ自分とは思えない声で叫び、ただただ荒れ狂うしかできませんでした。また数分後にはピアノの音に強く反応し、犬の遠吠えのように声を張り上げて歌い、時には音としか言えないような声を発していました。周りの事は気にならず、歌うことがとても気持ち良く感じました。しかし、そんな状況下でも本当の自分は隅の方で別人を見ているかのようでした。そして、最後に訪れた感情は何とも言えない幸せ感で笑いが止まらず、声を上げて大笑いをしていました。ようやく落ち着いた頃には体力は消耗し汗でびしょびしょでしたが、頭の中にいた他の人格は消えており、気持ちはとても晴れやかでした。
 修養会を振り返ると、いつもたくさんの兄弟姉妹に支えられていたように思います。この三日間は、信頼関係を太く強くしてくれる日々となりました。そして、何よりも大きな神様の愛が包んでくれました。今の私は自分でも驚くほど、もっと神様の事を知り、みそば近くを歩んで行きたいと願っています。








修養会の恵みは凄い(2)ー主の偉大さと大きな愛に感動ー



 修養会の恵みは凄い(2)
  ―主の偉大さと大きな愛に感動―
  入 江 悦 子

 私が高砂教会に来させて頂く様になり、受洗させて頂いたのは、今から約二年前の二〇一四年(平成二十六年)のクリスマスでした。しかし、洗礼を受け気持ちが晴々していたのもつかの間でした。忘れもしません。年が明けた一月二十三日頃から、気持ちが落ち込むようになり、何をするのも色々考えてしまうし、頭の中で考えがまとまらず、すっきりしない状態でした。仕事だけは絶対休めないと思っていましたので、体はだるくとても辛かったのですが、なんとか行っている状態でした。仕事でパワーを使うので、帰って来たら、家事も身の回りのことも出来ず、自分の着る服でさえ選ぶことが難しくなっていましたので、教会に通うことも出来なくなっていました。いつも不安があり、その不安がまた不安を作り、悪循環、負のスパイラルでした。あまりにも辛すぎたので、冨永姉からの勧めもあって、アンドリュー先生・恵満先生のカウンセリングを受けることにしました。
 カウンセリングを受け、毎回聖書からいただく御言葉やメッセージは私の奥深い所に届き、心に染みていき、とても癒やされました。そして力をいただき救われました。回を重ねるごとに少しずつ不安も軽減し、気持ちの落ち着きがでてきて、約八ヶ月程で暗闇のトンネルの中から漸く抜け出すことがきました。その間、教会で沢山の兄弟姉妹にも助けられました。
 この暗闇のトンネルから抜け出せた時、この状態を保ちたい!という気持ちがあり、兄弟姉妹からのアドバイスもあって「早天祈祷に行きイエス様に感謝したい!」という思いにかき立てられました。そして九月十八日、私にとって最初の早天祈祷に行きました。その頃の私は、精神的なものは回復し安定してきていましたが、生活の中心となる衣食住の〝住〟の部分で悩んでおりました。その頃住んでいた所は私にとっては家賃が高かったので、他に良い所があれば…とアンテナを立てていました。すると、早天祈祷に行き始めてわずか五日目、突然、まるで線路が引かれ導かれたかの様に話が進んで、現在住んでいる所の本契約が成立し、翌十月には手続きが全て整い、末日には引越しができていました。本当に主の力が働いたとしか思えません。こうして私の中にあった不安はどんどん癒やされていきました。
 そして、今年の七月十八日に聖霊刷新協議会全国大会が高砂教会であり、その分科会で「聖霊のバプテスマについて」津村先生ご夫妻から学びを受けた時、私は聖霊様に触れられたのです。津村先生から「神を信じますか」と問われたので、「信じます」と言った後、直ぐ体が倒れ、涙が溢れて、咳がゴホゴホ出始め、奥から奥から出てくる咳が止まりませんでした。先生が按手して下さると胸が熱くなり、数分すると体がふわっと包まれた様になり、何とも言えない気持ちになり、自然に自分の顔が緩んで行くのが分かりました。光に包まれて、お花が周りにある様な雰囲気の中、「ハレルヤ!ハレルヤ!」と少しずつ異言が出る様になり、以前聖餐式で体験した時の様な感動が蘇りました。
 この経験もあって、今年はぜひ修養会に参加してみたいと思っていましたが、勤務上難しい可能性もあったので、早天祈祷会で祈っていました。するとそこにも恵みがあって、教会学校にも行けない事が多くなっていた息子も一緒に参加できるようになり、本当に感謝します。修養会では早天祈祷会や毎回のメッセージに刺激され、私は主の偉大さと大きな愛に感動し、主の愛に満たされました。ある姉妹の証言によると、按手の後、両手を挙げ万歳のポーズで爆睡していたといいます。このように、修養会では主の愛を再確認し、恵みを沢山頂いたので、今年のテーマ「祝福を携えて出て行こう」の様に、私も主の祝福を伝えていく主のしもべとして従っていきたいです。私が大きく変えられたのは、信じるもの、主の存在があるからです。



修養会の恵みは凄い(3)ー座り込み、寝込む程の強烈な体験ー


修養会の恵みは凄い(3)
 ―座り込み、寝込む程の強烈な体験―
篠山教会牧師  河 南 一 成

私の様な新米の牧師をお忘れにならずに、修養会のお誘いのお声をかけて頂いた事を心より感謝しております。また、八月の暑い時なので野菜の水やりが気になっていましたが、幸い数日前に篠山は結構な雨に恵まれ安心して赴く事ができ、これも神様の計らいと思っています。そのくらい野菜作りは大切にしています。
 今回の修養会での一番の関心は、初めての「聖霊のバプテスマ」を経験する事でした。ついては、東京神学大学の関川泰寛教授の聖霊観とペンテコステ・カリスマ派の「聖霊のバプテスマ」との認識は異なっている様ですが、私の牧する篠山教会は歴史的には百十四年目を迎え、その背景には長老派の流れを受け、私自身も受洗後は一般的なキリスト者として、静かな聖霊の導きにより今日まで歩んできたと思っています。但し、昨年から高砂教会の導きにより早天祈祷を続けてきた中での体験がひょっとして「聖霊のバプテスマ」に相当するのかなと思っていました。この度の研修会には、正直そんな気持ちで参加させて頂きましたが、講師の万代栄嗣牧師の迫力ある説教には圧倒され、相撲で言うなら大横綱と私は新米力士。あまりの大きさ故にこちらから話しかけるのは遠慮したほどです。また万代牧師は原稿も見ず、しっかりとした聖書研究・聖書知識・神学等を土台に長々と気迫の籠ったメッセージをされ、その中に真実なる熱意を感じ、あれだけのエネルギーを説教にぶつけてお体は大丈夫かなぁと心配していました。牧師の価値は説教という土俵だとその時に痛感しました。そして万代牧師の人気は今までに誠実に取り組んで来られた賜物なのでしょう。先生の誠心誠意なメッセージにはただ頭が下がる思いでした。早速、先生の著書を買わせて頂きました。
 ところで私の説教感は、?説教にはパンチが必要で霊性・熱意・気持ち・誠実さ等が大切である。?分かりやすいメッセージ。?メッセージの中に神の御霊を感じ神の御霊に結ばれる。④主イエスの内在を覚える。⑤メッセージを通して主イエスの癒し・不思議・しるし・奇跡を願う。⑥片寄った政治・社会問題の話はしない。⑦主に委ねる。等ですが、これらの内容を全て万代牧師は兼ね備えておられ、またそれ以上の賜物をお持ちだとも思っています。
 また、万代牧師より「聖霊のバプテスマ」を受け、足腰の丈夫な私が座り込み、その場に寝込んでしまいました。早天祈祷で経験した賜物以上の大きさで、高砂教会に注がれた賜物と同じなのか、とてつもなく大きな賜物でした。私にも修養会前に異言が与えられており、その賜物については万代牧師の著書にも同じ様な内容で記されていましたが、今後段々と形作られていくのでしょう。その言葉をお腹の底から叫ぶと、父なる神に対して心が響き合える様な気持ちになります。この度経験した「聖霊のバプテスマ」は、手束元老牧師・万代牧師が受けられた賜物だと思っています。その賜物を通して私達への満たしが施され今も魂に生きています。ひょっとして私もペンテコステ・カリスマ派になりつつあるのでしょうか。また、万代牧師の海外での宣教や福祉活動、教団の社会派や行き過ぎた社会の自由の認識への御批判、優しいお人柄等はしっかりと心に残っております。
 今の私は、できるだけ早天祈祷を守り、それを土台に教会作りに励む。手束先生の著書「第三の波」を参考にする。この度経験した「聖霊のバプテスマ」を忘れない。等を心掛けています。そして万代牧師から?霊性豊かな教会作りに励む。?心豊かな御言葉を伝える。?自らの霊性を高める。④弱い立場の方々を覚える。⑤誠心誠意をもって信仰生活を守る。等の大切さを学ばして頂き、今後の教会作りに役立てたく思っています。
 高砂教会で学ばして頂いた中で、教会・牧師には霊性が必要だと思う様になりましたが、すべて真似はできません。あまりにも高砂教会の賜物が大き過ぎると思っています。私には今までに培った信仰の姿勢があります。その中で、高砂教会で学ばして頂いた事で必要だと感じた事は取り入れていくつもりです。そして篠山教会らしさも保たなければならないと思っています。これから篠山教会がどうなるのか、自分自身はどうなるのかと不安に思う時もありますが、高砂教会の学びを通してわくわく感を覚える様になっているので、早天祈祷を支えとして、主に祈りつつ委ねて歩んで行くつもりです。
 最近、礼拝中に不思議な霊的な経験をされた方があり、私自身も早天祈祷を通して恵みを経験しました。この事は高砂教会での学びのお蔭です。高砂教会での学びを通して聖書の理解を深め、更に霊的に豊かな教会を目指していくつもりです。このところ篠山教会でも少しずつ良き変化が見えてきたと思っています。今後も学ばして頂いた事を振り返り、頭の中を整理しながら取り組んでいきたいと思っております。
 最後に高砂教会の方々には本当にご親切にして頂き感謝申し上げます。教会内がよくまとまり、行き届いた対応にも敬服しております。篠山教会はこれからも地道に歩んで行くつもりですので、今後共、ご指導の程宜しくお願い申し上げます。





修養会の恵みは凄い(4)ーキリスト者であるというアイデンティティの確認ができたー


修養会の恵みは凄い(4)
 ―キリスト者であるというアイデンティティの確認ができた―
 喬木教会 片 桐 修

 八月十九日から二十一日にかけて瀬戸内海の播磨灘に面した風光明媚な兵庫県赤穂市で開催された高砂教会修養会に参加できましたことを感謝します。以前、喬木教会へ手束先生がいらっしゃった時に、高砂教会の修養会は恵まれますよとお聞きしていたので、是非参加したいと思っていたのが実現し、恵みを沢山頂いたことで感謝一杯です。高砂教会での恵みは、昨年の聖霊様の働きと恵みについて学ぶデュナミスコースに続いて二回目となりましたが、教会の皆さんから明るい笑顔と心温まるもてなしを頂いたことに感謝します。今回の修養会への外部からの参加は私たち夫婦とほか二教会からの六名だけで、手束先生からは、この修養会は高砂教会がもっとも力を入れて長い期間を掛けて計画しているもので、それに外部から参加して祝福と恵みを持って行くのは、一番賢い方法ですよと皮肉とも賛辞とも解らぬ言葉を頂きました。
 修養会は赤穂市の温泉ホテルを三日間貸し切っての総勢百三十名による大規模なもので、それも毎年行っているとのことで驚きました。祝福された教会の姿を目の当たりにして、因習の強い地にある私たちの喬木教会ももっと伝道をし、高砂教会が成長する基盤となった家庭集会「セル」を、もっと気楽に実行に移さなければならないと思い知らされました。
 修養会のテーマは、「祝福を携えて出て行こう」で、講師は日本福音宣教会を主催する松山福音センターの万代栄嗣先生でした。先生の話術の巧みさと自身の証しを交えての熱いメッセージは、本当に聞く側にぐさっと来る気づきや燃える思いを抱かせて下さるもので、とても感謝でした。私は、自分の固定観念で信仰を縛っていなかったか、自分の信仰では恵みはこんなものだと高をくくっていなかったか、自分の祈りでは叶えられる限度があると決めつけていなかったか。神様の恵みは無限大で、神様の祝福は無尽蔵であるとの再確認。そして、信仰の領域が拡がらないのは、常に自分の側に問題があると再認識させられました。
 自分が救われたとき、本当に神様に自分を委ねた時に感じた罪の清めと体の癒し、そして幸福感に包まれた思いと、教会に行くたびに何故か涙が止まらずに温かな思いに満たされていたことを思い起こし、あのとき聖霊に触れられていたことを、神の奇跡が起きていたことを確認することが出来ました。自分はキリスト者であるという、アイデンティティーの確認を。そうなのです、自分は夫である前に、父である前に、社会人である前にクリスチャンなのです。キリストの十字架の贖いによって救われた者なのです。世に対して宣言すべきことなのだと。
 そして修養会のテーマである「祝福を携えて出て行こう」なのです。一コリント一:十七~十八で言われている「いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには、神の力である。」
の御言葉により、イエス様が私を選んで救って下さったという原点に立ち返って、愛する主に仕えていくものになろうという熱き思いを抱いて、妻と共に帰ってきたのでした。感謝





修養会の恵みは凄い(5)ーいつの間にか異言が出てきたー


修養会の恵みは凄い(5)
  ―いつの間にか異言が出てきた―
  赤磐教会  西 山 智 子

 たくさんの人のお祈りに支えられ、高砂教会の修養会に参加し、多くの恵みをいただいた事に感謝します。今回藤原姉・川添姉と参加し、仲間の大切さを教えていただきました。
 六月に手束先生が赤磐教会に来られ、聖霊のバプテスマの話を聞いた時は、興味はありましたが、「二泊三日も家をあけるなんて無理」と、祈りもせず、簡単に諦めていましたが、藤原姉からの連絡を機に「祈ってみようかな?」と思わされるようになりました。一番の大きな壁は主人に納得して送り出してもらう事でした。祈ってから、修養会に参加したいと打ち明けました。「何をしに行くんだ?」という主人からの問いかけに、「聖霊の」とは言えず祈って祈ってでた言葉は「神様の愛を流しだす人になりたいから」といいました。それでも彼は納得せず、「わからん」と言います。毎回教会の事でしつこくお願いする事はありませんが、今回は三回くらい挑戦してみました。主人からの賛成はもらえなかったけれども、反対もされなかったので、行かせていただく事に決めました。
 修養会の三日前、何気ない会話から川添姉を傷つけるような事を言ってしまいました。傷つけたかな?と思いつつ、素直に謝ることができず、ずっと悶々としていた私に、神様は藤原姉を通じて、「サタンは関係性を壊そうとする」と教えてくださいました。まさにゴッドタイミング!最初は自分の言い分を神様に訴えていましたが、だんだんと謝るべきではないか?という思いに変えられ、川添姉に謝ることができ、すっきりした気持ちで修養会に参加する事が出来たことも感謝でした。
 分科会は手束先生の「聖霊のバプテスマを受けるには」に参加しました。「本当に誰でも聖霊のバプテスマをいただけますか?」と質問をしたら、「罪責感があるとブレーキがかかるので、悔い改める。恐れも妨げとなるので、自分自身を神様にゆだねる。全面的に明け渡す」というアドバイスをいただきました。あれも、これも悔い改めてと自分なりに祈りました。藤原姉・川添姉にも祈っていただきました。
 いよいよ、夜の第四聖会となりました。万代先生のメッセージは今回も力強く私の心に響いてきました。按手のお祈りの時間になり、私は「聖霊様どうぞ私のところにきてください。聖霊のバプテスマをください」と必死で祈りました。でも、何もおこりませんでした。手束先生が、「今聖霊のバプテスマをいただけなかった人は残ってください。もう一度祈ります」とおっしゃってくださったので、このままでは帰れない、神様お願いします。という気持ちで残りました。もう一度万代先生がきてくださり、「あなたは、神の僕です。あなたがこだわっているもの全てが今取り去られます」と祈ってくださいました。それでも日本語しか出てこない私に、手束先生が「何かしゃべってみなさい、日本語じゃなくて」と言われ、「え?どうしよう?」と思っているうちに異言がでてきました。でも「これでいいのかなー?勝手にしゃべってるんじゃないのかなー?」と正直不安な気持ちはあったのですが、その日は終了しました。次の日、異言がなくなっていないか心配で、お祈りしてみましたが、なくなっていませんでした。
 また、かつて私と同じく統一教会で活動していて救われた姉妹との出会いもありました。なんだか見覚えのあるような姉妹だとは思っていましたが、彼女もイエス様を信じ今はクリスチャンになっていることも嬉しかったし、息子さんが活き活きと賛美されている姿はとても恵まれました。
 この修養会を通して一番の恵みは「イエス様を伝えたい」という思いを与えて頂いたことです。聖霊様と一緒にワクワクしながら、私も大切な家族や友達にイエス様を伝えていきます。













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