月報 2016 12

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『教会作り共同研修会』で何を学んだか(1)―笑いと悪霊を追い出す祈りの衝撃―

『教会作り共同研修会』で何を学んだか(1)
 ―笑いと悪霊を追い出す祈りの衝撃―

 鶴見橋教会牧師 田 中 寛 也

 六日間の共同研修会の最終日に、これまでのまとめを発表する機会が与えられました。そこで三つの感謝を述べました。
 第一の感謝は、記念品です。
 共同研修六日目、早天祈祷会に引き続き「アロンとホルの会」に参加し、共に熱心な祈りを捧げ御名を賛美しました。帰り際、机の上にぺっちゃんこになった小さなヤモリが置かれています。手束牧師に尋ねると「僕が置いたんだ」と言われたので、では誰が踏みつけたんだと思いつつも、「これは手束先生からの記念品とします」と言おうとして、思わず嬉しくて「手束先生の形見にします」との言葉になってしまいました。それで、このヤモリは手帳にはさむことになり、開くたびに共同研修の熱き指導を思い起こす大切な記念品となりました。
 第二の感謝は、笑いです。
 私たちは初めて手束牧師夫妻と出会ったのですが、周囲からうわさされるイメージとは随分違っていました。手束牧師の微笑みと美智子師の笑顔、また諸先生方やスタッフの兄弟姉妹の自然な笑顔と笑い声に迎えられ、明るく包み込むこの教会のイメージが伝道の推進力だと実感しました。
 そこで、特に三名のステキな笑顔を紹介したいと思います。
 一人目は、美智子師の爆発する笑いです。どうして、こんなに素直に笑うのだろうか。私は一遍に魅了されてしまいました。牧師夫人は人に知られず労苦を負い、要望を託され、人と人との間にも立ちます。それで大抵は笑うのが下手になってしまいます。しかし、その秘訣が替え歌CD「牧師道」に告白されていました。この爆発する笑いは、牧師夫妻の仲の良さや教会員との親密な信頼関係の基礎石となっていると思わされました。 
 二人目は、飯田克弥牧師の屈託のない笑いです。誰の懐にも飛び込んでくる真直ぐな姿勢が相手の心を開かせます。若者伝道の先頭に立ちつつ、尚主が次世代の霊的指導者として祝福し用いてくださることを期待したいと思います。主の祝福を祈ります。
 三人目は、慇懃かつ重厚感をもって微笑む方です。手束牧師は著書を拝しても、CDに謳われても、伊藤兄と卓球勝負をしても、厳しくも孤高の武士気質を貫いておられます。そして、今や元老牧師となられ、牧会現場から一歩距離感を置かれたからか、微笑む笑顔がとてもカワイイのです。トップが聖霊に満たされているから、教会全体に聖霊が注がれているんだ、その権威を守られる厳しさと優しく包み込む牧会者の姿勢を見させていただきました。
 第三の感謝は、聖霊と共なる祈りです。一般的にホーリネス・聖潔派教会は異言で祈らず、私たちは異言で祈ったことがありません。聖霊の理解は「御霊の実」ガラテヤ五:二二―二三にある敬虔な人格、内的漸次的な聖潔を目指しています。そのために、聖霊は御霊の賜物であり、病をいやし悪霊を追い出す〝いのちの力〟として捉えることが弱いのです。そこで、二軒の聖別会に参加して悪霊の追放と賛美行進を体験したことは、聖霊に対する目からウロコ!の衝撃でした。そして、今まで悪霊のことを意識してこなかったのは、霊的に目隠しされていたのだと悟りました。
 教会に帰ってから、毎朝の早天祈祷会と共に、悪霊追放の宣言と賛美行進を続けています。数日後、主が勝利してくださり、礼拝堂がぱあーっと明るくなり、主からの平安をいただきました。共同研修会に参加して、聖霊の賜物に気付かされ目覚めたばかりですが、良き祈りの準備を経て、聖霊の賜物を授けられ、教会成長と伝道へと遣わされたいとワクワクしています。ハレルヤ。



『教会作り共同研修会』で何を学んだか(2)―与える教会、仕える教会に早くなりたい―

『教会作り共同研修会』で何を学んだか(2)
 ―与える教会、仕える教会に早くなりたい―

 フルゴスペル・イエスキリスト教会牧師  永 野 誠 治

 2016年11月11日から16日まで、兵庫県高砂市にある日本キリスト教団高砂教会開催の「教会作り共同研修会」に参加させて戴きました。この研修会の目的は、牧会伝道に困難を覚えている後進の牧師達に、手束牧師先生の四十数年間の教会成長の成果を実際に見聞きすることによって、自分達の教会現状打破のヒントを得てもらい、それぞれの牧師達の働きが変革されて、上昇志向に変わることを期待して始めて来られたのであろうと推察します。事実、かなり有意義な研修となりました。成長したいのであれば成功した教会から学ぶのが近道です。その方がずっと初歩的な失敗をしないで済むからです。教派やスタイルが違っても根本的な成功法則は同じだと考えます。
 今回、高砂教会を訪問してみると、自分の先入観とは違い、リーダー的な信徒たちにピリピリした緊張感は感じられず、むしろ結構手束先生に無遠慮に発言しているのが印象的でした。明るく、笑い声が途切れず、会話にゆとりがあるのは、指導者にゆとりがあり、そのゆとりが信徒たちに自由さを与えているのでしょう。牧会当初からそうであったとは思わないが、指導者の成長と器の大きさが教会内の雰囲気を楽しい雰囲気にするファクターなのかもしれない。自分の器も大きくし、他者を包み込めるようにならなければと反省させられました。良き指導者に、良き弟子が生まれるのは古今東西の常識でしょうが、実際にそのような環境を体験できるのは珍しいことではないでしょうか。今回交流することができたのは、主にリーダー格の信徒達だけだったが、その規律正しい態度と表情、自然と溢れ出る信仰、長期間共に歩んできた指導者への信頼感などが会話の節々に感じられ、成熟した教会の特徴を十二分に味わわせてもらいました。自分の教会もこの様に成熟した雰囲気を醸し出す教会へと成長させたい。やはり未信者は平安を得られる場所を求めて教会に来るのだろうし、神から来る平和の中で指導者の鋭い勧めも納得して受け入れられるのでしょう。天の御国はそのような場所であり、イエス様と弟子達の生活もそんな状況だったのではないだろうか。
 手束牧師先生が回顧して話して下さる内容から、上記の御言葉にある「荒野に叫ぶ者の声」を連想した。四、五十年前のキリスト教界は正にそうではなかったのか。荒野のような不毛の地に、神様は叫ぶ者の声を必要としたのであろう。日本に主の道を用意するために神様は手束先生を必要とされた。神学的にも実際的にも、主の通られる道をまっすぐにする必要があります。そのために、私達にはモデルが必要です。見本を見ることによって、説明書きを読んでも良く理解できない部分が明白になります。ピリポがナタナエルに「来て、そして、見なさい」と言ったように賢い方法です。手束先生が中央から、また参加された牧師達がそれぞれ地方から、荒野で叫ぶ者の声に成れればよい。日本の教会がいつまでも海外から与えられ助けられる存在でいて欲しくない。むしろ喜んで海外の教会に与える教会、仕える教会に早くなって欲しいと思う。今回の研修会への参加を通して、特に高砂教会のように与える教会、仕える教会に早くなりたいと強く願わされた。手束先生ご夫妻、教会員の素晴らしいリーダーの方々、忠実に従って来られている全教会員の皆さんに心からの感謝を表明します。有難うございました。次は、多くの実を結ぶことによって、喜びの証しをもって訪問したいです。ご期待ください。




『教会作り共同研修会』で何を学んだか(3)―高砂教会は「神の軍隊」の教会―

『教会作り共同研修会』で何を学んだか(3)
 ―高砂教会は「神の軍隊」の教会―
 フルゴスペル・イエスキリスト教会牧師夫人  永 野 友 子

 この度の高砂教会での「教会作り共同研修会」に参加させて戴いたことを、心から主に感謝いたします。また同時に、この研修会のために多くの労と犠牲を捧げて下さった手束先生ご夫妻、新谷先生ご夫妻、そして高砂教会のリーダーの方々、信徒の皆様にも心から感謝いたします。
 11月11日より16日までと日数は長くはありましたが、研修を終えてみると束の間でした。実はこの研修会の直前にいくつかの障害が生じ、更に別府から高砂までの交通機関にも事故が発生したため、予定の倍の時間でようやく高砂教会に到着できた程とても長い道のりでした。余程私達をこの研修会に行かせたくない敵対者がいるのでしょう。それで、逆に私達は今回の学びに大いに期待するようになりました。
 今回の研修会での一番の印象は、高砂教会が「神の軍隊」の教会であるということです。手束先生、新谷先生を長としてリーダーの聖徒の方々が、それぞれ正しいポジションに着かれ、整然と進んで行く様子は正に軍隊でした。軍隊と言うと、冷たい・厳しい・つらいというイメージがありますが、「高砂神の軍隊」はそれと違い、そこには愛と信頼という絆がありました。奉仕されているリーダーの方々が自分の役割をしっかり認識され、責任を持ち、喜んで仕事を果たして結果を出しておられる姿に目を見張りました。エペソ人への手紙四章一二―一五節のようです。
四:一二 それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、
四:一三 ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
四:一四 それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、
四:一五 むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。
 二番目は、そのすべてが魂の救いのためという徹底した目標を持っているということです。たくさんの伝道の窓口を作られ、そこから救われて来た方々が大勢おられる現実を拝見しました。私達の教会がこの点で大変消極的であったことに気付かされました。今後の私達の重要な課題です。
 三番目は、高砂教会は喜んで与える教会、仕える教会であったということです。私達の教会も与え仕えることを重要目標にしておりますが、その実際を日本の教会で見ることが出来たことは、今後の私達の教会の歩みの助けとなる大きな経験でした。
 この研修会の素晴らしさは、ただ教えの学びにとどまらず、現場を実体験することで、より深く理解が進むことでした。参加した私達と共に時間を過ごし、教会の働きの中に私達参加者を組み込んで下さるのは大変に面倒な奉仕だと思われますが、このような犠牲を払ってまで成長を助けて下さる高砂教会の皆さんの信仰姿勢に頭が下がる思いです。特に手束先生ご夫妻、新谷先生、新田先生、信徒リーダーの方々のご厚意に心より感謝いたします。これからも日本人の救いのために、共に奮闘したいと願っています。有難うございました。


『教会作り共同研修会』で何を学んだか(4)―侍のような心を持つ指導者を見た―

『教会作り共同研修会』で何を学んだか(4)
 ―侍のような心を持つ指導者を見た―
 J―House牧師 飯 田 克 弥

 ハレルヤ!先日は、家族で「教会作り共同研修会」に参加させていただき、本当に素晴らしい時を持つことができました。心から感謝しています。このたくさん受けた恵みを、主の教会のため、日本のため、主の栄光のために用いたいと願っています。

■万人祭司なる教会
一ペテロ 二:五 あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。
 高砂教会で、勧士・執事を中心に一人一人の信徒が、早天祈祷会、セルグループ、礼拝や色々な奉仕、集会を通して、主を、そして主の教会を愛して、神様に仕えている姿勢に本当に感激しました。キリスト者が祭司として、生ける石となって、主に、時間、お金、賜物、能力を献げる事こそ、聖書が教えている事だと再確認しました。

■主を恐れる礼拝
箴言 一:七 【主】を恐れることは知識の初めである。
 高砂教会の日曜日の朝の礼拝に参加して感激した事は、信徒の礼拝への遅刻が少ない事です。恥ずかしながら私の教会では、礼拝に遅れてくる人が何人かいるのですが、高砂教会では遅れないだけではなく、二十、三十分前から礼拝堂に集まり、主の臨在を祈り求めていました。これこそ主を畏れる行動であり、当然ですが大切な行動です。
 私の感激を手束先生にお話しすると、「あなたがもし天皇陛下と待ち合わせしたら、遅れますか?遅れないと思います。最低でも三十分前には到着しているでしょう。私たちが礼拝している方は、王の王、主の主、天地を創造した神様です。遅刻なんてありえません」とおっしゃられ、心にストンと落ちました。「目に目えない主を恐れる」と口で言う事は簡単です。しかし行動をもって従っていくことが大切だと教えられました。
 この学びを受けて、次の週に私の教会で、主を畏れる文化、主を畏れる礼拝について説教をしました。その次の週には、礼拝前に多くの人が集まり、普通なら遅れる人が多い一曲目の賛美も、溢れるばかりの主の臨在と飢え乾きで礼拝できた時、本当に涙が流れてきました。主の臨在こそ最高の伝道、弟子化を押し進めるものだと教えられています。

■批判を恐れない、聖書的な強いリーダーシップ
ヨシュア記 一:九 わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。
 手束先生が、講義や色々な話の中で、高砂教会の歴史や教会をどのように導いていったか、その中で色々な戦いがあり、牧師の就任当初は辞表をもって信徒との話し合いをしたと教えてくださいました。
 私は主の教会を開拓、牧会させていただき十六年ほど経ちますが、本当に色々なことがありました。感謝する時、笑う時、泣く時、悔しい思いをする時、疲れる時など様々です。しかし日本のリバイバルのため、世界のリバイバルのためには強い教会を建て上げることが一番の近道であり、それが聖書的な方法であると確信をもって仕え続けています。
 しかしその中には、霊的な戦い、人間の肉的な戦い、自己との戦い、また全く神様の事を知らない人を信仰に導き、主の兵士として整えていく、人間業では不可能に近い色々な戦いがあります。その中で指導者自体が、色々と砕かれ、教えられ、整えられていきます。
 多くのリーダーが途中で諦めたり、妥協したり、人間的に優しくしたりなどしますが、手束先生は、自分が主から示された道に勇気を持って進み、戦いが必要なら戦い続ける、侍のような心を持っている指導者だと思いました。モーセの跡を継ぐヨシュアは心配と不安がいっぱいあったと思います。しかし、主が共にいるから雄々しく、強くありました。高砂教会で直接そのようなリーダーシップを学べた事を、心から感謝しています。




『教会作り共同研修会』で何を学んだか(5)―礼拝の讃美の中に天使が歌っている姿を―

『教会作り共同研修会』で何を学んだか(5)
 ―礼拝の讃美の中に天使が歌っている姿を―

 沖縄シャロームチャーチ牧師 儀 間 妙 子

 私が、高砂教会がリバイバルしていると聞いたのは二十五年も前のことです。東北の日本キリスト教団に属していた時のことです。当時、神学校でも日本中の教会でも教会成長が叫ばれていた時でしたから、とても興味深く聞いていました。八年前、郷里の沖縄で開拓伝道を開始し、沖縄の日本民族福音化運動に加わりました。そこで、むかしリバイバルのうわさを聞いていた高砂教会と手束先生の実体に出会ったのです。
 私は改革長老派の教会で育ちましたが、そこでは聖霊について聖霊の賜物について霊の闘いについて聞くことはまれでした。神学校でペンテコステの方々との交わりを通し、また奉仕教会で聖霊体験をしてはいましたが、その重要さについて本当に理解しているとは言えませんでした。また、十数年前に初めて「キリスト教の第三の波」を読ませていただきましたが、まだカリスマ運動についてはわかるようでわからない、そんな状態でした。
 しかし、民族総福音化運動に加わってから、先生の書物はほとんど読ませていただき、徐々に理解が深まってきました。手束先生の書物は、あらゆる神学に通じ、文学的で歴史や幅広い知識が網羅されて、アカデミックで近寄り難いと思いきや、内容は読みやすくて、そうだったのかと霊的に共感できる内容でした。ちょうど手束先生の印象も本と同じで、初めは、外見がめがねにスーツの近寄り難い紳士のイメージですが、実際接するとお人柄は気さくでユーモアがあり、細やかな配慮をされる先生でした。
 この度、開拓八年目の伝道で苦戦して霊の闘いの現実にぶつかっていた時、高砂教会の「教会作り共同研修会」に参加させていただく特権に与ったのです。沖縄での開拓伝道は、単立教会として月曜日から金曜日まで働きながらの自給伝道です。約一週間の休みを取ることが難しいのですが、教会が成長してきたと思ったらバックスライドしていくという問題が次々起こる現実を前に、霊の闘いに勝利するためにどうしたらいいかという問題意識を持って参加させていただきました。
 まず、高砂教会で驚いたのが礼拝でした。主イエス・キリストが地上で語られた多くのメッセージは「神の国」のことでした。その聖書の真理のとおりに、牧師も信徒も神中心に教会を中心に動いていることでした。人間的に考えれば婦人たちが朝から晩まで、教会の集会に集い一日中奉仕していることに対して、子供は、ご主人は、家族から文句は出ませんかと言ってしまいそうになりますが、あくまでも神様が中心で教会の信徒の皆様がそれを当然のごとく思っていることに感動しました。その方々が集う礼拝のただ中に、神のご臨在と賛美に天使が歌う姿を見たのでした。かつて教会に対するイメージは清くて固くてつまらないでした。天国がそんな所だったら誰もそこに行きたいとは思わないでしょうが、教会の信徒の皆様がよく笑い、よく働き、よく捧げ、明るい雰囲気を醸し出しているのですから、楽しそうで、教会に多くの方々が引き寄せられるのがよく分かりました。そして、かつて、こんなに美味しいものを御馳走になったことがあっただろうかと思うほどの皆様のおもてなしや集会、宿泊の御配慮に心から感謝しています。
 次に霊の闘いについて教えられました。サタンが一番喜ぶのが自分の姿に気づかないことだと思います。牧会の現場での霊の闘いの時、これまでいつも後処理の祈りばかりしていて、早天祈祷会や信徒の家庭の悪霊の追い出しなど、先手必勝の祈りをしていないことに気づかされました。今回、学んだことを実践させていただき、これまで以上に先手必勝の聖霊により頼む祈り、神様中心の教会づくりにチャレンジしていきたいと思っています。
 最後にこの終わりの時代に、私たちの教会にも、日本中の教会の上にも、聖霊が働きリバイバルが起こることを心から祈り、研修する機会を与えて下さった高砂教会と手束先生ご夫妻、新谷先生、スタッフの皆様、神様に心から感謝いたします。










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