月報 2017 4

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ベテルの学びは本当に素晴らしい (1)―与えられた私のアイデンティティ―

ベテルの学びは本当に素晴らしい (1)
 ―与えられた私のアイデンティティ―

 原 愛

私がこの二年間で学んだことは、「祝福の基となるために祝福を受ける者となる」そのアイデンティティを持つことです。
 私は本当に怒りやすく、いろんなことを根に持ち、嫉妬深い性格でした。母親が外国人であることで、いじめに遭い、母が私に対してしてきた数々の事、そして酒に溺れる母を小さい頃から見ていて、心に傷がありました。何で私はこうなったんだ・・・。何で私ばっかり不運なんだ・・・。このようにルサンチマンを抱いていました。クリスチャンとなってからは、神様の恵みを受けて緩和されている部分はありますが、なぜ私は生きているのか、どう生きていくべきなのか、このままではいけない、と思わされていました。そんな思いの中、ベテルの授業を受けていきました。そして、手束元老牧師先生が語られる言葉の中に答えを見いだしてきた思いがします。
 「怒りを手放すこと、溜め込んではいけない、『感謝』の宣言をし、神様を味方とすること。また、こんな自分はダメだ・・・等、罪責感を持ち続け、セルフイメージを低くしていると幸せになれない、それはサタンの働きである。私はもうすでに赦されていて、神様に愛されている存在。だからセルフイメージを高く持っていこう」。これらの言葉はごく一部ですが、沢山の生きる糧を教えていただいたと思っています。
 また危機的状況、困難な事が起こった時に逃げないこと、信仰の目を持っていく事が大事だということも学びました。以前の私は、恐れが来ると逃げ、悲しみの中に留まっていました。苦手な人との関わりも避けてきました。しかし、弱い所に神様は働く、困難は破壊を防ぐためのもの、また神の愛の故であり〝神の計らい〟であるということを学びました。正直、苦しい困難の中を歩ませられるのは嫌ですが、神様が私を強めるために、成長させるために、祝福をちゃんと受けられる器になれる様に事が起こっているんだ、という考えを持つことが出来るようになりました。自分の置かれている所で主に頼りながら歩んでいく、その信仰の目を持って生きていく事を思わされています。
 私のこれからの歩みは、神様のために仕える事です。祝福の基となるためには、まず私自身が輝くことです。そして、偉大で栄えある勝利の神の子とされているというアイデンティティを持ち、それを毎日宣言し、神様に祈りながら、何をすべきかを聞き、語られた事を忠実に行う者となりたいと思わされています。また、結婚をし家が与えられたので、セルの場所として解放し、救われる魂のために働こうという思いも与えられるようになりました。
 最後に、この二年間、毎週木曜日の時間を私たちのために捧げ、〝神の子〟というアイデンティティを熱心に力強く教えて下さった手束元老牧師先生に感謝です。また、二年間共に学んだ信仰の友との関係は、日々祈り合い励まし合い、支え合える深いものへと変化していきました。全員が青年女子であり、同世代の者達が集まり、時間を共有したことで、一致の思いをもって、共に信仰を高め合えたのではないかと感じています。二年間と聞くと、長いな・・・と思っていましたが、あっという間に過ぎ、それは手束元老牧師先生と密に過ごせる貴重な時間でした。是非、まだ受けられていない方、お勧め致します。私を成長させるために、また素晴らしい時間を与えて下さったイエス様に感謝して、これから歩み続けたいと思います。


ベテルの学びは本当に素晴らしい (2)―正しい解釈によって変えられた二年間―

ベテルの学びは本当に素晴らしい (2)
 ―正しい解釈によって変えられた二年間―

 西 村 茄 連

「歴史とはどういうものか」、「聖書には何が書かれているのか」、その正しい解釈を、二年間のベテル聖書研究で私は学びました。高校生の頃世界史の授業をしっかり受けていなかった私には、聖書(特に旧約聖書)に書かれている歴史と授業で習う歴史の違いについては、あまり分かっていませんでしたが、人類の誕生は明らかに違っていました。学校で習うアウストラロピテクスは聖書には登場しませんし、創世記に書かれているアダムとエバは授業では習いません。そこに疑問を抱いてしまうと次々と矛盾点が気になってきていましたが、ここはクリスチャンとしては触れてはいけない部分なのかなぁ?と勝手に思い、洗礼を受けてから約十年が経っていました。
 ですが、学びが始まった最初の頃の授業で、現実の世界(三次元)と、霊の世界(四次元)があり、その二つは決して交わることはないが、象徴的なものを用いて交わることができるということ、そして聖書は信仰と尊敬によって象徴となるということを教えていただき、またこの二つのことを通して、創世記はどのようにして書かれているかを学びました。旧約聖書に出てくる登場人物の、長すぎる生きた年数についても、これは実際に生きた年数ではなく、それだけの質の年数を生きたということだと教えていただき、自分の中にあったたくさんの疑問が解決し、聖書が読みやすくなりました。最初の段階で聖書に対して抱いていたモヤモヤがなくなり、二年間の学びを始めることができたので、とても感謝です。
 また、聖書を学ぶには、奇跡がどのようにして起きたか(どうやって地球はできたか?等)ではなく、なぜ起きたか(なぜ地球はできたか?等)に関心を持ち、またそれを信仰的な目で解釈していくことが大切だということも教えていただきました。「歴史そのものは存在せず、解釈された歴史があるだけ」という言葉を手束先生から聞いた時は衝撃でしたが、それをふまえた上で、聖書の中の出来事が起こった意味、また今世界中で起きていることの意味の正しい解釈について、先生はたくさん教えてくださいました。また、歴史や聖書だけではなく、自分自身のことについても、肉的な目で解釈するのではなく、信仰的な目で解釈することが大切だということも教えてくださり、この二年間で自分自身の考え方も大きく変化していきました。
 創世記一章で、神様は人を創る時に、「われわれのかたちに、われわれにかたどって…」と言われました。それは、〝神様の姿を表す〟〝神様から光を受けて輝く〟ものだということも学び、それはつまり、ベテルのテキストに何度も出てくる、「祝福の基」となることなんだと自分なりに解釈しました。学びを終えて振り返ると、この二年間は、歴史や聖書、そして物事を正しい視点で解釈することによって、祝福の基として整えられ、それぞれが置かれている環境で、また教会で用いられていくための準備期間だったのだと思わされています。
 絶対に受けたくないし、自分には無理だろうと思っていたベテル聖書研究。申し込みの時期と仕事を変わる時期が重なっていたのですが、教会の近くにあって、そして木曜日は定時退社日という会社に就職が決まって、自然と受講することが出来る状態に導かれ、また、二年間を共に過ごす同世代の仲間が与えられたことにとても感謝しています。先生が話す単語の意味が分からない、話す人を知らない、極めつけに黒板に書く文字が読めない、そんな私達に二年間教えてくださるのはとても大変だったと思いますが、いつも授業前には「この若者達がしっかり学び、全員で卒業できますように…」と祈ってくださり、忙しいスケジュールの中にありながら、補講もしてくださった手束先生に本当に感謝しています。この二年間で学んだことを過去の思い出にせず、日々の生活にしっかり活かし、クリスチャンとしてさらに成長していきたいなと思いました。



ベテルの学びは本当に素晴らしい(3)―神様中心の考えに変えられた―

ベテルの学びは本当に素晴らしい(3)
 ―神様中心の考えに変えられた―

 冨 尾 佳 子

 この二年間、ベテルでの学びの中で、神様の祝福を受けるということ、神様の福音とは何か、また日本の歴史や文学など、基本から奥深さまで学ぶことが出来ました。
 神様が、暗闇の中にいた私を見つけ、救ってくれたのは、今から5年前です。その頃は、イエス様の愛にふれ、喜びに溢れ、ただただ、愛で満たされて満足していました。しかし、ベテルを受け、それだけに留まっていてはもったいない。と、教わりました。神様が望まれて、神様の祝福を世に流しだすために働くのが、私の使命なのだと硬く決心しました。
 ベテルを受ける前だと、イエス様の祝福を受けた自分は『何をすればいいのだろう』と、漠然とした思いでいました。また、神様にしてほしいことばかりを願い祈っていたようにも思います。その考えは、まさに『自己中心的な考え』なのだと、ベテルで教わりました。神様が何を望まれているのか、というところに目を向ける大切さを学び、『神様中心の考え』に変えられたのは、とても大きな恵みでした。まだまだ、自分中心のところもありますが、それは自分の弱さだと気付き、神様によって変わりたいと思っています。祝福を受けることを目的とせず、手段として神様に用いられるようになっていきたいです。
 このように、ベテルで学んだことを活かすために、自分が出来ることは何か?と、祈っていました。すると、3つの思いが与えられました。
①「職場でキリストの香りを流し出そう」
 今いる職場では、クリスチャンでなければ、体力的にも気力的にも持ち堪えられていません。ですが、神様が力を貸して下さり、知恵を与え、どんな道であっても先に歩き、私を導いてくださっています。そんな主が共にいつもいて下さるので、どんな困難も耐えられています。落ち込むこともありますが、主の愛の力によってすぐに復活することができます。そんな姿を職場の人は、「よく耐えられるね」「いつも笑顔だね」と、言ってくれます。そんなとき、自分はクリスチャンだと語るチャンスが与えられたのです。職場での私の振る舞いや行いが伝道につながるのだと責任を持ち、イエス様の香りが流しだせるよう努めていきたいです。
②「教会学校に携わりましょう」
 昨年の5月ごろから、お手伝いとしてCSクラスに行っていました。今までも興味はあったのですが、忙しさを理由に、関わることが出来ませんでした。でも、教会にいる子ども達が可愛くて、もっと関わってみたいという気持ちが大きくなり、一度見学に行ってみました。子ども達が、恥ずかしがりながらでも賛美を捧げ、CSの先生からメッセージを聞き、真剣に礼拝を捧げている姿に感動しました。そして、私ももっと子どもたちと深い交わりを持ちたいという気持ちが与えられ、この春から、スタッフとして参加させていただくことなりました。どこまでできるかわかりませんが、やるからには全力でやってみようと決断しました。
③「T.C.G.C.の為に働きなさい」
 CSスタッフを引き受けようと決断したとき、同時にT.C.G.C.の新会長となり、正直出来るのだろうかという不安がありました。自分の考えでは、「出来ない。」と思いましたが、神様が私を選んでくださったのだから、絶対に力を貸して下さる!!と信じ、T.C.G..C..のために、全力で働こう!!と思わされました。私が出来ることは本当に小さいです。その為に、助け手を与えて下さったり、神様から知恵を与えて下さったりと、必ず勝利の右の手で支えて下さると信じています。

ベテルの学びは本当に素晴らしい(4)―ベテルこそ、すべての原点―

ベテルの学びは本当に素晴らしい(4)
 ―ベテルこそ、すべての原点―

 西 谷 紀 子

 まず、このベテルの二年間は長いと思っていたけど、終わってみればあっという間の二年間です。これからの人生における時間もあっという間に流れていくのではないかということ、時の流れの速さというものを改めて感じ、与えられた一日一日を一生懸命、大切に歩むことに再度気づかされました。
 ベテルは私にとってまさに一日一日が輝く星の時間でした。このベテルで、たくさんのこと学び、たくさんの気づきが与えられたこと、それが今に生きていること、この学びに参加させて頂き、手束元老牧師先生に、そしてともにベテルを受講した仲間に、この二年間の学びを導いて下さった神様に感謝でいっぱいです。一六〇〇字では書き切れないくらいたくさんの学びをいただきました。以下、時間の使い方、成長について、それに対する気づきについて書きたいと思います。
 まず、時間の使い方について。クリスチャンとして、日々与えられている時間をどのように使うか?ということについて、自分自身時々思うことがある中で、ここで大切なことを心に留めました。
 ①情熱的に ②時間的 ③質的 ④目的論的⑤体験的という〝Think Hebrew〟聖書的な考えというものです。まず神様との調和があって、自分、隣人、自然との調和があり、それぞれが密接に関わり合う関係の中にあるのだということを学び、まず神様という原点に立ち返ることから始まり、時間の使い方を改め、見直すことができるように、学ぶことができました。
 心に強く響いたことばとして、「過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる」というこの言葉は、自分を変えたいという思いへの励みになり、一歩踏み出す勇気が与えられるものであると感じ、これからの人生にも大いに役立つものと思います。
 人間の成長は、内面の成長であるということ、内面の豊かさに繋げるために、日々みことばに親しみ、祈ることの大切さを深く学びました。
1.MAKE YOUR RIGHT CHOICE.
2.CONTROL YOURSELF
 人生には、選択の時がたくさんあるので、目的にかなった選択ができるように、いつも神様を人生の中心とし、聖書のことを日常生活の土台にして歩みたいと願っています。人間の心は、いろいろな環境によって変化しやすいものなので、その心を守る必要がある。心がブレないためにも、良き選択をするためにも、神様との関係がすべての始まりであることを再認識し、これから与えられる課題に取り組めたらと思います。
 そして、自分のアイデンティティを明確にすること、目的意識をもつことが何より大切であることを、このタイミングでしっかりインプットできたことは、これからの歩みにも活かせます。この世にただ何となく歩みを持つというのではなく、神様が与えられる計画に基づき、どこでどのように歩むべきか?日々試行錯誤を繰り返しながら歩むのが人生であり、一日一日の質の高い歩みが良き未来をつくるのだということに改めて気づかされています。これから質の高い人生を歩むために、このベテルで学んだように、目的論的に何故そうなるのか?と問題追求しつつ、問題の中でさらに自分自身が成長させられ、高められていくことが必要であるということを学びました。これからの人生にすぐに活かすことは難しいことですが、難しく考えすぎず、一歩一歩、感じたままに、シンプルに楽しく、いつも自分らしい歩みをしていきたいと強く思います。人生は山アリ谷アリですが、みことばにとどまり続け、悔いのない生き方を日々模索しながら、一日一日を大切に、心、体、魂が健やかに生かされている恵みに感謝と喜びをもって歩めるようにと願います。その生き方を通して、また仕事、奉仕を通して、社会に貢献することを通して、キリストの香りを少しずつでも放ちながら生きることを心に留めて歩みたいと思っています。


ベテルの学びは本当に素晴らしい(5)―手束先生いろいろありがとうこざいました―

ベテルの学びは本当に素晴らしい(5)
 ―手束先生いろいろありがとうこざいました―

 井 上 千 尋

 この二年間は私にとって、とても特別な時間になりました。受ける前は二年間も勉強なんてできないと思っていましたが、始まってしまえばあっという間でした。手束先生には、聖書の学びはもちろん、私の悩みに対して解決の道を示してもらいました。
 私は、母に対する嫌な思いがひとつありました。それは、私が高校生の頃から(最近でもですが)、母は仕事で帰ってくるのが遅く、大抵晩ご飯は母が帰ってくるまで待っている事が多かったのですが、たまに私が晩ご飯を作ったりすることがありました。すると母からは、〝ありがとう〟の言葉より先に、これができてない、あれが足りないと間違いばかり指摘され、お母さんがラクになるかなと思ってしたのに、嫌な気持ちになってしまい、もう何も言われたくないから何もしないでおこうと思っていました。この事をベテルで話す機会があって、手束先生からお母さんに思ってる事を直接言えばいいと言われました。その何日後かに、手伝いをしているとやはり小言を言われたので、その時に思っている事を伝える事ができました。それからは、母もまず〝ありがとう〟を言うように気をつけてくれるようになりました。
 また、順番で回ってくる証は、私にとって試練でしたが、他のメンバーの事をよく知れるとても良い機会となりました。互いのために毎週祈れたことはとても感謝でした。
 日本や世界の歴史、高砂教会の歴史、結婚の意味など、様々な事を教えて頂きました!特に結婚については、ベテルが無ければ、きっと四月の結婚式は無かったと思います…(笑)しばらくは豊岡での生活になりますが、ベテルで学んだ星のような時間を糧に、祝福の基として歩めるように日々祈っています!もし、ベテルを学ぼうか、どうしようかと悩んでいる人がいるなら、受講することを胸を張ってオススメします!手束先生二年間ありがとうございました!




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