月報 2017 8

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聖霊降臨のあった頃の私 (1)―ベテル聖研の学びによって神中心の信仰へ変えられた―

聖霊降臨のあった頃の私 (1)
 ―ベテル聖研の学びによって神中心の信仰へ変えられた―

松 本 明 子

 私が初めて高砂教会の礼拝に出席した日の週報に、修養会の案内がありました。「みとろ荘」で、講師に三島実郎牧師先生を迎えてもたれる、というものでした。三島牧師先生は、私が参加していた「神戸ワーク・キャンプ」のチャプレンであり、高砂教会へ私が導かれるきっかけともなって下さった方でしたので、心ひかれるものがありました。けれども、初めて礼拝に来た者に修養会へのお誘いがあるわけもなく、参加することはありませんでした。
 もし、あの時、参加することになっていたら、今の私は高砂教会にはいなかったかもしれないなあ、と思います。足を踏み入れてはいけない、変な所に来てしまったと、早々に高砂教会から逃げ出していたかもしれません。
 私は高砂教会で洗礼を受けたのではなく、神戸にある日本キリスト教団甲南教会で中学三年生の時に受洗しました。教会附属の幼稚園、中学から大学まではミッションスクールに通い、甲南教会では土曜日の午後に中高生の礼拝がもたれ、夏は三泊四日、春は二泊三日の中高生キャンプが貸切バスを仕立てて行われるような時代でした。高校卒業後は、教会学校の教師、YMCA少年部リーダー等、ある意味キリスト教漬けと言ってもいいような生活の中で培われた信仰理解で、使徒行伝に書かれている聖霊の働きは、あの当時の時代に必要だから起こされたことで、今はその働きは終わっている、という理解でした。ですから、聖霊様に対して心を開く準備が全く出来ていない状態でした。
 そのような、ある意味キリスト教漬けと言っていい生活をしていた私が、どうして母教会から離れてしまったのか。それは、教会内で起こった紛争に巻き込まれ、嫌になってしまい、そこから逃げ出してしまったからでした。母教会を開拓伝道されて建て上げられた牧師先生と東京で牧師先生をされていた息子さんが戻って来られて、親子二代で教会を牧されることになったことから、信仰理解の違い、様々な意見の違いが信徒をも二派に分けて争うこととなり、当時の学生運動さながらに「役員会への公開質問状」が出され、公開討論会がもたれ、といった状態が続いていました。その中で、若かった私は逃げ出してしまい、就職したのをきっかけに教会から遠ざかってしまいました。問題から逃げてしまったという罪責感は私の中の奥深いところにありました。
 その様な中で、神様はもう一度私に手束牧師先生を通して働きかけて下さり、神様の元へと連れ戻して下さいました。
 「みとろ荘」での修養会のあった一九七五年のクリスマスに私は高砂教会に転入会をしました。翌年からの修養会には参加するようになりましたが、以前の教会生活で聞いたことがなかっただけに、聖霊のバプテスマというものへの違和感を感じていました。聖霊のバプテスマを求めて按手の祈りをいただくという時には「求めない人は、この部屋から出て行くように」という牧師先生の促しがあり、私は数人の方々と一緒に部屋から出たこともありました。そのような私が変えられるには、時が必要でした。
 聖霊様に素直に自分自身を明け渡すには、もう一度、一から信仰を建て直すことが必要だったのです。それには、ベテル聖書研究の二年間の学びが私には必要だったと思います。二年間の学びは、私の信仰を人間中心のものから、神様中心の信仰へとつくりかえてくれました。
 高砂教会の分裂の時にも、出て行かれた方々の気持ちも分かる。でも、ただ主にのみ信頼し、主が最善をなして下さることにかけました。以前、母教会で問題から逃げ出したようなことは二度としてはならない。ただ、主にのみ信頼することができました。
 高砂教会に導かれて、四十二年間、神様は素晴らしい恵みをもって祝福して下さっていることを感謝します。



聖霊降臨のあった頃の私 (2)―〝残された者〟として体験した感謝の数々―

聖霊降臨のあった頃の私 (2)
 ―〝残された者〟として体験した感謝の数々―

長 浜 ミ ド リ

 私が高砂教会へ行くようになったのは、今から六十年位前の事でした。その頃の礼拝出席者は二十名前後のこぢんまりとした教会で、会員同士親しく交流し、人情味溢れたごく普通の教会でした。牧師の交代もよくあり、前任者の辞任の後、若い手束先生が赴任されて来られ、その二年後の一九七五年七月、みとろ荘の修養会で聖霊降臨が起こったのはご承知の通りだと思います。その時、夫の方はその場に居たのですが、私は残念ながらその場に参加していませんでした。その出来事から、牧師先生は勇気と自信に満ち溢れ、事あるごとに主の思いを大胆に語り始められました。
 神様第一主義と礼拝の在り方、各集会の在り方、また雑然としていた教会内外の整理整頓と新しいやり方で指導が始まりました。各地に家庭集会が生まれ、新しい人が救われ、礼拝出席者も増えていきました。主の祝福の恵みが先生を通して流れ出し、病いの癒やしも起こりました。異言で祈る人や預言を語る人もいました。国内外の著名人の講演会も度々あり、ベテル聖研によって聖書を深く学ぶ機会も与えられました。毎日新聞に教会の様子も連載されました。祈りと賛美がいきいきと変わっていきました。静かな教会は、活気付いていきました。
 この神の祝福を反対勢力が放っておく訳がありません。聖霊の働くところに悪霊も挑戦してきたのでした。カネボウ跡地、牧師館購入、カリスマ的なメッセージ等、主が先生に出される提案は次々に批判され、否決されていきました。しかし、先生は決断され、現在の西畑牧師館は住宅公庫ローンを自分独りで組んで購入されたのでした。すると、教会内の反対勢力はいよいよ具体的に動き始めました。今では考えられないあの教会堂の一室で祈り忍耐されていたのでしょう。しかし、聖霊に守られた先生は、その試練を積極的に建設的にプラスに替えられました。転んでもタダでは起きないという手束牧師の姿勢は、高砂教会の伝統として今も生き続いています。
 その当時の私は、実は先生の神第一主義にはなかなか馴染めませんでした。手束先生は、信徒が教会を休んで週報が溜まると自転車に乗って家庭訪問、各家庭集会への誘い等、神様は愛の方なのに何でこんなに厳しく指導されるのかと疑問に思っていました。古い皮袋から新しい皮袋への転換には、本当に時間がかかりました。
 夫も教会の役員で、先輩方との関わりの中、分裂問題には悩んでいましたが、私達夫婦は何故かしら、気が付いた時には教会に残されて居ました。そんな問題の最中に、私の家庭も大変でした。度を過ぎた夫の酒癖に悩まされ、家庭崩壊寸前でした。その癒やしのために夫は手束先生と一緒に一週間、断食祈祷院へ行ったこともありました。手束先生は、どんな時にも主の愛を語り祈り励まして下さいました。
 やがて、主だった力ある人々は教会から居なくなり、信仰的、社会的に何の取り柄も無い夫が会堂建設委員長に任命されたのでした。建設中も困難はいろいろありましたが、新会堂は無事この地に献堂されたのでした。本当にあの時は、全員一致して祈り捧げ、小さな群れが主の大きな計画に参加することが出来ました。主の教会堂を建てることが各々の信仰も建てるという恵みに与りました。主は不可能と思えることも、従う時に可能になさるという実体験をさせて下さいました。
 主に特別に選ばれ、聖霊の恵みに満たされた高砂教会に、これからもどんな主の計画があるのでしょうか。今も生きて働かれる主に心から感謝いたします。


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