月報 2017 11

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アシュラムは聖霊によって成就する (1)―御言葉に従うことによって、御業は起こる―

アシュラムは聖霊によって成就する (1)
 ―御言葉に従うことによって、御業は起こる―

霜 浦 利 枝

 今回初めて高砂聖霊アシュラムに参加させて頂きました。なぜ今回参加するに至ったかというと、高砂聖霊アシュラムの二大特色である、聖書の御言葉を通して聖霊と聖霊の働きについて正しく学び、聖霊の恵みを体験することと、御言葉を通して神様からの語りかけをもっと直接聴きたかったからです。でも、参加するのに不安はいっぱいありました。元々自分の意見をまとめたり人前で発表するというのが苦手な私にとって、神様からの語りかけによって感じとった事をまとめ、一度も喋った事のない他教会の兄弟姉妹と同じファミリーとして分かち合うという事にすごく抵抗がありました。いつものデボーションセルでも、まだまだうまく読み解く事が出来ず悶々としていました。このままではいつまでたっても成長せず同じ事の繰り返し、そこで、自分自身何か変われることを願って、今回参加する決心をしました。
 まず期待と不安の中、第一回ファミリーがあり自己紹介。初めから自分の嫌いな自己紹介かと思うと憂鬱になりながらも何とか終わり、福音の時。手束元老牧師先生の講義は、いつもの歌あり笑いありで、少し本題から脱線もしましたが、楽しいものでした。
 今回の講義で印象に残ったのが、使徒行伝は今なお続いているという事でした。今まで何回も聖書を読んでいるのに、記事が途中で終わっている事に何の疑問ももたず、サラッと読み進めていました。手束先生は、この使徒行伝は聖霊行伝であるとも言われました。聖霊といえば今年の修養会のテーマは「主よ、再び聖霊で満たして下さい」でした。その中で講師の万代先生が「高砂教会は神様から特別に選ばれた教会です。神によって選ばれた日本のカリスマ運動を進める中心的な役割を担っていかなければならない」と熱く語られ、今まで以上に、先生方の為に、まだ救われていない家族や友人の為、髙砂教会の兄弟姉妹の為に熱心に祈っていく必要があるなと思わされました。
 それからの早天祈祷会には、主人が昼勤の日意外なるべく出席するようにしていたのですが、同じセルの姉妹に「早天の前から祈り始め、先生のメッセージを聞かないで早く帰る人もいるから、来られるなら早天祈祷会来たら?」と言われ、それからは毎日出席するようになりました。その中で先生方や他の兄弟姉妹の事を執り成し祈っている内に、目に見えて自分の方へ祝福が返って来るようになりました。ハレルヤ!
 この高砂聖霊アシュラムは、自分の信仰を見つめ直す良いきっかけとなりました。今回のアシュラムのデボーション箇所は、私の為に用意されているのかな?と思うぐらい私にすごく迫ってくるものでした。最終日には、今まで一番自分が耳を塞いできた触れたくない事を示されましたが、それも神様の御心で、いつも周りの環境がそう整えられていたので、私は今のまま、出来る事から神様に仕えていったらいいのだと思わされました。
 同じ聖書箇所を読んでも、受け取った思いをいろいろな角度から聞き、恵みを共有する事が出来感謝でした。最初はぎこちなかったファミリーも回を追うごとに親密になっていき、最後には他教会の兄弟姉妹もずっと高砂教会員だったみたいに馴染んでいました。
 食事の奉仕をして下さった兄弟姉妹にもホントに感謝です。とても美味しい料理に、その食事を通して話がはずみました。
 アシュラムの一部礼拝で手束元老牧師先生が「アシュラム運動はカリスマ運動で成就し、カリスマ運動はアシュラム運動で結実する」と語られました。御言葉に従う事によってみ業が起こる。私ももっと御言葉を自分の内に蓄えないといけないと思わされました。そして、教会で御言葉を聞くけど帰宅すると肉的に戻るのではなく、いつも御言葉で満たされ、感謝していく生活をしなければならないとも思わされました。
 私は今回のアシュラムのデボーションで家族伝道を強く示されました。まだ救われていない長男の涼真と長女の美涼、そして私の母を一日も早く神の家族となるように導きたいです。



アシュラムは聖霊によって成就する (2)―「初めの愛に帰りなさい」との促し―

アシュラムは聖霊によって成就する (2)
 ―「初めの愛に帰りなさい」との促し―

高 橋 孝 美

 私は今回、アシュラムには不参加と決めていました。昨年からパートの仕事に出始め、家事、教会生活、仕事に余裕がなくなり、まるでトライアスロン選手のように、肉体的、精神的に疲れていました。しかしそんな折、グレースワーシップで、黄金井先生のメッセージ「マルタではなく、マリアのように」を聞いて、悔い改めが起こされ、直ぐに秋山姉に参加を伝えました。
 アシュラムのオリエンテーションで、「今の信仰はどのような状況で、何が足りないのかを御言葉に聴いて下さい」と言われた時に、導きであったことをことを感謝しました。するた、アシュラムの間中ずっと、「初めの愛に帰りなさい」という囁きにも似た声が響き続けました。帰って聖書を調べてると、それは黙示録の御言葉でした。「あなたは初めの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻りなさい」(二・四―五)とありました。アーチェリーで例えるなら、私の矢は的まで届かず、私の足元に落ちている状態でした。自分の古い癖、敵(サタン)の嘘、人が視野に入り、的がぼやけ、闇雲に空に矢を射続けて疲れていたのです。確かに時間の管理、健康の管理の欠如もあったかも知れませんが、魂の管理において、無駄な力を使っていました。私の信仰が足りない、私の祈りが足りない、私の努力が足りないと、全て自分の働きばかりに目が集中し、自分中心の信仰となっていたのです。聖堂で静まって静聴をしていると、私に必要なことは、足りないことばかりに目を向けず、既に与えられている神様の愛に浸り、交わりを楽しむことであったなと思い至りました。まるで「私はあなたの中にいるよ、さあ、私の新しい服、靴、指輪をはめて、祝宴に行こう」と招いて下さっているようでした。
 今回、アシュラムの聖書箇所の第Ⅱテモテには、祈りに関する教え、当時の奉仕者への勧告などが書かれていました。一章五節には、「私の命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とからくる愛を目標にしている」と。全ての人が救われて真理を知るように、執り成しの祈りの大切さが記されていました。私たち高砂教会は「民族総福音化」の使命を担っています。二章の始めに「第一に勧めます」と書かれている様に、改めて、祈祷会や自分の生活の中での祈りの重要性を示されました。そして私の奉仕についての概念の領域をも主は広げてくださいました。教会内で働く事だけが奉仕ではなく、自分の家庭を治める家事、子育て、介護、職場や学校、地域にあっても、聖霊様と御言葉に整えられて、主の臨在を運ぶ者として仕えるなら、それも奉仕の場になると。私の口から賛美が溢れ、呪いの言葉が出ない口とすることも、口を謹む奉仕となり、友人の悩みや悲しみに耳を傾ける事も、聞く奉仕となり、教会を建て上げる目に見えない奉仕の業となるのだと思わされました。
 牧師先生の福音の時を通しても、主は、私に原点復帰の大切さを教えて下さいました。キリスト教は、他の霊的共同体が滅びても、二千年もの歴史の上に今も生きて働き続けているのは、キリスト教には、十字架にある自己否定の原理がある事です。そこからくる謙遜さ、自己反省、原点復帰のバネがあるからと教えて下さいました。これは私個人の信仰の歩みにも当てはまる事です。また、〝イエス・キリストの信仰〟の「の」という助詞を、主格にとるか、目的にとるかの違いで、信仰の有様が違ってくるとは、わたしには目から鱗でした。イエスの贖罪と義認だけに留まるのか、その上に、イエス様が持っておられる信仰に生きるのか、そこに私たちカリスマの信仰に生きる祝福を見た思いです。聖霊のバプテスマを受け、主が私の内に住み、聖霊を通して主と一つとなり、主を長子として神様に連続する者とされ、主イエスの持っておられる力(栄化)や、品性(聖化)にも与れるとは。これからの信仰の旅においても、試練や苦難がつきまとうでしょう。それでもなお、なお、とうなだれる私の首を上に上げて、あなたの御顔を拝することが出来るよう、これからも主が私を助け導いて下さる事を期待し、感謝します。

アシュラムは聖霊によって成就する(3)―御言葉に光りが当り、浮かび上がった―

アシュラムは聖霊によって成就する(3)
 ―御言葉に光りが当り、浮かび上がった―

フルゴスペル・イエスキリスト教会 秦 香 代

 昨年十一月に、牧師先生ご夫妻が牧師研修会に参加されました。その報告を聞く中で、成熟した教会のモデルである高砂教会を是非一度自分の目で見てみたいという思いが強く起こされ、今回、ふたりの姉妹と共に高砂聖霊アシュラムに参加しました。
 私達の教会でも、二年半前から、教会員全員が同じテキストを用いてみことばを黙想し、示されたことの分かち合いをしています。しかし、私自身の黙想はというと、毎日、みことばから主の語りかけをはっきり聴くという所までは達しておらず、その日のみことばを読んで示される箇所がなかったら、すぐにテキストの解説に頼り、その解説を読んで頭で理解するという、主との生きた交わりのないものになっていたように思います。それで、今回の静聴の時には、主の語りかけをはっきり聴くことが出来ず、最初は大変苦しみました。みことばを理性によって理解することが先行し、主が私に何を語っておられるのかを受け取ることが出来ず、みことばと格闘しました。「主よ、私に何を語っておられるのですか。聖霊様教えて下さい」と、毎回叫び求めました。静聴の時だけでは御声を聴くことが出来ず、ファミリーが始まる直前まで聴き続けた時もありました。
 しかし、聖霊様の臨在が豊かにある高砂教会で、静聴、ファミリー、福音の時とプログラムが進む中、段々と主の語りかけをはっきりと聴く事が出来るようになって行きました。たった一節のみことばの中に主の御声を聴く事が出来た時の喜び。まるで、聖書のその箇所だけに光が当たって、浮かび上がっている様に見えるのです。それを見つけた時の心が震えるような感動は、今でも忘れることが出来ません。今回のアシュラムに、特別な課題をもって臨んだわけではなかった私に対してさえ、主はみことばによって私の内面を深く探り、心の奥に蓋をして日常をやり過ごしていた私の信仰の問題に光を当て、私の皮袋の破れを繕って下さいました。その自分の内にある問題と真っ直ぐに向き合うことが出来る様になる助けとなったのが、ファミリーの分かち合いの時間でした。
 このアシュラムで初めて出逢った兄弟姉妹と一緒に、同じみことばから主が示して下さった事を、素直に、まさに腹を割って分かち合うことが出来る雰囲気の中で、私の心の鎧が取り除かれ、柔らかくされ、自分をありのまま受け入れることが出来る様にされていったのだと思います。また、兄弟姉妹の証の中に、生きて働かれる主の御業を見、その証によって大きな励ましと力を受けました。ファミリーの時間は、神の家族の交わりの時であり、聖霊様の臨在があるが故の恵みの時でありました。この様な交わりは、世の中の何処にも見ることの出来ない、主に贖われた者だけが体験できる祝福の時だと思います。
 アシュラムの中で、もう一つの大きな祝福が福音の時です。今回の福音の時を通して、イエス様を救い主として信仰の対象とするだけではなく、聖霊様によって、イエス様を模範としイエス様がもっていたと同じ質の信仰を持つことが出来、栄光から栄光へと主と同じ姿に変えられることが出来るという福音の真理を悟ることが出来ました。ともすれば、赦された罪人として主にすがって生きる消極的な信仰に陥りやすい私達の覆いが取り去られる恵みの時となりました。
 四日間の高砂聖霊アシュラムの全日程を通して、知らず知らずのうちに聖霊様の深い取り扱いを受け、私の信仰上の問題や、イエス様との個人的な関係が如何に希薄であったかを示され、みことばの内にイエス様とお出会いするという素晴らしい体験をさせて頂くことが出来ました。目に見えぬ所で奉仕して下さり、このアシュラムを支えて下さった高砂教会の兄弟姉妹の皆様に心から感謝いたします。


アシュラムは聖霊によって成就する(4)―アシュラムによって私は変えられた―

アシュラムは聖霊によって成就する(4)
 ―アシュラムによって私は変えられた―

那覇バプテスト教会 牧師 比 嘉 康 子

 主のお導きによって、高砂聖霊アシュラムに出席出来たことを心から深く感謝します。手束正昭元老牧師先生に、初めてお目にかかったのは、今から約三十年前、沖縄南部のクリスチャン修養会に講師として来られた時であったと思います。那覇バプテスト教会をメイン会場にして集会が持たれ、そこでメッセージを語って下さったのです。私の息子も是非にと誘い出席していたのですが、集会後の帰り道、「お母さん、手束先生ってハンサムだね。牧師にこんなハンサムな先生はいないよね。俳優みたいだね」と。そこで私は「あんたは先生のメッセージは聞かないで、先生の顔だけを見ていたの」と叱責した事があり、印象に残っています。きっと手束先生の内なる輝きを息子は見て取ったのでしょう。
 沖縄においても「カリスマ運動」は聞き慣れないことでしたので、大勢の人が集まっていましたが、それぞれ賛否両論の感想を持たれた様です。私はその時、「キリスト教の第三の波」や「信仰の表現としての教会建築」の本を買い求め、本棚に今も大事に並べています。そのようなことで、親愛なる儀間妙子牧師より、高砂聖霊アシュラムへの案内を受けた時は、即座に「出席したいと思います」と返事をし、伊藤執事の計らいの中、この度出席することが出来ました。心から皆様のお祈りに感謝致します。
 今回アシュラムファミリーの家族は、家長として福江義史牧師をはじめ、十名の兄弟姉妹が与えられました。お一人お一人の分かち合いの中で、「みことばに聴く」「みことばに従う」「実践する」ことを身に着けておられることを思い、何と素晴らしい信仰生活であろうかと深く感銘を受けました。今もお一人お一人の顔を思い浮かべて祈っています。また「聖日礼拝(一部)」「聖日礼拝(二部)」「讃美夕拝」教会学校・分級と出席させて頂き感謝です。聖霊様の力、お導き、満たしを覚えます。
 少なからず私個人は、帰った後、変わった!と自分では思うのです。これからもこのアシュラムを通して変わり続けると思います。主に期待して。そして、私たちの教会でも是非アシュラムの時を持っていけたらと願っています。
 この度、手束正昭元老牧師先生が、来年早々にここ沖縄に来県されるということを聞き、心から嬉しく、待ち遠しさを覚えます。沖縄バプテスト連盟は三十一の教会。一つの伝道所、外国人教会(バプテスト)が三ヶ所あります。単立教会その他の教会の数は、調べないとわかりませんが。先生がご来訪されることにより、先生のお働き(主のお働き)が祝福され、多くの実を結ぶことが出来ます様に、祈って止みません。
 三泊四日のアシュラムの期間、心からのおもてなしと、何よりもいただいたこともないようなお食事を準備して下さった兄弟のうちに、姉妹方の上に心から感謝します。手束正昭元老牧師先生ご夫妻の上に、新谷先生ご夫妻、新田先生ご夫妻、高砂教会の皆様の上に、神様の祝福とお導きが豊かにあります様に、心からお祈り申し上げます。

アシュラムは聖霊によって成就する(5)―使徒行伝継続の時代に生きていることを悟る―

アシュラムは聖霊によって成就する(5)
 ―使徒行伝継続の時代に生きていることを悟る―

喬木教会 大 倉 翠

 今年初めて高砂聖霊アシュラムに参加させていただきました。普段このような修養会などに行く時は、事前に祈りで備えて参加しますが、正直ワクワク感もなく、なにも考えずに参加してしまいました。しかしながら、神様はこの聖霊アシュラムが私にとってこれからの働きに必要であることをすでにご存知で、すべてを整えてくださっていました。「福音の時」、「静聴」、そして「分かち合い」すべてを通して神様は私に御言葉に隠されている奥義を悟らせてくださいました。その中で教えられたことシェアさせていただきたいと思います。
 高砂聖霊アシュラムの二大特色の一つに「聖書の御言葉を通して聖霊と聖霊の働きについて正しく学び、聖霊の恵みを体験する」とありますが、まさにこのことを神様は明確に教えてくださいました。少し自分のことを話させていただきますと、私自身はクリスチャンホームに生まれ、生まれた時から教会に通っていました。両親が宣教師として働き始めたことがきっかけで、教派を超え、様々な教会や礼拝のスタイルを体験してきました。自分自身もアメリカの神学校に導かれ、二年前に卒業し日本に帰国しました。その後結婚し、今年の四月、東京から長野に引っ越し、喬木教会で夫婦共々信徒伝道師として仕えさせていただいています。
 様々な教会を見ていく中で、「聖霊様の働き」について考えさせられてきました。私の卒業した神学校は保守的な神学校で、聖霊様の働きを確かに信じてはいるものの、使徒の時代に起きたことは、使徒の時代で起きたこと。今は恵みの時代だから、使徒の時代は終わり、聖霊のバプテスマや奇跡も起こらないという神学を学びました。しかし喬木教会に来てから、特に田舎ならではの霊的戦い、奇跡、同時に目に見える聖霊様の働きを見てきました。それでも私自身は「ま〜そうゆうことも起こるかもしれないけど、自分には起こらない」というスタンスでした。
 しかし聖霊アシュラムの「福音の時」の中で、まさに手束先生があたかも私が疑問に思っていたことを語ってくださいました。今の時代は使徒行伝(聖霊行伝)の継続の時代であることを使徒行伝の終わり方から語ってくださったのです。そしてそれに続けて明確な御言葉を神様はとどめをさすかのように言われました。「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」(ヨハネ一四・一一) イエス様が行われた業は、奇跡、癒し、悪霊の追い出しです。使徒達も不思議な業としるし、そして悪霊の追い出しを行いました。イエス様は私たちにご自分が行った業よりも大きな業を行うようにと言われているのです。私はこの御言葉を読んだとき、どれだけ自分が弱々しく歩んでいたか思わされました。私たちはすでにイエス様によって勝利したものであり、聖霊様に満たされて歩むときに、「大きな業」を行う者になっていくのに、「私にはできません」と自分に与えられている力を信じずに歩んでいたのです。
 神様は明確な御言葉がなければ信じない頑ななわたしに、「はっきり言っておいたじゃないか」と語ってくださいました。まさに御言葉から聖霊様の働きを教えられた体験でした。御言葉はすべての人にオープンにされていますが、御言葉の奥義は隠されています。何度も読んでいたところが、聖霊様によって隠された御言葉を悟ることができました。
 そして最後に、素晴らしい分かち合いのファミリーが与えられたことに心から感謝します。今回の高砂聖霊アシュラムへの参加は、私がちょうど教会に本格的に仕え始めて半年、結婚して一年が経った時でした。美智子先生を始め、素敵な人生と信仰の先輩方から多くの励ましを受けました。教職者や、導く側に立っている方々も多かったと思いますが、姉妹方が本当に正直に今の自身の霊的状態を話してくださる姿を見て、自分が恥ずかしくなりました。プライドや信徒さんがどう思うかを心配している自分の姿がありました。しかしどんな立場にいようとも神様の目からみたら一人の娘であり、隠さずありのままを話すことによって恵みを広げていく器となっていくことを教えられました。
 神様はこれからの働きに必要なことを教えるために高砂聖霊アシュラムを用いてくださいました。この神様の愛に応答していく行動として、聖霊様の働きが今の時代にも起こることを信じ、私自身が聖霊様を通して大きな御業をあらわす者となっていくことを信じ、主の前にへりくだり、御言葉を原動力として、力強く、勝利者として歩んでいきたいです。




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