月報 2017 12

タイトルをクリックしてください        

画期的な出来事としての「教会作り共同研修会」 (1)―礼拝堂に満ちていた神の聖い臨在に感動―

画期的な出来事としての「教会作り共同研修会」 (1)
 ―礼拝堂に満ちていた神の聖い臨在に感動―

宮崎ハーベストチャーチ牧師 髙 木 頼 幸

 去年の七月に手束先生が当教会にて成長セミナーを開催して下さった時に、「来年の十一月にある教会作り共同研修会に来なさい」とのお誘いを受けました。その当時私は主任牧師に就任したばかりで、どのように教会を建て上げていけばよいかと右往左往している時期でした。そのような時、「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」(詩篇一二七:一)というみことばが与えられ、神様に学ぶ機会を与えて欲しいと願っていました。自分からあれこれ探して走り回るのではなく、神様が目の前に置いてくださることに応答しようと思っていた時、手束先生からお誘いを受けたのです。私は迷わず「行きます」と答えました。
 そして、研修会が近づくにつれて神様に対する期待が日々高まっていた矢先、次男(一歳)が肺炎のため緊急入院となってしまいました。当初は家族全員で研修会に参加する予定でしたが、どうすれば良いか、私だけ行くか…。しかし、妻が付き添いで病院に入り浸りになると、私が二人の子供(五歳と三歳)を見る必要がある。やはり今回は無理なのかという思いになっていました。その時、私は、背後に研修会に行かせたくない闇の力が働いていることを感じました。私は、それが敵の攻撃だと分かると、イエスさまの御名によって悪霊を縛り、「私は絶対に行く」と宣言しました。すると、当初二週間の入院と言われていた息子が四日で退院するという神様の御業が起こったのです。それは出発三日前のことでした。そこで妻と話し合い、長男だけを連れて行くことにして準備をしていました。しかし、よほど悪霊たちは私が研修会に行くことを嫌がっていたのでしょう。今度は私の体に直接攻撃をしてきました。出発前日の夜から朝方にかけて、原因不明の咳が止まらなくなり、朝には一時間近く連続で咳が出るという状態でした。しかし、その時私の心にダビデとゴリアテの戦いが思い出されました。そして「この戦いは主の戦いだ。」(サムエル上 一七:四七)というみことばが与えられ、主が戦ってくださるから絶対大丈夫と、主の勝利を宣言した瞬間、あれほど続いていた咳が完全に止まったのです。そして、いざ高砂へと向かって行きました。
 私は新幹線の中で主に祈っている時、これほどまでに強い妨げがあるのは、研修会において神様が私の牧会人生、または当教会の方向性を明確に示そうとしておられるからであるということを確信し、言葉に表せない霊の高揚を感じました。
 そのような主の導きの中で始まった研修会でしたが、あっという間の六日間でした。「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」とあるように、神様は私が思っている以上のことをしてくださり、また語ってくださいました。全ての学びからたくさんの事を教えられ、考えさせられましたが、一番感動したことは、礼拝堂に満ちている神様の聖い臨在でした。何とも言えない魂の平安がある場所でした。なぜこれほどまでに神様の聖い臨在が満ちるのかを探りつつ六日間を過ごしていましたが、いくつか発見したことを書きたいと思います。
 第一は主への畏れ、畏敬の念が教会の土台にしっかりと据えられているということでした。もちろんそれは当然と言われるかも知れません。しかし、目まぐるしく映り変わっていく時代の中、教会もその影響を多分に受けているのが現状だと思います。プログラムや、イベントに気を取られ、どのような企画をすればたくさんの人々が教会に来るのか。もちろん神様を知ってもらいたい、救われて欲しいという思いからではありますが、いつしか、人本主義になっていないかを改めて考えさせられました。何をするにも、まず主を畏れる心が聖さを生み出す最初の一歩だと教えられました。
 二つ目は神様への献身の姿勢です。牧師先生や勧士、執事、リーダーの方々と接していて、「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」とありますが、そのみことば通りに皆様が働かれている姿に感動しました。これほどまでに素晴らしい奉仕者
が育っている背景には、一貫した教育プログラムがあることも大変参考になりました。また、交わりの場が教会内だけでなく、家庭集会や各会など幅広く行われていることにも感銘を受けました。
 教えられたことを一つ一つを書いていたら限りがありませんが、私がこの研修会で一番学んだことは、教会は聖なる軍隊であるということでした。最高司令官であるイエスさまを中心に、しっかりとした組織に基づいて訓練され、メンタルもケアされながら、全体が同じ方向に動いていく。皆が同じ戦いをし、喜怒哀楽を共にする。このような大きな教会でありながら、何か家庭的雰囲気に満ちている教会が高砂教会であると思いました。私にとって模範とすべきものが沢山揃っている教会でした。
 今回学んだことを神様に聞きつつ、示された事を丁寧に実践していきたいと思います。このような素晴らしい研修会を多くの犠牲を払ってでも開催してくださっている高砂教会の愛する先生方、また兄弟姉妹全ての方々に心から感謝いたします。そして何より研修会に導いてくださった主に心からの感謝を捧げます。主に栄光。



画期的な出来事としての「教会作り共同研修会」 (2)―高砂教会で見た霊的核兵器―

画期的な出来事としての「教会作り共同研修会」 (2)
 ―高砂教会で見た霊的核兵器―

マラナタキリスト教会牧師  平 田 幸 枝

 「教会作り共同研修会」に私を導いて下さった天の父と高砂教会の皆様に心から感謝申し上げます。今回二十六回目に私共四人を快く迎えて、教会全体で神の働き人の為に六日間お世話下さり、ありがとうございました。
 主が高砂教会で成された数々の御業をお聞きする恵みに与り、また、実際に諸集会に出席し、多くの事を教えられました。特に、秋の特別早天祈祷週間、土曜日の聖日準備祈祷会、礼拝前の聖別祈祷に関して、以前から話に伺っておりました。そして、今回ご一緒させて下さり祈りの輪に加えて頂く中で、大きな励ましを受けました。特に研修会、最終日に持たれた「アロンとホルのとりなしの祈祷会」は本当に素晴らしく、私が一番感動し力を受けると同時に、マラナタキリスト教会で即実践したいと思いました。高砂教会の中にある「霊的核兵器」でした。ハレルヤ!
 勧士・執事の皆様が率先し、使命感と喜びを持って行っている事に感動しました。高砂教会は祈りの教会です。信徒一同の祈りの中で聖霊様の油注ぎがあり、聖霊様の火によって悪しき者は焼き尽くされ、聖霊様の満たしの中に自由と解放があり、どの集会でも喜びが溢れ出て主に仕えている奉仕の姿を見せて頂きました。
 祈りと讃美、笑い(喜び)と共に本当に高砂教会は救霊愛に燃え伝道する教会です。セルリーダーの方々を見ていると小牧者として奉仕されていて、教会員の皆さんがそれぞれの持ち場、立場で生き生きと輝いていました。マラナタ教会も聖霊様の喜びで満たされたい!と願っています。
 毎年、手束元老牧師先生を沖縄の地に遣わして下さり感謝致します。二十年以上、先生を通して学ばせていただいていますが、今回は足を運ぶ機会が与えられ高砂教会での研修会に導かれたことを(恐い電車の旅も守られて…)、また、ご多忙な中、手束先生が六日間この「教会作り共同研修会」を重んじ、多くの時間をとってご指導下さり、また良きお交わりの時を持つことが出来たことを感謝申し上げます。
 研修会で受けた沢山の祝福がサタンに奪われる事がないように、聖霊様の助けを受けながら沖縄での教会の中で生かして、用いていきたいと願っています。
 電車の旅路も守られ、飛行機の中で、愛する高砂教会の諸先生と信徒の皆様の事を感謝し祈っていましたら、預言者エリシャに良くし仕えたシュネムの女とその夫の聖書箇所(列王記下四・八~一七)が思い起こされ、私の心は喜びで一杯になりました。
 高砂教会は、与える教会です。この度、霊的、物質的にと多くの物をもって与え、また、神の働き人の為に仕えて下さいました。私は多くの慰めと喜び、力を与えられました。天の父なる神、主が豊かな祝福を与え、その愛のわざに報いて下さる事をお祈り申し上げます。
 「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、揺すり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから。」(ルカ六・三八)
 アーメン! 主が豊かに報いて下さる事を感謝します。私も高砂教会から受けた恵みと祝福を、沖縄の地において分かち合っていきます。主の恵みを感謝しつつ。


画期的な出来事としての「教会作り共同研修会」(3)―教会観、牧師観の刷新体験―

画期的な出来事としての「教会作り共同研修会」(3)
 ―教会観、牧師観の刷新体験―

日本基督教団脇本教会牧師 中 西 絵津子

 ホーリネスの教派神学校を卒業し、初任地の秋田に遣わされて八年目。ほとんどが年金生活者である女性ばかり会員九名という地方の弱小教会の牧師である私が、高砂教会での六日間の研修に加えていただいたことは、牧師人生における画期的な出来事となるだろうと思う。
 カリスマ刷新運動についても、ペンテコステ教会についても、ほとんど何も知らなかった。『キリスト教の第三の波―カリスマ運動とは何か』も読んだことがなかった。教会の存続どころか、市町村の存続自体が危ぶまれている過疎地にあって、「二〇三〇年問題」とやらにとらわれた教団に所属していて、しかしどっこい、教団に高砂教会があったのだという新鮮な驚きと感動。こういう教会がその一員である日本基督教団には、希望があるのではないかという思いが込み上げてきた。
 私自身はホーリネスの牧師として、教団は正直、少々居心地が悪かった。ホーリネスの群はなぜ教団に留まり続けるのか、という疑問がいつもあった。教団に高砂教会あり、ということを知って、それが氷解した。これがつまり、合同教会ということであったか、と。
 ホーリネス教会はかつてリバイバルと弾圧を経験している。リバイバルと弾圧とは切り離せないと言う者たちがいる。私もそう感じる。ホーリネスに、かつては聖霊に満たされた力強いリーダーたちがいた。ホーリネスの群の教会では今もリバイバルを祈り求める。しかしかつてのような力がない。
 聖霊降臨を経験された高砂教会は、体の隅々にまで血液を送り出してくれている心臓のようだと思った。教会は笑いと活気に満ち、教職者も信徒奉仕者も人間的に大人で、魅力に溢れている。一丸となって伝道に励まれる献身の姿は感動的だ。
 「カリスマ運動の指導者」という言葉から受ける先入観を打ち崩し、手束元老牧師はとびきりダンディで奔放で、しかも温かい。とらわれなく、風のように自由で、冴えておられる。「牧師は清く、貧しく、美しく」だとか、「牧師は謙虚でなければならない」という言葉の縛りから、まず牧師自身が解き放たれなければならないと思わされた。教会に必要なのは、モーセのように「謙遜な」リーダー、状況や自分たちの無力を嘆いているのでなく、聖霊によって神の全能の力を体現している信仰の人だ。そのような牧師が、教団におられたのだ。
 秋田県には日本基督教団の教会が十六あるが、半数近くが十人前後の礼拝を捧げている。十六教会全部の礼拝出席者数を合わせても、高砂教会一教会より少ない。これを書いている今日、脇本教会では九人と園児一名でクリスマス礼拝を行なった。
 こういう秋田の教会は、そして同じような地方の小規模教会は、体で言えば皮膚のような存在ではないかといつも思う。本当に皮一枚と言うべき、誰も意識しない、無きに等しい存在。しかしやけどなどで皮膚が失われれば、どんなに内臓が元気でも体は生存の危機にさらされる。
 だから私たち地方小規模教会は、たとえ一ケタの礼拝であっても、十字架を掲げ、主の教会として立ち続けていきたいと願っている。皮膚は皮膚として強くなり、皮膚としての役割をしっかりと果たしていくことで、大きく重要な器官は守られる。逆に臓器の不調は皮膚に現れてカサカサになるし、それぞれの臓器が健康であれば、皮膚も張りやつやがあるだろう。
 秋田の辺境の地から参加した、無きに等しいような教会の牧師を、手束元老牧師はじめ高砂教会のみなさんは、まるで賓客かのようにもてなし、取り扱ってくださった。教会のすべてを開き、学ばせてくださった。そのことを思うと、今も涙が出る。こういう愛の業をもう二十六年も続けてこられている。日本基督教団という主の体の末端の隅々にまで酸素を送り届ける心臓のような働きが、ここにおいてなされている。神さまはそのことを知らせ、体験させてくださった。
 一緒に参加された髙木頼幸牧師、平田幸枝牧師、中村友紀牧師にも心から感謝したい。ペンテコステ派のことをいろいろ教えてくださり、そして私のために特別に祈ってくださった。
 研修四日目、月曜日の朝、脇本教会での早天の時間に合わせて聖堂で一人、黙想と祈りの時をもった。脇本では月曜から土曜の朝、詩編を一節(一編でなく)だけ読んで、黙想し、わかちあいをしている。何年もかけて読み進んできた。その朝の一節は、臨在の主、生ける神からの直接の言葉として、高砂教会の聖堂で私に与えられた。
 「主は必ず良いものをお与えになり
  わたしたちの地は実りをもたらします」
          (詩編八四編一三節) 
 今の私にとって、これ以上の約束はない。高砂教会で新しくされた私は、この約束を握りしめ、喜びにあふれて秋田の地に帰ってきた。
高砂教会の上に、主の恵みと祝福が、ますます豊かにありますように。


画期的な出来事としての「教会作り共同研修会」(4)―高砂教会に花咲いていた祈りと伝道の文化―

画期的な出来事としての「教会作り共同研修会」(4)
 ―高砂教会に花咲いていた祈りと伝道の文化―

カリスチャペル名張牧師 中 村 友 紀

 この度、教会づくり共同研修会にお招き頂いたことは、まさに神様の憐れみであったことをまず初めに感謝致します。開拓十年目で礼拝出席十五名、教会を愛してくださる尊い信徒たちに囲まれながらも、中々成長できない現実にばかり目を向け、目線が下がり、偉大な神様のために偉大な夢を見ることができなくなっていました。自分の弱さに囚われてしまい、牧会宣教の情熱やビジョンを見失いつつあり、自分自身が恵みを受け、力を受け、刺激を受け、奮い立たされる必要を痛切に感じていた中、ちょうど良いタイミングで神様が研修の機会を与えて下さいました。多くのことを学ばせて頂きましたが、いくつかの事をご報告したいと思います。
 教会の成長を考える上で、鍵を握るのはやはり牧師であると思います。信徒のモデルとなり、信仰によって夢を見、目当てに向かう先駆者となるべき牧師がどのような人であるかが教会形成に与える影響は非常に大きく、それは我が指導者であるカリスチャペル創立牧師の村上好伸牧師からも積年学んで来た事であり、また本研修の六日間、手束正昭牧師のお姿を近くで拝見しながら、「牧師たる者」とは何であるかを改めて教えられました。魅力のある人、発信力のある人、影響力のある人、求心力のある人とは、どんな人でしょうか。私は確固たる信念(言い換えれば信仰)のある人、また器量のある人だと思います。手束先生の信念に基づく厳しくストレートな発信力の反面、ユーモアをもって信徒の中に溶け込んでおられる温かみという振れ幅、器量の豊かさを見させて頂き、「キリストの愛の広さ、高さ、長さ、深さ」を想起し、全方位的な器量の拡張と成熟を追求することが牧師またリーダーに求められる事であると思いました。個性は個性として、そのでこぼこは神様のオリジナル・デザインとして認め喜びながら、キリストに似る者となることをまず牧師が求め続けなければならないと思います。私も牧師の端くれとして、自らの信念(信仰・確信)はどこにあるのだろうか、また自分の器量はどのくらいだろうかと自問し、確認し、揺るがされずに働きを続けることができる働き人であり続けられるように、より豊かな器に成長したいと奮起させられた次第です。
 次に、教会の文化形成ということを考えさせられました。高砂教会に息づく文化、いわば家風を端々に感じたからです。牧師と信徒との関係、尊敬と信頼の上にある従順と一致により、教会には文化・家風が培われます。高砂教会においては、多くの働きがある中でも、中核を成す家風は早天祈祷会を土台とする祈りの文化であり、セルを中心とする個人伝道の文化でしょうか。絶えず「ひとりの魂」に目と心が向けられている故に教会が量的にも質的にも成長しているのだと思います。イエス様の公生涯を見ても、群衆に対しての説教や奇跡と共にひとりに対しての個人伝道と奇跡がありました。働きの目的の先はいつも「ひとり」を考えなければなりません。「あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。」(ルカ一五・七)
 現在、私たちは小さな教会であるからこそ、目の前のひとりを大切にし、ひとりがひとりの魂を求め愛し、伝道することを求め願う信徒となるように教え養うことが、今の私が成すべき大切な務めであることを教えられました。研修期間中に、一対一の信徒養育、教会ノートの作成・活用によって基礎的な信仰生活の定着を励まそうと、アイデアを頂くことができました。ホームチャペル構想も頂きました。家庭礼拝は今までも三ヶ所あったのですが、伝道のための意識付けをもって新たにチャレンジする方を募りたいと思います。また、執事会を定期開催し、手束先生の著書「教会成長の勘所」の勉強会と祈り会を持つことにしました。そして、土曜日夜に礼拝堂聖別祈祷を持つようにも心がけ、祈りの文化形成にも挑戦しようと思います。(早天は?と突っ込む声が聞こえますが、ゆくゆく…)
 さて、「君は愛されるため生まれた」という賛美は多くの方に愛され、歓迎や祝福の歌として良く歌われますが、私はこの歌の「永遠の神の愛は我らの出会いの中で実を結ぶ」という一節を意義深く捉えています。今回、同期研修生として出会った髙木先生、平田先生、中西先生との出会いの中にも、手束先生ご夫妻、新谷先生ご夫妻をはじめ高砂教会の信徒みなさんとの出会いの中にも、多くの恵みの実がありました。喜びと笑いがあり、感動と感謝があり、慰めと励ましがあり、交わりの中に働く力も、今回感謝したことのひとつでした。日本宣教の推進のため、日本の教会全体に仕える取り組みの一つとして、教会を挙げてこの研修会を続けてくださっていることは、日本のキリストのからだ全体のために大きな交わりの力であり恵みです。今回も、私たち四教会のために霊肉ともに多くを与えて下さったので、高砂教会にはさらに神様が祝福をもって報いて下さることでしょう。千名教会へのビジョンが実現される日が遠くないことを信じ、共にお祈りさせて頂きます。
 私たちも、三十名から五十名、八十名へと成長させて頂けることを信じ期待し、祈りつつ新たな年に向かえるように励まされたことを心から感謝申し上げます。今後とも、主にあるお交わりとご指導のほど、よろしくお願い致します。


日本キリスト教団 高砂教会  
〒676-0015 兵庫県高砂市荒井町紙町1-34  TEL-079-442-4854 FAX-079-442-4878
Copyright (C) 2010 Takasago Church Corporation. All Rights Reserved.