月報 2018 2

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高砂教会に聖霊降臨が起こった意味は何なのか―聖霊降臨42周年祝賀を迎えるにあたって―

高砂教会に聖霊降臨が起こった意味は何なのか
 ―聖霊降臨42周年祝賀を迎えるにあたって―

北 村  恵

 二〇一七年度聖霊降臨四十二周年当初より、一つの疑問が私の胸にずっと渦巻いていました。聖霊はなぜ手束元老牧師先生の上のみか、高砂教会全体に降ったのだろう? 例えば、美智子師の父上であり、高砂教会の聖霊降臨の火付け役となった三島実郎牧師先生。ヘブル語とギリシア語で聖書を七回も通読されたほど優秀で人望もある牧師に聖霊体験が起こったにも拘らず、その牧会される鷹取教会にではなく、なぜ高砂教会に聖霊が降ったのか。また聖霊体験をされる牧師や信徒がいて、その方々を通して教会全体に聖霊が働いても良い筈なのに。どうしてなんだろう? この疑問を手束牧師先生に問うてみました。すると、「きっと神様は『この地で骨を埋めます』という私の覚悟を聴いて、この教会なら聖霊の火を日本中の教会に点火していくという壮大な使命を担っていけるのではないかと確信されたのだと思う」という答えでした。その答えに少し戸惑いました。その覚悟と聖霊降臨とどう結びつくのだろう? 覚悟しただけでこんな重大なことが起こりえるのだろうかと。
 二十年程前、高砂教会百年史を編集するにあたって、雲をつかむような資料探しの中で、私たちには知りえなかった歴史が明らかになりました。明石教会の川本政之助牧師によって高砂伝道は開始され、高砂教会は一八九八年(明治三十一年)に設立されました。川本牧師は明石教会就任(一八八二年)後、基督教禁令の解かれた後でも仏教や神道からのあまりに激しい迫害に会い、神様からの力をいただきたいと未明より明石城址の城山に登り熱心に祈り始め、そこへ多数の教会員も集まり、三ヶ月間も迫害の中で神のみ旨を熱烈に祈り求め、「遂に信徒一同警醒覚破し教会の面目を一変す」―すなわち聖霊降臨が川本牧師と明石教会にもたらされたのです。この時に洗礼者は五十三人にも上り、こののち二度の聖霊降臨が起こされたことが明らかになりました。ここに高砂教会創設がいかに聖霊と深くかかわっていたかを知ることができます。創設当初より聖霊なる神を尊ぶ教会へとなるべく建てられていたのです。しかし、当時の欧米の宣教師たちによる基督教は、欧米列強に追いつき追い越せの明治政府の方針に相乗りして新時代を担おうとする士族階級、エリート階級に広がり、文化教養、倫理道徳的キリスト教理解であり、それによって当時の明石教会の属していた組合教会の信条は、イエスを信ずると言いながら、三位一体論はおろか、聖霊を尊ばず神とも認めず、キリストの神人両性、贖罪の教理も認めなかったものでしたから、聖霊の信仰は受け入れられなかったのです。この趨勢の中で明石教会をやむなく辞任した川本牧師は、以後、明石教会にも高砂教会にも登場することはありませんでした。
 これは、一九六〇年代アメリカのカリスマ運動の発端となったロスアンゼルスの聖公会「聖マルコ教会」とデニス・ベネット司祭と共通しています。聖霊のバプテスマを体験したデニス・ベネット司祭が異言を語り、それに同調する信徒たちと反対する教会員との紛争の挙句、ベネット司祭は辞任していったこと。川本牧師もベネット司祭も素晴らしい聖霊のバプテスマを体験しリバイバルが起こったにも関わらず、紛争が起こり辞任を余儀なくされました。ここにおいて、確かに「この地に骨を埋めます」という言葉に表れた手束牧師の覚悟のほどを見抜かれた神様の選びの神髄を見ることができます。
手束牧師は聖霊降臨の後、霊に燃える一方、カリスマ運動に反対する信徒たちの熾烈な反撃に合い、その信徒たちと七年にも及ぶ壮絶な教会紛争を体験します。この時代、聖霊の働きは日本でも起こり、聖霊体験する牧師や信徒たちが多々あっても、カリスマ運動は市民権を得ておらず、教団の教会では特に熱狂的感情的な現象として異端視さえされていました。そこで信徒たちに聖霊を正しく知ってもらおうと、月報に「カリスマ運動とは何か」について書き始めます。ちょうどそのころ、毎日新聞のシリーズ「宗教」欄に「カリスマ運動」が取り上げられて、一ヶ月間にわたり取材を受け、高砂教会で起こっている聖霊の御業が公正かつ的確に全国に発信されました。それによってカリスマ運動は広く知れ渡り、偏見が取り除かれていきました。
 更にその上に毎日新聞の記者横山真佳氏の勧めにより、月報に綴られていた「カリスマ運動とは何か」が「キリスト教の第三の波」という書物として出版されました。「キリスト教の第三の波―カリスマ運動とは何か―」は大きな反響を呼びました。その頃、バルナバ・アシュラム主宰の石神勇兄は聖霊を受け異言を語る体験をしたにも拘らず、それは何か異端的なものと思い隠していました。しかしこの本を読んで異言は神学的に正しく聖書的であると知って喜び、カリスマ運動を推進するため、アシュラム運動とカリスマ運動を結び付けた高砂聖霊アシュラムを創設する運びへと導かれていったのです。
 神のご計画はまだまだ続きます。特に台湾博愛教会の林誠牧師は「キリスト教の第三の波」を読んでいたく感動し、聖霊体験をした信徒たちを理解するうえで、この「カリスマ運動とは何か」によって聖霊についての神学的な正しい理解ができ、聖書が説く聖霊の正しいとらえ方がわかったと、その著者である手束牧師を是非とも台湾に招きたいとの熱いコールを寄せてきたのです。それがきっかけとなり、台湾原住民の教会、平地の台湾人の教会と台湾中の教会をめぐる伝道旅行が、以後三十年間続けられています。そしてこの台湾との交流は、神様にとても喜ばれることになったのです。今興りつつある台湾リバイバルの中心教会台北霊糧堂での日本人牧師対象のセミナーで、カナダ在住の台湾人ギデオン女史が預言しました。「この中に長い間、台湾の教会のために尽くしてくれた方がいます。主がそのことを大変喜んでおられます。その方が蒔き続けてきた種が今芽を出しているのです」と。これは手束牧師に対する神様からの大いなるねぎらいと励ましでした。
 また韓国と台湾との交流を通して、日本の近代史に対する歴史認識が変わりました。大東亜戦争当時、韓国と台湾は同じく日本の統治下におかれていたのに、韓国と台湾では日本に対する態度が真逆でした。そのことに気づかされた手束牧師は、正しい歴史認識を持つべく膨大な資料を読み解きながら、「日本宣教の突破口―覚めよ日本―」を生み出されました。今まで趙鏞基(チョウ・ヨンギ)牧師の肝いりで日本宣教が叫ばれ、韓国教会と日本の教会の交流は多々あったものの、台湾の教会との交流はあまりなされて来ませんでした。今台湾に起こされている素晴らしいリバイバルが、日本人に対する偏見がなくむしろ日本人に感謝と好意を持つ台湾の人々との交流によって、日本のリバイバルへとつながるとの予見があります。その台湾と日本との橋渡しの役割を手束牧師が担っておられる、それは神様の大いなるご計画の一つであるのでしょう。
一九七五年七月二十八日、みとろ荘「やまばとの間」で会衆の只中に起こった聖霊降臨。同年十月二十六日、宗教改革記念日礼拝のさ中に与えられた預言「万軍の主は言われる。私はこの教会にリバイバルを興す。高砂教会よ、日本の教会の信仰復興の拠点となれ」。この二つは、神様が私たちの教会に介入され、私たちにそのご計画を託された記念すべき出来事。使徒行伝の弟子たちに聖霊が降り、全世界へとイエス様の教えが広がっていったように。この使命は聖霊の働きなくしては達成できないのです。 世界のプロテスタント人口二十二億五千万人の六〇%が聖霊信仰をいただいています。しかし、わが日本基督教団にはいまだにカリスマ的信仰を異端視し排斥する雰囲気があります。
 この日本の姿を憐れみ、神様は高砂教会を選ばれ、その使命を果たす覚悟を持つ指導者とその群れに聖霊を降して託されたのであると知るのです。民族総福音化運動協議会を立ち上げ、聖霊刷新協議会を結成し、未伝部族宣教へ小森宣教師を送り出すこともできました。聖霊が御業をなし続ける毎年の修養会、二〇一七年では、主の為に命を賭して献身する覚悟を決めた者たちが二十余名立ち上がりました。
 聖霊様こそ生きて働かれるお方。聖霊様は癒しと不思議をなさる方。そのお方を知り、そのお方がともにいてくださることによって素晴らしい人生を切り開いていけるこの喜びを日本中に知らせていこうではありませんか。
 新会堂完成時に、幻と共に「私はこの群れを愛している。この群れを守り持ち運ぶ」と私に語り掛けてこられた神様に心から従いつつ。





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