月報 2018 4

タイトルをクリックしてください        

聖霊降臨四十二周年記念祝賀会への感嘆(1)―高砂教会で救われた意味を掴むことができた―

聖霊降臨四十二周年記念祝賀会への感嘆(1)
 ―高砂教会で救われた意味を掴むことができた―

宮 川 正 徳

 三月二十一日、加古川プラザホテルにおいて開催された「聖霊降臨四十二周年記念祝賀会、手束師自叙伝の出版記念会」に参加させていただけたことを心より感謝いたします。
 個人的な事で恐縮ではございますが、今年に入って、二月には私が経営する有限会社クレイエンジニアリングの「法人設立二十五周年記念感謝祝賀会」をANAクラウンプラザ神戸で開催し、また新社屋、工場建設の「起工式」を手束元老牧師の司式において執り行い、三月には長男の「結婚披露宴」を新谷主任牧師の司式にて執り行う、という大変おめでたいイベントが続きました。そしてその祝福されたイベントの締めくくりとして、「聖霊降臨四十二周年記念祝賀会」が用意されていたことは、我々夫婦にとっても神様が与えてくださった恵みの時間であったことは言うまでもございません。なぜなら、教会の祝賀会以外はいずれも我々が主催者側なので、企画、準備、運営、それぞれの催しのスピーチや接待など、気の休まることが無く、また初めての事ばかりで緊張の連続でもありました。
 そして最後に迎えた教会の祝賀会は、一切何も気を使うこともなく、ただ祝会を楽しみに、馴染みのホテルへ行き、愛する兄弟姉妹とお話しし、美味しいご馳走をたらふくいただける。という至福の時でありました。それだけに、この盛大な記念祝賀会をご準備、ご奉仕して下さった教職の先生方、兄弟姉妹の皆様にはただただ心より感謝申し上げる次第でございます。本当にありがとうございました。
 しかし、すごかった。二百名近い人数のパーティーを自前でものの見事にやってしまう高砂教会。今まで幾度となく祝賀パーティーを開催し、経験と実績を積み重ね、慣れているとはいえ、これだけの祝会を外部に委託せず開催できる教会は日本中探しても数少ないのではないでしょうか? また、それができるのは単に人の力だけではなく、それぞれが与えられた賜物を最大限に活かし、また聖霊様の導きによって知恵や知識、環境が備えられ、まさしく聖霊降臨から聖霊が臨在されている「現高砂教会の証」そのものであると思わされた一日でありました。
 我々は旧会堂も知りませんし、聖霊降臨を体験した信徒ではありません。しかし、「高砂教会百年史」や「恩寵燦々と」といった著書を読むことで、また以前に催された高砂教会百周年祝賀会、牧会四十周年祝賀会、今回の聖霊降臨四十二周年祝賀会などを通して、知らない旧会堂のことから聖霊降臨、新会堂建設、現在の高砂教会に至るまでの軌跡を明確に知ること、いや知っておくことは高砂教会員として絶対に必要なことであり、知ることでより一層感謝の思いが溢れることになりました。手束元老牧師がどれだけの試練に会いながらも、ただひたすら耐え忍び、祈り、信念を貫き、我々信徒の為に、神様の為にここまで頑張ってこられたか。また手束元老牧師を支えてこられた先輩兄姉みなさまのご苦労と祈りがあったからだと今一度確認しました。
 今、当たり前のように立派な教会へ来て、礼拝を捧げられること。
 今、当たり前のように生バンドでワーシップを賛美できること。
 今、当たり前のように聖霊に満たされ祝福の人生を歩めること。
なぜ自分が他の教会ではなく、高砂教会で救われたのか。私はその意味をしっかり掴むことができました。
 私の使命。それは冒頭に書いた私が経営する会社を成長させ、社員やその家族を物共に豊かにすること。顧客や協力企業に信頼され、喜んでいただける企業になること。「他の者が望んでいることをかなえることを自分の喜びとすること」ビジネスを通して福音を伝え、周りに良い影響を与える者であること。
高砂教会の成長軌跡そのものが、私が一人で立ち上げた小さな会社を神様の栄光を現す為に成長させるビジネスモデルであったことは、聖霊の導きであるとしか思えない。
 改めて聖霊降臨四十二周年、聖霊が臨在する教会に、そして神様に感謝します。



聖霊降臨四十二周年記念祝賀会への感嘆(2)―高砂教会に導かれてよかった―

聖霊降臨四十二周年記念祝賀会への感嘆(2)
 ―高砂教会に導かれてよかった―

春 名 志 紀

 一月十四日の洗礼式からはや三ヶ月が経ちました。しかしながら、まだ三ヶ月。クリスチャンとしては未熟な私ですが、今確実に言えることは「この高砂教会に導かれ、クリスチャンになることができてよかった!」ということです。そう考える理由は二つあります。
 一つ目は、「つながりを感じられる」ということです。三月二十一日に行われた祝賀会で、初めて高砂教会の歴史を知りました。初めは少なかった教会員が年を追うごとに増えていったのは、長い歴史の中で、牧師先生方が常に祈り、伝道し、多くの苦労を重ねられたからだということがよく伝わってきました。福音が宣べ伝えられていくということは、人との「つながり」が広がっていくことだと私は思います。洗礼を受けて間もない私ですので、祝賀会に参加されていた方々の多くを存じ上げませんでした。しかし、たとえ知らなくても、クリスチャンである以上、兄弟姉妹、神の家族なのだと思うと、「見えないつながり」を感じ、とても心が温かくなりました。もちろん、普段からたくさん声をかけてくださる方々もいっぱいいて、率直に嬉しく、安心した気持ちになるのです。普通の友達や、知り合いとはまた違った感覚です。この「つながり」は、決して裏切らないものだと思っています。私は、高砂教会に導かれ、多くの素敵な出会いがあったことに本当に感謝しています。
 二つ目は、「考え方が変わった」ということです。初めに、私がクリスチャンになった経緯をご紹介します。私の家はクリスチャンファミリーではありませんが、私の伯母がクリスチャンになったことをきっかけに、少しずつその輪が広がってきました。伯母が洗礼を受けたのは十年以上前です。私が高校生の頃、指を骨折した際に、早く良くなるようにと祈ってくれたことを今でもよく覚えています。その後、もう一人の伯母や、いとこ、そして妹が洗礼を受けました。そのような中で、私自身、神様の話やクリスチャン自身の考え方についての話を聞くことが自然と多くなり、そしてそのことについて「なるほど」とか「いいなあ」と思うようにもなりました。
 しかしながら、思うだけで、行動には移せませんでした。そんな時、伯母が板宿のキリスト栄光教会で手束元老牧師夫人にお会いし、高砂教会のことをお聞きする機会がありました。その時すでに播磨町に住んでいた私は、行ってみることを勧められたのですが、一人では行く勇気もなく、時間だけが過ぎていきました。
 ある時、祖母が大腸がんであることが判明しました。判明した時にはすでに末期の状態で、余命宣告もされました。悲しみに暮れる中、クリスチャンである伯母や妹が懸命に祈る姿を見ました。私の祖母は、長らく仏教徒でしたが、伯母や妹たちの祈りが通じたのか、病室で洗礼を受け、救われたのです。病気は治らず、一昨年の十一月に旅立った祖母ですが、病気になったからこそ祖母が救われたこと、そして天国への道が開かれたことに、伯母も妹も喜んでいました。その様子を見ていて、この「考え方」というか「信仰の力」ってすばらしいなと感じたのです。後になって、伯母から、祖母が「まだ救われていない志紀のことが心配や」と言っていたということを聞き、何とも言えない感情で胸がいっぱいになりました。祖母の遺言だと思いました。 そしてその後、妹の後押しもあり、高砂教会へと導かれ、洗礼を受ける運びとなったのです。私は昔から心配性でしたが、クリスチャンになって以来、「辛いことがあっても必ず乗り越えられる」と、前向きに考えられるようになりました。仕事では悩みが尽きません。しかし、ここが私の用いられるべき場所であり、私にしかできないことがあると信じて進むことができているような気がしています。
 この二つは当たり前のことかもしれませんが、クリスチャンになった私が率直に感じたことです。これからこの高砂教会でクリスチャンとして成長していけるように努力していきます。教会員のみなさん、これからもどうぞ温かいご指導をよろしくお願いいたします。


聖霊降臨四十二周年記念祝賀会への感嘆(3)―目の前に恩寵を見る―

聖霊降臨四十二周年記念祝賀会への感嘆(3)
 ―目の前に恩寵を見る―

住之江恵泉教会協力牧師 福 本 和 代

 三月二十一日、加古川プラザホテルにて、『恩寵燦々と―聖霊論的自叙伝―』の出版記念会、合わせて高砂教会聖霊降臨四十二周年の記念祝賀会が持たれ、ご招待に与った。 
 聖霊論的自叙伝という副題の付せられたこの書は、著者である手束正昭先生の、日本の教会、ひいては日本に対する並々ならぬ熱情から生まれたものであると感じている。
 記念会の席上では、大門英樹氏(元カネボウ特別顧問)、鈴江康二氏(毎日新聞記者)の御二方が、深く豊かな論評を発表された。それをお聞きしながら、私自身の内側にも、この書を読み終えた直後の興奮がよみがえって来たのである。そこには暖かい光によって将来を指し示す希望があり、同時に沈滞したものを振るい起こす強い励ましがあった。
 一人一人のクリスチャンが、自らを導き用いられる神の御手を知り、その手に全身全霊を委ね、その愛を味わい知り、摂理の玄妙さに感嘆する日々を送るなら、日本は確実に変わる。ただ、このことは言うは易く、行うに難い。そこに神からの圧倒的な恵み、恩寵が無ければ到底なしうることではない。
 手束先生が誕生直後から、今日に至るまで遭遇された数々の試練は、まさに「ドラマのよう」である。それらの苦しみの一つ一つには主の明確な意図があり、後に与えられる使命にふさわしい器として備えるため不可欠のものであった。読み進むうちに、そのことが明らかにせられ、信じて委ね切ることのいかに偉大な果実を生むかを教えられるのだ。同時に主は、従うものをどこまでも支えられる愛の神であることが明らかにされる。一人の捧げ切ったクリスチャンを通して、教会を、家庭を、職場を、地域を、社会を、国家を変えていかれるのが主である。「あなたにも主の恩寵が注がれている。だからあなたも恐れずに主に委ね、主の使命を担う一人と成れ」そうこの書は私たちにチャレンジしているのである。
 休憩をはさんで第二部は、高砂教会聖霊降臨四十二周年の記念祝賀会であった。一九七五年七月、〝美登呂荘〟での一泊修養会の中で、使徒行伝二章の聖霊降臨を思わせるできごとが起こる。そこから今日に至るまで、手束正昭先生と高砂教会に与えられた「日本の信仰復興の拠点となる」いう使命に仕えるための戦いの日々が始まるのだ。
 クリスチャンであれば誰しも「勝利から勝利へと進む」ヨシュアのごとき人生を歩みたいと願うだろう。ただ、「勝利」とは「戦い」があってはじめて得られるものである。そして「戦い」とは敵の拠点に攻撃をしかけ、その地を占領しようとするからこそ生まれるものなのだ。信仰が教会の中だけにとどまっており、現状から一歩も外に出ようとしないなら、戦いなど起きようもないのである。
 高砂教会の歩み、歴史が多くの貴重な写真と各年代の兄姉の生き生きとした証を通して語られて行った。それは厳しい戦いの記録であったが、何か不思議な明るさと喜びに包まれていた。キリストから委ねられた使命に生きる充実感、勝利を得てなおも前進していく躍動感、主の守りを確信する平安、聖霊の与えられる喜び、それらが基調として流れているのだ。高砂教会に与えられた使命がさらに確立され、前進し、日本におけるリバイバルの拠点として、輝く松明として主の手に握られ、掲げられ続けていくと信じる。
 祝賀会の最後に、一つ一つのテーブルのキャンドルに火が点じられた。一つのテーブルから次のテーブルへ、手渡され灯された火のごとく、私たち一人一人が聖霊によって燃やされていき、日本のリバイバルに仕えるものとなるよう、共に祈り合って会は閉じられた。
 美しい賛美、暖かいおもてなし、多くの心遣いを頂き、楽しく心に残る一夕を過ごさせて頂いたことを、心から感謝します。



聖霊降臨四十二周年記念祝賀会への感嘆(4)―物事に取り組む真剣さの違いを痛感―

聖霊降臨四十二周年記念祝賀会への感嘆(4)
 ―物事に取り組む真剣さの違いを痛感―

元日本キリスト教団香住教会牧師 稲 垣 馨

 今年の一月頃でしたか上記表題の集会案内を頂き、手束牧師とは関西学院神学部成全寮で三年あまり共に過ごし後は長く会う事はありませんでした。十数年前、私が名古屋中央教会で鬱病に陥り、十年あまり不調のまま但馬の香住教会に移り、ようやく元気を取り戻した頃、先生方夫妻が沖縄の聖書福音・聖川教会の當銘牧師夫妻と共に訪ねて下さり歓談の時を持ちました。その数ヶ月後、高砂教会の朝、昼、夕方の三回の礼拝奉仕に招かれ、ヤットの思いで任を果たした事がありました。その後も私の隠退前年の二〇一二年の秋、姫路教会を会場に開催された播州地区信徒研修会発題者に招かれ、会場で手束牧師から「稲垣さん、何時隠退ですか」と聞かれ、「来春をもって」と答えると、翌年の二月でしたか、再び朝の礼拝を任されたのです。
 その様な事もあって、招待を感謝してお受けし記念会に参加させて頂きました。まだその時は新著「恩寵燦々と」を持ち合わせていなかったので、教会に電話して購入した事です。本を手にして目次を見ますと「真理を求め続けた神学生時代」がまず私の目に飛び込んで来たので、そこから読み始めました。この書の事は記念会の時も話され、本の「推奨の辞」にも書いておられる大門英樹氏の言葉で充分なのですが、私は最初にも触れましたように、参加者の中では著者の神学生時代を知る数少ない一人であろうと思い、そのあたりから書かせて頂きます。
 本を拝見しますと、手束牧師の神学部入学は一九六三年で、その時私は大学院一年生であったようです。今でこそ「同じ釜の飯を食べた仲間」の思いがありますが、当時はほとんど交流もなく、学年が違うこともあって、多くを知りませんでした。しかし本書を拝見して、物事に取り組む真剣さの違いを痛感いたしました。そのひとつとして、四年生からのゼミは私も松村克己教授の組織神学でしたが、この教授の下で指導を受けたいと思ったのは、およそ手束牧師とは違っていて、当時自分一人でボクシングを続けていたのですが、大学の運動部に入らないかとの誘いを受け、どうすべきか悩み相談に行った時の教授の助言(詳細は省きますが)に魅かれたからでした。その事を思うと、手束牧師は長島ハンセン病療養所での貴重な体験からティリッヒの言う「存在論的衝撃」を受け、導かれるままに、松村教授からそのティリッヒの「組織神学・第三巻:聖霊論」の特別な指導を受けておられます。それによって、本人もしばしば書いておられるように、その後のカリスマ運動はじめ教会形成論の土台が作られたことでしょう。その姿勢は、このことだけでなく、「部落問題研究会」での活動の中でも言える事です。
 同じ神学生時代の事として、手束牧師は芦屋三条教会に派遣生として出席し、玉田牧師とその少年時代の家庭教師であった三島実郎牧師、さらにそこから生涯の伴侶となる美智子夫人へと繋がるこの流れもまことに見事なもので、「神のなせる業」ではありますが、ティリッヒとの出会いもさることながら、やはり手束牧師の今日をあらしめる大きな力の源といえましょう。
 次に記念祝賀会の感想ですが、私は台湾や韓国の教会を全く知らず、日本でも主に西日本の日本基督教団教会しか知らないのですが、初めての経験でした。それは、参加人数とか出された食事の事だけでなく、讃美をみごとに盛り込んだ生き生きした集いでした。何よりも、教会員が自分たちの関係する集まりの紹介を喜びに満たされて語っている姿が素敵でした。最後に、書物の後半部分を占める「高砂教会で起こったこと」とそれ以降の事に関しては、特に私が書くことでもなく、当日の集会で頂いた「キリスト教の第三の波」他、関係する著書を読ませて頂いてからと思っています。
 最後に、これからが仕上げの段階でしょうから、手束牧師の健康の上には特に天来の守りを祈ります。




聖霊降臨四十二周年記念祝賀会への感嘆(5)―改めて神のみ業の素晴らしさを実感―

聖霊降臨四十二周年記念祝賀会への感嘆(5)
 ―改めて神のみ業の素晴らしさを実感―

姫路教会 橋 崎 良 治

 約四十年前、手束先生との出会いが与えられました。手束先生が播州地区青年会活動の地区担当牧師をしておられた関係で、月に一回、高砂教会で青年会長会を開催していました。手束先生は若い感性で私達青年の意見を丁寧に聞いて下さり、私達はすぐに手束先生と親しくなりました。手束先生との交流の中で、私はクリスチャンの連れ合いを求めている話しをさせて頂き、先生の関学神学部時代の親友である神戸の神和教会東島勇気牧師の紹介によって妻に出会いました。
 私が三十歳の時に父が病死、家業の後継者としてはあまりにも若く大きな不安を覚えました。父の死に際し、手束先生はいち早く我が家に駆けつけて下さり、私達夫婦のために祈って励まして下さいました。とても心強く温まり嬉しく思ったことは忘れられません。結婚してはや四十年、会社を経営していく中で何度も困難に出会いましたが、この間いつも祈り支えて下さる手束先生を身近に感じて来ました。
 ある日、新会堂のための土地を探しておられた手束先生から、「新会堂建築に適した場所が示されました。三菱製紙社宅跡地を開発中の北文さんを知りませんか」と電話を頂きました。神様の導きです。何と私の小学生時代からの友人北純一さんが北文の社長の息子でした。そこで早速に手束先生に紹介をさせて頂きました。その土地は病院のそばで山陽電鉄の駅に近く広い道路に面している一等地でしたが、後ほど、「全身全霊で交渉されました手束先生の熱意に心うたれてお譲りさせて頂きました」と北社長からお聞きしました。そして北文さんの開発地は、売却しにくい場所を含め以後順調に完売できたとのことです。神様の祝福を受けられたと感じました。
 手束先生の熱意と祈りに神様が応えられて、不思議な御手をもって目の前の課題が一つ一つ解決へと導かれているのだと知ることが出来ました。当時、社会経済はバブル期に入り始めていました。資材や人手不足による人件費の高謄が続いていました。手束先生ご夫妻のご親戚が建築関係の方で、その方が心を込めて建築を進められておられましたのを今も良く覚えています。それ以後も新会堂建築には多くの課題と難関が有ったと思います。それでも教会員の皆様の一致と祈りにより新会堂が完成されたことを知り、高砂教会が主の栄光を表されたと思わざるを得ませんでした。
 高砂教会が年月を重ねるごとに教会員が増え続け、会堂一杯の人々が交わる教会になり、教育館やその他の建物も神様から与えられておられることは、同じ播州地区にいる私の所にも波のように伝わって来ました。この度、四十五年間の歩みをスライドや教会員の皆様の証しを通して教えて頂き、改めて神様のみ業のすばらしさを実感いたしました。先生が大切にされている早天祈祷会で、毎朝教会員の皆様と熱心に祈られている祈りが大きな原動力となっているのではと思いました。そして、何よりも教会員の皆様が喜びに溢れておられるのを目のあたりにさせて頂き、大変感動致しました。
 聖霊刷新運動から始まりました手束先生の牧会は、イエス・キリストの福音の恵みを高砂の地から日本全国へ、そしてアジアの国々へと広がる大きなヴィジョンのもとに成されていることを知りました。今は元老牧師となられました手束先生が、これからもお元気で、新谷主任担任教師、そして教会員の皆様と共にご活躍されますことを願っております。手束正昭牧師牧会四十五周年を心よりお祝いし、高砂教会の歩みの上に、先生のお働きの上に、神様の豊かな御祝福がありますようにお祈り申し上げます。




日本キリスト教団 高砂教会  
〒676-0015 兵庫県高砂市荒井町紙町1-34  TEL-079-442-4854 FAX-079-442-4878
Copyright (C) 2010 Takasago Church Corporation. All Rights Reserved.