月報 2018 9

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バージョンアップをもたらした修養会(1)―高砂教会はリバイバルします―

バージョンアップをもたらした修養会(1)
 ―高砂教会はリバイバルします―

森 本 育 子

 昨年の修養会で万代先生は、私達の高砂教会は、そんじょそこらのポッと出の教会ではなくて、日本キリスト教団の中で、四十二年前に聖霊体験が起こっている意味は非常に大きい。私達は積み重ねられた歴史の中で本物の信仰を受け継いでいる、と言われました。そこで私に出来る事をと考えると、セルメンバーの顔が浮かび、次の修養会にはセル全員で来ることを神様に誓いました。そこで、一人一人が修養会に行くことが楽しみになるようにと思いを込め、旅行貯金という名の封筒を作って、強引ではありましたが、月一回のセルごとにお金を集め、毎日祈り続けました。そして今回、セルメンバー七名全員で参加する日を迎えることが出来て、神様のご計画の中にあったことを喜び、感謝しました。
 今年も昨年に引き続き万代先生でした。聖会が始まってすぐ、あれっ先生は体調が悪いのかな、と思いました。よく咳込まれ、水を飲まれていたからです。お話しを聞いていると、前日の夜中まで学生キャンプで四国の山奥におられ、台風の影響で水かさが増した川で、溺れかけている学生を助けようと川へ飛び込み、先生自身も溺れかけ、やっとのこと木や草を掴んで助かったとのことでした。私も以前、台風で荒れた海で溺れかけた経験があるので、先生の必死な光景が目に浮かび、ゾッとしました。神様は、学生達も万代先生も無事に助け、高砂教会の修養会へ送り出して下さったことは何と素晴らしい恵みだろうかと思わされ、これから始まる修養会と高砂教会がとても楽しみだと思わされました。
 万代先生は、今回の経験から、これぐらいは大丈夫だとか自分の知恵や経験から来る思い込み、慣れや決めつけは浅はかであること、また自分は無学な普通の人だから大したことが起こらない、という固定観念は取り払いましょう。聖霊の御業を体験する人に制限はありません、と言われました。また、先生はこれまでの牧会三十一年間で、一万二千回の集会全てに出席しておられ、自分の都合でキャンセルしたことがないそうです。台風になっても奇跡的に飛行機が飛んだり、高熱になっても元気に説教されるのだから本当に凄いです。
 また、先生が祈ると病人が次々と癒やされ、その地にリバイバルが起きます。先生は、その様な凄い神様の力は私達にも与えられているから、祈るなら必ず出来ると言われました。私達はもう既に選ばれた高砂教会の一員で、日本の歴史の中で特別選ばれた七十人、百二十人であることを自覚して欲しい、時が良くても悪くても、やると決めたことは、神様がもう良いと言われるまでやる、与えられたチャンスを活かし事を始めよう、自分は無学だ普通だと言い訳をしない、神様は私達の本気度を見ているのだ、神様によって何でも出来るということを体験していこうではないか、と言われました。
 五つのパンと二匹の魚の場面のように、イエス様は奇跡が成就することをご存知で、私達に体験させよう、鍛えようとされていると言われました。バージョンアップした信仰によって驚く御業が起こり、人々が驚き怪しみ教会に来るようになる。
 おじいちゃんとおばあちゃんにはリバイバルを祈る使命がある。命あるものは、モーセのように大胆に用いられ価値あるものになりましょう、信仰はこんなものだと思い込み、霊的食物を摂るのを止めてしまってはならない、神の子として、天に帰って来いと言われるまで成長を目指します。協力し合って、お年寄りを教会へ連れて来てあげて下さいと言われました。日本キリスト教団に二〇三〇年問題があり、後十二年もすると教団は三分の一になり、地方のあちこちの教会が空き家になるそうです。私は、奇妙な宗教団体が空き家となった教会を買い取り、偶像礼拝している状況を想像して腹が立ちました。有り得ないことです。イエス様がかわいそうです。
 万代先生は言われました。「高砂教会が聖霊によって日本キリスト教団を乗っ取りゃいいんですよ!」と。アーメンです。これからは、早く一千人教会となるように、どんどんと奇跡が起こされるように早天で祈ります。修養会でバージョンアップしたセルメンバーと共に、救霊に取り組みたいと思います。高砂教会はリバイバルします。




バージョンアップをもたらした修養会(2)―サタンとの激しい闘いを越えて―

バージョンアップをもたらした修養会(2)
 ―サタンとの激しい闘いを越えて―

川 西 幸 子


 初めて修養会に参加したのは、一昨年の事でした。その頃の私は、受洗して半年。今以上に、まだまだ未熟なクリスチャンでした。そんな中、参加した修養会では、とても大きな祝福をいただきました。
 しかし、思い返すと、ここからがサタンとの闘いの始まりとなりました。年が明け、洗礼後一年が経とうかという頃、教会が怖くなりました。日を重ねるごとに、近付く事も苦痛になり、賛美を聴くと過呼吸を起こすようになりました。負の連鎖をどうにも止める事ができなくなりました。そうした苦しい日々の中でも、修養会への期待は無くす事なく持ち続けていました。しかし、昨年は仕事の都合がつかず、参加が叶いませんでした。どっぷりと真っ暗な闇の中に座り込んでしまい、どんどんサタンに引っ張られるようになりました。そして、神様だけでなく、人との交流も絶つようになり、人と目を合わさなくなりました。いつもイライラするようになり、笑わなくなりました。どうしたら良いのか分からなくなり、猛烈な虚無感に支配されました。
 しかしそんな時でも、兄弟姉妹を通して主は働きかけてくださいました。私の事を絶対に諦めないでいてくれました。サタンはとても焦ったと思います。あらゆる手段で、何度も何度も攻撃を繰り返し、決して離れる事はありませんでした。
 こうして、山あり谷ありばかりの一年が過ぎ去り、迎えた今年の修養会。前日から落ち着かず、充分に休めぬまま朝になりました。スムーズにはいかないだろうという変な思いから、三十分で着くところを、二時間も前に自宅を出発しました。何事もなく、しかし、あと十分で到着という時になって、言い表せない程の恐怖に襲われ、自動車を路肩に止めたままで動けず、涙を流すばかりでした。耳に響いてくる善い声と悪い声の判断はつきかけていたはずなのに、それも分からず戸惑うばかりでした。
 主を見失うギリギリのところでその手を握り、落ち着きを取り戻せた事は、感謝でしかありません。こうして、〝いこいの村はりま〟に何とか到着する事ができました。ここから、更にたくさんの祝福をいただく事となります。駐車場で立ち往生している私に、ひとりの姉妹が声を掛けてくれ、隣に並び笑顔で話しかけてくれました。歩調を合わせてくれ、安心するよう言葉をかけてくれました。『大丈夫だ』と確信できた瞬間でした。
 こうして、一日目は穏やかに過ごす事ができ、兄弟姉妹との交わりもとても楽しいものでした。迎えた二日目。前日とは違って、平安が保てず、一人で館内を歩き回る時間が多かったように思います。心の中では、助けを求めて大絶叫をしていました。夜の第四聖会が怖く、誰かと話をしていても、メッセージを聞いていても、頭の中では、会場の間取りと逃げ道の確認ばかりしていました。
 時間は待ってくれず「その時」となり、主に委ねようとすればするほど、喜怒哀楽の感情は激しくなりました。按手では恐ろしさのあまり逃げ出してしまいましたが、花の香りがする方を向くと、たくさんの教会ファミリーが私のために、私を囲んで祈ってくれていました。それによって孤独感から解放され、いつも誰かが絶対に離れずに居てくれたと心底思う事ができました。
 昨年は参加できず二年待った修養会でしたが、神様はその存在をしっかりと掴ませてくれました。兄弟姉妹、そして誰よりも主の愛と優しさを知り、実感する事ができました。
 クリスチャンとして、今後どのように歩むべきなのか、自分に何ができるのか、何をしたいのか、正直まだまだ模索中です。また、いつサタンの襲撃に遭うかもしれません。でも、私には主がついています。主の計らいで、自分がどう変われるか、どれくらいバージョンアップできるのか、今からとても楽しみです。


バージョンアップをもたらした修養会(3)―日本の教会を先導していく高砂教会の幻を見た―

バージョンアップをもたらした修養会(3)
 ―日本の教会を先導していく高砂教会の幻を見た―

石 田 恵 美

 今回初めて夏の修養会に参加しました。まだ、よくわからないままの初心者ですので、先輩方の恵まれるよとのお言葉をいただきましたが、どうしようか迷って居ました。行けないと思われる理由は、沢山あります。でも、行けないと悩むよりも、行くと決めて悩んだ方がいいと思い、あとは主にお任せしました。おかげで、意外にもすんなりと行けるように整えられました。受洗の際もそうでしたが、わからないけれど、決断と一歩進むことで何かが始まることがあるものだと思いました。
 修養会の朝、籠谷姉のお迎えを待って、加古川駅でウロウロしていると、駅の改札正面のベンチで、見知った顔を見つけました。なんと手束元老牧師先生でした!万代先生のお迎えで、来られていました。なんと嬉しい始まりだろうと、とても嬉しく楽しみとなりました。
 修養会は、朝昼晩とそれぞれ違った趣で、朝は朝のお昼はお昼の、夜は夜のそれぞれの時間帯にぴったりの聖会があり、飽きることなく、あっという間に三日間が過ぎていきました。今回のいこいの村はりまは、とても緑が多く、静かで、そして素晴らしい設備を高砂教会のメンバーのみで使わせていただくことができていて、集中して修養会に参加できるとても素晴らしい空間でした。
 また、万代先生の熱のあるメッセージは、回を重ねるごとに素晴らしいバランスでのお話で、「聖霊による変革~バージョンアップをもたらす弟子になる」というテーマをとても魅力的に巧みにお話しされ、私が万代先生を一言で表すなら、「火をつける人」。圧倒されるお話に心を熱くして聞き入りました。
 二日目の夜の聖会では、聖霊のバプテスマを受け、夢のような時間を体験しました。全員で立ち上がり祈っている際に、映像が頭の中に見えました。日本をはるか上空から見ているような映像で、近畿(おそらく高砂からなのかも)から、花火の様な火が打ち上げられ日本各地、そして世界に飛んでいくような映像でした。まさしく、今回万代先生がお話されていた高砂教会が日本のキリスト教会を先導していけ!というような内容を想像力の様な映像で見ているのだなと思いました。
 しかし、その後にも頭の中の映像が続き、少し燃え盛ったのちに全体が真っ暗になってしまいました。その後に、夜明けの様な空の色がグラデーションとなって向こう側から光が昇ってくるのが見えました。そこで、映像は終わりました。きれいだったなと感動している間に、手束先生が近くに見え、按手して祈ってくださいました。どう表現してよいのかわからないのですが、お昼の分科会でお話しされていたようなことが実際に自分の身に起こったので、えーという驚きでした。私の場合、異言の様なもので祈りが出た後、言語という言語がよくわからなくなり、日本語をどう話すのかわからないような、話したいのに言葉が出ないような感じでした。私には、解釈できませんが、それが私の体験となりました。
 いまだによく説明ができませんし、乱文となってしまっていますが、より聖霊様を具体的に体験できる素晴らしい時間でした。修養会のこの三日間は、これ以上でもこれ以下もなく、よく考えられた会だと心から思いました。熱くしていただいたものを維持しながら、日々の生活の中でも主にいただいた私の役割を一歩一歩積み上げていきたいと思います。
 高砂教会に祝福がありますように、イエス様の御名によってお祈りいたします。




バージョンアップをもたらした修養会(4)―自分の想像を遙かに超える大きな祝福―

バージョンアップをもたらした修養会(4)
 ―自分の想像を遙かに超える大きな祝福―

となみ野聖書教会 岩 尾 裕 子

 随分前から、一度、高砂教会に行ってみたいと思っていました。昨年、母教会の友人である小畑姉から、高砂教会の修養会の素晴らしさをお聞きし、今年そのお誘いを受けながらも、富山に住んでいる身、なかなか決心がつきませんでした。けれども、今通っている開拓伝道の「となみ野聖書教会」が、新会堂建堂に向けて祈りつつも、具体的に進んでいない事や、今年の五月に高砂教会のホームページから手束元老牧師先生の経歴を拝見して、死線を越えて満州から引き上げてきた母(現在八十三歳、東灘で独り暮らし)が、長年探し求めて来た方だ!とわかり、まさに神様から背中を押されている思いがして、七月三十日ギリギリに申込みをいたしました。
 八月十七日の朝、東灘の実家を出て、高砂教会前から友人の小畑姉も一緒に送迎バスに乗せていただき感謝でした。主に期待するワクワクした思いでいましたら、あっと言う間に「いこいの村はりま」に着きました。そして修養会のスタート、開会礼拝が始まりました。
 今回の高砂教会修養会のテーマ「聖霊による変革」~バージョンアップをもたらす弟子になる~を使徒四・三から新谷牧師先生が「普通の人でも聖霊を受けると、神様からの力が注がれて、大胆に福音を伝えていく者とさせられる!」とわかりやすく語って下さって、今さらながら改めてわからされて、修養会の始まりから、ハレルヤ!アーメン!と思いました。
 その後の昼食の時、美智子先生が私のすぐ向かいの席に座って下さって、母の事を話していましたら、いつの間にか手束元老牧師先生がこちらに来て下さっていて、「お母さんを高砂教会に連れていらっしゃい。私もお母さんから満州の話をお聞きしたい」と仰って下さり、輝いている手束元老牧師先生のお顔と優しく気遣って下さる美智子先生の笑顔を見ると胸がいっぱいになり、主がここに導いて下さった事に心から感謝いたしました。
 宿泊したお部屋も、友人と同室の洋室ツインで広く静かでした。お部屋からも食事会場からも緑の木々が多く見え、食事も高砂教会の皆様と和やかに美味しくいただき、まさに「いこいの村はりま」に於いて、神の家族が天国で過ごしている様に思えました。
 万代先生が講師としてメッセージをして下さる聖会も、会が進むごとに、まさに修養会のテーマのごとく、皆が信仰の刷新、バージョンアップをさせられていると実感いたしました。特に、十八日夜の第四聖会では、熱い祈りと賛美、そして万代先生から「超常識の力をいただく為に聖霊モードのスイッチを入れましょう!そして、未信者の人々に驚くばかりの主の御業のお力を表し、福音を伝えましょう!」と白熱したメッセージが送られ、会場が主の御臨在と聖霊様の充満により、神様が参加者一人一人を祝福され、愛されている事がはっきりとわかり、皆が聖霊様によって燃やされ、励まされ、心が一つになっているのを実感いたしました。また、招きに応じて献身する方も多く起こされました。その後、手束先生、万代先生が按手によって一人一人に聖霊の注ぎをお祈り下さり、私も祈っていただき、本当に主に感謝いたしました。
 最終日、聖日の早天祈祷会で、北村兄の癒しのお証しも本当に嬉しく、主に感謝しました。なぜなら、父が同じ病で召天したからです。
 聖日礼拝では、手束元老牧師先生の司会のもと、祈り、讃美歌を賛美し、万代先生のメッセージがあり、主の御臨在の厳粛な空気の中で礼拝は行われ、修養会は閉会となりました。
 この度、高砂教会修養会に初めて参加させていただいて、自分の想像を遙かに超える主からの大いなる祝福、恵み、導きをいただき、ただただ感謝するばかりです。この体験を忘れず、お世話になった高砂教会の皆様のお働きを祈りつつ、私も富山で励んで参ります。ありがとうございました。




バージョンアップをもたらした修養会(5)―全てを捨てて献身していく思いが与えられ―

バージョンアップをもたらした修養会(5)
 ―全てを捨てて献身していく思いが与えられ―

高 谷 海

 今年もこの日がやってきました。第三回目となる万代栄嗣先生の講師による修養会が恵みのうちに持たれました。私は、今回で四回目の修養会となりました。毎回必ず思うのが、行って本当に良かったということです。一つ一つの聖会は、まるで天国にいるような安らかな時間でした。その中でも、特に主が語ってくださったのは、第四聖会、献身の招きの時でした。
 私は、これまで献身するということに対してすごく迷っていました。というのは、フルタイムで本気で献身をするのかどうかということです。高校二年生の時に献身の思いが与えられ、それ以来イエス様に使って欲しい! 献身したい! という思いを持ち続けていました。私はその頃、自分の中で、献身=牧師・伝道師・宣教師になることだと思っていて、神学校に行って学びたいと考えていました。しかし、祈っても祈っても神学校に行く道は開かれず、大学に行くことになりました。大学で学ぶことは私が一番学びたいことではないので、このまま大学に行くのは良くないと思い、何度も辞めようと考えました。しかし神様は、いつも大学をやめてはいけない、行きなさいと語られるので、葛藤しながら大学に行っていました。
 そんな時、神様から「今の現状を感謝しなさい」という思いが与えられ、気持ちはついてこないけれど、大学に行けることを感謝し始めました。そうすると大学に行ける事が本当に感謝であると気付かされ、大学に行っている意味を悟ることができました。そこで、献身というのは、牧師、伝道師、宣教師になることだけではなくて、イエス様と歩む一日一日が献身であると知りました。そのため、高校二年生の時に神様から与えられた献身の思いは、なにも牧師になるというものではないんじゃないかと思うようになりました。自分の考えの中でも、こんな私が神様に献身して役に立つのだろうかという思いもあり、この献身の思いは何なのかわからなくなりました。
 そんな時ある集会で、「自分の思いを捨てて主に明け渡しなさい」というメッセージを聞きました。その時私は、ずっと心にあったフルタイムで仕える献身の思いを捨てようと思いました。この思いが自分から来たものなら、捨てても自分の心に帰ってこないだろう。もし神様から来たものなら自分のもとに帰って来るだろうと思い、神様に祈り、その思いを主にゆだねました。
 万代先生からは、無学な普通の人でも主は用いてくださるということを聞きましたが、何度も聞くメッセージなのでわかっていると思いながら聞いていました。しかし、心の中では、私を用いてくださいという思いがあるのを感じました。捨てた筈なのに、ずっと心の奥底にあるこの思いはもう抑えきれませんでした。
 按手の時、万代先生から主のために命を捨てても従うかと迫られる献身の招きがありました。その時万代先生は、「自分がこう思うからとかいうのをやめて、全て捨てて主に明け渡しなさい」と言われました。この前の集会と同じことを言われて、全てを捨てるという思いがとても心に刺さりました。それで、こんな私が、という思いは捨て、ただ純粋にこう祈りました。「神様、私は全て捨てます。自分の思い、献身者はこうでなければいけないという偏った考えも全て捨て、ただイエス様に命をかけて従いたいという純粋な思いであなたに献身します」。その時、はっきりわかったのは、主が、私を選んでくださっているということ、そして、私は主のために働くのだということでした。
 高校二年生の時に献身の思いが与えられ、そこからどうしたらいいのか分からないまま、扉はずっと開かれませんでした。しかし、主は一番良いタイミングで扉を開いてくれたと思います。主は祈りを聞き、道を開いてくださるお方です。献身の道は決して楽しいものではないということはわかります。しかし、なぜか私は嬉しくて仕方がありません。これは、自分が献身の道を甘く考えているからかも知れませんが、十二弟子も、献身の道を歩んでいる中でいろいろ大変な目に遭いました。けれども、それ以上に神様のなされる御業を見て、一日一日感動して生きていたのだと思います。
 私に任されている役割、計画は全くわかりませんが、これからイエス様のために働いて行けることを本当に嬉しく思います。







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