あなたは何故、クリスチャンになったのですか?

「神様との出会い」について、生の言葉でお答えします。

脳梗塞からの癒しを体験して Haruhiko Mori



 僕は大学を出てから二十年程広島で携帯電話を作る仕事に就いておりましたが、一昨年脳梗塞を患ってから仕事を休職し、今は神戸の施設で職場復帰を目指してリハビリに励んでおります。
 この前、クリスマス晩餐会の折にも少し触れましたが、僕の母が高砂教会でお世話になっていた事もあり、〝物心ついた時には教会がそこにあった〟という感じで育って来ました。実際、幼い頃育った家と教会の旧会堂は子供の足で五分くらいだったでしょうか。幼稚園の方が遠かったかもしれません。古い話であれば、新谷先生がまだ神学生だった頃、教会学校で色々伺った様な記憶があります。と言う訳で、「キリスト教と出会うまでの自分」と言うものはそもそも自己が確立してなかったと思います。
 イエス・キリストの癒しを強く感じる様になったのは病気をしてからでしょうか。病気をする前の自分には傲岸不遜な所があり、何でも自分ひとりで決めていたので、たとえ交通事故か何かで足の骨が折れても、痛いのを我慢すれば何とかなると思っていたのですが、実際にいざ病気をしてみると、意識不明となり、何とかしようという意思そのものがなくなっていました。
 その後、手束先生を始め多くの方が僕のために祈って下さったお陰で、集中治療室から出て、意識を取り戻す事が出来ました。その後神戸の病院に転院して来たのですが、マンガにある様に、汗をたらしながら車椅子まで這いずって行くような事はなく、リハビリ期間はとても順調に過ごせ、その間、僕の学びのために何度も多くの方が来て下さいました。ですが、僕はあまり良い求道者ではなかったので(今もそうですが)、皆様の御導きにも関わらず、中々信仰に踏み込んでいこうとしませんでした。
 ターニングポイントとなったのは、昨秋小森伝道師一家と一緒に旅行したことでしょうか。僕は子供の頃から生活の中で父なる神の天地創造を知っており、病気をした事によってイエス・キリストの癒しを信じる様になったのですが、今一つ聖霊の働きを感じる事が出来ていない人間でした。小森伝道師たちと旅行する間もその事が気にかかっていて、疑問として投げかけてみました。しかし、いろいろと話しをしていただいたものの、これまでの三十数年、外からキリスト教を見ていて分からなかった事が、これから自分の人生がどのくらいあるか分かりませんが、理解出来る様になるかどうかは甚だ自信がありません。と言うわけで、数日考えた後に、洗礼を受け、内側からキリスト教を見てみようと思った次第です。
 これまでの三十数年は否定するばかりの人生でしたが、クリスチャンとなったこれからは、物事を肯定する人生が送れれば良いなと考えています。ですが僕の場合、洗礼を受けたその夜に夢枕にイエス様が立って…というようなドラスティックなイベントはありませんでした。しかし、その分これから素晴らしい聖霊体験が待っているのではないかと思い、楽しみにしています。元から能天気な性格で、あまりくよくよしたりしないたちなので、洗礼を受けた後急に晴れやかな気持ちになったりはしていませんが、受洗後一ヶ月、最近妻と教会の事について話す事が次第に多くなって来たように思います。
 今年施設を出る予定で、その後、広島の元の職場の方に戻るか、あるいは引き続き高砂でお世話になるか、まだ分かっていませんが、これからも明るく楽しい信仰生活を送っていければと考えています。





つらい闘病生活をも祝福に変えてくださる神 Masako Takimoto


私は受洗してからもうすぐ6年になりますが、神様に初めて出会ったのは10数年も前になります。ノンクリスチャンの友人に誘われて交流分析を受けることになったのですが、その頃3人の息子の子育てに奮闘中だった私には、この学びが大きな支えになりました。
同じ頃、体調に異変を感じ受診したところ、卵巣に腫瘍が見つかり落ち込んでいましたが、先生にお祈りしていただきました。すると、その直前まで大きな不安に包まれていたにも関わらず、突然平安で満たされ、病気も癒されました。そして、神様の強い促しによってケアマネージャーという職業も与えられました。数ヶ月のうちに、色んな不思議な素晴らしい体験をし、神様に対してとてもいい印象を持ったにも関わらず、そのまま神様に背を向けてしまったのです。
それから7年が経過した頃、当時高校生だった長男が、急に多くの問題を起こすようになり手がつけられなくなりました。どうしていいか分からず、神様の事を思い出し、もっと神様の事を知りたくてGNCを受けることにしました。以前はぼんやりとしか分からなかった神様の存在が、だんだん明確になってきた頃、友人とのトラブルで更に大きなストレスを抱えるようになりました。でも、そのストレスは、長男や友人を赦せない私自身の心が作り出していることに気付き、自分の力で感情を処理するのは無理だと認め、神様と一緒に私の心を変えたいと思い洗礼を受ける決心をしました。どのように夫の承諾を得ればいいのか悩み祈っている頃、こじまいづみ姉のコンサートがあり、今まで感じたことのない感動を覚えました。その時、いづみ姉の楽譜に金色に輝くイエス様のお顔が写り、優しく微笑みかけて下さっているのを見て、私が神様から背を向けている間もずっと神様は私を見守っていて下さっていた事に気付き涙が止まりませんでした。
数日後、夫に洗礼を受けたいという意思を伝えたところ、自分の事は誘わないようにという条件付きでしたが、びっくりするほどあっさり承諾してくれたので、洗礼式を心待ちにしていました。
そんな時、三男が大病で突然入院することになり、洗礼式を待たずに病室で洗礼を受ける事になりました。聖堂での洗礼式とは違い、牧師先生と数人の姉妹が病院を訪問してくださり、小ぢんまりとした洗礼式でしたが、とても感動的な式だったことを覚えています。また、何より嬉しかったのは、夫と三男も一緒に救われたことです。きっと、私が誘っても夫が洗礼を受けることは難しかったと思いますが、夫の口から「俺も力になりたい」と言って自分から洗礼を受けてくれました。今でも毎朝一緒に祈ってくれています。
その後、三男の治療は2年8ヶ月続きました。とてもきつい治療でしたが、いつも神様が共に居て下さり、平安で満たされていました。そして私たち家族にとってピンチであるはずの闘病生活をも多くの祝福に変えて下さいました。
これからは、神様から頂いた多くの恵みを流しだす者となりたいと思います。






神様の力で変わるということ Akira Konishi


早いものでもうそろそろ1年くらいたちますが、去年7月に教会の楽器クラスに行ったのがきっかけでした。
それまでの自分は平日は家に閉じこもりパソコンしかせず、
朝か夜かもわからない昼夜逆転生活送っていました。
適当に寝て、適当に起きて、適当に好きなことをしてという生活。
なぜそうなったのかというと中学校1年生の秋に、
これといった理由もわからず急に学校に行かなくなったためです。
いわゆる不登校というやつです。
ここからもうずっと何年も、その7月までこんな生活をしていました。

その中学校2年生の終わりに、当時住んでいた神戸市須磨区から高砂市へ引越しすることになりました。
家の事情はあっても、引越しする・しないは自分で選べたそうなのですが、
そこで僕は適当な返事をしてしまって、引越しすることになりました。(後々すごい結果に・・)
不登校とは言えども仲の良かった友達はいたので、
引っ越す当日が近づくにつれて「ああ、やってもた・・」と思いました。
猛烈に後悔して、もうどうしようもないくらいに泣きました。けど、もうどうすることもできません。

高砂に引越ししてきても、学校は不登校というのは変わりありませんでした。
さらに妹までも不登校になって、さすがにもうメチャクチャな精神状況になりました。

親によれば引越しで「変わるかな・・」と思ったそうですが・・・。
高校も行くあてがないので通信制高校に通うことになります。ここでも家には閉じこもりがちでした。

で、なぜかこんな状況のまま、急に教会のそばのうかいやでアルバイトしていた時期があったのですが、
荒治療というか、むしろ今考えるとあんな状況でアルバイトだなんて逆効果だったなと思います。
人間関係で気を使いすぎてつかれてしまって、半年ほどで連絡もいれず急に辞めてしまいました。
それから1年半、ずっとこもって、パソコンして、自由に寝て、
自由に飯を食べるという生活をやっていました。
もう正直あきらめていました。自分に。なにやっても他の人のようにはなれないと。
もうなんども死のうとか、無くなれとか、どうにでもなれとか・・。

でも、神様は僕を導いてくださいました。
19歳の5月2日の誕生日に出たサンタナの「ロータスの伝説」というCDが出て、
たまたま買ったのですがそれが宗教色の濃い、横尾忠則さん作のジャケットアートで、
それに心奪われてしまったのです。
そこからちょっと「宗教」というものに興味が出てきました。
(それ以前から60年代のアメリカのカルトチックなヘンテコ音楽が好きだったというのもあるんですが・・)
そして楽器クラスへ行くことになるのですが、以前から母親と妹はゴスペルに行っていたので
楽器やってるという情報は得ていました。

行ってみるとみんなヤケにフレンドリーで、ドラムあるしなんかギターあるしピアノあるし、
「うおっ!」と驚きました。最初出迎えてくれたのが小森先生で、あの感じが今も忘れられません。
それからほぼ毎週土曜日の楽器クラスは自分にとって欠かせないものになりました。
ゴスペルにちょこっと行ってみたりもしました。
あるとき、小森先生に「礼拝きてみいへん?」といわれました。
とにかく教会自体未体験ゾーンなので、社会見学的に行ってみようと思って行ったら
もの凄い心が静まって、穏やかで、ステンドグラスがきれいで、感動的でした。
夕拝にも行ってみたんですが、
「こっちはなんかロックっぽいなぁ・・」という感想を持ったのを覚えてます。
また、同時期にアルバイトをしだしたのですが、こちらは人間関係に疲れない、いい所でした。
不思議と急にすべてが良い方向へ行くようになりました。精神的にも肉体的にも。
このときから「僕はクリスチャンになろう」と決意してました。

でも、秋ごろになってなぜかいろんな過去の事を後悔しだすようになりました。
「土日は教会、平日はアルバイトと時間を有益に使えているのに、
それまでの俺っていったい何やっとったんやろう・・・・・」と。
そんな事でしょっちゅう僕は泣いていました。
なにかこういう気分から逃れられないかと、暇があれば教会へ行ったり、
教会から送られてくるみことばメールを見ながら、
祈り方を見よう見まねでまねてバイトの行きの電車の中で祈ったり
聖書を買ったのもこの時期だったような気がします。
また小森先生にキリスト教についての勉強もしていただいたり・・。
でも夕拝に行くとそんな暗い気分は晴れました。元気が出ました。
中学時代から溜まっていたものが癒されてると思いました。
これがヒーリング音楽とかいうもんじゃなくて、本物の癒しなんだと。
またドニー・マクラーキン牧師の本を借りて読んだのですがこちらにも感動しました。

洗礼志願書を書いたのも、この時期だったような気がします。なんと洗礼式は12月24日!!

あるときゴスペルライブの照明担当をすることになったのですが、
そのライブ当日の朝にリハーサルがあるのに、急に行きたくなくなりました
(ものすごい自分勝手ですが・・;)
結局かなり遅れて行って、とりあえず僕も必死に覚えて、本番が始まったのですが、
「なんで行きたくないって思ったんやろう・・」というくらい、素晴らしいライブでした。
照明担当なのに涙が出そうで出そうでもうたまりませんでした。自分がバカでした。
これが神様の力なのかと。

そのライブの1週間後のクリスマスに洗礼を受けました。

もうずっと自分の中に残っている、楽器クラスのチャペルで聞いた聖書の言葉で、
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。
それは災いを与えようとするものではなく、
平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」
(エレミヤ書29章11節)とあるのですが、まったくその通りです。
引越ししたことも、誕生日にクリスチャンになるきっかけを与えてくださったことも、
神様の計画だったんだなと思います。。
あの時もし「ああ」でなければ、「こう」ではないかもという、奇跡的な歩みだったかもなと思いました。

神様は僕の日々の不安をかき消してくださいました。勇気をくださいました。
つらいことがあっても、それは良くなる前であるということを神様に信じて、これからも歩んで生きたいです。
そして、もっとクリスチャンとして、いろいろと勉強していけたらいいなと思います。

唯一絶対の神様との出会い Yukari Sunayama


 私は洗礼を受けて六年目に入りました。
受洗するきっかけになったことは様々ありましたが、
一番の大きなきっかけとなったのは、
「死は無である」と思っていた私が
ある一冊の本『こんなふうに死にたい』(佐藤愛子著)を通して
、「死は無ではない」ということをはっきりと確信したことでした。

 それまでの私は、「死ぬとすべてのことは無くなってしまい、
どのような生き方をしても、どのような感じ方や心の持ち方をしても、
死ねばすべて無になってしまう」と思っていました。
ところが、死は無どころか、
死んでからこそが今までの人生の総決算であると思えた時、
「今のままでは私は地獄に落ちる」という思いが湧いてきました。
その時の私は苦しみもがき、
こんな人生を私は生きたいんじゃないという思いでいっぱいでした。
今思えば、私はあまりにも未熟でした。
私は初めてそれまで漠然と感じていた神様の存在が、
漠然どころか間近になり、人間が神様を意識すること、
神様を求めることは人間が持っている本能であると感じだしました。
その時初めて、今までは他人事であった宗教というものに関心を持つようになったのです。

 しかし、あまりにもたくさんの宗教があり、
どの宗教も「これが真実です」と解いています。
考えても、考えても、なぜこんなに宗教があって、
果たして真実は何かなんて私にはわかりませんでした。
ちょうどそんな時、私は高砂教会の家庭集会に招かれていました。
始めは違和感があり、なかなか素直になれなかった私ですが、
ある時「ただ私を信じればよい」というメッセージに、
一人の姉妹が涙を流して神様に感謝している姿を見て、感動しました。
その時をきっかけに、
いつも理屈で神様のことを考えて思い悩んでいた自分から、
心の奥深くがただ神様を求めて癒されている自分に変わっていったように思いました。
そして私はキリスト教の神様に懸けようと決心しました。

 今思えば傲慢ですね。神様が選んで下さったのですから。
それからの私はどんどん変えられていきました。
『「アバ、父よ」と、本当にそのままで私に語りかけていいんだよ』と
神様が思って下さっているとわかっただけで、幸せな気持ちでいられました。

 私はいつも自分に自信が無く、
人の言葉に左右されてくたくたでした。
人の目が気になり、いつも常識にとらわれていました。
でも、価値観や常識は人によって違うんです。
私の内面の一番最初に癒されなくてはならないところを、
ちゃんと神様はお見通しだったようです。

 私は受洗して二年目に高砂教会においてベテル聖書研究の学びを受講しました。
それまでは、受洗しても行ったり行かなかったりの教会生活でしたが、
ベテル聖研を学んでいるうちに、私はすっかり神様のツボにはまってしまいました。
薄紙を剥ぐように、どんどん新しい自分になっていきました。
ある時、一週間くらい涙が出てしかたない日が続きました。
自分でもなぜかわかりません。
そしてその後、
泣き終わった私の胸の中にポンッと「I am OK」というサインが飛び込んできました。
声が聞こえたわけでもなく、文字が見えたのでもなく、
とにかくポンッと胸の中に入ったんです。
それからしばらく、毎日スキップしながら歩きたい気分でした。
幸せ絶好調といった感じでしょうか。

 ある時のベテルの学びで、
手束牧師先生が「価値観や常識は国によって違います。
また時代によっても変わります。
でも神様の教えは変わることはありません」とおっしゃいました。
その時私は、今まで自分がとらわれ、振り回されていたものから解放され、
自由になれた気がしました。
「そうなんだ。神様はどんな時代でもどんな時でも、変わることはないんだから、
人に振り回されず、神様に聞き従っていけばいいんだ」と目の前が明るくなりました。

 あれから約三年半が経ちました。
今の私は神様の目から見て、成長してきているのでしょうか。
「どこが聞き従ってるんですか?」と苦笑されそうな私ですが、
「神様、どうぞこれからもよろしくお願いします」という気持ちと、
「どうか聞き従う者へと成長させて下さい」という気持ちでいっぱいです。




世界がすばらしく見えた日  Yuji Yamada


 私は子供の頃から健康に恵まれず、病院との縁が切れませんでした。
様々な障害に悩まされ、生死に関わる事態も幾度か経験しましたが、
幸いにも高校時代に人生の目標が見つかり、
夢を追い続けながら今日までの人生を歩むことが出来ました。
その支えとなったのが、宗教的信仰です。
最初、信仰の対象は、身近にある仏教に向けられましたが、
2003年4月、あることをきっかけに、キリスト教会で洗礼を受けました。
以下にその経緯をお話し致します。

人生の目標を見つけたのは高校三年の時でした。
一冊の本から知り得た現代物理学的世界像に驚嘆し、
戦慄的とも云える感動に包まれながら、
「我が人生を物理の研究に捧げたい」との志を立てました。
それ以来、今日に至るまでの約三十年間、
何とか理論物理の世界に浸ることが出来ました。
病弱さ故に次々と襲って来る障害、
理想と現実の大きな隔たりに挫折しそうになったこともありましたが、
結果的に志を捨てずに済みました。
その心の支えになったのが宗教でした。
「自分は能力も無く病弱だ。
しかし、どうしても高校の時に知り得た物理的知識を深く理解したい」。
そんな気持ちを仏教の仏に強く求めました。
仏教に求めたのは、別に深い理由があってのことではありません。
日本人の家庭で普及している仏教信仰という習慣に、
私も従ったまでのことです。
少なくとも私が育った家庭では、
それ以外の宗教を信仰することなど考えられもしませんでした。
「自然科学を追究するために、
宗教に救いを求めるなど、支離滅裂も甚だしい」と思われるかも知れませんが、
私も含めて一般的な日本人の殆どは
、仏教の教理を理解していない(正確には、理解できない)ため、
首尾一貫しない態度にも平気なのではないでしょうか。
もっとも、自然科学と仏教は相通ずるところがある、という言い訳を出来なくもありませんが。

とにかく、
私の人生のほとんどは、物理と仏教の二本立てでした。
仏教についても多少は独学で勉強しました
(そのほとんどは理解できませんでしたが)。
それでは、心の拠り所を求めた仏教に、
何らかの救いがあったのかというと、
結局の所、全面的には仏様に身を委ねることは出来ず、
常に不安が付きまといました。
何しろ過去に作った業は、如来を如何に受け入れようとも解消せず、
自分が苦しむことでしか解消できないのですから。

ただ、お経が醸し出す神秘的なムードに酔いしれ、
己を慰めていたのが正直な感想です。
ただし、断っておきますが、これらのことは自分の未熟さを棚に上げての感想であり、
仏教自体を否定している訳ではありませんので、誤解の無いように。
永い間、仏像の前でお経を唱えて一日を始める、というのが日課でした。
約一年前までこれを続けていましたが、
最後の方ではこの日課も惰性的な義務と化していました。
その様な折、衝撃的な悲劇が私を襲ったのでした。

二○○二年の暮れから高熱性の風邪により、
病床に臥していました。
二○○三年が明け、熱が下がったので起き上がると
、絶望的な状況が私を襲いました。
右半身が思うように動かなくなったのです。
驚いて病院へ駆けつけた所、脳梗塞と診断され、即刻入院となりました。
ひたすら取り組んで来た自然科学の研究・教育を、
果たして今後も続けられるだろうか、との不安が、
入院中、頭から離れませんでした。
幸いにも病状は軽く、十日程で退院の許可が出ました。
退院後、症状は幾分軽減しましたが、
重い右足を引きずっての歩行、右手の軽い硬直を余儀なくされ、
時々襲う目まいに悩まされました。
これまでにも様々な病気を患いましたが、
五体へダメージを受けたのは今回が初めてです。
案の定、この障害は教鞭の職に支障を及ぼし、
教壇上で不自由さに耐えるのは苦痛でした。
今まで意識せずに使っていた五体の機能がうまく使えなくなる苦しみは、
非常に辛いものです。
全力を出し切れない歯痒さに苛立ちを覚え、苦悩の日々が続きました。
その姿を見て、「このままでは夫婦共々駄目になる」と判断した妻は、
思いもよらなかったキリスト教会に救いを求めてみようと言い出しました。

幸いにも、二年程前に引っ越して来た我が家の近くには、
高砂教会がありました。
私にとってキリスト教会は未知の世界であるため、
最初は抵抗がありましたが、
教会に足を運んでからは躊躇する間もなく事が運び、
たちまちの内に受洗する運びとなりました。
背負っていた苦悩を洗い流してくれる讃美歌の響き、
教会に集う人々の明るい笑顔と優しさ、心に滲みる牧師先生のお説教、
心にこもる祈りの言葉等、
この教会が私達夫婦に示して下さった恵みの大きさは予想以上のものでした。
しかし、私に受洗を決意させた最大の要因は、
新谷副牧師先生が私一人のために行ってくださった祈りです。
苦悩を訴える私の言葉にも真剣に耳を貸して下さり、
目の前で神様に祈って下さった。
このような経験をしたことが無い私は、非常な喜びを覚えると同時に驚きました。
その後、セル活動や教会の諸行事にも喜びを持って参加し、
どん底だった私は精神的に大きく救われました。
牧師先生を始め教会員の方々に、改めて感謝致します。

今まで私は涙を流すことがほとんどありませんでしたが、
最近では、人前でも感激の涙をよく流します。
また、かつて経験したことがない安堵感に包まれ
、自然と感謝の気持ちが湧いてきます。
偶像を崇拝していた頃は、感謝の気持ちを持てと言われても、
どうしてもその気になれませんでした。
感謝の気持ちが持てるようになると、世界が素晴らしく見え、
そのことに再び感謝の念が湧いてきます。
数え上げれば切がありませんが、
キリスト教にこんな素晴らしいパワーが秘められているとは思いませんでした。
これからも様々な艱難辛苦が訪れて来るでしょうが、
聖書の学びを深めることで切り抜けて行けるとの自信が付きました。

今では、教会へ通いながら、自然科学の研究・教育を続けています。
現在、自然科学とキリスト教をどのように捉えているのかをお話したい所ですが、
長くなりますので省略します。

修理中の私たち Mariko Kizawa


昨年2010年は、私たち母子にとって忘れられない一年となりました。教会に通い始め、そして7月25日に母子3人揃って洗礼を受けることができたのです。
21歳で結婚して17年間を札幌で暮らしました。そして一昨年、私は離婚をし、兵庫の実家へと帰ってきました。息子が新6年生、娘が新1年生になる春のことでした。
子どもたちには環境を激変させてしまい、息子は転校した学校でいじめにあい、娘も心が不安定になり、本当に辛い毎日でした。

そんな時に高砂教会の楽器クラスを知り、まず息子が通うようになったのです。楽器クラスも先生のお話も、息子にとってとても楽しい時間となり、沈んでいた息子の表情が日増しに明るく輝いていくのに家族皆が驚きました。
息子はまた、傷ついている私の為にお祈りをしてくれるようになりました。初めて息子のお祈りを聞いた時の感動は今でも忘れられません。

昨年の夏休み、子供たちは札幌へと帰省しました。その滞在中、息子は父親に「教会に行ってみて」と言い続けたそうです。帰って来て子供たちは「パパが教会に行くと約束してくれた」と喜んで話してくれました。
それからも息子は、「俺のパパはもうイエス様に会えましたか? パパが救われますように。」と祈り続けました。
そして何と、祈りから1ヵ月後、彼から「教会に行き、不思議と心を開いて話せた」との連絡があったのです。それからも毎週、礼拝を守っているそうです。本当に驚きました。
私はある時、彼の電話やメールの内容が和らいできたのに気付きました。話をすれば最後は大喧嘩で終わるというのがいつものパターンでしたが、冷静に話せるときが持ててきたのです。

彼が教会に行くようになって3ヶ月ほどが経ったある日、洗礼を受けるとの連絡があり、子供たちは跳び上がって喜びました。そして息子が、「ママ、俺達はあのままだったらダメだと思って、イエス様が一度俺達家族を離したんじゃないかな。それでイエス様が今、俺達を修理してるんじゃない? パパも修理されて悔い改めたら、また家族4人で一緒に暮らせるよね!」と私に言いました。

兵庫と札幌、遠く離れて、それぞれがこうしてイエス様に出会えたこと、イエス様に育て直していただいていることに、心から感謝します。いろんな辛い事があったけれど、今の私はイエス様に守られて平安です。
これからのことは分かりませんが、「わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」と主が言われています。

私の側にはいつもイエス様がついていて下さっていますから、何も心配せず、恐れることなく、感謝し、子供たちと歩んで行きたいと願っています。
修理中の私たち母子をいつも優しく見守って下さる高砂教会の方々へ、「本当にありがとう!! そしてこれからもよろしくお願いします!」
(リバイバル・ジャパン2011年3月6日号掲載)


■関連証し■
山崎章介さんの救いの証し「息子の強い勧めで」


癒しを求めて Ikuro Komori


きっかけは「腰部椎間板ヘルニア」の癒しです。
広島営業所時代の30歳時に6ケ月間長欠をし、また35歳時に再発し休まなければならなくなりました。
今後のこともあり、会社の配慮で営業から明石市の本社(最初は人事部)へ転勤となりました。
幸いにも妻や兄夫婦がクリスチャンで、癒しの信仰をもっていましたので、
勧められるままに「新約聖書の福音書のイエス様の癒しの記事」や
「チョウ・ヨンギ先生著の四次元の世界」等を貪り読みました。
ある時、明石の教会の牧師より、高砂に癒しの賜物のある手束先生がおられることを聞き、
早速に電話帳で調べ、事情を話し賛美夕拝に出席して、そこで祈って頂きました。
奇跡的な癒しは起こりませんでしたが、
しかし守られるという確信と平安が与えられ精神的安定を取り戻しました。
この後間もなく、今から約20年前の1986年に受洗しました。
結果、1年半の長欠をしましたが職場復帰でき、祝福された現在の生活に至っています。 
今から思うとこれは、会社を就業規則により退職しなければならないという不安のなかで、
しかも収入が40%程度に少なくなった状況で新会堂建設献金として貯金を取崩し
数百万円を捧げたことを、信仰の表明として神様が祝福してくださったのだと思います。

私の腰痛という病気を通じ、神様から頂いたプレゼントは
1.私自身が神の子とされ、子供・親もクリスチャンになったこと。
2.三男は献身し当教会の伝道師として祝福されていること。
3.営業職は断念しなければならなかったが、明石の地に定住し自宅も持て教会生活を送れていること。
4.仕事でも営業・人事・財務・法務とキャリアを積めたこと。

ゴスペルを通して神を知る Nobusato Takeda


ハレルヤ!主の御名を讃美致します。

主イエスキリストを信じ、救われて早1年が経とうとしていますが、
はっきり言って本当に目まぐるしい1年でした。

僕の周りで変わって行きそうもないような事も、
僕自身の事も含めて、どんどんと変えられ本当に生まれ変わったんだと思わされ、
神様の慈しみ深さに感謝しています。

ゴスペルミュージックに関心を持ち「ゴスペル」の意味も解らずライブに行き
圧倒的な聖霊体験をし、受洗、
今ではTC(高砂教会)ゴスペルクワイヤーで讃美している事は自分でも考えもしなかった事です。

よく今でも言われますが、
僕の生まれ育った地域は因習の深い、外から来る者を拒否し本当に孤立したところだと… 
そのような地域からでも神様は僕に救いの道を与えて下さいました。

はっきり言って僕は自分でも異色だとは思います。
でもこれは神様が与えて下さった僕のレールで、
このレールからはみ出ずまっすぐに歩いていこうと思う今日この頃です。

思い出だせば数えきれないくらいありますが、
救われるまでは本当に荒んだ生活でした。
例えば、仕事で面白くない→飲みに行く→夜遅くなる→嫁はんと喧嘩→また飲みに行く…という様な
悪循環、おまけに何処の誰とやら判らない奴と「喧嘩」。
身ぐるみはがれ夜中に帰宅、全身血まみれ。
嫁はんは明くる日の新聞で一番に地域の三面記事の確認「誰も殺してないか?」と… 
離婚寸前でした。

そればかりじゃ有りません。
僕の趣味は車をいじる事。
休日は一日中食事もせず車をいじり、子供と遊ぶ事も無く過ごして居ました。
僕の頭の中では車はドレスアップし他人に見て貰う為の物だったのです。
おまけに友達の車までドレスアップ。
チューニングを引き受け平日その為に休暇までとってする始末でした。

自分だけの生活を優先し、
たえず自分だけの趣味に生活してきました。
まだまだ沢山自分のわがままは有りますが、
今は自分の中でも一番大切な事が変わって来ました。

特に日曜日は礼拝、そして讃美!
神様が僕に与えて下さった賜物「讃美」 
僕なりに一生懸命讃美する事、歌える喜び。
たとえ神様が「お前の歌はもういい!」と言われても
声の出る限り歌い続けて行きたいと思います。

そしてこの僕に与えられた恵みをこの地域の方に少しでも流し出して行き、
少しでも多くの方が救われる様になればと思います。…と言うより自分の家族からかな?

 「貴方がたが私の名によって何かを私に求めるなら私はそれをしましょう。
  もし貴方がたが私を愛するなら貴方がたは私の戒めを守るはずです。
  私は父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主を
  貴方がたにお与えになります。
  その助け主がいつまでも貴方がたと共におられるためにです。」   
                          (JOHN14-14~16)

唯一絶対の神様との出会い Yukari Sunayama


 私は洗礼を受けて六年目に入りました。
受洗するきっかけになったことは様々ありましたが、
一番の大きなきっかけとなったのは、
「死は無である」と思っていた私が
ある一冊の本『こんなふうに死にたい』(佐藤愛子著)を通して
、「死は無ではない」ということをはっきりと確信したことでした。

 それまでの私は、「死ぬとすべてのことは無くなってしまい、
どのような生き方をしても、どのような感じ方や心の持ち方をしても、
死ねばすべて無になってしまう」と思っていました。
ところが、死は無どころか、
死んでからこそが今までの人生の総決算であると思えた時、
「今のままでは私は地獄に落ちる」という思いが湧いてきました。
その時の私は苦しみもがき、
こんな人生を私は生きたいんじゃないという思いでいっぱいでした。
今思えば、私はあまりにも未熟でした。
私は初めてそれまで漠然と感じていた神様の存在が、
漠然どころか間近になり、人間が神様を意識すること、
神様を求めることは人間が持っている本能であると感じだしました。
その時初めて、今までは他人事であった宗教というものに関心を持つようになったのです。

 しかし、あまりにもたくさんの宗教があり、
どの宗教も「これが真実です」と解いています。
考えても、考えても、なぜこんなに宗教があって、
果たして真実は何かなんて私にはわかりませんでした。
ちょうどそんな時、私は高砂教会の家庭集会に招かれていました。
始めは違和感があり、なかなか素直になれなかった私ですが、
ある時「ただ私を信じればよい」というメッセージに、
一人の姉妹が涙を流して神様に感謝している姿を見て、感動しました。
その時をきっかけに、
いつも理屈で神様のことを考えて思い悩んでいた自分から、
心の奥深くがただ神様を求めて癒されている自分に変わっていったように思いました。
そして私はキリスト教の神様に懸けようと決心しました。

 今思えば傲慢ですね。神様が選んで下さったのですから。
それからの私はどんどん変えられていきました。
『「アバ、父よ」と、本当にそのままで私に語りかけていいんだよ』と
神様が思って下さっているとわかっただけで、幸せな気持ちでいられました。

 私はいつも自分に自信が無く、
人の言葉に左右されてくたくたでした。
人の目が気になり、いつも常識にとらわれていました。
でも、価値観や常識は人によって違うんです。
私の内面の一番最初に癒されなくてはならないところを、
ちゃんと神様はお見通しだったようです。

 私は受洗して二年目に高砂教会においてベテル聖書研究の学びを受講しました。
それまでは、受洗しても行ったり行かなかったりの教会生活でしたが、
ベテル聖研を学んでいるうちに、私はすっかり神様のツボにはまってしまいました。
薄紙を剥ぐように、どんどん新しい自分になっていきました。
ある時、一週間くらい涙が出てしかたない日が続きました。
自分でもなぜかわかりません。
そしてその後、
泣き終わった私の胸の中にポンッと「I am OK」というサインが飛び込んできました。
声が聞こえたわけでもなく、文字が見えたのでもなく、
とにかくポンッと胸の中に入ったんです。
それからしばらく、毎日スキップしながら歩きたい気分でした。
幸せ絶好調といった感じでしょうか。

 ある時のベテルの学びで、
手束牧師先生が「価値観や常識は国によって違います。
また時代によっても変わります。
でも神様の教えは変わることはありません」とおっしゃいました。
その時私は、今まで自分がとらわれ、振り回されていたものから解放され、
自由になれた気がしました。
「そうなんだ。神様はどんな時代でもどんな時でも、変わることはないんだから、
人に振り回されず、神様に聞き従っていけばいいんだ」と目の前が明るくなりました。

 あれから約三年半が経ちました。
今の私は神様の目から見て、成長してきているのでしょうか。
「どこが聞き従ってるんですか?」と苦笑されそうな私ですが、
「神様、どうぞこれからもよろしくお願いします」という気持ちと、
「どうか聞き従う者へと成長させて下さい」という気持ちでいっぱいです。

イエスさまが道案内してくださった Kayo Kanzawa


ハレルヤ!主の尊い御名に感謝致します。
 私は大阪で生まれ育ちました。
実家は「宗教などにはあまり関わらない方がいい」という考え方で、
ましてやキリスト教とはほとんど触れたことはありませんでした。

 幼い頃は休日はいつも家族でどこかに出かけ、
ごく普通の幸せな家庭でした。
しかし小学二年生の時、突然父が事業に失敗し、
母が家計のためにスナックで働き始めたのです。
その時から家庭はまるで坂道を転がるように暗くなっていき、
中学一年生の時に両親が離婚して、
私と妹は母と、姉は父と暮らすことになりました。
母はスナックを経営して養ってくれましたが、
その頃の私は、多感な年頃のせいか、寂しく傷付くことが多々あり、
両親を赦せなく
「自分は人より不幸な星の下に生まれている」という劣等感を漠然と持つようになりました。
同時に「こんなことに負けてたら人生…損!
頑張って幸せになってやる!」という思いも持つようになっていきました。

 二〇歳の時に、夫がバーを経営することになったので手伝うため、
姫路に来て結婚しました。
特別お金も何もありませんでしたが、すべてがうまく運び、若さと希望に溢れていました。
店が軌道に乗り出した頃、長女をお腹に授かり、その後も次女、長男と授かりました。
私が子育て中心で忙しくなればなる程店は繁盛し、
夫は仕事中心で昼夜は逆転し、休日もなく、たまにある休日も友人と出かけてしまいました。
そんな夫の生活態度に疑問を持つようになっていきました。
更に服飾雑貨店も開き忙しさは倍増していったのです。
そのことで話しあっても結局ケンカになるだけでした。

 そんな時、友人を通して高砂教会に行っている矢口和代さんと出会いました。
彼女は私と同じ年頃の子供がいるのに、
いつも家族仲良しで楽しそうで輝いて見えました。
その後矢口さんのマンションで
「さわやか子育てセミナー(高砂教会主催の交流分析の学び)」に
参加させてもらうようになりました。
その中で、特に夫との関係に、
今まで知らなかった受け入れが難い自分の姿があることに気が付きました。
100%夫が悪いと思っていたのに…。
講師をして下さっていた方に思いきって家庭の悩みを話すと、
「それは辛いわね。そのままでは不健康ね」私も夫も責めずにやさしく言って下さいました。

 そして、ある日家庭集会にも誘って頂き、始めてキリスト教というものに触れたのです。

『ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った、
「どうかあなたが豊かにわたしを恵み、
わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともににあって、
わたしを災いから免れさせ、苦しみをうけさせられないように」 (歴上4:10)

 この御言葉のメッセージを聞いた直後、
「求めていいんだ!」と体から希望が溢れてくるのを感じました。
当時、私は、日々しんどさばかりに埋没し、
「仕方がないのよ…」と望むことを諦めていたのです。
それから時々、礼拝にも行かせて頂くようのなりました。
そこでは素敵なクリスチャンの方々が歓迎してくださり、交わりをもって下さいました。
その反面、日に日に私と夫はどうすることも出来ないくらい険悪なものになっていました。
何度も子供のために、家庭のためにと話し合いをし、
出した結果が「もうお互い一緒には暮らせない」でした。
心労でボロボロになって泣いている私を子供達が不安な顔で見つめていました。
その時、全てを夫に責任転嫁し裁いている自分、
そのことを認めるのが恐い自分に気付き、
子供達に悲しい思いにさせていることに始めて気付いたのです。
 次の日、突然、矢口さんが家に来ました。
離婚するかもしれないことを話すと、
矢口さんは親身になって聞いてくれて、
「旦那さんも本当は本心でそうしたいんじゃないかも。」と言って
「冬に木は切るな」という話をしてくれました。そして…

『神は神を愛する者たち、すなわちご計画に従って召された者たちと共に働いて万事が益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている』 (ロマ8:28)

という御言葉を語ってくれました。
私は他の誰もが言わないアドバイスにまた希望を感じたのです。「これは本当のことかも…?」

 二〇〇〇年六月、離婚のことで胸が押し潰されそうなまま洗礼を受けました。
それからは、
神様に「どうか、どのようになっても最善に家族を導いて下さるように」と祈ることが出来ました。

『主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます』(使徒16:31)

 現在、
夫は二〇〇三年一〇月に、
長女も二〇〇四年一二月に受洗の恵みに与りました。
ハレルヤ!!
毎週日曜日は家族仲良く教会に行けること、
そして何より家族の絆が深まったこと、このような大きな祝福に感謝は止みません。
 道に迷い何処へ行くのかも分からなくなっていた私を、
イエス様はこの広い世界の中から見つけて下さり
「道案内するよ。」と言って手を差し伸べて下さったのです。

 本当に神様は私達ひとりひとりを御存知で、
全てのことを通して最善を尽くして下さるのだと思います。
これからも道に迷うことがあるでしょう。
今これを読まれている方の中にも道に迷っている方が居られるかも知れません。
どうか一人でも多くの方がイエス様を探して下さいますように。
もうすでにあなたを見つけられ、手を差し伸べて下さっているはずです。 

出会いは神様からの贈り物 Kanako Yamamoto


 私の生まれ育った家には大きな仏壇と大きな神棚(それも何種類もの)があり、
幼い頃から祖父や父が仏壇の前で唱えるお経や、
神棚の前で唱える祝詞を当たり前のように聞きながらそだちました。
けれどもどうしても素直に信心する気持ちになれず、
特にお葬式の時など、全てがお金で動かされていく様子をみると、
本当に故人は喜んでいるのか?という疑問が湧き上がってきました。
そんな中、テレビで何度かキリスト教というものを見て、
いい教えだなあと感じるものがありました。
高校生のとき父に教会に行ってみたいと話してみたことがありましたが、
当然の様に反対されて終わりました。
でもいつか本物の神様に、
それから本物のクリスチャンに出会いたいと心のどこかで思い続けていました。
しかし出会いは無いままに時は過ぎて行きました。

 26歳の終わりに同い年の夫と結婚しました。
私は夫のことが大好きで、
結婚式から新婚旅行まではおとぎの国に居る様に幸せな時間でした。
しかし依存心が強い私とは反対に自立を望む夫とはすれ違いで、
どうにか自立したいと思っても出来ない自分が悲しくなりました。
にもかかわらず、
夫に嫌われたくない一心で気に入られるように全て夫の言うとおりにしました。
本当に自分の無い生活をしていました。
そんな生活は自分で責任を負わなくて良いという楽さもあり、
夫婦円満の秘訣だとまで確信していました。
そしてすぐに子供を授かりましたが、夫の子供を産めるという喜びの反面、
邪魔をされるような気がして複雑な思いにとらわれていました。
流産の危険があり入院していたことも手伝って、私の心は不安定な妊娠期間を過ごしました。
きっと赤ちゃんにも影響していたのでしょう、
長女は昼夜を問わず、眠る間もなく泣き続けてノイローゼになりそうでした。
世間の人は子供が可愛くてたまらない様子なのに、
私は子供の表情の変化にいつも怯えるだけで、
可愛いと思う余裕はほとんどありませんでした。
また、思い描いていたようないいお母さんになれない自分が許せませんでした。
そして二人目が生まれるとますます上の子との関係に悩む様になりました。
上が女の子で下が男の子のため、私と娘は同性同士のぶつかり合いのようになり、
2歳過ぎの子供に向かって真剣に腹を立てる情けない自分がいました。
今思い返しても本当に辛い日々でした。
そのすぐ後に、娘の習い事を通じて高砂教会の高谷さんと出会いました。
高谷さんは私の出会った最初のクリスチャンで、
とても明るく輝く笑顔に不思議なオーラを感じました。

 高谷さんは私に会う度に、辛抱強く私の話を聞いてくれました。
その頃の私は全てを周りのせいにして生きていましたが、
そんな私を全く責めずひたすら受け入れてくれました。
そして何よりも嬉しかったのは、褒めてくれたことでした。
すごいなー。がんばっているなー。偉いなー。とあらゆる言葉で褒めてくれました。
考えてみると、結婚して以来人から褒められる事がほとんど無くなって、
家事をしても育児をしても全て当たり前だったので、
いくら頑張っても報われない思いが心のなかに澱のように沈んでどんどん自信を失くしていました。
高谷さんはそんな私にたくさんの力を与えてくれました。
そして、高谷さんの様になりたいと強く思いました。
やがて参加した家庭集会で出会った女性達は、
イキイキとした方ばかりで、私も変わりたいという思いをさらに強くしました。
また、集会のあと副牧師先生に祈って頂くと不思議なことに、
私が話していないことまでもが副牧師先生の口から祈りとなって顕れ
驚くと同時に涙が止まりませんでした。
神様はおられる・・・こんな私のことでさえ知っていて下さると・・・。
そうして私は神様を心の中にしっかりと受け入れて行きました。
洗礼を受けるという事に関しては、宗教嫌いの夫の大反対がありました。
けれども神様は不可能に見えたそのことにも最善の道を用意して下さり、
2002年2月17日、息子のニ才の誕生日に洗礼を授かることが出来ました。

 洗礼後、少しずつ心になかに変化が起きました。
周りのせいにしていたこと、本当は自分の問題だという気づきが与えられました。
気づきの多くは人間関係を通して与えられました。
高谷さんとの出会いとほぼ同時期に私の人生を大きく変える出会いがもう一つありました。
それは心理学を教えて下さる先生で、
先生のもとで学んでみないかとお声を掛けていただいたとき、
行きたいという思いと同時にまた夫に反対されるだろうという諦めがありました。
先生はクリスチャンではありませんが、
先生の教えて下さる学びは信仰にも通じる部分が多くあり、
大変期待することができました。
高谷さんに相談すると、これは神様から与えられたチャンスだから必ず手にするべきで、
今しか時はないから祈って備えようと励ましてくれました。
とはいうものの、洗礼のことと言い、この学びと言い、
夫の大嫌いな分野ばかりを言い出すのは本当に嫌われるのではないかと不安がよぎりましたが
神様はいつも私に好意的な方だから、
私から愛する人を奪うことはなさらないだろうという確信もありました。
以前の私ならすんなりと諦めていましたが、
もう自分を殺して人のせいにして生きる事だけはしたくはなかったので、
祈ってから話をしました。
心のありのままを精一杯話してわかってもらえることが出来ました。
当初、信仰にも学びにも否定的だった夫が次第に協力してくれるようになり、
今では研究所へ行く日は息子を見てくれたり
娘を幼稚園に迎えにいったりしてくれるようになりました。本当に感謝です。

 周囲の状況はすこしずつ良い方へと変わっていく中で、
私の中では変わりきれない苦しみがありました。
それは娘との関係です。
以前よりはましになったとはいえ、やっぱり優しくできなくて、
丸ごと受け入れられなくて苦しくて仕方がありませんでした。
人から、変ったねといわれれば言われるほどに私を苦しめました。
そして、自分の思いだけではどうにもならないと分かったので、
そのことを神様に祈りの中でぶつけていきました。
ただ乱暴に、苦しいです!娘を可愛いと思いたいです!
ありのままを心から愛したいです!と祈り続けて幾日かが過ぎたとき、
心理学を教えて下さる先生と話しているときに、
先生の口から私の生育暦に関する話がでてきました。
幼い頃から自分を殺していい子を演じて生きてきた私は
、いい子で居る時の自分しか受け入れられなくて、
悪い部分を自分で裁いて責め続けていました。
長い時間そうやって生きてきたのに、
いきなり3年ほどで変わったりは出来ないよ、
もっと自分を認めてあげなさい、こんなに頑張っているのに可哀想よと言われた時
、私が認めて欲しかったのは、自分自身からなのだと気づきました。
自分自身に赦してもらいたいのだと。
そしていくらがんばっても認めてもらえなくて、
愛してもらえなくて、
苦しんでいる私の心はそのまま娘と重なりました。
娘は6年以上をかけて私に自分を愛せよとメッセージし続けていたのです。
このことに気づいた途端私を覆っていた雲が晴れるように全てに納得がいきました。
幼いからだ全体で私を愛してくれているのに応えられずにいたのは、
彼女が私自身だったから。
今度こそ本当に自立しなければ、
彼女が彼女の人生を生きるためにも、いつまでも幼い魂に甘えていてはいけないと思いました。

神様は私に素晴らしい出会いをたくさん下さいました。

親兄弟、夫や夫の親族、高谷さん、心理学の先生、友人たち。
そして子供たち。神様は私に出会いを通してたくさんの気づきと喜びを与えて下さいました。
特に娘がきっかけとなる出会いは私の人生を大きく変えるものばかりでした。
全てが神様からのラブレターで
どんな出会いの中にも私を愛して下さる神様からのメッセージが込められています。
まだ神様と出会う前の一番苦しかったときでさえ
、神様は私とともに居てくださったと今は分かります。
なぜならその時の苦しみや孤独が、今目指している道で糧となっているのです。
子育てしている人のなかで一人でも私のような苦しみを味わっている人がいるならば
、この経験を役立てて行きたいと思っています。
神様が与えてくださる物は試練であっても一つも無駄が無く、
全てが神様のご計画の中にあると実感しています。

最後に大好きな賛美を紹介します。

    きみは愛されるため生まれた きみの生涯は愛で満ちている

    永遠の神の愛はわれらの 出会いの中で実を結ぶ

    きみの存在が私にはどれほど大きな喜びでしょう

    きみは愛されるため生まれた 今もその愛 受けている

私も含めて全ての人が、
愛されるため生まれていると実感でき、
神様の愛が出会いを通して花開いて行くように祈ります。

気がつけばお祈りしてる Emi Matsuda


 クリスチャンになる前の私は、
普通の主婦業をしていて、子育て中心の毎日の中、
一生懸命頑張っているつもりなんだけど、良いことばかりではなく、
子育ても思うようにいかないので、
人生って山あり谷ありで、
結局自分の事は自分で決断しないと何も変わらないと思っていました。

 ちょうど一年前に、
神澤さんから的形集会に誘われ、
今の自分が少しでも楽になり、
良い考え方へと変われば…と思い、行くようになりました。
御言葉を聞いて何も変わったわけでも無いのですが、
その時は心が平安になり、癒された感じでした。
私は、これが求めていたものなんだと思いました。

 受洗することになったのも、
周りの人に勧められ、断る理由もない。
でも本当に自分が受洗したいと決めてからでも…と考えてみたり、
いろいろ戸惑いもありながら受洗することを決めたのです。
でもそれからは、牧師先生、姉妹の方々の協力のおかげで、
今まで以上に、御言葉や理解できなかった事が〝すーっ〟と体に入ってくる様な気がしました。

 受洗してからは、イエス様の存在に気付き、
気が付けば「天のお父様…」とお祈りしたり、感謝したりする日々に変えられています。

 まだまだ、わからない事ばかりですが、少しずつイエス様と共に歩んでいきたいと思っています。

神様が用意してくださった出会い Chiaki Yamamoto


 私が初めて神様に触れたのは、
二〇〇三年十二月に友達に誘われたクリスマスの家庭集会でした。
その時はキリスト教がどういうものか知らなかったし、
家庭集会でちょっとしたカルチャーショックを受けて、
「私には合わない」と思ったのが最初の印象でした。

 ちょうどその頃の私は、精神的にすごく不安定で、
イライラしたり落ち込んだりして、
最初には子供達に当たるという様な、最悪な精神状態でした。
家庭集会も最初の一回だけで行かなくなり、
どんどん暗い方へ向かっている時に、
自分がしていたフリーマーケットのお店で一人の婦人との出会いがありました。

その婦人とは初対面でありながら、いろいろな話をしました。
その中で自分の気持ちがすごく軽くなっていくのを感じました。
その頃から家庭集会にも行くようになり、
子供達に対しても心から愛しいと想う気持ちが強くなりました。
 少しずつ神様の存在を知り、
触れて行く中で「神様を信じてみようかな」という気持ちが芽生えていきました。
でも『洗礼』までは気持ちがいかず、ただ穏やかに半年が過ぎていきました。

 二〇〇四年十二月九日、クリスマス・フォー・ナイスレディースに参加する機会が与えられました。
とりわけ、ゲストの児嶋いづみ姉のメッセージと歌声が
私の身体の中にしみていくような感じで、涙が次々と溢れてきました。
すごく心が満たされた想いで、「神様を信じよう」と決心した瞬間、
目の前に光がさしてきました。
胸のあたりがほんわりと温かく、
神様に出会えた事をとても感謝しました。
そして二〇〇四年十二月十九日、
洗礼を受け、神様の子として生まれ変わる事ができたのです。

 今思うと、
神様は私にいつも必要な『出会い』を用意していてくださったのだと思えてなりません。
主人との出会いも運命的なものであったし、
私がどん底の精神状態の時にはある婦人を通して恵みが与えられました。
また神様に触れる機会を与えてくれた友人、
そして私に『信じる』決心を与えてくれた、いづみ姉のメッセージと歌、
どれも私には必要な出会いでした。一つでも欠けていたら今の私はなかったと思います。

 この様にして、神様との出会いによって私は救われました。
これからは、聖書を読んで祈り、讃美し、礼拝に通う事でもっと神様の恵みを受けたい。
そうする事で私の周りの人にも恵みが与えられていき、
また神様の素晴らしい導きがなされますように…と祈っていきたいと思います。

クリスチャン二年生 Daisuke Shimoura


 私は、ちょうど二年前の朝、もう自分自身ではどうすることもできなくなり、
本当にすがる様な気持ちで高砂教会に飛び込びました。
正確に言うと、逃げ込んだと言うべきでしょうか。
それまでの自分は、自分自身ですべてのことをやらなければならないと考えていました。

 その当時勤めていた会社は、時間的に異常な程きつく、
朝会社に出かけたら、いつ帰って来られるかわからない様なところでした。
日曜、祝日、朝夜の関係など全く無視で、頼りない経営者とよく衝突していました。
やがて、私は会社で使用していた溶剤の中毒になり、それが引き金となって、
何の補償も受けられないまま、結局、その会社を退職することになりました。
健康面でも、二十才の頃から持っていた十二指腸潰瘍がひどくなり、
二回も穴があいて入院するといった始末でした。
家庭は、元気な二人の子供に恵まれていたのですが、私の病気は家計を圧迫し、
その上、妻も体調を崩して家に閉じこもる様になってしまいました。
とりわけ妻の病状は日を追うごとに悪くなる一方でしたので、
このままでは私までまいってしまうと、不安と恐怖に脅かされ始めた、そんな時でした。
神様と私の不思議な出会いが与えられたのです。 

 ある日、会社の勤めを終えた私は「あー疲れた。だけど家に帰りたくないなー……」と
考えながらバイクに乗り、会社の正門までの道を走っていました。
何気なくふと遠くの方を見ると、高砂教会の十字架が見えました。
私は何も考えずに、引き付けられるように教会の前までバイクを走らせていました。
そして教会前の掲示板を眺め、
「今度の日曜に、何かあるんだ」と思いながら、とりあえずその日は家に帰りました。
何でもいいから今の状態から抜け出したかった私は、
とにかくどんな所か一度行ってみようと思うようになり、
妻には内緒で、日曜日教会に出かけました。
しかし、初めての場所に入っていくのは、なかなか勇気が必要なもので、
入りたいけど入ることもできず、教会の周囲を三回、四回と回っていたのですが、
思い切って教会の前に車を止め、中に入っていきました。
そして勧められるままに礼拝堂の椅子にに腰を下ろしたのです。

 高い天井、正面に美しく光る十字架とステンドグラス、
靜かに流れるオルガンの音、そしてすばらしい讃美。
音楽に興味を持っていた私は「やっぱり音楽は生で聴くのが一番!」と思いながら、
まるでコンサート会場に居るような気持ちで歌に聴き入っていました。
心も体も落ち着き、やがて落ち着き過ぎてか、
メッセージの時はスヤスヤと眠っていたように思います。
多くの兄弟姉妹に暖かく迎え入れて頂き、こうして私は、何かにすがりたくて、
心の拠り所を探すかのように朝夕の礼拝に通うようになりました。
それまでキリスト教のことは何も知らなかった私ですが、
教会での多くの学びや、兄弟姉妹方が口々に語る神様の素晴らしさに感動し、
そのうちに妻も誘って二人で教会に行くようになりました。
そして短期間のうちに、妻の病気の癒し、私の新しい仕事の恵みが与えられ、
身辺の環境が大きく変えられていく中、私達は夫婦で受洗する決心をしたのです。
教会に足を運んでからわずか一ヶ月半足らずのことでした。

 神様の祝福は、受洗後も滝のように私達家族の上に流れてきました。
しかし、私の心の中には神様を信じる心と同時に、もう一つの心が存在していました。
それまでの私は、祈りがかなえられるのは、常に祈り続けることにより、
また他人にも共に祈ってもらうことによって、祈りをかなえようとするモチベーションが非常に高まり、
通常以上の力を出すことができるようになり、祈りがかなえられるのではないかと、
自分なりに理論づけていたように思います。
しかし、それが神様の御業だとしか説明できないようなことが何回も起こったのです。

 受洗五ヵ月後、私は胃の潰瘍が痛くて、
常に痛み止めを飲んでいるといった状態が続いていました。
ある日、教会で一人で祈っていると、牧師先生がそばにやって来られ、
「祈りましょう」と言って、しばらく祈ってくださいました。
その時は何の変化もなかったのですが、二・三日後、また教会で祈っていると、
祈り始めてしばらくした時、息を吐くたびに肩の力が抜けていき、
どこ迄肩が下がってしまうのだろう思うくらい力が抜けていきました。
そしてその日を境に、少々胃に違和感は残っているものの、
痛み止めを飲まなくてもよくなったのです。
しばらくしてからの内視鏡検査では、〝異常なし〟と診断されました。
長い間付き合ってきた持病ですが、
今は、たまに市販の胃腸薬を飲む程度で済むようになりました。

 こうして受洗後六ヵ月を迎えた頃、私の人生を大きく変えるような出来事がありました。
それは、日々の強い強い祈りを通して神様と私の二人で交わす会話の中で進んでいきました。
私は、高校卒業後、製造業の仕事に従事していましたが、
心の内で、いつかは世界一の、そして超一流の物作りに携わりたいと思い続けていました。
しかし当時の仕事は、肉体的にも精神的にもハードなもので、
過労によって三回倒れ、また十二指腸潰瘍で二回も入院してしまいました。
また年齢的な問題もあって、とりあえずこの夢はあきらめ、今迄と別の職種の会社に勤め始めたのです。
しかし日々の祈りの中ではずっと、あの夢が叶えられるように…と祈り続けていました。
こうして何となくモヤモヤしたまま、ただ与えられる仕事をこなす日々が続いていきました。
祈っても祈っても、一向にこの状態は変わりませんでしたが、
それと反比例するかの様に、家族の健康面が御業によって改善されていったのです。

 そして、私の祈りについては半分あきらめかけていた頃でした。
偶然、ある会社の従業員募集の公告を見かけたのです。それもあちこちで。
しかも、今回従業員を募集しているその部門では、世界一の物を製造している…。
私は〝最後のチャンスかもしれない!〟と思いました。
けれども、私には色々と大きな問題もあり、すぐに応募する決心はつきませんでした。
そこで、これは神様に聞いてみようと思い、翌日から早天祈祷会に行くようになりました。

 一日目、神様に問いかけてみましたが、何の声も聞けませんでした。
そして礼拝堂の外に出て時計を見たその時、ある言葉が私の頭の中をよぎりました。
「目に映るすべてのものはメッセ-ジ」しかし、結局この日は結論をいただけないまま、
二日目の朝、礼拝堂の長椅子に座り、いつもメッセ-ジをメモしているノートを開くと、
そこに書かれているこのような言葉が目に留まりました。
「恐れることはない、いつも私はそばにいる。私はすべて知っている。」
しかしこれでも私は結論を出すことができず、さらに三日目、
席に着いて何気なく聖歌の本を開くと
「恐れは変わりて祈りとなり、憂いは変わりて歌となりぬ…」との歌詞が。
そしてその日のメッセージは、次のような内容で語られました。
「祈りという特権があるのだから、神様に近づき、何でも隠さず差し出しなさい。
神様はすべて知っておられる。」私は「わかりました。すべて神様に委ねます。」と言い、
その日のうちに募集に応募していました。またその翌日からしばらく、朝、早天祈祷会で祈り、
夕方また一人で祈るという日々が続きましたが、
会社の選考は、一次選考、二次選考と進んでいきました。
この間、私はとにかく祈り続けました。
また色々な兄弟姉妹方にも祈っていただきました。
自分自身が弱くて、とにかく祈っていなければ耐えられなかったのです。
それと、あの時もっと祈っておけば良かったのに、と後悔したくなかったのです。
この祈りを通して、神様と私の会話は日々続きました。
しかしある日、祈っていて私はふと思いました。
神様に祈ることを覚えてから、私は自分の事について、仕事の事ばかり祈ってきました。
しかし、今回この祈りがかなえられたら、その後いったい何を祈ったらいいのだろう。
健康のことだろうか…。勿論、それも大切だが、それだけでいいのだろうか…と。

 そうして何日かが過ぎ、いつものように教会で祈っていると、
「あなたは小さな宣教師です。そして祈ることはいくらでもあります。
とりわけあなたはこのことを祈りなさい。
あなたの言葉を通して私の福音をのべ伝えていくことができるように。」との言葉が私の頭をよぎったのです。
さらに、次の日の早天メッセージは、
「手段が目的になって、こだわりとなっていないか。
あなたは手段と目的をはき違えていないか。」という内容でした。
それにより、今、神様は私の環境を整えてくださっている。
会社でやりたいことをやるのも大切。
しかしそれ以上に、神様は私を用いることができるように環境を整え、
そして私をその器として引き上げようとして下さっている、との思いが与えられました。
このことがあってから約二週間後、私の元に〝最終選考合格〟の通知が届きました。
こうして長かった私の就職活動もやっと終わり、
今、世界一の技術を習得するため頑張り始めたところです。
さらに、神様からいただいた多くの恵を語る機会をも与えら始めています。

 クリスチャン一年生の間にこれだけ色々あり過ぎると、
今度はいったい何が起こるのだろう…と考えてしまします。
この先、神様が私のために何を用意して下さっているのかはわかりません。
とても辛く厳しい試練も必ずあると思います。
しかし神様は、今回の祈りの中で私にこう言われました。
「エリコの白の前さえも聖なるところです。
どんな状況に置かれていても、今以上に近いところはありません。」
苦しい時、悲しい時、神様の姿を見失いそうになった時こそ祈ります。
感謝を忘れずに祈ります。なぜなら、すぐそばに、神様はおられるからです。
これ以上近いところはいところに……。

 今回の数々の御業、御言葉を通して、私は多くのことを学びました。
神様はきっと、私の信仰の種が熟すのを待っておられたのでしょう。
すぐに揺らぐようなものではなく、強く持ち続けることができるようになる時を待っておられたのです。
人の喜怒哀楽、それは、自分自身の思いによって感じるもので、
神様の完全なるご計画の中にあっては、単なる通過点の一部分でしかないのです。
だから、〝なぜこんな思いをしなくてはならないのか…〟と思いわずらうよりも、
〝これにより、神様は私に何を伝えようとされているのだろう、
そしてこの先、どんな祝福が待っているのだろう〟と
肯定的にとらえることができるよう、更に祈り続けていきます。

 最後に、神様は私に、どんな嵐にも負けない〝感謝という名の傘〟をたくさん与えて下さいました。
そしてその傘の開き方、使い方を、多くの兄弟姉妹方を通して教えて下さいました。
ですから、今度は私の手から、その傘を多くの人に差し出すことができるようになっていきたいと願っています。

夫の救い Hiromi Kojima


 私を教会に導いてくれたのは、今から14年前、当時保育園児だった5歳の娘です。
二人の子供が与えられ、初めての子育てに楽しむ余裕などなく、
不安の中で悪戦苦闘しながら過ごしていました。結婚前、保母という職業に就いており、
いろんな子供と接する中で、
「こんな子供になって欲しい」「こんな子供にだけは、なって欲しくない」
と知らず知らずのうちに理想の子供像を作っていて、
それに当てはめようとしていたんだと思います。

 そんな時、保育園に行き始めた上の娘が、思い当たる原因はなく、
ただ保育園に行きたがらなくなっていきました。
こんな事ってよくある話なのに、その時の私にとっては、とっても大きな事件でした。
こんな事を許していたら、大人になって嫌な事から逃げる子になってしまうとか、
今は保育園だけれども、小学校・中学校・高校となって登校拒否になってしまう
・・・笑ってしまうような話なんですが、
この事件(?)をきっかけに真剣に子育ての悩み相談を探すようになったのです。

 最初に私が見つけたのが、高砂教会で開かれていた母親聖書教室
(今は、さわやか子育てセミナー)でした。
わらをもつかむ思いで、母親聖書教室に参加しました。
ここでは交流分析(PAC)の学びを通して”自分に気付く”というものでした。
私は、どうしたら娘が周りの子供たちと同じように喜んで、
保育園に行けるようになるのか・・・と相談するつもりが、
参加するにつれ、娘の事の解決ではなく、
私自身に問題がある事に気付かされていきました。

一番衝撃だったのが、無意識の所で子供は私の所有物と思っていた事でした。
私の思い通りにならない子供にイライラしたり、
短所ばかりが目についてダメな子と思い込んでいたり、
私の子供なんだから、きちんと育てなければ・・と思っていました。
でも教会では子供は神様によって創られ、
私達夫婦に預けているのだと教えられたのです。
子供だけでなく私自身も神様によって創られ”生かされている存在”と知りました。
この考え方は、今まで歩んできた人生の中で、
想像もしない事でした。学びを受けている間に、
だんだんと福音に心が開かれ神様を信じるようになっていったのです。
信仰告白をし、いざ洗礼を受けるという時、
不思議なくらいに素直に導かれてきた私にブレーキがかかりました、
それは主人です。

そのころの私は家庭が第一で夫には忠実に従っていました。
どちらかというと依存していたと言ってもいいかもしれません。
どんな事でも相談し、話し合ってたので、娘の事も一緒に悩んでくれました。
だから教会の母親聖書教室に行くと言ったときも、
賛成してくれて、そこで聞いた事は、
すべて話して、共に学んでいました。
しかし、だんだん子供の話ではなく、教会の話が中心になり、
神様の事、イエス様の事を多く話すようになっていました。
すると宗教嫌いの夫から”それ以上のめりこむな、クリスチャンには絶対なるな!”
と言われたのです。
当時、新興宗教の事件が多かったので、
夫から見たらとんでもないことに巻き込まれる危険性を感じたのでしょう。

 夫を第一と思っている私にとって、この言葉は胸に突き刺さりまし
た。夫のいやがる事をしてはいけないと思いながらも、誘われるまま
家庭集会に行ってしまい、そのうちにはっきり神様の存在を信じるよ
うになっていったのです。でも、洗礼を受けたいと、どうしても言う
勇気がなく、私のとった決断は、内緒で洗礼を受けるという事でした。
 もちろん、信頼している夫を裏切るという、後ろめたい気持はあり
ましたが、それ以上にこの神様にかけていきたいという思いになりま
した。
 いよいよ洗礼式、夫に対する罪責感で一杯だったのが、
洗礼を受けた途端、そんな思いはすっかりなくなり
「主イエスを信じなさい、そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」の御言葉が、
せまってきて、私は夫の為にも子供達の為にも大事な一歩を踏み出したのだ!と確信しました。
それからは夫にも教会に来て欲しいと思うようになっていったのです。
もちろん洗礼を受けたことを後に知るようになるのですが、
不思議に怒る事もなく「今更言っても仕方がない、
俺を巻き込むのだけはやめてくれ」と言うようになり、そうなると、
ますます私の中には、夫の救いを求める思いが強くなって、
なにがなんでも救われて欲しいと祈るようになりました。
しかし、その私の思いは、穏やかであった夫を激怒させ、
ケンカになる事もたびたびでした。

 そんな中、それから1年10ヶ月後のクリスマス、
あのかたくなな夫が、子供達と共に洗礼を受ける事になったのです。
ハレルヤ!イエス様を信じて受けるという形ではなく、
妻がうるさいから仕方なく妻のために受けてやる!という状況でした。
私自身こんな気持ちで受けるなんて・・・と思ったのですが、
目に見える状況はどうであれ、洗礼を受けるということは、
神様がその人の魂をとらえて下さったのだから、
その主を信じなさい!というアドバイスをいただき、
そう思うようにしました。
すると、ほんとにその通りでした。

 夫の心の中の変化は、私には分かりませんが、確かに言えることは、
あれから13年経った今、毎週仕事でないときは、礼拝を守るという
信仰が与えられています。今現在、クリスチャンホームとして、主の
祝福の中を歩ませていただいていることに感謝します。 

ゴスペルを通して Aya Tanaka


受洗前、去年の今頃、私はどんどん自分が嫌いになりつつありました。
ある人との付き合いの中で、自分が正しいと思っていることが通じず
自分を正当化すると共にその人への批判が段々強くなって、
ちょっとしたことでも
「そこまで怒る必要は無い」と思えるほどヒステリックになり限界になっていました。
その限界の部分に絶えられないという事と、
「なぜここまで偉そうに自分が正しいと言えるのか」と自分をも責め始め、
「こんな自分になりたくない」と思えば思うほど
実際の私と理想の私とがかけ離れていき、
それが私をさらに締めていく原因となっていきました。

その頃あるサークルにてゴスペルを歌っていたのですが、
もともとブラックミュージックが好きで「もっとちゃんとゴスペルを歌いたい」と思いから、
インターネット検索で高砂教会のHPへ辿り着きました。
「こんな近い場所にゴスペルをやっているところがあるなんて。
しかも教会なら、力を入れてやっているかも」という期待が膨らみました。
私が通っていた、ゴスペルサークルの中に、
この高砂教会のクワイア(TCGC)に属していたメンバーがいて、
その人を通じてTCGCの練習見学に参加することができました。
その日は高森美和さんのワークショップ日で、
練習前から「音楽をやっている人たちの雰囲気」で一杯になっていて、
その時点でワクワクしていたのを覚えています。
そしてワークショップが始まってから15分ほどしてゴスペルの魅力に完全に惹かれて行きました。
神様の事を全面に前に出していきながらのワークショップに
当時あまり神様の事を信じていなかった私も圧倒されてしまい、
次の日レンタルショップへ行き、借りれるゴスペルCDを全て借りてきてずっと聴いていました。

それからしばらくは、まだ神様の事を意識するというよりも、
ゴスペルを音楽として楽しむという感じだったのですが
ある曲を聴いていて、その歌詞がフッと心に届き、
その途端、涙が止まらなくなってしまいました。
その歌詞は「主よ、どうか私の祈りを聞いてください。
私がこれから切り抜けていく事のために、親愛なる主よ、あなたと話したいのです。」
ずっと同じ事で悩み、その事を友達に何度も相談や愚痴という形で吐き出す事もできず、
その悩みを自分の中に閉じ込めてしまっていた私に、この歌詞がストレートに響いてきました。
「こんなに信頼できる存在に、いつでも話しをすることができる。
クリスチャンの人たちにとって神様とはそういう存在なんだ。」という思いから
クリスチャンになるという選択肢が私の中に少しずつ芽生えてきました。

ちょうどその頃クワイアのリーダーである木原姉妹に
教会でのサマーパーティーに誘っていただきました。
そこで出会った藤原姉妹に、
初対面にも関わらず私がその時持っていた悩みを聞いてもらう機会をもらいました。
私の話をじっくり聞いてくださった後、
姉妹に「そのままでも、いいんやで。
綾ちゃんはそれでも愛されてるんやで」と言ってもらいスーッと肩の力が抜けていきました。
自分でさえ自分自身を好きになれずにいた私は、その言葉によって癒されました。
藤原姉妹を通じて中学生時代の塾講師であった北村兄弟姉妹との再会があって、
教会へ礼拝に行くようになり、礼拝とゴスペルを聴く事を繰り返していくうちに
神様に対する気持ちがどんどん大きくなっていって
「神様を頼って生きたい。そばにいて欲しい」と思うようになりました。
しかし受洗となると勇気が出ず、ある礼拝の時に「神様。早く私を近づけてください」と祈りました。
すると、その日の午後、お昼ご飯を一緒に食べていた新田副牧師先生に
「もう、後戻りはするつもりは無いんです。でも勇気が出ないんです」と
相談できる機会をもらいました。

新田先生は「もう、そこまで思っているのなら」と
会話も途中半分に部屋を出て行かれてしまい、洗礼志願書を持ってこられたのです。
「早く近づけてください。とお願いしたものの、こんなに早いとは・・。」と驚きつつも、
もうここで決めたほうがいい、と思い志願書を提出しました。
後から気づいたのですが、神様が用意して下さった私の受洗日は
ずっと関係が悪かった母の誕生日だったんです。
ここまでして下さっている神様に対する感謝が大きくなって
受洗後、涙が止まりませんでした。
たくさんの出会いと私の大好きな音楽によって導いてくださった神様。
「私を救い その愛で満たして 
心癒されて あなたを思う時 私を選び勇気を与える
 あなたを思う時 心からShout! H
allelujah Thank you Jesus!」
何度歌っても泣いてしまう私の大好きな
「When I think about the Lord」です。
この歌にいつまでも共感しながら
神様と共にゆっくり歩んで生きたいと思います。

ひとつだけの物語 Ayako Honsho


みなさん、こんにちは。そして、はじめまして。
インターネットのホームページというような形でお会いすることになるなんて、
なんだか少しドキドキしますが、とてもうれしいです。

 今回は、私が教会に行くようになったきっかけと、
最近遭った不思議な体験をお話しようと思います。

 当時、高校1年生だった私は、自分ではどうしたらいいのかわからない悩みを抱えていました。
毎日、毎日、「どーしよう?!」と思うばかりで、ちっとも解決する手段は見つかりません。
そんなとき、毎朝、通学途中に見かける大きな教会のことをふと思い出したのです。
以前から、洋画が好きだった私は、映画の中でよく出てくる教会の日曜礼拝のシーンを見たりして
「きれいなところやなあ、どんなところなんかな?」とずっと思っていました。
でも、私は勿論、親も教会とは全く無縁だったし、
友達で「教会に行ってるよ」、なんて言う子もいませんでした。
だから、「入って見てみたい」とは思うものの、なかなか勇気が出ず、ためらっていました。
けれどその時、私は、「もしかしたら教会に行ったら何かわかるかもしれない」と思ったのです。
思い切って私はドアを開けてみました。すると、すぐに女の人が出てきてくれ、
初めて来たこと、そして礼拝堂を見せて欲しいということを話すと快く案内してくださいました。

 そしてその後、約1時間ほど礼拝堂に座り、色々と考えをめぐらせました。
なぜだかよくわからないけど、不思議と心が落ち着いてきて、
とても冷静になって考えることができました。
丁度その時、教会の中高生科を担当しておられる井上先生が出てきて下さり、
「今度、教会でバンドをやってる中高生の子たちが
コンサートするから見に来ない?」とチラシを見せてくれました。
突然でびっくりしたけど、自分と同じくらいの歳の子がバンドやってるなんてすごいなと思い、
見てみたいと思いました。私は約束して、その日はチラシをもらって帰りました。

 それから、ようやく悩んでいたことも解決して、しばらくが過ぎ
誘われていたコンサートの日になりました。
コンサートには、私と同じ歳ぐらいの人がたくさん来ていました。
もちろん、知らない人ばかり。バンドのメンバーの人だって知らない人達ばかりです。
でも、曲が始まると、そんなことはどうでもよくなりました。
なぜって、本当に、みんなとっても楽器や歌が上手なんです。
そして何よりも、みんなとっても笑顔で、
うれしそうに楽しそうにしているっていうことが印象に残りました。
私は、自分もこんなふうに同じ歳ぐらいの子たちとバンド組めたらいいのになと思いました。
 特に最後にボーカルの児嶋いづみさん(花*花で活躍中)が歌った
「フットプリント(足跡)」という曲を聞いて感動しました。

その歌詞は


 主と私で歩いてきたこの道、足跡は二人分
 でもいつの間にか一人分だけ消えてなくなっていた
 主よ、あなたはどこへ行ってしまったのですか
 私はここにいるあなたをおぶって歩いてきたのだ
 あなたは何も恐れなくてよい、私が共にいるから

というものでした。わたしはこの曲がすごく心に響きました。
私が辛くて悲しい時、苦しい時は、神様が私をおんぶして歩いてくれるんだって、
なんだか不思議な気がしたけど、でも、こんなふうにして、
歌で人を感動させることができたら、どんなにいいだろうと思い、
ますますバンドがしたくなりました。

 それから、ちょくちょく日曜日の教会の礼拝に参加するようになり、
また、少しずつ教会での友達も増えていき、トントン拍子で洗礼することが決まりました。
なんだかすぐに教会に溶け込んでしまうことができたので、不思議でした。
きっと、すごくかたくるしくって、なんだかややこしそうで・・・って思ってたんだけど、
その考えは180度逆転させられました。本当に、とっても入りやすい、
そしてどんな人でも受け入れてくれるあたたかい雰囲気がありました。
それから、わたしは教会って心の清い人、
心のキレイな人が行くところだって思っていたんだけど、
それは違いました。どんなに強い人でも、立派な人でも、人を傷つけ、
また傷つけられて生きているんだっていうこと、そして、教会の人たちは、
その痛みや苦しみを抱えて歩いて行くんじゃなくて、
「神様」という方に委ね、あずけて歩いている、
そしてその委ねられた心は神様によってきれいにされ、
変えられているんだって言うことが分かりました。

 私自身も教会に行ったり、祈ったりする中で「神様」という方のことを知るにつれて、
自分の内側が変わっていったのを感じていました。
目には見えない方だけれど、私のそばにおられる方なんだ、
ということを漠然と感じるようになりました。
そんな中で、バンドを作ることになり、私も参加させてもらうことになりました。
私は楽器は全くできないけれど、うたうことは大好きだったので、
ボーカルをさせてもらうことになりました。
教会でうたう歌のことを「賛美」(さんび)というのですが、
この賛美というのは、テレビや街中で耳にする曲とは少し違います。

 そう、賛美とは神様のことをほめる歌のことを言うのです。
私はバンドをはじめて、賛美することが大好きになりました。
とても不思議なんだけど、賛美しているとすごく元気になれるんです。
いやーなこととかあって、少し沈んだりしている時でも、
賛美するとなんだか元気が湧いてくるのです。
神様は、私たちが賛美するのをとっても喜ばれる方です。
だから、神様がこんなに元気をくれるんだな、と思うとすごくうれしくなります。
そんなふうにバンドの活動も少しずつ活発になる中、
私の母、弟、妹が教会に来るようになりました。
私は毎日、神様に「私の家族が教会に来ますように」と祈り続けていました。

 「祈る」と言うことと「願い事をする」というのは違います。
一見同じように思いますが、「祈る」と言うことは、
「ああなりますように」とか「こうなりますように」などと願うことは願いますが、
「自分の思った通りになるように」と願うのではなく、
私に一番必要なもの、最善のものが何かを知っている神様に委ねて願うのが祈りです。
ただ一方的な「願い事をする」こととは明らかに違います。
私は、今まで祈ってきたことが叶えられて本当にうれしく、
心から神様に感謝しました。
あとは家族の中で教会に来ていないのは、父だけになり、
「父も教会に来るようになりますように 」と祈っていたそんなある日のことです。

 私は命にかかわる大事故に遭いました。
11tダンプカーと正面衝突するという、本当に怖い事故でした。
私は自転車に乗っていましたが、ハンドルと前輪がクッションになってくれたおかげで、
車には巻き込まれずにすみましたが、跳ね飛ばされて、
アスファルトの地面にたたきつけられました。
頭と右脚に強い衝撃を受けていたので、すぐに救急車で運ばれて手当を受けました。
そして、頭と脚、それぞれにCTスキャンとレントゲンを撮ってもらいました。
その結果、「悪いのは脚の方だけで、頭の方は大したことはない」と言われていたそうです。
それに、私は全く覚えていないんですが、わりと意識がはっきりしていて、
母が勤めているパート先までちゃんと言えるほどしっかりしていたそうです。

その後、すぐ母の方に連絡がはいり、母は本当にびっくりして、
すぐに祈ってもらうために教会に電話をかけました。
その日はたまたまたくさんの人が教会におられ、そしてすぐに祈って下さったそうです。
ちょうどその時間、病院で私の頭の写真を撮られた先生が思ったそうです。
「なんだか、この子を見ていると胸騒ぎがする」と。
私の様子がそんなに悪くないようなので、
2回目のCTを撮るのはだいぶ時間を空けてからにするつもりだったそうですが
予定より早く撮ってみることにしたそうです。
すると、どんどん中で出血していて、血が脳を圧迫していたそうです。
そのまま放っておくと、やがて呼吸が止まり、生命の危険にさらされるか、
もしくは半身不随などの麻痺が残るかになるそうです。
先生はびっくりして、すぐに手術のできる病院へ転送してくださり、
なんとかギリギリで手術が間に合うことができました。
そして、4時間に渡る大手術の末、無事に成功しました。

その後も、私は本当に不思議な導きで命が助けられ、後遺症もなく、
順調に回復していきました。
ところが、今度は脚の方の手術が必要かも知れないと言われました。
頭の方の状態が落ち着いてからでないと動かせなかったので、
事故から10日すぎた日に、レントゲンを撮り、
手術が要るかどうか決めよう、ということになりました。
何せ、右膝の骨がポロッと、お皿の割れた破片のように欠けてしまっていたので、
ボルトを差し込んでくっつけないと治らないと思われていました。

 ところが、本当に信じられないことに、
その割れていた骨がぴったりと元の位置に戻っているのです。
これには本当におどろきました。私は本当にうれしくて、思わず涙がこぼれました。
病院の先生も「いやー、こりゃ本当に不思議なこともあるもんやなあ」と驚いていました。

 聖書の中にこんな言葉があります。

 「わたしの恵みはあなたに対して十分である。
 わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。
 それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ喜んで自分の弱さを誇ろう」
 (コリント人への第二の手紙12:9)。

神様は、命をなくしそうだった弱いわたしの中に完全に働いて下さり、
わたしを強くしてくださいました。
そして、人にはできない、時間と空間を越えた方法で、わたしの命を守って下さいました。

そして、もう一つ、父がついに教会に来るようになったのです。
これで家族全員がクリスチャンになりました。
祈りを聞き、それに対して完全に応えて下さったのです。
わたしは神様をほめたたえずにいられるでしょうか。
伝えないでいることができるでしょうか。
神様はわたしが気が付かなくても、ずっーとわたしの側におられたのです。

そして今も、もちろんおられます。
そして、その同じ神様があなたのことを1番よく知っていて、
あなたの事を本当に愛している神様が、あなたのとなりにもおられるのです。
「神様」とただあなたが信じて呼ぶだけでいいのです。
今、神様と出会うときです。さあ、心のドアを開けて、そっと呼んでみて下さい。
神様は必ず応えて下さいます。

GOD IS LOVE.     本荘綾子

きれいで透明な世界 Mina Koutaki


 高校生活では、毎日礼拝をした私ですが、
その頃は、漠然とパイプオルガンの音が好きで、
何となく〝他の教科より聖書の授業の方が好き〟というぐらいでした。
 その後、学生時代、そして就職、結婚と進むにつれて、
いつの間にか神様の存在をすっかり忘れていました。
でも、高校時代に少しだけ私の中に浸透していたものが、
悩んだり迷ったりした時にだけ現われて、
〝神様が私に必要なことを与えて下さっているから頑張ろう〟
という思いを持たせてくれ、前向きになることができました。
でもどこかで、これは自分の性格なんだと思っていたのです
 日頃の家庭生活は、主人はいつもやさしく、子供たちもかわいくて、
私は毎日を幸せに過ごしていました。
でも時には自分の思い通りにならない事もあり、そんな時は、
〝我慢も必要なことだし、自分が頑張って強くなったら、
もっともっとうまくいく〟と思っていました。
 ところが、籠谷さんに出会って、いろんな話をしたり、集会に参加したりするうちに、
クリスチャンの人達は笑顔が多くて、楽しそうで、うらやましく思うようになりました。

でも依然として、私はクリスチャンにならなくても幸せかも……、と思う日々が続いていました。
 そんなある日のことです。主人と口喧嘩になってしまい、
その時まるで暴言のように、「クリスチャンになったら!」と言われたのです。
その瞬間、何故か私の心はすっと軽くなりました。
〝神様の力〟を目の当たりにした思いでした。
なぜなら、主人にはそれまでキリスト教の話など全くしたことがなく、
ましてや宗教嫌いの主人からの突然の言葉だったからです。
私の心は高鳴りました。
そして〝これは神様の大きな力による導きかも知れない〟という私の思いに
間違いがないのかどうか、すぐに確認したくて、
早速 籠谷姉妹と神澤姉妹に話を聞いてもらうと、
二人はとても喜んでくれました。

私は確信しました。
信じられないような導きに心から感謝の気持ちがわいてきて、
救われるということはこれなんだ、と気付くことができました。
パッと目の前の視界がひらけ、きれいで透明な世界に変わった様な感覚……。
うれしくて、受洗したいという思いがあふれ、そしてすぐに洗礼を受けました。
 これからは、もっともっと神様の言葉を聞いて、いつも感謝して生活していきたいと思います。

イエスさまによって変えられた私 Sachiko Shiokawa


 自分の生まれ育った家庭環境を受け入れることができず、長い間私は悩んでいました。
材木業を営んでいた父は、商売上、人との付き合いでお酒を飲むことが多くいつも夜遅くに帰宅していました。
お酒の臭いのする父が嫌でしたし、母を困らせている父はなおさら嫌でした。
家族が揃って食事をしたり、会話をするような家庭ではなく、成長するにつれ、
この環境から早く抜け出したいと思うようになりました。
成人してからも、父が商売に失敗し、家も土地も人の手に渡ってしまったこと、
結婚してからの夫の両親との葛藤、子供の問題、職場での人間関係等、
イエス様に出会うまでは、これら全てのことを否定的にとらえ、自分を悲劇の主人公のように思っていたのです。

そんな私が、イエス様を心にお迎えしてから、罪の意識から解放され心が平安になっていったのです。
そのきっかけをつくってくださったのが職場で出会った盛谷夫妻であり、
私の心の内を整えてくださったのが高砂教会の手束牧師先生を始め二人の副牧師先生、
多くの教会員の方々です。高砂教会の大道さんから交流分析の学びに誘っていただいたのが、
思いが変えられていく第一歩でした。他人と過去は変えられないが、
自分と将来は変えられることを学んだのもこの時です。

また、御言葉や祈りによって無意識層にメッセージが送られ、その結果、意識が変えられることも学びました。
私が進んで日曜礼拝に行くようになったのも、この学びの後です。
聖日礼拝で神様を讃美し、御言葉を聞き、牧師先生からメッセージをいただくうちに、
私の意識しないところで内側が変えられていったのです。
自分の力で何とか苦境を乗り越えようと頑張っていた時には取り除けなかった心の重荷がいつのまにか取り除かれ、
心に平安を覚えるようになったのです。

「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病院である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」

こうしたイエス様の語りかけに受洗を意識し始めていました。
しかし、実際に受洗の願書を出されると戸惑いを感じたのです。
それは、夫のことが頭に浮かんだからです。お寺の檀家として仕来たりに忠実な夫。
これからも塩河家の長男としてお寺に仕えていくであろう夫と別の信仰を持つことにためらいがあったのです。

しかし、私を思い煩いから解放してくださったイエス様、苦しい時も私と共に歩んでくださったイエス様、
私の存在をあるがまま受け入れてくださったイエス様、心に平安が与えられ、今、ここに存在する自分。
この事実が、最終的には私に受洗の決意をさせたのです。
受洗後、神様の存在を意識する出来事に出会いました。
受洗の翌日、夫が倒れたのです。その時、私は心底、夫のことを思い、名前を呼び続けました。

幸いにも、夫はすぐ意識を取り戻しました。ちょうどこの頃、
子供の事で夫と意見が合わず、私の心は夫から遠のいていたのです。
きっと神様は、そんな私に夫に心が向かうようにとこの御業を成されたのだと思います。
また、長男が就職先でつまずき、親子共々落ち込んでいた時、集会の場で皆さんに息子のことで祈っていただきました。
祈りの中で神様が働いてくださったのでしょうか、帰宅路、私の心のつかえはとれていたのです。
本当に神様は全てを益に変えてくださるお方です。

「生きるに時があり、死ぬる時があり、泣くに時があり、笑うに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、
和らぐに時がある。神のなされることは皆その時にかなって美しい。」

この御言葉通り、今まで私が出会ってきた数々の試練は、全て神様の計画の中にあったのだと思います。
これらの試練に遭わなかったら、イエス様にも神様にも出会えなかったのだと思いますと、
試練に遭ったことは、私にとって幸せなことだったと思うのです。

毎朝、私の携帯電話に教会から御言葉メールが届けられます。
今日の御言葉は「わたしは、神からいただいた恵みによって熟練した建築家のように土台を据えました。
そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、各々、どのように建てるかに注意すべきです。
イエスキリストという既に据えられている土台を無視して、
だれもほかの土台を据えることはできません。」(コリント人の第一の手紙3:10、11)でした。
続いて井上先生からのメッセージが届きます。
「人生の土台(信仰)は、嵐(困難)が襲ってきた時に明らかにされます。あなたの土台は何ですか?
岩の上(キリスト)に家(人生)を建てる人は幸いです。」と。

忙しい私には、この御言葉メールはとてもありがたいものです。
日々、このように信仰の導きをしてくださる牧師先生方に感謝しています。
歩み始めたばかりの信仰の道。これからもイエスキリストを信じる信仰を人生の土台とし、
一度きりしかないこの人生を、イエス様と共に歩んでいこうと思います。

たったひとつの物語 Katsuko Akiyama


私は学生時代、ミッションスクールに通っていましたが信仰はありませんでした。
まさか自分がクリスチャンになるとは思ってもみませんでした。
私のなかで目に見えないものを信じる人は特別な人のグループだと思っていたからです。

 私は二十二歳の時、オーストラリアへ語学留学し、
欧米においてのごく自然なキリスト教社会を体験して帰ってきました。
この時にもまだ信仰を持つという思いはありませんでした。

 帰国したある日、クリスチャンになっていた姉から家庭集会に誘われました。
「ケーキが食べられからおいで」という言葉にひかれて行ったのです。
そこに集まっていた人達はよく笑い、見知らぬ私を無条件に受け入れてくれ、
とても楽しいひとときを過ごすことができました。

 私は留学から帰ってきてから、日本の中で日本人としての疎外感を感じ、
自分のアイデンティティが分からなくなっていました。
オーストラリアで、のびのびと自由に考え、発言し、自己形成を達成していた私は、
日本に帰ってから、日本の空気に馴染めず、孤立しているような気持ちになっていたのです。
しかし、初めて参加した家庭集会の中に、オーストラリアで体験したものと全く同じような雰囲気を感じ、
まるでオーストラリアに戻ったような懐かしい気持ちにさせられたのです。 
心理学では「人間は己の居場所を確保することで安心する属性がある」と言われますが、
私は自分の心の居場所を見つけたような気がしました。

 その後、私には多くの問題と試練が襲ってきました。
その中で今まで当たり前のように持っていた物を失い、人間関係でも悩み、傷ついていました。
しかし、不思議なことに、そのような中にあっても、悲しみがなく、
重荷を下ろしているかのような気持ちになり、前向きに考える事ができたのです。
それはおそらくクリスチャンの姉や家庭集会を通して知り合った教会の友達が
いつも祈ってくれていたからだと思います。

 私の性格は勝ち気でわがままですが、今ではそんな自分が大好きです。
きっと自分をありのまま受け入れてくれる場所を見つけることができたからこそ、
自分を愛せるようになったのだと思います。
私はmind(考え、意見)とheart(心)が一つになって、クリスチャンになろうと決心しました。
迷いはなく、ホッとしました。イエス様を信じて、洗礼を受けてからは、心がウキウキして笑顔が増えました。

 クリスチャンになって思うことは「目が開かれ、道が開かれた」ということです。
おそらくどんなに素晴らしいチャンスがきても目を閉じていたならば
気づかず通りすぎてしまうことが多かったと思います。
しかし、今は目が開かれ、とても新鮮な気持ちで、
生きてる世界にいつも喜びを見いだすことができるようになって感謝しています。

 神様は目にみえなくてもしっかり私を守ってくれるので、私の心にはいつも大きな安心感があります。
現在、私は高砂教会でゴスペルを歌っています。始めた頃は、顔中に吹き出物がありました。
しかし、不思議なことに教会に来て讃美をする中でどんどんと癒されて、きれいになくなっていきました。
これもとても感謝でした。また、ゴスペルの中では、とても勉強になることが多くあります。
ゴスペルメンバーに英語の歌詞を指導をし始めた時、
今まで教えた経験がなく知識も乏しかったので悩み、葛藤しました。
疲れ果てもう辞めたいと思ったり、自信喪失に陥ったこともありました。
また、気合いを入れて練習に行っても、たった五名しか集まらず、落ち込んだ事もありました。
それでも集まった人たちと一緒に祈り、讃美し、練習を続けました。
この時、人数は少なくても、神様が喜ばれているのを感じる事ができました。
私はその日の晩、神様に祈りました。「神様、三ヶ月以内に常時二五名集まり、練習できるようにして下さい!」と。

すると神様は祈りをすぐに聞いてくれました。
今では、毎週金曜日の夜、二五名前後のメンバーが集まるようになっています。
また新しいメンバーも次々と増やされました。

 ある時、礼拝説教の中で、手束牧師先生が「願いを祈りに変えよ」と語られていました。
私はゴスペルの中で、もっともっと自分自身が成長するようにと願っていましたので、そのことを祈り始めました。
するとその願いが聞き届けられ、現在、英会話の講師になる事ができたのです。
夢を達成したら、人は案外冷静になってしまうものです。
夢を追っかけているときは熱く燃え、達成すると急に熱が冷めたという経験がある方も多いと思います。
夢が叶い、もしその事を自分の栄光にしてしまうと、恐らく空しさだけが心を覆うことになると思います。
全ての栄光は神様にあります。神様が私の体を用いて、エネルギーを発してくださると信じています。
これからも神様に寄り頼みつつ、私の体を使って神様のことを伝えていきたいと強く願っています。

 ゴスペルの曲の中で「In the sanctuary」というタイトルの曲があります。
「心が休まる温かい場所」と私はあえて訳しています。
教会は私の実家です。いつでも帰れるし、いつでも慰めてくれる。
真の心でつながった人の集う場所です。神様は私にとっておきの贈り物として、
素晴らしい場所を与えて下さいました。

”あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は上から光の父から下って来る。
 父には変化とか回転の影とかいうものはない。
 (ヤコブの手紙 第1章17節より)

毎日が新しい日の始まりです。
いっぱい笑って喜んで感謝して、一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています。

教会って楽しいなぁ Asuka Higasine


今、振り返ってみると、私は小さい頃から「神さま」という存在は信じていました。
ただその頃は、イエス・キリストという方とは出会っていませんでした。

小学校低学年の頃、鉄棒が苦手だった私は、体育のある日はきまって
朝、トイレの中で「神さま、どうか今日は鉄棒じゃありませんように」と
祈っていたのを思い出します。困ったとき、助けを求めるのは
目に見えない神様でした。でもそんな思いを持ちつつ、
当時すでにクリスチャンだった母から教会学校に誘われても
「朝起きるのが嫌だ」「友達と遊びたい」
そんなことを理由にほとんど行くことはありませんでした。

それから年月が経ち中学生の頃、楽器に憧れるようになりました。
特に「ドラムやってみたいな」と思うようになり、母の「教会にドラムあるよ」という声に、
久しぶりに、教会に足を運ぶことになりました。
その日は確か会議があったにもかかわらず、先生方は3階へドラムを運んでくださり、
私は大喜びで友達と一緒に叩いて楽しみました。
そのうちに日曜日の中高科(現在のYC)の礼拝にも行くようになり
同年代の子達と仲良くなっていきました。「教会って楽しいなぁ」そんな気持ちが
だんだんと信仰を持つきっかけとなりました。

そして中学3年生のクリスマスに受洗。
「私のために命を捨ててくださった方がいる」「ずっと見守ってくださっている」
それを確信することができました。いろいろなことで迷ったり、悩んだりする中高生の時期も
「ありのままで愛されているんだ」「誰かと比べる必要はない」というメッセージを受け止め
前向きに歩むことができたのは、イエスさまとの出会いがあったからです。

それから、ん年・・・・。
今でも、変わらずイエス様は、弱い私のことさえも愛してくださっています。
そう思うと感謝の気持ちでいっぱいになります。
これから、その愛に応えて、私にできることをお返ししていきたいです。

受洗まで20年 Tadaaki Sinomiya


 私が高砂教会に初めて訪れたのは20年以上前のことでした。生まれたばかりの次男(昨年受洗した弘隆です。)が産科病院の処置が悪くて、命にかかわる感染症に罹ったことや、後遺症への不安、その後の伝染病等で、心身共に疲れ果ててしまった家内が、癒しを求めて高砂教会に通うようになりました。私は専属の運転手を兼ねて家内といっしょに日曜礼拝に来たのが初めでした。

 その後、暫くして家内は受洗しましたが、当時の私は傲慢で自分には神の助けなど必要はないんだ、と思っていましたので、家内が受洗するよと言ったときに、こう言いました。「私にも洗礼を受けるように誘わないのなら、信仰は自由にすればいいよ。」と。こうして家内が洗礼を受けることに同意したことを覚えています。今にして思えば、一見理解がありそうで、実に不遜な夫だったと反省しています。


 家内は近所の子供たちを集めて自宅を教会学校に提供していました。新谷先生が毎週こられていました。若くてはつらつとしたおられました。(もちろん今もお若いです。と思います。)当時教会学校に来ていた子供さんの何人かが今や立派に成人されて、既に私の先輩クリスチャンという訳ですから、年月の経過を感じさせられます。


 そのころ教会の移転建て替えの計画が進められていまして、当時、県職員として建築関係の仕事をしていた私は、手束先生から依頼を受けまして、この計画の実施に微力ながら協力をさせていただいたことがございました。


 手束先生が、「主は必要なときに必要な人を使わされるので、この計画は必ず実現します。」とおっしゃっておられたのを何故かはっきりと記憶しています。


 もし私自身が「必要な人」の一人であったのなら、この時既に今回の私の受洗が主のご計画の中にあり、それを察知、看過された先生が、私ごときに依頼されたのだ、と今になって思い至りました。


 新会堂の竣工後、家内が高砂教会を離れていた時期がございました。これについてはここでは略させていただきますが、当然私もその間、教会へ来たことはありませんでした。
 そして数年前、家内が命にかかわる大病を患い、心身共に打ちひしがれた状態で苦しんでいたときに、偶然、ほんとに偶然に東根姉妹に出会い高砂教会へ来るように誘っていただきました。主の救いを求めて家内は再び高砂教会へ行くようになりました。主の許しをいただき、再び祝福され、皆様のとりなしのお祈りのお陰もございまして、今はほぼ病に打ち勝って元気を取り戻しています。普段は私より元気なくらいです。本当に感謝をしております。


 そういう体験をしたにも拘わらず、私自身は受洗しようとはしませんでした。家内を教会へ送り迎えするだけで、殆ど中へ入ることはありませんでした。 不遜で傲慢な私は自分には必要ないとかたくなに思っていたのです。主の御業を目の当たりにしておきながら、それが分からないとは、許されるならぴっぱたいてやりたいほど歯がゆいと思われる方が多分いらっしゃると思いますが、過去のことですのでこらえていただきたいと思います。


 そして2年前、今度は次男に大きな問題が起こりました。当時お付き合いをしていた女性とのトラブルでした。私のことよりもこの話の方を聞きたいと思われる方もいらっしゃる、いや殆どの方がそうかも知れませんが(三面記事はおもしろいですからね、でも)、息子の名誉の為、内容は控えさせていただきます。息子は心の底まで疲れ果て、卒業を1年後に控えて学業にも集中できない日が続きました。


 家内は毎日、身を挺して祈り、彼を説得しました。そして必然的に彼は主の救いを求めるようになりました。主はこれを受け入れて癒して下さり、危ぶまれた学業にも再び意欲を取り戻し、今春、無事卒業して就職させていただきました。


 そういうことがあっても、まだ私はこれを主の御業を信じることはなく、私自身が受洗しようという気持ちは起こりませんでした。ほんとうに頑なな人間でした。(やっぱりひっぱたいてやりたいと思われる方が多分いらっしゃると思いますが、こらえてくださいね。ここからがいよいよクライマックスです。)


 そうしているうちに昨年末に世間を騒がせた耐震偽装事件が起こりました。日本で最も有名になった建築士である姉歯の事件です。イーホームズ社と同じ建築確認の業務を行っている機関で、所長をしている私にも多くのストレスが生じることになりました。


 私どもの機関に確認申請される建築物の構造関係の審査は全て私が行っています。兵庫県下で30数人しかいない建築構造士の資格を持っており、専門知識は十分あると自負していましたが、それでも他の人の構造計算書を短時間で100%チェックすることは不可能なものなのです。にもかかわらず100%のチェックが必要だという観点で立ち入り検査がなされました。その後も国や県から様々な要請がありましたし、マンション住民の方からの問い合わせもあり、これまで経験したこともないような大きなストレスを感じるようになりました。


 日に日にストレスが溜まり、その蓄積と共に体調も悪くなり、短気がより露骨に現れるようになっていきました。常にイライラしている状態でした。職場において所長の弱気な姿を職員に見せることもできず、空元気を装っていましたので、一番の犠牲者は、そうです、家内であったと思います。免疫力を維持することが最も重要という家内の病気にとって、最も悪い影響を、私が与えていたということになります。


 本当に申し訳なかったと思っていますが、実は家内にこのことで謝ったことはございません。照れくさいという気持ちが先になってしまって、言えませんでした。今日のこの機会をお借りして謝りたいと思います。ゴメンナサイ。本当に悪かった。


 すいません、公の場を私事に使用してしまいました。

 本題に戻りますが、こうした、自分ではどうすることもできない状況に、徐々に気力が失われていくような気がしました。そして家内に「祈って欲しい。」と言っていました。あまりにも身勝手な自分にあきれましたが、そうしてでもこの状況から抜け出して、気力を取り戻したいと真剣に考えたのです。

 そして家内の勧めに従って、日曜礼拝に出席するようになりました。多分10数年ぶりに経験する礼拝です。竣工してから18年経過し、当然傷みや汚れが現れている大会堂が、眩しくそして大いなる威厳を感じました。

 帰るときには自分が悩んでいたことが、重大な事ではないと思えるようになっていました。「癒される」ということはこういうことなんだ、と実感していました。その日の朝、教会に入ったときの顔は、多分憂鬱の権化のような表情であり、帰るときには久しぶりにすっきりしたという顔であったと思います。会堂の入り口で手束先生と握手をさせていただいた時、心から「ありがとうございました。」と言っていました。


 一週間を過ごすとまたストレスが溜まり、礼拝で癒されるという繰り返しが続きました。しかし、確実に苦しさは小さくなっていくのが実感できました。


 そして5月初めの日曜日、家内はモンゴルへの旅行中で不在でした。私は一人でも教会へ行かずにおられない気持ちになっていました。聖霊に満たされた神聖な会堂に入るだけで、心が洗われて癒され、心地よいと感じるようになっていました。その日の聖餐式で、北村兄弟の促しもあって、前へ出て行っている自分がいました。帰りに手束先生がペンテコステで洗礼とおっしゃいました。


 しかしながら、家へ帰り自分に問いかけると、まだ迷っている自分がいたのです。自分はほんとうに主を信じますと誓約することができるのか? 自分に嘘を言ってないのか?喉元すぎれば熱さを忘れてしまうのではないのか? 矢継ぎ早に悪魔のささやきが何度も聞こえ、葛藤が続く毎日でした。

 そしてペンテコステが近づく5月26日の夕方でした。家内が一つのDVDを借りてきており、「イエス様の受難を再現したもので、あまりの凄惨さに気持ちが悪くなった。」と言っていたものでした。観てみようと思いそのDVDを一人で鑑賞しました。タイトルは「パッション」という作品です。鑑賞された方もおられると思います。


 イエス様の受難から最後の十字架までを余りにもリアルに表現した作品です。家内が言うように本当に凄惨な場面が沢山ありました。そして最後の場面で突然私自身に異変が起こったのです。急に涙が溢れてきてそれが止まらなくなってしまったのです。


 映画を見て涙が出るなどということなど私にはこれまで只の一度もなかったことです。いわゆる感受性の鈍い人間、つまり鈍感な奴であった訳です。(今でも鈍感で家内にあきれられることもあります。それはさておいて、)これまで物心がついてから、涙を流したのは、数回しかないと記憶しています。最初は小学校の1年生の時、あることで先生に信用してもらえず家に帰って悔し涙を流したこと。2回目はありがちですが嫁姑問題で危機があったとき。3回目はその母が他界したとき。殆どこの3回です。そんな自分が涙を流している。何故止まらないのか。止まらないのに何故この場面から目が離せないのか・・


 10分ほど、呆然としていました。最も聖なる方イエス様をののしり、イエス様の手足に釘を打ち、槍を突き入れようする者にまで、「このものたちは自分が何をしているのか理解できないのです。父よ、このものたちの罪を許し賜え。」と、神の許しを祈られるイエス様の姿に、十字架の意味が少し分かりました。イエス様を手に掛けるという大罪でさえ心から悔い改めれば、許して下さるのだ。私の犯してきた多くの罪も引き受けて下さるのだ。主を信じ、心から悔い改めれば。 この感動の涙だったのだと思いました。


 この時、洗礼を受けようと決心をしていました。一切の迷いがなくなりました。父に電話をしていました。洗礼を受けることを説明し理解を求めました。父は快く賛同してくれました。 自分は不遜で傲慢であったことを告白し、主の許しを請いました。

 初めて高砂教会の門をくぐってから、実に20数年かかった受洗でした。主に感謝しますと共に、手束先生を始め、この間、私が受洗し救われることを祈ってくださった多くの兄弟姉妹に感謝いたします。


 受洗後は、もう大きなストレスを感じることは無くなりました。聖霊に満ちた会堂に入れば心が安らぎ、癒されます。仕事上のトラブルも以前のように深刻に悩むことも無く、最前を尽くし、あとは主の御心のままに と考えることができるようになりました。心から感謝いたします。


 全ての悩みや病と戦っている人々が、主によって癒されることをイエス様の御名によってお祈り致します。アーメン

ポンとリーチの叫び声は感謝の歌へ Mieko Takai


私は、1981年9月、33歳の時に仙台で受洗しました。
クリスチャンになる以前の私は、神などこの世には存在しない、頼れるのは人間の力であり、
科学であり、努力しだいで全てが良くなる、幸せになれるという信念のもとに生きてきました。

それまでの人生はどちらかというと順調で、
結婚してからも特になんの問題もなく平凡な生活を送っていました。
しかし、ある年を境に、その信念がガラガラと崩れていくような出来事が私の身に起こりました。

夫の仕事の関係で、関西から青森に、青森から仙台にと短い間に引っ越しを経験しました。
その仙台で4年間暮らしましたが、そのたった4年の間に、当時私にとっては、
試練とでも言うべき出来事が次々と起こってきたのです。

 初めての社宅生活では人間関係に悩みました。
それまでは、ある程度言いたい事を言って気楽に人付き合いをしてきましたが、
社宅では、言ってはいけない事や、してはいけない事も多く(自分だけそう思いこんでいただけだったのですが)、
また皆の輪の中に入りたくても入れず、本当は淋しいのに淋しくないふりをして、孤独な日々を過ごしていました。

そんな中、翌年6月に宮城県沖地震が起きたのです。
私の住んでいた所は、仙台の中でも特に地盤の弱い所で、
近所でも倒れたブロック塀の下敷きになって、何人かの人達が亡くなり、怪我をされた方も多くいました。
空は異様に赤く燃え、電信柱は今にも倒れんばかりに左右に大きく揺れ、
前の空き地は海のようにうねり、そこに駐車していた車は、一メートル近く飛び跳ねていました。
今でもその非現実的な情景は私の目に焼き付いて離れません。
しかし、海のようにうねる地面をこの目で見た時、
この世の終わりはきっとこのようなものだろうと思い、私の中にあった信念や常識というものが、
ガラガラと音をたてて崩れていったように思います。

それから2ヶ月ほどして、当時まだ四歳だった次男が、
夜中に噴水のように突然鼻血を出し、止まらなくなったのです。
私は直ぐに救急車で病院に運びました。
診断の結果、“特発性血小板減少性性紫斑病”という私には初めて聞く名前の病気で、
そのまま入院する事になりました。昨日までどの子よりも元気に走り回っていたのに。
私はしばらくわけがわからず、悪い夢を見ているようでした。
特効薬も確立されておらず、ただ毎日服用するステロイドの副作用で身体全体が風船のように膨らみ、
形相の変わっていく子供を見ながら、人間の持つ能力や努力ではどうにもならないものがある事を思い知らされ、
人の想像を遙かに越えた何か不思議な強い力が、この世界を支配しているに違いないと思うようになりました
(これは地震の時にも思いました)。
そしてこの頃から、神様はいるかもしれないと思い始めるようになったのです。

しかしその後、心配していた次男は七ヶ月入院し症状も安定したので、退院する事ができました。
そして家族四人また元のように、一緒に暮らす事ができるようになりました。

 悩んでいた社宅の人間関係も地震や子供の入院を通して、
お互いに助け合った事など通してギクシャクしていたものが取り払われ、
本音で付き合えるようになりました。そして今までの反動があったのか、すっかり意気投合し、
今度はほとんど毎日のように麻雀に明け暮れるようになったのです。

私は麻雀は初めての経験でしたが、今までうっ積していたものが爆発したのと、
もともとゲーム好きであった事も手伝って麻雀にのめり込んでいきました。
夫は汗水たらして妻子の為に働いているというのに、子供はほったらかして、
昼は5人のうち1人が食事の準備。そして、子供の入院中覚えた煙草をスパスパやりながら、
ジャラジャラ遊んでおりました。
きっと近所の人達は、そんな私たちの姿を眉をひそめながら見ていたと思います。

その近所の人達の中にSさんという私と同年輩の二人の姉妹が住んでおられましたが、
そのSさんとふとしたキッカケで話をするようになりました。
そして、そのSさん達が二人ともクリスチャンだと言う事も聞きました。
ちょうどその時、私は神の存在を認めはじめ、その神様の事をいろいろ知りたいと思っていた時だったので、
Sさん達に神様に関して疑問に思っている事を質問しました。
すると聖書を持って来られて丁寧に答えて下さいました。

わからない部分もあったのですが、もっと知りたいという思いも募ってきて自然に社宅で家庭集会が始まりました。
今まで麻雀牌の置かれていたテーブルには聖書と賛美歌が置かれるようになり、
ジャラジャラという騒がしい音やポン、リーチと叫ぶ声は
賛美歌を歌う天使への声と変えられていったのです。

 そして教会の礼拝に出席するようになり皆の祈る姿に心ひかれ、
私もお祈りをするようになったのです。
実際に身近にある様々な事をイエスの御名を通して祈っていくと、
必ず答えられ、本当に神様は生きて働かれる方である頃を実感しました。
そして私もイエス様を救い主と信じて生きていきたいと思わされるようになりました。

 そのように思っていた私ですが、受洗を勧められたとたん瞬間的に固まってしまい
最後の一歩がどうしても踏み出せないでいました。
十字架の意味が今一つはっきりわからない。信仰への確信が得られない、
など否定的な思いがどんどん入ってきて私の気持ちは揺れつづけました。

 そんな時、急に大阪本社への転勤が決まり加古川にある夫の実家へ引っ越す事になったのです。
私は、その時神様から「私を信じるのか、信じないのか」と迫られたような気がしました。
私にとって、仙台というところはいろんな事のあった思い出深い特別な土地であり、
何よりもイエス様と出会った土地でした。
受洗は仙台でしたいとその事だけは、はっきりと決めていたので、
その仙台を去らなければならないと思ったら、
もう何の迷いもなくイエス様を心の内にお迎えし共に歩んでいく決心をする事ができました。

 決心をした途端、今までになかった平安と喜びに満たされました。
決心する前、あれだけ迷い続けていたのが自分の事ながら不思議なくらいでした。
そして、引っ越しの二週間前、我が心のふるさと仙台にて受洗の恵みにあずかる事ができました。ハレルヤ!

 社宅生活、地震、子供の入院、そしてSさん達との出会いから引っ越しに至るまで、
これらの事を通して、誰よりもかたくなで傲慢な私の心を砕きつづけて下さり
救いへと導いて下さった主に感謝します。
なかでも感謝に思わされたのはSさん達が私たちと話しをするようになるずっと以前から、
麻雀に興じている私たちの為に取りなしの祈りをして下さっていたという事です。

 加古川へ引っ越して22年たちましたが、あの時私を救いへと導く為、最善の事を成して下さった神様は、
今もあの時と変わらず、私にとって最善の事を成し続けて下さっている事を心から感謝します。

ちなみにあの時、仲の良かった主婦5人のうち私を含め3人が救われ、
今はそれぞれの所で信仰生活を送っています。又、受洗当時なかなか理解できなかった十字架の意味も、
聖書の恵みによってはっきりとわからせて下さり、私に注がれた神の無限の愛への感動、
そして救われた喜びを増し加えて下さった事を感謝します。

幸せになれるよ Misato Kawamura


私が初めて教会へ行ったのは、今から十三年程前のことです。
高砂教会の教会学校で「お楽しみ大会」があり、友だちと一緒に参加したのが最初でした。
それ以来、毎週日曜日になると教会学校に通うようになりました。
教会学校での讃美、お話、ゲームなどはとっても楽しかったことを覚えています。
サマーキャンプにも毎年参加するようになり、小学校3年生の時初めて行ったキャンプで、
イエス様が十字架にかかって死んでくださり、私たちを救って下さったことを知りました。
その時、何故か心に動揺を受けたことを今でも覚えています。
そして小学校五年生の時、サマーキャンプの中で聖霊様に触れられる経験をして、
その年の九月に受洗しました。それから小学校を卒業するまでは毎週教会学校に休まず通い、
とっても楽しく過ごしていました。しかし、中学生になると同時に、聖書とか説教とか、
また礼拝なども堅苦しく面倒であると思うようになり、
急にぱったりと教会へ行かなくなってしまいました。
約一年間教、教会からは完全に離れてしまったのです。

そんな私でしたが、中学2年生になった頃、ふっと教会学校のことが懐かしくなり、
先生方にも会いたくなってフラッと教会へ行ってみました。
そこで昔お世話になっていた先生方が、一年以上も教会に行ってなかった私の事を覚えてくれていて、
「みさとちゃん久しぶり元気?」と暖かく迎えてくれました。
しかも「ドンキー・チャペル(公園伝道)のお姉さんしてみない?」と声をかけて下さった事がきっかけで、
平日、地元の公園でやっていた教会学校の助手として再び教会に戻ってくる事が出来ました。

その頃の私は日曜日の教会学校や礼拝には全く行かずに平日のドンキーチャペルのお手伝いだけをしておりました。
そんな生活が5年ほど続いて、私は高校を卒業し、製菓専門学校に進学していきました。
ある時、教会から「教会学校でスタッフとして働いてほしい」と頼まれ、
次第に礼拝にもつながるようになっていきました。
そして、高砂教会で神学生をしていた高橋百合子姉との大きな出会いがありました。
この姉妹との出会いがなかったら今の私はなかったと思います。高橋姉は私の事をすごく気にかけて信仰を導いて下さり、いろいろな相談を親身になって聞いてくれました。
また高橋姉も私が年下にもかかわらず心を許して私を信頼していろんな相談をしてくれました。
私たちは信仰の良き友、先輩が与えられ、姉妹は今もとりなし祈って支えてくれています。

教会学校の先生という奉仕をするようになって、子供達がとてもかわいくて
この奉仕が心から楽しくとても充実した日々を送っていました。
しかし製菓専門学校を卒業し、洋菓子店に就職したため日曜日が仕事になり、
この奉仕を辞めなくてはならない事になりました。礼拝にも行けなくなる状況になりました。
洋菓子店での毎日は私にとってはかなり辛いものでした。
夜遅く仕事が終わってから、教会の聖堂で「神様苦しい辛いです。」と泣いて祈る日々が続きました。
しかし、ある事をきっかけに精神的に耐えられなくなり、辞めようかどうしようかと真剣に悩むようになり、
教会の牧師夫人に相談しました。
それを聞いていた牧師先生が「日曜日教会に来られないの?それじゃあいけません。辞めなさい。そして日曜日が休みの仕事に変わりなさい。」と言われました。
その事で決心がついて洋菓子店をやめ、再び日曜日の礼拝、教会学校の教師に戻ってくる事ができました。

それからは、アルバイトをしながら、信仰生活を続けました。
そして次の年初めて教会の修養会に参加しました。
修養会では主の祝福に満たされて聖霊のバプテスマを受けることができました。
そしてそれから、私の価値観がガラッと変えられました。
主に祈り深く交わり自分の心を深く見つめていくようになりました。
そんなある時、高橋姉と聖堂で一緒にお祈りをしていたのですが、
突然「みさとちゃんの心は傷ついてボロボロになっているよ。
神様はみさとちゃんの心の傷を見て泣いているよ。神様は赦したくて待っているよ。」と言われました。
私はその時「へ?そんなん?私ってそんなに傷ついているの?」という感じで実感がありませんでしたが、
心にそんなに傷があるなら癒されたいと思い神様に心の傷の癒しを求めて祈るようになりました。
すると自分が思って以上に大きな傷がある事に気づかされました。それは家族に対してのものでした。
両親は私が幼い頃から仲があまり良くない状態で、私が中学の頃からは、
お互いに最低限の事しか話さず高校を卒業する頃には、恨みやいがみ合いが多く、
ほとんど口を利かなくなり家庭内別居のような状態になっていました。
その事は私の心の中で傷となって残っていたのです。
このことで無意識のうちに「両親みたいになるようだったら結婚なんてしない方がましだ。
私は絶対に結婚なんかしない。こんな家庭で育った私なんかどうせ幸せになんかなれない」と思っていたのです。
それが原因で恋愛すること、人から愛される事、結婚すること、幸せになることに対して拒否反応があったのです。

一方では「幸せになりたい」と強く求めながらも、
もう一方では「どうせ自分は幸せになれない」とうち消してしまっていたのです。
この事に気づかされてから、私は心がすさんでいる。しかもまだまだいっぱいいろんな事に・・・
苦しさとつらさでいっぱいになってしまいました。
そして「こんな私はもうだめだ、神様は愛してくれないだろう、
愛される資格はない」と思い込んでいったのです。
そして神様に「こんなどうしようもない私でごめんなさい。
私は愛される資格なんてありません」と泣いて祈っていました。
すると「私はあなたを愛しているよあなたがどんな時でも一緒にいるよ、
あなたはそのままで私の所へ来たらいいんだよ」という言葉がす~っと心の中に入ってきました。
その時「こんな私でもいい!そのままでいい!」とうれしくて涙が溢れ止まりませんでした。
そしてそれからもさらに深く心の傷の癒しを求めて祈りました。
そして少しずつ小さな傷が癒されていく中で
「私は幸せになれない」というマイナス的な思いが消えていき
「幸せになりたいなあ」と思えるようになりました。
私はこれで大丈夫と思っていたそんな時、また次の大きな傷が出てきたのです。
私には先天的に染色体の異常があり、
二次成長が著しく遅く妊娠することがきわめて難しいと言われた事が重くのしかかってきたのです。
その事がわかったのは高校生の時で、別に子供が出来なくても死ぬわけではないとあまり深く考えなかったのに、
祈る中で不安なこの思いがわき上がってきたのです。

「神様が与えて下さった愛する人の子供を産むことが出来ない。
それはとても辛い事かもしれない。
自分子供を産めなかったら本当のお母さんの気持ちは理解できないだろう」などと苦しくなりました。
そしてそこでまた「やっぱり私は幸せになれない」という思いに支配されてしまったのです。
いつしか、もし自分の子供が出来なくても、捨てられたり、
虐待されたりして苦しんでいる子供達を引き取り自分の子供として育てたい
そういう母になりたいと思うようになっていました。

この事から、どうして私ってこんな人間なんだろう。
もうこんな自分どうでもいいと無意識のうちにずっと思っていた事に気づかされました。
そしてさらに「自分を愛する事ができていないのに他人を愛する事なんてできない」という事にも気づきました。
どんどん苦しくなっていく中で、しかしもっと神様の本当の愛をしりたいと強く願いました
。そして教会の牧師夫人に相談しました。
先生は「神様はこの事を通して、あなたを祝福しようとしているに違いない。
私ももし自分に子供が出来なかったらいろいろな国の捨てられたり
虐待されたりして苦しんでいる子供達を引き取って育てたいと思っていたのよ。
今から神様に祈り求めていけばきっと神様は道を開いて下さるし、
苦しんでいる子供を助け神様の愛で愛していけば、
どんなお母さんよりもお母さんらしくなれるよ」と励まし祈って下さいました。
そして私もいつしか、もし自分の子供が出来なくても、
捨てられたり虐待されたりして苦しんでいる子供達を引き取り自分の子供として育てたい、
そういう母になりたいと思えるようになっていました。
それからの私は心から「幸せになりたい」「私も幸せになれる」と確信を持って思えるようになりました。
そして神様がその事を願ってくださっている、と思うと、
それだけでうれしくて涙が出るほどになりました。
まだまだいろんな事に幼く弱い私ですが
これからも神様と共に祈り幸せの人生を求めて歩んで行きたいと思います。
そしてその愛を流し出していきたいと願っています。

最後に私の好きな讃美を2つ紹介したいと思います。



--------------------------------------------------------------------------------


「幸せになれるよ」
イエス様は僕を幸せにしてくれる いつも変わらない愛で僕を包んでくれる
イエス様は僕とずっと歩いてくれる 消して離れないその手が僕を握りしめる
恵みと真実に満ちたイエス様の愛 ずっと心満たされ幸せになれるのさ

「いつも愛している」
私の目にはあなたは高価で尊い 世界の始めから私のもの
大切な人よ 美しい人よ
かけがえのないあなたを いつもいつも愛している 

試練から与えられた大きな恵み Nobuyosi Itou


私が受洗させていただいたのは、13年前です。キリスト教のことは何もわからず
教会の人やクリスチャンである妻より勧められるままに何となく受洗しました。
その当時は、日曜日は近所の人達とチームを組んでソフトボールの試合に良く出ていました。月一回
聖日礼拝を守ればいいほうで、それも妻に対して出席してやってるんだというような態度だったと思います。
そして度々家をあける妻に対して理解を示さずむしろ足を引っ張っていました。牧師先生の説教を聴いても
頭の中には何も残らず、しかも私は歌が不得意ではじめて聞く讃美ばかりで歌えるはずもなく、讃美の時間が
大変苦痛でした。
このような状態が4年ほど続きました。こんな信仰生活でいいのかなと、自分の信仰生活の在り方について、少し考えるように
なりました。月一回程度の礼拝で、説教は説教として聞くだけで、自分の日常生活とは何の関係も生じておりませんでした。
聞いた説教が、生活に適応されなければ余り意味がないのではないか。クリスチャンの人達の考え方、日常生活の在り方って
どんなものなのかを礼拝を守らず知ろうと思いました。そして、三浦綾子さんの本を何冊か読みました。又、テレビの宗教番組
ハーベストタイムやライフラインを見ました。
クリスチャンの人達の信仰生活の在り方が少しは理解できましたが、所詮自分ひとりの頭の中だけの世界で、教会の人達との交わりは
ほとんどありませんでした。神様に近づくことなく、前進のないままこのような状態が更に4年ほど続きました。
「偽善者たちよ、この民は口先では私を慕うが、その心は私から遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、
無意味に私を拝んでいる」(マタイ15:7-9)

2002年9月に私は定年退職しました。その後、引き続き同じ職場で働かせてもらいました。
正社員の枠から解放され、気分的にも楽になり礼拝を守る回数も増えてきました。
私は、当初そもそもクリスチャンというのは、日曜日の礼拝を守れば事足りると思っていました
ので、この高砂教会は行事の多い忙しい教会だなーと思いながら、その中で、
妻も役割を与えられて奉仕に与っているんだな。日曜日以外に度々家を空ける理由も理解出来るようになってきました。
妻が伝道旅行に出かける時や、教会の奉仕で遅くなる時は、食事の献立表や注意事項のメモを残したりして、
それなりに私に気を使っていてくれた事がわかり、妻はよく頑張っているんだなと妻を見直す気持ちにさせられました。
私は自己中心であることを反省させられ、教会に仕える妻を受け入れる気持ちになりました。
聖書には「たとい御言葉に従わない夫であっても、清い行いを見て 
妻の無言の振舞いによって、神のものとされるようになるためである。」 (ペテロⅠ 3:1)とあります。

私が、そもそも妻を受け入れる気持ちになったのがいけなかったのか、サタンがすかさず攻撃してきました。
2004年6月に、思いも掛けない出来事が起こってしまいました。妻が肺がんを宣告されました。
しかも初期ではなく、少し進んでいるとのこと。頭の中が真白になりました。
まさか、妻が、何かの間違いではないの。と信じる事が出来ませんでした。即 入院をし、
病院で手術、抗がん剤投与、放射線治療等を行いました。しかし、その甲斐もなく2005年8月に天に召されてしまいました。
1年2ヶ月の闘病生活の試練を受けました。
妻を亡くした後は心の中にポッカリと空洞が出来たような感じで、何をする気にもなれず、
寂しい、虚しい日々が続きました。 妻を亡くし、一人生活を強いられる試練にも直面してしまいました。
このままの状態では、自分はダメになってしまう。何とかこの状態から脱出して、気持ちを切り替えなければいけない。
そう自分に言い聞かせました。高砂教会の「御言葉メール/TCMD」に、「起き上がること」と題して、
「倒れなければ倒れた時の苦しさも分からないし、起き上がった時の喜びも分からない。人生において大切な事は、
起き上がる事、そして倒れた事によって強くなっていく事」と記されています。何事においてもプラス思考をし、
前向きにとらえる姿勢を持つことが出来るように努めました。具体的には下記項目を発奮材料としました。
1)一つ目は聖書の御言葉によって、気持ちを整えることでした。
「あなた方を耐えられないような 試練に合わせることはないばかりか、試練と同時に それに耐えられるように 逃れる道も備えて下さるのである。」 (コリント第一 10:13)
「あなた方が、いろいろな試練に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。信仰が試されることによって、忍耐が生み出されるからである。」 (ヤコブ 1:2-3)
礼拝や集会の学びの中で、与えられた試練には 必ず神のご計画があり、その試練にはそれなりの意味がある。と教わっています。
今回 私に与えられたこの試練にも、必ずや神のご計画があり、益と成して下さるはずだ。
「神は ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」
2)二つ目は、悲しい時こそ、幸せのように振舞いなさい。という文章に接したことです。 
「心の平和への10のステップ」(ビリー・プラッシュ著、女子パウロ会)という本の中に「悲しい時は、幸せのように振舞い
そして、微笑むように努めましょう。あなた自身の苦しみを他の人に負わせることをしない。彼らには彼らなりの重荷があるのですから」
という文章に接した時、なるほど その通りだな。と思わされました。悲しい顔をされたり、会話に気を使いながら対応するのは、
相手の人にとっては たまったものではないと思います。人前で弱音・愚痴は慎もうと思います。
又、悲しい思いに落ち込んいる同じ境遇の人は、たくさんおられる。自分だけではないのだ。その人たちも、悲しみに耐えて、
それを乗り越えて頑張っておられる。クリスチャンである自分が頑張らなくてどうするんだ。と 自分を鼓舞しました。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい」今の私には、この御言葉が必要です。
3)三つ目は、妻の闘病生活を思い出す時、夫の私が言うのも変ですが、痛みやつらい思いの中 妻は本当によく頑張ったと思います。
その姿を思い出す時、自分が落ち込んでいては妻に申し訳ないと思わされました。 
三浦綾子さんの「天の梯子」の本の中に「死者を真に惜しむなら、残されたものは、死んだ人の分まで充分に生きること」と記されており、
私が落ち込んでいては、天国の妻も喜んではくれないだろう。しかし、妻の分まではちょっと荷が重過ぎる。
せめて天国の妻を悲しませるような信仰生活だけは送らないよう頑張らなければいけないと自分に言い聞かせています。

教会の人や近所の人から「家に閉じこもらないで、少しでも外へ出かける方がいいよ」 と アドバイスをいただきました。
前述のような事柄から、気持ちを整理して前向きに歩もうとして、行動に移したことは、
1)聖日礼拝を毎週 守るようにしました。
2)東加古川集会に参加させていただきました。(1回/月)
3)播磨ナイト集会に参加させていただきました。(1回/月)
4)カナン会の卓球の指導役をお引き受けしました。(1回/週)
5)水彩画教室の指導役を引き受けました。(1回/月)
6)べテル聖研の聖書の学びに参加しました。(1回/週)
特別なことがない限り 各々の会に参加し、皆様と良き交わりの時間が多く持てるようになり少しずつ心が解放されております。
卓球と水彩画に関しましては、未熟ではありますが 神様から与えられた賜物であり、奉仕が出来る場を与えられ 
皆様との良き交わりをさせてもらっています。そして、その交わりを通して、自分自身がパワーをもらっていることに感謝しております。
「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神の良き管理人として その賜物を生かして互いに仕えなさい。」 (ペテロ第一4:10)

今まで述べてきた事柄とは別に、妻の闘病生活中に 皆様からいただいたご支援の中に、不思議な大いなる力を感じております。
皆様の熱きお祈り(及び執り成しのお祈り)、度々のお見舞いによる激励、加古川から神戸の病院までの送迎、
病院での付き添いのための宿泊等 家族以上の数々の愛の施しを受けました。この皆様の自然な一連の愛の施しに、
普段とは何かが違うと感じずにはおれませんでした。私の心は、大きく揺れ動かされました。皆様の信仰の在り方を目の当たりに体験し、
聖書に書かれている「隣人愛、主の家族」を実感いたしました。「自分を愛するように あなたの隣り人を愛せよ。」 (マタイ 22:39)
「私達は、言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって 愛しあおうではないか」(ヨハネ第一 3:18)
発奮材料にて気持ちを整え歩む中で、今回 実感したこの不思議な大いなる力が私の心に根付き
それが各々の行動の一番の原動力になっているように思います。この不思議な大いなる力は、
試練から与えられた大きな恵みだと感謝しております。試練の中で、皆様との交わりを通して、
起き上がる喜びを感じ取り信仰生活が増し加えられていきますように頑張りたいと思います。

人はダメだと評価したとしても Hitomi Komori


 私を愛し、赦し、救ってくださった神様に心から感謝します。私は神様と出会う前は、自分のことを好きになれない人間でした.
いつも周りの人と自分を比べては「私はダメだ」と思って毎日を過ごしていました。

小学校では本当に無口で、しゃべれない「人形」と言われていじめられていました。もしもっとかわいかったら、
もっとスポーツができたら、私はこんなんじゃなかったのに…と今ある自分を否定し続けていたように思います。

何とか自分を認めてほしくて、好きだった勉強を頑張り、先生や友達の気をひこうと必死でした。
けれど、そのような弱い部分とは反対に自分よりも何かが出来ない人を見つけると安心して、急に偉そうになって、
きつい言葉でいじめてしまう私もいたのです。
いつも人をランク分けして、優越感と劣等感とにしばられていました。そういう自分が嫌いで、赦せなくて、
何とかしたいけれど何ともできないそんな日々でした。小さい頃から時々教会学校に行っていましたけれど、
神様の本当の愛を「私のため」として受け取ることができずにいたのです。

その私が神様を信じる決心をしたのは、中学二年生の夏のことでした。
高砂教会でゴスペルコンサートが行われ、その中で歌われた一曲の讃美が私の心に深くしみ込んできたのです。
それはこんな歌詞の曲でした。

認められたい 認められない 心の嘆き
優越感 劣等感 挟まれて
心重くて傷だらけ 人の視線に押しつぶされる
誰も 私を愛してくれないと 一人勝手な思いこみ
だけど本当は 主イエス様が こんな私を愛してた
(作詞・作曲:向日真理子)

そこに私の心そのものが歌われていました。
そして「あなたは私の目には高価で尊い。私はあなたを愛している」という御言葉が語られたのです。涙が溢れました。

人にどう見られているか、どの様に評価されているかという事を気にしてそれに振り回されていた私。
そんな私を愛していると言って下さる方がおられるということは、とても大きな衝撃でした。
普通ならそんな風に語られても、疑い深い私はとても信じる気になれないと思うのですが、
その時は神様の不思議な御手の中で、「私は愛されている」という実感が湧き起こり、
深い感動と共に愛なる神様に触れられていました。

どんなに人が私をダメだと評価したとしても、何よりも素晴らしい主が、愛していると言って下さっているということが、
私の心を変えました。気が付くと自分を出せるようになって、人目を気にせずに振る舞えるようになっていました。

そして、自分より弱いように見えていじめてしまっていた人たちを優しい思いで見られるようになりました。
なぜなら、その人達をいじめてしまっていた私の醜い心を神様が赦して軽くして下さり、
また私自身の傷ついた心を癒して解放して下さったからです。

それから、私は明るくなりました。中学一年生の時のクラスメイトと高校でも同じクラスになりました。
「森さんってこんなに話す子だった?」とその子が不思議がったほどです。
神様が私を罪から解放して下さって、愛されている子どもという新しい存在証明を与えて下さいました。
見失っていた自分自身を見出し、もう一度生き直し始めた、そんな感じです。

この感動的な神様との出会いから十数年が経ち、今私は教会の教育主事として働いています。
そして今日も、神様に愛されて生きていることの素晴らしさを体験し続けています。
イエス様がその愛のメッセージを、昨日も今日も変わることなく私に語りかけていて下さるからです。この讃美のように…。

私の目には あなたは高価で尊い
世界の初めから 私のもの
大切な人よ 美しい人よ
かけがえのないあなたを 
いつも いつも 愛している

私はいつも あなたと共にいる
どんな時でも いつまでも
大切な人よ 美しい人よ
かけがえのないあなたを
いつも いつも 愛している
(作詞・作曲:AYA&KEN)

これが感謝なんだ! Masashi Nishimura


 2006年1月22日に受洗した西村です。

私は、7代目母屋の長男として生まれ、回りから大切に育てられ、
それが当たり前みたいにあまり苦労せずに今まで生きてきました。

ましてや22歳の時に父を亡くしたもので、一家の長として、自分の考えに基づいて
「自分が一番!自分の考えが正しい!」と思っても生きてきました。
ですから、人や物事に感謝するなんて心も待ち合わせてなかったように思います。

それが去年から、今までに経験した事のない思いもよらない色んな出来事が自分を襲い、
戸惑い、悩み、不安に、心配になり、思い煩うようになってしまいました。
「何でこんなに苦しまなあかんの~?」苦しくて、まさにヤベツ状態でした!

3年前に受洗した妻に相談しても「洗礼受けたらいいねん!
楽になるで~!悩まへんで~!祈ってみたらいいねん!etc.」だけ。

僕はクリスチァンになるのは拒んでたんですが、試しに祈ってみることに。
するとどうでしょう、思いを言葉にすると頭の中が整理出来て楽になる!
「ん!?何で!?」不思議な気分でした!それから夕拝にも時々行くようになり
皆に勇気を貰ったり、気づきを与えられたり、涙して心が楽になったり・・・。

有り難かった!「これが感謝なんだ!自分は人に生かされてるんだ!」って!
それから今までの自分を振り返り、自分を変えたくて
高砂教会のホームページで知ってた交流分析の学びをさせて頂き、
さらに自分を知ってしまい慌てたり反省したりでした。

「このままではいかん!自分が変わらなくちゃ!いや、変えなくちゃ!付き合いのカタチも!」
そんな思いになり神さまの助けをお借りすることにした訳です。

私の人生のターニングポイントには、神が居てくれます!
そして、感謝と祈りは心の平安を授かり、そして強くなれます!アーメン! 以上。

”神様”という強いお方にのみ頼って生きていく Naomi Yamamoto


私が”キリスト教”に出会ったのは短大に入ってからでした。
キリスト教主義の学校だったため、その頃はただなんとなく授業の一つとして話を聞いていたり
礼拝に出席したりしていました。
聖書の勉強をしても、礼拝の説教を聞いていても、どこか遠い時代のお話のように感じられて
自分の身近なこととは一切結びつかないおとぎ話のような気がしていました。
その気持ちのまま、縁あってキリスト教の幼稚園で働き始めた頃の私は、
日々何か満たされない想いがありました。
なに不自由なく生活し、家族にも周囲の人達にも恵まれて毎日を送っているのに、
心のどこかに穴が開いていてスースーするような、目に映るものすべてが
色を失ってしまっているような状態でした。
その気持ちがどこから来ているのか、なぜ何をしていても満たされない気分なのか・・・、
それが解決出来ない自分に苦しさを感じていたようにも思います。

そんな時、私の身近に居たクリスチャン方達が東根あすか姉や大道由美姉、秋山功子姉でした。
彼女達を見ていると、本当に生き生きとしていて毎日楽しそうで輝いているように見えました。
もちろん誰にもトラブルは起こります。けれでも暗い顔を見せることなく、
反対に周りの人達に明るさを与えてくれるような、一緒に居るとこちらが温かい力を
もらっているような感じでした。
「どうしてこんなに輝いているんだろう?それに比べて私はなんてくすんでいるんだろう?」と真剣に
思いました。
「救われる」とか「イエス様の十字架」とかそういうことはよく分からないけれど
『今の状態の自分から生まれ変わりたい!』と思い、多くの兄姉の祈り、そしてなによりも
神様の導きによって受洗することができました。

受洗したからといって、ハッピーなことばかりというわけではありません。
受洗一年目を迎える一、二ヶ月前から続けてトラブルが起こりました。
トラブルといっても一つ一つを見ればたいしたことのない些細な出来事なのですが、
それが一気に自分の身に降りかかって来たのです!
案の定私はパニックに陥りました。同時にいろんなことが起こったので、
どうやってどれから対処していけばいいのか全く分からないのです。気持ちの整理もつきません。
自分の気持ちすらコントロールするのが難しくなってしまった時、「いったい今までの自分はどうやって、
何か起こった場合それを解決していたんだろう?」とふと思いました。

よく考えてみると、今までは人の言葉や周囲の評価、自分の価値観にだけ頼って
生きてきたことに気付かされました。
それはクリスチャンになってからも同じでした。
”神様を見上げて、神様によって歩んでいく”そう決めたハズなのに、
古い今までの自分の習慣がまだ残っていたのです。
その時になって初めて、本当に大切なことはそんな揺らぎやすいものではなくって、
”神様”という強いお方にのみ頼って生きていくことなんだ!と改めて気付かされました。
「神様が私のそのことを伝えたかったんだ!」と本当に理解出来た瞬間、目の前の世界がより一層美しく
色鮮やかに感じられ、神様の愛に感謝せずにいられませんでした。

こんな弱い私でも、見捨てずにそばに居て下さる。
迷える羊の私のことも「大切なんだよ」と言って下さる方が絶えず守って下さる。
それはなんて嬉しいことで力強いことなんだろう!
そう気付くことができたのは神様からの温かいプレゼントです。
これからはそのことを一番に握って歩んでいきたいと思います。

現在進行形で造り変えられる祝福された人生 Kayo Kanzawa 


私が受洗の恵みに与ってから早いもので5年半になります。
今現在、ほとんど毎週家族で聖日礼拝を守ることが出来て、セルライフに奉仕、また2年間ほぼ毎週続いた
べテルの学びも卒業となりました。
去年のクリスマスには一番下の長男が洗礼の恵みに与って、晴れてクリスチャンホームとなりました!
ほんとうにハレルヤ!です。

こんな恵みの日々を歩ませてもらっている私ですが、私はあまり良いとは言えない家庭環境で育ちました。
そのため我慢せざるを得ないことやあきらめざるを得ないことが多く、こうなりたい、ああなりたいと思いつつも、
潜在意識では「私は健全に育っていないからうまくいかないんだ、とかどうせ人生はこんなもの」
などと思っていたセルフイメージの低い者でした。
じつは就職をしたこともないですし、時間通りに行動することが大嫌いで団体行動なんて
一生せんでいいわと思ってしまうタイプでした。

そんな私が教会に来るようになり救われたのは結婚生活がうまくいかず離婚寸前のどん底状態になっているときでした。
「この神様を信じてみたい。信じてみよう!」始まりは半信半疑のような本当にちいさい信仰でした。
それでも神様は神様の御業によってでしかないとはっきりわかる形で家庭を回復させて下さいました!

その後も時間をかけてさまざまな試練を通らされ、いつも目の前の出来事に翻弄されアップダウンしてしまう私ですが、
今では本当にここを通らされたからこそのベストの道だったんだな、というような祝福された人生へと
現在進行形で造り変えて下さっています。


それともうひとつの側面での証をしたいと思います。
先ほどお話したように私側の理由でなくただただ神様の恩寵によって、イエスさまを信じる信仰を与えられ、
神様の愛の内を歩むもの、神の国の住人にしていただきました!

しかしそれだけでなく神様の家族が与えられたということは私にとってどれほど大きいことであったかと思います。
時々主人と「高砂教会に来ていなかったらどうなってるんやろうな。」と話あうことがあります。
ただ信じただけで右も左もわからない私に、礼拝で、セルの中で、雑談の中で、擦れ違った時に、
または信仰姿勢やかもしだす雰囲気で、様々な場面でイエス様に根ざした愛で接していただき
交わっていただいたからからこそ、今のわたしがあるんです!

受洗準備会のときに…まだ自営業をしているとき…主人の家族と同居しなければならないとき…
そのなかでもやはりセル活動セルライフの存在はとても大きかったです。
教会の中ででの私の基本となる居場所であり、祈りあえること、励ましあえること、笑いあえること、
不満に思うこと、いろんなことが栄養となって私は歩むことが出来ているのだなあと思うのです。

今年からメントリングという弟子訓練が導入されました。
当時その言葉は使われてはなかったですが、私はメントリングしていただいて来たからこそ
今こうしてここに立っているのだなあと思います!本当に感謝です!
私もその与えていただいた良きものを流しだしていくことが出来るように、
またこの導入されたメントリングが祝福され豊かな実を結んで行きますように…


最後にもうひとつ、いつも私の信仰生活の支えとなっているイメージがあります。
ハーベスト成長セミナーを学んでいるときに新谷先生が
「クリスチャンの人生がWAR(戦争)だとして様々な問題がBATTLE(戦い)だとしたら、
BATTLEに負けることがあるかもしれませんがWARには絶対に負けることがありません!」
とおっしゃられていました。
目の前で起きることに時には負けてしまうこともあるかもしれません。
しかしイエスさまと歩む人生は必ず勝利です!感謝します。

本当の救いに出会った喜び Masami Nagatomo


現在も未来も神様が私と共におられる人生を歩めることを感謝します。
そして、この日のために手束牧師先生と兄弟姉妹が祈って下さっていたことに感謝します。

もし神様と出会っていなければ、私の未来は神様を悲しませる人生になっていたような気がします。
そして、そのまま子供たちにも影響が及んでいました。そんな人生が変えられて幸せです。


私は、高校生の頃にいじめにあいました。信じられませんでした。
友達であった人から無視され続けます。黒板に私の事を書かれたり、ノートに落書きされたり。
昼食も誰とも出来ないので、外の階段で一人で食べる学校生活でした。

その時、私の存在価値はないと思いました。学校は地獄のようでした。
私は女性には表と裏があることを知り、それから自分を前に出すことを止めました。


就職する時も、なるべく女性の少ない所を選びました。
すると、面接日にすぐ、会計事務所の先生から合格を伝えられました。
それは、私がミッション系の高校に行っていたからという理由で受かったのです。


やがて神戸で一人暮らしをするようになり、親の大変さも知りかけた頃、私の人生に大きな変化が起こりました。
私は心をうまくコントロールされ、統一教会へと入ってしまったのです。
二十歳からの八年間、私はひたすら神様を求めて歩んでいました。伝道、祈り、聖書の勉強に励みました。
大阪の橋の上で講義をしたり、踊ったり……。

しかし、いつの間にか、この歩みを続けなければ私は救われないという恐怖心を植え付けられていたのです。
だんだんそこにいることが苦しくなり、そこを脱出しました。


そして十年経ち、神様は本当の道を教えて下さいました。
宗教というものをまるで知らなかった私に、四十年間の人生の中で、敢えて考えさせる期間を下さったのだと思えます。

これからの信仰生活は希望に満ちています。何が来ようとも、神様が守り導いて下さるので、
すべてを感謝して生きていきます。
祈りの人になりたいと願っています。

洗礼を受けた喜び Yuka Takata


私がクリスチャンになったのは…、〝誰か助けてー!〟という気持ちが行き詰まったからです。

子供の事、人間関係、仕事、そして自分の病気(私は十七年前から、パニック障害を持っています)…。
すべてが悪い事ばかりではないけれど、何か一つが崩れると、全てに対して自分の考えがマイナスになり、
恐れと不安ばかりが出てきて、この事を友達や親、兄弟に相談しても、何故か不安は消えませんでした。
相談にはのってくれて、話を聞き、何らかのアドバイスはくれますが、当たり前の事ですが、
人はその物事の最後まで対処してはくれません。
自分の生活もあるから、全部が全部面倒は見れないのです。食べる物が食べれず、寝る事もできない。


こんな時、お医者さんは薬を出してくれます。食べる事と寝る事はできるようになるでしょう。
でも、心の問題…、奥深いところまでは、薬も人の言葉も届きません。

その場で地団駄を踏んで、どの方向に進めば良いのか? どう考えたら良いのか?
親が〝こっちに進みなさい!〟〝こう考えたらいいのよ〟と言っても、不安は消えるでしょうか?
絶対なる安心を持って進めるでしょうか? 〝こっちでいいのかなあ? これでいいのかなあ?〟と思った時、
私は〝これでダメだったら誰が責任をとってくれるの? 本当に私の生活や全てを分かって言ってるの?
これだけ苦しいのが分かって言ってるの?責任をとってもらっても、また悩まないといけない!〟
〝いや違う! 最後は自分が決めないといけない。誰が言ったから…とかではない、自分なんだ!〟 と思った瞬間、
とてつもない不安と恐怖がきました。

〝アドバイスをもらっても、その時、気持ちは少し楽になるでしょう。人に聞いてもらうと、少しは発散できるでしょう。
でも、同じ場所に戻ると、また同じ気持ちになります。
自分の心すら平安にできず、不安と恐怖は取れません。そして、もがいて、人を恨むまでにもなりました。
いくら私が相談しても、本当の私の苦しみなんか分かってくれない〟と。

〝苦しい…、あんたもこの苦しみを味わってみたら! そしたらその苦しみが分かるわ!〟とまで思いました。
本当は、同じ痛み、苦しみなんてわかる訳がないのです。
私も宝物のように大切な子供のことでも、本当の痛みと苦しみは分からないのですから。
でも、そのことを人に望んでいたのです。助けてくれるのは…、人ではない。お医者さんでもない。
そして私自身でもない。「本当にだれか助けて! 苦しいよ! 助けてー!」。
私はどうしたらいいの?って叫ぶことしか、できなくなっていました。 


そんな時、神様の話をして下さった方がいるのです。
「祈ってみ! 祈ったら叶うねんで! 全て良い方向に導いてくれるねんで!
いつも、一緒にいてくれるから淋しくないねんで!」と話して下さったのです。
お話を聞いて、教会に行ってみたいと思ったのですが、二つ不安がありました。
急に行って受け入れてもらえるのだろうか?礼拝に行ったらすぐに洗礼を受けないといけないのでは?

一つ目の不安に対してお話しして下さったのは…
教会の人は皆さんすごく喜んで受け入れてくれるよ!(こんな私でも…?)
二つ目の不安は受けたいと思ったときに受ければいい!
(受けたくなかったら受けなくていいの…?)と不安を持ちつつ行きました。

そして一つ目の不安は教会に足を踏み入れた瞬間なくなりました。
そして礼拝に参加するようになって、神様の事を少しずつ知っていく内に
早く洗礼を受けたいという気持ちに自然となっていき、私は十二月二十三日クリスマス礼拝の時に洗礼を受けました。


あの時の喜びはどう表現したらいいか!緊張もあり喜びもあり、水の冷たいのもあり、で
洗礼式の時の感情はただ嬉しさで涙ばかりでした。
未だ知らない沢山の兄弟、姉妹の前で四十七歳のおばさんがただ自然に涙、涙でした。
これからは一人ではない!いつも共にいて下さる神様がおられる。
不安なとき、恐怖を持ったとき、いつも神様が一緒に戦って下さる。私は一人ではないという喜びを持てました。


私が洗礼を受けた後にも、何人もの兄弟、姉妹が洗礼を受けておられます。
洗礼式を見るごとに私は生まれ変われたんだ!という喜びと感謝が湧いてきます。

そして、人は最後まで対処してくれないけど、神様はして下さいます。
そしてその神の子とされた兄姉は自分の生活があっても最後まで対処して下さいます。
この喜びを下さったのは神様です。感謝します。

学校のレポートがきっかけで Ayumi Katayama

私が教会に来た最初の理由は短大の課題でした。

教会に行ってレポートを書いて来るのが課題でしたが、教会に行ったことがなく、
高校の登下校の途中に何度も見たこの教会しか知らなかったし、何しろ方向音痴なので、
他の教会を探すのも面倒だったので、「あそこの教会に行こう!」と、この教会に来てレポートを書くことに決めました。


レポートは前期に二回、後期に二回教会に行くだけで良かったのですが、
高校の時にお世話になった先生や同じ短大出身の方がいらっしゃったし、
教会のみんなが親切にして下さったので、「この教会にまた来たい。」と思うようになり、
気がつくとほとんど毎週行っていました。

ほとんど毎週行っていたので「洗礼を受けたら?」と洗礼を受けることを勧められ、
洗礼を受けたいという思いが強くなり、「洗礼を受けたい」と親に言いました。

家はクリスチャンホームではなかったので、洗礼を受けたらどうなるのかというのが全く解らず、
洗礼を受けたいと思ってから洗礼を受けるまでにかなりの日が経ちました。
それだけに、洗礼を受ける事が出来た日はすごく嬉しかったです。


洗礼を受けたいと思ってから受洗するまでは、たくさんの人達や両親に洗礼を受けたらどうなるのかという事や
教会生活についての説明等をして頂きました。

その間私は信仰生活基礎講座を受けました。
私が行っていた保育園はキリスト教の保育園だった事も関係したのかキリスト教の考え方は
すんなり受け入れる事が出来ました。

また、中高生に混じってYCバイブルスタディやYC楽器クラスにも参加しました。
洗礼を受けてからもYCキャンプに参加しました。
初めてのキャンプで、そもそもキャンプってどんなのか全く解らない状態で参加しましたが、とても楽しかったです。
また、いくつかの教会が集まって行うフィッシャーマンズネットにも参加しました。

しばらくして、勉強との両立のため、日曜日だけしか行けなくなりましたが、
また行けるようになったらどんどん教会のイベントにも参加したいと思います。


私が受洗して一番変わった事はプラス思考になってきたという事です。
何が起こっても神様が傍に居て下さって、私を助けて下さる。そう思えるようになってからは、
どんな事が起きても平気だと思えるようになりました。
そして、毎日が楽しいものとなりました。
この感じをみんなに味わってほしいと思います。

神の訪問 Akira Matsuzaki

 ハレルヤ!私は、今年八月二日に洗礼を受けたばかりの新米クリスチャンです。

 私の幼い頃、祖母が天理教でよく一緒に天理教会へ行く機会があり、周りの子供より信心深い子供だったと思う。
私の心の中にいつも神様という存在があり、神様の声に従って生きてきた。それが中学生になると、ちょうど反抗期、
家庭環境や友人関係の変化、また自分の心の弱さから、いつも聞こえていた神様の声を無視するようになった。

それに伴って、生活スタイルや態度も百八十度変わり、神様のいる心は崩壊していった。このころは、まだかわいい
ヤンキーで、せいぜいケンカや盗んだバイクで通学するくらい。そんな中、中学三年になると進路というものが
突きつけられる。
担任の先生に「今のままでは高校に行けないぞ」と言われるが、私にはそんな声も全く届かず、
ただ毎日楽しく仲間と遊べたらいいとしか思っていなかった。そんな私を見捨てず、県外に行くしかないとまで
言われていたのに、なんとか高校に行けるように親身になってくれ、唯一県内に行けるのがあると淡路島の
高校を見つけてくれた。先生のおかげで私は何の努力もせず入学。

 しかし、高校に入ると、悪の心がもっとひどくなったのだ。
せっかく入れたのにも関わらず、入学して一週間で停学。学校始まって以来と言われ、その後も度々繰り返し、
結局、中学の先生が協力して入れた高校を一年と少しで辞めてしまった。学校の魅力も感じず、学校へ行く意味さえ
わからなかったこの頃の自分に後悔だ。退学後、さらに輪をかけて悪い方向へ進み、近所では札付きのごんたくれに
なっていた。

個人名では出なかったが新聞沙汰になる事件も犯し、私は罪人だった。警察の厄介になることも日常茶飯事。
このころの母親の口癖は「寝ている間にあんたを殺して私も死にたい」…母親は毎日こんな思いで、円形脱毛症になり、
家族にまでも心配をかけていた。

ただただ自分の事だけしか考えず、周りには目を向けず毎日を過ごした。仕事もケンカをしては辞め、
やくざと関わりを持った時期もあった。ある事件で、友人三人で六百万もの借金を背負った。十代には大金だ。
このころから真面目に働き始め、二十一、二十二には返済し、落ち着きを取り戻しつつあった。
どんだけバカをしても、私に神様は救いの手を差し伸べてくれたのだ。


 今の会社に入り、私にとって大切な人に出会った。元々、私は映画など見て、キリスト教、聖書に興味があった。
その人は日曜日は仕事を大半受けない方で、エホバの証人らしいと噂されていた。私は自分で確かめようと思い
本人に聞くことにした。
いざ聞いてみるとプロテスタントと言う。カトリックしか知らない私は頭に?が飛んだ。帰ってすぐにインターネットで
調べるとキリスト教の教派だという。その人にはすごく魅力のある人で、そこに何かあるのかも知れないと思った。

その人と釣りによく行くので、いつも釣りだけの楽しみだったが、もう一つ楽しみができたのだ。キリスト教に興味があったので、
行く前に今日はこの質問をしようと一つ決めて、釣りに向かうのだ。ある時、「教会に来てみる?」と誘われ、
妻と行くことになった。

 想像していたよりも、はるかに広く綺麗だった。この時、自分では信じられないが、礼拝の時間、ふわっと白い光
〝神様〟を感じた。すごく不思議な感覚になり正直驚いた。この日をきっかけに何度か教会に足を運ぶようになり、
心がきれいになる癒しの時間ができた。夢にもよく神様が訪れるようになった。

 そして洗礼を受けたいという気持ちが出てきてたが、どのタイミングでいけばいいか迷っていたところに、
先生が「そろそろ洗礼を受けたらどうですか」と軽くぽんと一言言ったのだ。私にはその流すようにいわれたのが良かった。
そして、ちょうど八月二日が日曜日。八は私のラッキーナンバー、二は妻のラッキーナンバー。
神様が導いて下さっているのだと思った。

 詩篇三十篇五節「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」この御言葉に私は救われた。
昔の自分にすごく後悔し、どこか後ろめたい気持ちを引きずっていたが、こんな私でも朝と共に喜びが来るのだと
神様は私に光を与えてくださった。ステキな人々に出会うことができ、本当にたくさんの祝福を頂いた。

 ルカによる福音書六章三十一節「人々にしてほしいとあなたが望むことを、人々にもその通りにせよ」とあるように、
私が周りの人々にして頂き、嬉しかった喜びを、私のように待っている人がきっとたくさんいるはずなので、
同じように伝道していこうと思う。人々が救われれば、私の救いにもなる。

 ローマ人への手紙十四章八節「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。
だから、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである」。
人は自分勝手に生きているのではなく、私達は神様のものであることを心の中心におき、これからも生きていこうと思う。

日本キリスト教団 高砂教会  
〒676-0015 兵庫県高砂市荒井町紙町1-34  TEL-079-442-4854 FAX-079-442-4878
Copyright (C) 2010 Takasago Church Corporation. All Rights Reserved.