-ハンセン病患者との出会いによる喜び-
藤原菜美
私は今年でフィリピン宣教キャンプも3回目となりました。今年は、皆さんもご存知の通り、去年の所にはいけませんでした。最初その事を聞いた時「最悪やぁ…」と思ってとても落ち込みました。でもそれが最後には感謝に変えられました。
今年の高先生の聖書の学びで、とても感銘を受けた箇所があります。
創世記第12章2節〜3節『わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。
あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。
地のすべてのやからは、あなたによって祝福される』です。「神の恵みの中には喜びと平和、感謝がある。
自分の中にある神様からいただいた祝福を、他人にあげる事で、自分も相手も喜びに満たされる」と高先生は教えて下さいました。
この聖書箇所に何故感銘を受けたかというと、私自身が今までにそのような体験をしたから、だけではありません。
もちろんその体験だけでも、すばらしい箇所というのは分かっていますが、
私はらい病の方達との触れ合いによって、この箇所が一層、胸に入って来ました。
今年は去年行った所に行けなかったので、刑務所・孤児院・サマリアビレッジ(ハンセン病患者が一緒に暮らしている村)などに行きました。
ハンセン病の方達は、病気がもう進行しないといっても、すでに足が無かったり、手の指や鼻など、色々な所がありませんでした。
私は、小さい頃から看護師になりたいと言っていたのに、テレビでそのような病気を背負っている人たちを見ると「気持ち悪い」とか思っていました。
触る事なんて絶対できないと、かなりの偏見を持っていました。口には出さなかったけど、仁美先生から「今かららい病の方達の病院に行きます。
そこで一人は必ず手をとってお祈りして下さい」と言われた時は、本気で行きたくないと思いました。
感染力がとても弱いといっても、感染したら嫌やし、手をとるなんて絶対無理、と思いました。
でもハンセン病の方達のDVDを見ている時、何故か急に涙が出てきました。
私はフィリピンに何をする為に来ているのか、遊びに来たのではない、宣教をする為に来たんだ。
そう思うと、自分が今まで思っていた事に対して、とても恥ずかしくなりました。神様の愛に違いはないんだと。
私と外見は違うところが一杯あるけど、神様からの祝福に差はなかったんだと気づかされ、私はとても反省しました。
病院まで歩いて行く時、まだ少し恐く、初めて見た時は、更に恐かったです。
だから最初は百合ちゃんに頼んで一緒にお祈りをしに行きました。手を握った時、不安がなくなりました。
そしてお祈りをし始めると、また涙が出てきました。2人目の方に私が手を握ってお祈りをし、終わって目を開け、顔を上げると、
その人は私に「私もクリスチャンです。あなたも私も本当に愛されていますよ。あなたは大丈夫です」と言いました。
そして自分の病気について色々と話して下さいました。話しをしている時の顔はとても笑顔でした。
私はその時、喜びに満たされました。自分がどのような状況に置かれていたとしても、その道が神様に与えられた道であって、
その道を通ることが私にとって一番良い道である、その道を歩まなければならないという事を教えられました。
その方が今与えられている道や状況に感謝し、また、自分が置かれている『ハンセン病患者』という場所に対しても感謝しながら、
私に色々話して下さっていたと思います。だから私の中に喜びができたのだと思います。
その病院で、クリスチャンとそうでない人の見分けは、すぐにつきました。クリスチャンの方達は、
とても生き生きしていて、自分の病気に対してとても前向きでした。
でも、そうでない人は「何故自分はこのようになってしまったのか」みたいな顔をしていました。
私のビジョンは宣教看護師です。だから、このようなマイナス思考の人たちを、プラス思考に変える事ができたらなぁと思いました。
今回プロ・サントドミンゴに行けなくて残念でしたが、ここでの出会いがまた一つ、私に大切な事を教えてくれたと思います。
どんな場所にいても、どんな状況であっても、神様に感謝し、
また、自分が今も受けている祝福をたくさんの人達に流す事ができたらいいなぁと思いました。
また、このような素晴らしい場所に行かせて貰って、本当に感謝します。